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  • 家庭を作ることと守ること

    2020-11-08 23:38

    彼女の寝顔を見ながら思うのはこれから彼女の人生を背負えるのかということである。

    結婚という手続きを踏めば簡単に家庭というものを作ることは出来る。
    しかし作ったものを続けるというのは簡単なことではない。
    更にいうと一度作ったものを壊すのは更に難しいし、相手にも周囲にも大きな被害を与える。

    良い子であればある程考えてしまう。

    メモ11/8
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  • 米大統領選挙の雑感

    2020-11-08 22:10

    アメリカ大統領選挙は法廷闘争で変わる可能性はあるそうだがトランプが負けそうである。
    しかしマスコミや主要メディア、自称アメリカ通が言っていたようなバイデンの圧勝とはならず結果が中々決まらないような大接戦を演じた。

    トランプ大統領は口は悪いしスマートではない。しかし公約を誰よりも守り、コロナ前までは戦後一番の人種や性別を問わず低失業率を出した。
    またイラクやアフガンなどの中東からは手を引き、さっさと終わらせたIS追討やソレイマニ殺害など以外は戦争を行わなかった。もっというと中東に和平をもたらしつつあったと評価する向きすらある。戦争嫌いな側面があるのだ。

    私は気質的にトランプ的な人間は嫌いではない。口は悪いけど現場に寄り添ってケツを持ってくれる荒い現場の工場長や部長的なおっさんを感じるのだ。トランプ批判をする所謂リベラルな人間には綺麗な言葉で机上の空論を並べ現場に色々と押し付けてくるスマートなホワイトカラーを感じてならんのだ。

    案の定所謂リベラルはトランプの敗戦の報を受けて小躍りしている様子が見え私は悲しい気持ちで過ごしているのが現在である。

    4年前は小躍りしていたのでまあ因果応報なのかもしれない。

    他国の大統領とは言え4年間現場のおっさん的な人間が口だけの綺麗事が是とされるルベラル的な政治の世界で暴れまわってくれたのは気持ちがスカッとしたのは事実だ。

    政治の世界も労働の世界(左右関係ない)も理屈だけの綺麗ごとの机上の空論やコンサル的な現場の来て見て自分でやってみろと言いたくなるようなものが跋扈している。

    綺麗ごとや机上だけの理屈を押し付けられる現場で流れる汗や涙、時には血は見えないことにされている。また私達は見えないものとされてしまう時代が来るのかと考えると悲しい気持ちになる。

    アメリカでは労働者のための右からの変革の道は絶たれたのかもしれない。これから人口として増えていくミレニアム世代は恐らくトランプ的なやり方を好まないだろう。しかし彼らミレニアム世代は単純なリベラルではない。極左も言われる冒険主義的な左翼であり、サンダースを強く支持している。サンダースは労働者に寄り添う側にいる。もしかしたら次はそちら側の旋風が来るのかもしれないという期待が少しはある。

    とりあえずトランプには4年間夢を見せてくれてありがとうという言葉を残し締めたい。






  • ここ数ヶ月の違和感を徒然

    2020-07-18 11:13
    アイドルではない記事も書こうと思う
    東浩紀と外山恒一の対談を聞き直して彼らの話を踏まえて私の意見を書かせてもらう
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    コロナ禍で私は自由が好きだということが分かった。
    自由というのものは「○○~の自由」つまり漠然と自由があるのではなく、何かしらの対象から束縛されないものでしか存在し得ないので、もう少し私の好きな自由は「納得していない規制(空気も含む)ことからの自由」なのだと思う。

    今回のコロナ禍、「集まること」「対面で話すこと」これらに縛りが発生してしまった(日本の場合は要請や空気による縛りで)。「集会への人数規制」「他人との距離を空ける(ソーシャルディスタンス)」などがまさにそれであろう。
    政治的な文脈でいうなら「集会結社の自由」に制限が加えられたのだ。
    独裁国家が行っている〇〇人以上で集まることを禁止しているものと何ら変わりないものなのだ。それをコロナを理由として行っている。しかも民衆がそれを是としている。
    本来ならリベラルの人間こそがそのような規制に対して反論や違和感を提示すべきだ。
    しかし逆にリベラル側の人間はそれを容認するどころか、賛同して更には推し進める側、強化する側の発言を多く目にした。
    緊急事態つまり「例外状態」では、自由を明け渡すということを多くのリベラルが認めたのだ。で、その状態での為政者の決断を認めた。つまり彼らの忌み嫌うナチの独裁を容認することの方向への舵取りを認めたのだ。ナチも異常事態だからということで全権委任法を推し進めた。それについて自覚すら無いのは驚きだ。
    私は場合によっては独裁も認めるし、生活や価値判断は保守的なものを持っている。そのような私のほうが今回違和感を持っているのだ。よっぽど、リベラルよりも自由が好きなことを改めて感じたし、リベラルの欺瞞性すら思ってしまった。
    「命は大切ではないのか!」と言われる方も居るだろう。そこには反対しない。大切である。しかし大切であるから自由を規制するというのは別のベクトルのことである。であれば、車なども規制すべきだ。餅も規制すべきだ。しかしそれは許されている。車なら免許、餅も危ないものであることを前提に自ら気をつけるという形になっている。コロナ対応もそういうものであるべきで過度に自由を奪うようなものが必要なのかということを問いたいのだ。


    政府が4月中から5月まで行った自粛要請。あの決定過程も私は疑問だった。
    強制ではないとしても人々の行動の自由を奪うことを政府が要請したのだ。であれば、それなりの納得がいくような合意形成を行うべきだったと思う。なし崩し的な空気というか流れで要請が実施された。結果的に自粛要請が行うとしても、異論反論分子に色々と言わせて、ここまで言ったのだからという形で行うべきだっただろう。昔の自民党が行っていた総務会で反対派に大暴れさせていたあれだ。
    結論は変わらないので謂わば儀式に過ぎないのだが、その儀式こそ意味があるのだと思う。でなければ選挙で勝った与党が独裁を行えば良いという話になる。野党も居る議会も先程例に出した自民党の総務会と同様、反論異論を言わせる儀式なのだ。
    儀式は無駄で即断即決が必要だ!という方もいるだろう。今回はリベラルの方々にも見受けられたが、であれば、独裁を認めたことになる。安倍独裁という批判は無効化されるのだが良いのだろうか?
    スポーツや文化系の競技も含む様々な大会が無くなった。それらに打ち込んだ時間が奪われたのだ。果たしてそれは良いことなのだろうか?そのような話も少しは出たがあまり出なかったし、空気で出せなかったのだと思う。それもしっかり討議すべきことだったのではないだろうか?

    自由も議論(様々な意見を持った人がいるという意味での)も危機状態であれば無くても良いのだろうか?とすら思えてくる。

    今までの主張とコロナ禍での主張がチグハグな人があまりにも目立った。
    なんで私みたいな保守反動の大きな国家主義(財政出動派)者が自由や議会・合意形成について、リベラルより大切に思っているのだと思う。

    私は自由や討議を大切にするリベラルだったのかもしれない。