AniPAFE2019に参加して。その4
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AniPAFE2019に参加して。その4

2019-12-01 22:23
    そんなこんなで、今回こそ終わらせたいと思います!前回はこちら








    ヴァイオレットの魂の叫びからのギルベルトの「愛してる」、そしてようやくラスサビに入る、という所から振り返りたいと思います。
















    ラスサビ前に音声が一旦途切れてから入る、というのは演出的にも最近見られる手法ですが、今回は一旦台詞を入れてから一息入れて、そこから感情を爆発させたいと思い、タメを作ることにしました。そして字幕の入れ方も、一番のサビと実は全く同じにしています。


    <アイ>❝愛❞ を対比させるため。これはあえて同じ見せ方をすることで、見る人に言葉の変化を、ヴァイオレットの心情の流れを理解してもらいやすくする為です。もうここまで来たならば、アイあいという三段階の変化を遂げていることを、見る方々には理解していただけることでしょう。それは正にヴァイオレットの成長であり、彼女にとっての愛という言葉から受け取るものが一番の頃とは全く違うのだという事が伝わるかと思います。全てはこのラスサビの変化をわかりやすく伝える為。何よりもこの長い動画を6分近くに渡ってヴァイオレットと共に歩んできていただいた視聴者の方々に、彼女と同じ想いを抱いてもらい、感情をシンクロさせる為です。














    自分がこの曲をヴァイオレットに合わせようと思った時に、最初に浮かんだイメージが、正にここでした。














    最初にここのイメージが浮かんだからこそ、作りたいと思いました。そしてここのイメージが頭に浮かんだ瞬間に、涙が止まりませんでした。絶対に作りたいと、そう思ったのです。ここのシーンに至るまでの道筋を構成し、見る人の感情を導くこと事が、自分が成すべき事であり、きっと自分にしかできないことだろうと。



    誰しも、MADを作ろうと思った時は、最初に浮かんだイメージというものがあるだろうと思います。ここの歌詞に、フレーズに、この場面を合わせたい、こうキャラを動かしたい、こう感情を合わせたい、と。自分にとってはここがスタート地点であり、終着点でした。愛の意味を知ったヴァイオレットが、何よりも少佐の事を切望し、でもそれが今はもう遠く手の届かない存在となってしまったことを理解し、涙する。最終回のこの独白のシーンは、本当何度見なおしても涙腺にきます。藤川千愛さんのこのラスサビの歌詞と、ヴァイオレットの心情があまりにも符合したことで、これは自分にとって作らざるを得ない場面となったのです。しかしそれを最大限イメージの通りに表現し、見る人に伝える為には、彼女の心情の変化を理解し、そこに至るまでの過程を共に歩んでもらう必要がありました。だからこその「あい」という言葉の三段変化であり、この長い曲のフル尺がどうしても必要だったのです。



    ちなみにこのラスサビに突入する最初のシーンは、コミックマーケット89で公開された、恐らくヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品が初めて世に映像として出たであろうPVのシーンを使わせていただきました。ラスサビ突入のインパクトとしては効果的だったのではないかなと思います。他にもいろいろと試してみたのですが、これが一番しっくりきたので採用させていただきました。







    そして自分の中で一番表現したかった部分を出し終えたので、最後はもう特に奇をてらう事も無く、シンプルに落とし込みました。使ってないシーンはまだありますし、表現的にもっと派手にすることができない訳でもなかったのですが、あえて最後はあっさり気味に終わらせました。飛行手紙のシーンをバックに、ヴァイオレットが街の人々の中に溶け込みながら、無数の手紙と想いに囲まれながら、自らの中に生まれた感情の流れに静かに身を任せる、という感じです。















    本来ならば列車での最終決戦や、ディートフリードとの邂逅、ブーゲンビリア夫人との会話のシーン等も入れても良かったのですが、尺の都合や作品としての完成度、構成を考え、静かに終わらせるのがベストだと思いました。若干の消化不良は残るかもしれませんが、ヴァイオレットにとっての愛と成長の歩みをやり切った後では、それはもう蛇足だろうと判断しました。兄がワンカットも出ないのは流石に少しどうかとも思いましたが、そこはご愛敬。
















    最後は街の住人の一部として、同僚たちの優しいまなざしと、沢山の想いに包まれながら、あくまでもその中の一人でしかない、何の特別な物も持たない、ただ一人の女の子としてのヴァイオレットを、舞い散る無数の手紙の中に埋没させて終わるという、何とも静かな幕切れです。街の人々、その一人一人に何かしらの想いや物語があり、ヴァイオレットの歩んだ道も、その一端にしか過ぎないのだと。そして、きっとそれで良いのだと。そんな事を思いながら結びました。ちなみに原作だとこの時ヴァイオレットは一枚の手紙を拾い、自分の部屋に戻ってからその中身を読み上げます。そこには恐らく幼い子どもが書いたと思われる字で、ただ一言こう書かれていました。


    「げんきをだして」、と。

    それに対して、彼女は「はい」と答えます。このシーンが、自分は大好きです。











    最後は、一通の手紙が花畑の中に舞い降り、その花の名を冠する彼女が、それを手にしたまま静かに眠る・・・という最終回のシーンとEDのラストを組み合わせた終わり方です。ここについてはもう特にいう事はありませんが、一緒に歩き続けたヴァイオレットに、ただ一言、お疲れ様、という想いを抱いたことを覚えています。一緒にこのMADを作り上げてくれてありがとう、と。完全に一方的で変な話ですが、そんな事を思うのでした。














    そして、オルゴールです。いつもの奴です。結局使ってしまいましたが、やはりこのMADを終わらせるには、これこそが相応しいと思いました。メインの部分は静かに終わった物の、最後の余韻と、ヴァイオレットのこれからの未来を示唆する意味でも、このパートを入れることが必要だと思ったのです。流石に長いかなとも思いましたが、恐らくこのパートは入れて正解だったのではないかなと思います。


    最終回の、ヴァイオレットからギルベルトへの手紙の内容を、ある程度抜粋して、台詞を抽出した訳ですが、全てを収めることは不可能なので、一番彼女からの少佐への想いが伝わる部分を選択しました。最終回の本当に最後の最後で、彼女の足跡を映像で振り返りながらのこの独白シーンは、正に「歩み」に相応しかったですね。













    そしてシメです。この場面では本当はヴァイオレットは別の台詞を言っているのですが、ここではあえて少佐への手紙の台詞を、画面の口パクに合わせて語らせています。動画のシメには、それがベストだと判断したからです。アイの意味を理解することの無かった少女が









    「私は今」









    「愛してるも」








    「少しはわかるのです」






    この台詞で締める事に、意味があると思いました。そしてあえて、最終回とは対になる、第一話のタイトルを持ってくることで、始まりと終わり、を表現したつもりです。「愛」に始まり、「愛」に終わる。でも、少佐がもしかしたら生きているのではないか、そうヴァイオレットが希望を持ち続ける限り、物語は終わることはないのだと、そういった「先」を予感させる締め方となっています。果たして4月に公開が予定されている新劇場版がどのような内容になるのかはわかりませんが、あの痛ましい事件からの復活を遂げた京都アニメーション様への、自分自身の強い希望と、想いを込めて。







    Pray For Kyoani、改めてその言葉を送らせていただきます。これにて、自分がAniPAFE2019に参加させていただいた、この作品についての解説を締めさせていただきます。













    ・・・・・・・って!これで終わるつもりかーい!!イベント自体の感想や、結果発表を受けての想い、他の作品についてなんかも書くんやないかーい!って感じですが、流石にこのまま続けるとまたしても長くなってしまうので、これまた次回!!(またそれかよ!!)一旦場を変えて、再度改めてそれについては語ることができればと思います。と言う訳で、次回こそは本当の本当に最終回です!!よろしければ最後までお付き合いくださいませ。今回もこのような長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました!!ではまた。


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