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第454号 2022.12.13発行

「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…わしは「ミスをする天才」であると、だいぶ昔描いたことがある。『ゴーマニズム宣言』も膨大な話題について触れてきたが、時代の変化につれ、ミスが見つかったり、アップデートしたかったりする箇所はある。言いっぱなしで転向するのは卑怯だし、思想の成長にならないから、「謝ったら死ぬ病」にだけは罹らないようにしたい。『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』(幻冬舎)は平成10年(1998)に出版し、来年には刊行25周年となるわしの代表作のひとつで、これまで60刷以上を重ねている。戦後に「自虐史観」が席巻してしまった日本の歴史観に、大転換を巻き起こした世紀の書であるとの自負もある。だがその中に、最近になってミスが見つかった。第18章『軍部にだまされていたのか?』の冒頭で、統一協会の元信者が起こした「青春を返せ訴訟」について描いているが、この部分に現在の認識からすると大きな誤りがあり、このままでは統一協会を利してしまう恐れすらあることがわかったのだ。まだ誰にも指摘されてはいないのだが、見つけてしまった以上、隠すわけにはいかない。そこで今回は、このことについて説明しておきたい。
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…鎌倉時代、事件の容疑者は、裁判で無実を証明するために「起請文(きしょうもん)」を書いて、許しがでるまでの一定期間、神社に籠った。現代から見れば「なんて非科学的で合理性を欠いているのだ!」と思える内容だが、実はこの「起請文」的な感覚は現代にもしっかり通底しており、効力を発揮し続けているのだ!現代日本人が日々、無自覚にどっぷりと浸っている「世間」の正体とは一体なんなのだろうか?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…W杯での日本人観客のゴミ拾いは誇れること?日本の子供の視力がドンドン低下してることをどう思う?「withコロナ」が世界的な潮流の中、動画を削除してきたYouTubeの方針はどうなる?安倍銃撃事件と、宮台氏が襲われた事件はどう違う?長野市が「子供がうるさい」という老人の苦情により、一つの公園を廃止閉園にすることになった件をどう見る?裾野市の保育士3人による児童虐待事件と、保育士の劣悪な労働環境についてどう思う?…等々、よしりんの回答や如何に!?


【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第483回「『戦争論』でわしが間違っていた記述」
2. しゃべらせてクリ!・第410回「ハッピークリスマス!茶ンタクロースのプレゼントぶぁい!の巻【前編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第277回「日本は“世間”に支配されている」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記




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第483回「『戦争論』でわしが間違っていた記述」

 わしは「ミスをする天才」であると、だいぶ昔描いたことがある。
『ゴーマニズム宣言』も膨大な話題について触れ、『戦争論』や『天皇論』シリーズも描いてきたが、時代の変化につれ、ミスが見つかったり、アップデートしたかったりする箇所はある。
 増刷される機会があれば、修正した方がいいのかもしれないし、いちいち少部数の増刷で修正していたら、編集者や印刷会社には手間がかかるから、申し訳ない気もする。
 それにその時代の表現だったり、そのときまでのわしの思想だったりするので、間違いは間違いとして残しておいたほうが誠実なんじゃないのかという考えもある。
 だが、どうしても訂正しなきゃならない箇所があれば、修正し、謝罪することだってある。
 言いっぱなしで転向するのは卑怯だし、思想の成長にならないから、「謝ったら死ぬ病」にだけは罹らないようにしたい。

『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』(幻冬舎)は平成10年(1998)に出版し、来年には刊行25周年となるわしの代表作のひとつで、これまで60刷以上を重ねている。
 戦後に「自虐史観」が席巻してしまった日本の歴史観に、大転換を巻き起こした世紀の書であるとの自負もある。
 だがその中に、最近になってミスが見つかった。
 第18章『軍部にだまされていたのか?』の冒頭で、統一協会の元信者が起こした「青春を返せ訴訟」について描いているが、この部分に現在の認識からすると大きな誤りがあり、このままでは統一協会を利してしまう恐れすらあることがわかったのだ。
 まだ誰にも指摘されてはいないのだが、見つけてしまった以上、隠すわけにはいかない。
 そこで今回は、このことについて説明しておきたい。

 統一協会の元信者が、教団の勧誘や教化の方法は違法なものであるとして、教団などに損害賠償を求める裁判が昭和57年(1987)の札幌地裁を皮切りに、全国で起こされた。
 原告は青春のすべてを捧げて活動して、裏切られたとして「青春を返せ」と訴えたことから、これらは「青春を返せ訴訟」と呼ばれた。
 平成10年3月、名古屋地裁で初めての判決があり、裁判所は教団の行為は元信者に対する不法行為とは言えないとして、原告の請求を棄却した。
 わしは『戦争論』の中で、この名古屋地裁判決について「信仰を捨てたとたん『青春を返せ』と言ったって棄却されて当たり前じゃないか」と賛同してしまった。
 そしてその上で、こう描いている。

元信者たちは結局
「信じたんじゃない だまされたんだ」
と言ってるわけだ
悪かったのは文鮮明教祖であり
統一教会という組織であり
その幹部たちだと

オウム真理教を脱会した元信者にも
似た言い方に転じた者がいた
「麻原が悪い」
「麻原は俗悪なおっさんだ」
「麻原はサギ師だ」
「マインドコントロールのせい」
「信者はだまされていただけ」

かくして元信者たちは
自分たちが愚かであったことは認めても
悪かったこと 自分たちにも
責任があることは認めず
教祖や幹部だけを悪者にして
自分だけどこまでも純粋で
善良な人間であろうとする
「私たちは教団にだまされていただけ!」

だまされることを決断した自分はいないのか?
信じることを決断した自分はいないのか?

「だまされる」ことと「信じる」ことは
両面張り合わせのひとつの心理だ!

この元信者たちは実は相当恥ずかしいことを主張している
つまりこう言ってるのだ
「『自分』はなかったのです」
「カラッポだったのです」
「決定する主体たる自分はなかった」
「だまされただけ!」

わしは統一教会とオウム真理教に深く関わってしまったために
「だまされていただけ」と言って
自分の責任を棚上げにするやつが大嫌いになってしまった

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 ボロッカスである。
 いま見ると、残念ながらこれは認識不足と言わざるを得ない。
 確かに執筆当時、「青春を返せ訴訟」では元信者側の敗訴が続いていた。
 だが『戦争論』発行以後、平成12年(2000)には広島高裁岡山支部で教団の違法性を認める全国初の判決が出て、その判決が翌年、最高裁で確定した。
 これにより、統一協会の勧誘・教化の方法は違法であるという判例が確立し、以降の裁判では元信者側の勝訴が相次ぎ、今日に至っている。
 確定した判決では、統一協会が正体を隠した勧誘を行い計画的に自由意思を制約し、自律的な判断能力を奪った上で入信させる手口が、憲法に保障された宗教選択の自由を侵害していることや、不当に高額の献金をさせることによって元信者の生活を侵し、自由に生きるべき時間を奪ったことなどが、不法行為に当たると認定している。
 現在、統一協会が違法な活動をしているとして、教団の解散や被害者救済へ向けた動きが加速しているが、その「違法活動」が行われたとする根拠こそが、これら「青春を返せ訴訟」の判例なのだ。

 わしも現在、統一協会の行為は違法であると非難しており、また、統一協会は創価学会などの宗教とは違うという主張もしている。
 そしてその根拠は、第一に統一協会は正体を隠して接近してくること、第二に自律的な判断能力を奪った状態で入信させ、献金させていることであり、つまり「青春を返せ訴訟」の判決で確定したことと同じ理由なのである。
 たとえ元信者たちが「カラッポだった」「決定する主体たる自分はなかった」と主張したとしても、それは「相当恥ずかしいことを主張している」とまで言うわけにはいかない。
 実際にマインドコントロールによって「カラッポ」にされ、「決定する主体たる自分」を喪失させられていたと認定し、これは「だまされただけ」だったと言っても仕方がない。
 そういうわけで、元信者側が敗訴した「青春を返せ訴訟」の一審判決を『戦争論』の中でわしが支持し、元信者側を批判したのは間違いだったと言うしかない。
「オレオレ詐欺」に騙される老人も結局、人がいいから騙されるのだろう。わしは「個」の確立を啓蒙してきた。だからサタンを飼いならす「個」が必要だというのは真理だ。
 だが、ようするに「善良で純粋で、騙されやすい人だって、この世にはいる」と認識しておかなければ、弱者を救えない。
 三浦瑠麗や太田光が統一協会に関心を持たないのは、個の弱い弱者を馬鹿にしているからだろう。自己責任が身についているから、信仰は個人の自由でいい、騙される奴が悪いということになる。


 以上の認識を再確認したうえで、ではなぜ当時わしが『戦争論』であのようなことを描いたのかを検証しておこう。
 この章はまず、統一協会に洗脳されて家族が崩壊してしまった、わしの叔母の話から始まっている。