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平成25年6月8日
いま、12,800万人の日本人の中に、1,700万人の子どもたちがいて、
そのうち20~30万人、数として1~2%の子どもたちが、
現在進行形で難病と闘っています。
数にして割合にすると、一見、少ない?とも判断してしまいます。
小児難病には、現在、514種類の病気、病種があると言われています。
原因が解らない、治療方法が確立されていない、そして完治の
時期が全く判らない、の3つが主な特徴です。
3つの不安と闘います。
病気にもいろいろな種類があります。
血液の病気もあれば、臓器に異常が診られる病気もあります。
親からの遺伝によって、引き継ぐ病気もあります。
でも、当の本人は、生まれてきたのはもちろん初めてのことだから、
生きるってことはそれで、当然って思う子もたくさんいます。
目が見えない、音が聞こえない、口から食べ物を食べることが
できない、いつも頭が痛い、夜になると特に足が痛い・・・・。
それが当然、って思う子も少なくありません。
しかし、その子の両親は違います。
この子、“異常”だって、最初は思います。
“普通”じゃないって、思います。
“他の子とちがう”って、嫌な気持ちになる両親も少なくありません。
そして、子どもは特に、一人だけでは生きていけません。
パパとママが看ていてくれるから、闘えるのです。
お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟や妹がいるから、闘えるのです。
小児難病は、その本人だけでなく、家族全員で闘っているのです。
●難病と闘う多くのパパは、こう話してくれます。
“我が子のそばにいたくても、看病したくても、なかなかできません。
なぜなら、僕は働かなくてはならないからです。
そうしないと、生活できなくなるからです。
でも、そうなると、もっと思うのです。
そうすると、僕っていうものは、働いて、お金を稼ぐだけが、
僕の役割なのかって?
大切な子どものそばにいるより、職場にいなくてはならないのです。”
そう言って、非力さと闘います。
●難病と闘う多くのママは、こう話してくれます。
“私のお腹から生まれてきてくれた我が子だから。
自分自身のこれまでの生活を振り返り、反省をします。
不規則な生活や食生活が悪かったのかな?
あの時、夜更かしして遊んでいた頃が悪かったのかな?
お酒やたばこを吸っていたからなのかな?
あの時服用していた薬が悪かったのかな?”
そう言って、自分の身体やこれまでの生活を責めるのです。
●難病と闘う多くの兄弟、姉妹は、こう話してくれます。
“いま、僕(私)がわがままや甘えを言っちゃダメなんです。
だって、パパとママが、もっと困るもん。
お兄ちゃん(お姉ちゃん、兄弟、姉妹)だって頑張っているんだから、
僕も我慢しないといけないんです”
そう言って、淋しさと闘います。
小児難病は、このように、つまり家族全員で闘います。
さらに、パパとママの間での闘いもあります。
原因が解らず、治療方法も判らないのが難病なのです。
だから、これ!って明確な手段が、この世で誰も判らないのです。
病院の先生も判りません。
だから最後にこうしよう!って判断するのは、パパとママなのです。
だから、意見の衝突だってあるはずです。
病気と闘っているパパとママ。
その離婚率は約40%。
その殆どは、パパが家を出ていきます。
もっとはっきり言うならば、パパが現実から逃げ出してしまって
いることも多いです。残された家族は・・・
ママと兄弟姉妹たちだけです。
それでも病気は待ってくれません。
日々、進行していく、子どもの身体だから大人より早く進行していく
病気も少なくありません。
パパとママ、そして兄弟姉妹。
家族の試練の瞬間、時間が、24時間、続きます。
『これまであれも、これもと、欲張って生きてきたような気がしています。
でも、娘が生死をさまよっている時、想ったのです。
なにも、要らないから、って。。。
そう想えたら、逆に思えたのです。大切なもの?って。
そう考え、整理してみたら…そのすべては…目の前にありました。
大切なものほど…目の前にありました。』
ウィッシュ・バケーションに参加してくださったご家族のお母様が
話してくれました。
17歳の娘と白血病と闘いながら、この想いが出てきたそうです。
そして、また別のご家族のお父様が話してくれました。
『音をたてて崩れる、って言うじゃないですか。
あれ、違いました。音もなく、突然に、崩れていきました。
当たり前、ってとてももろいんです。
でも、家族がゆっくりとつながりを深めていく、当たり前の日常の
中で、かけがえのないお互い、そしてその中で生きていけることの
素晴らしさを実感できました。
それは、いろいろな時間が経過して、その中でも劇的なきっかけ
などではなく、日々の陽だまりの中で、こう感じることができました。
家族を想うこの気持ちは、とても自然なことだったと、いま、思います。』
人は一人では生きていけません。
みんながいるからこそ、生きていけるのです。
そして、そのみんながこうしてつながるからこそ、しあわせを
感じることができるのだとと思います。
なぜなら、一人では・・・誰もいない、知らない、相手にされない
孤独な空間では、しあわせを感じることができないからです。
そして、その一人ひとりが、誰かとともにいることを嬉しいと
思った時、誰か寄り添うことができた時、思ってもいない力が
生まれてくるものなのだと思います。
ある重い病気を持って生まれてきた子のお父さんは、こんなことも話してくれました。
『人は健康であっても、病気と闘っていても、どのような環境にいても、
全ての人に“生きる意味”があります。
この子は、5歳までしか生きられないとお医者様に言われました。
でも、もし、5歳までしか生きられなくても、この子にも
“生まれてきた意味”“生きる意味”が必ずあると思うのです。』
人には、必ず、“生きる意味”があり、必ず、その人にしかない
“役割”があります。
どんな時にも、どんなことがあっても・・・。
そのことを私は、彼らから教わりました。
その日から、私はその“生きる意味”と“役割”を考え続けています。
公益社団法人 難病の子どもとその家族へ夢を
代表 大住力
いま、12,800万人の日本人の中に、1,700万人の子どもたちがいて、
そのうち20~30万人、数として1~2%の子どもたちが、
現在進行形で難病と闘っています。
数にして割合にすると、一見、少ない?とも判断してしまいます。
小児難病には、現在、514種類の病気、病種があると言われています。
原因が解らない、治療方法が確立されていない、そして完治の
時期が全く判らない、の3つが主な特徴です。
3つの不安と闘います。
病気にもいろいろな種類があります。
血液の病気もあれば、臓器に異常が診られる病気もあります。
親からの遺伝によって、引き継ぐ病気もあります。
でも、当の本人は、生まれてきたのはもちろん初めてのことだから、
生きるってことはそれで、当然って思う子もたくさんいます。
目が見えない、音が聞こえない、口から食べ物を食べることが
できない、いつも頭が痛い、夜になると特に足が痛い・・・・。
それが当然、って思う子も少なくありません。
しかし、その子の両親は違います。
この子、“異常”だって、最初は思います。
“普通”じゃないって、思います。
“他の子とちがう”って、嫌な気持ちになる両親も少なくありません。
そして、子どもは特に、一人だけでは生きていけません。
パパとママが看ていてくれるから、闘えるのです。
お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟や妹がいるから、闘えるのです。
小児難病は、その本人だけでなく、家族全員で闘っているのです。
●難病と闘う多くのパパは、こう話してくれます。
“我が子のそばにいたくても、看病したくても、なかなかできません。
なぜなら、僕は働かなくてはならないからです。
そうしないと、生活できなくなるからです。
でも、そうなると、もっと思うのです。
そうすると、僕っていうものは、働いて、お金を稼ぐだけが、
僕の役割なのかって?
大切な子どものそばにいるより、職場にいなくてはならないのです。”
そう言って、非力さと闘います。
●難病と闘う多くのママは、こう話してくれます。
“私のお腹から生まれてきてくれた我が子だから。
自分自身のこれまでの生活を振り返り、反省をします。
不規則な生活や食生活が悪かったのかな?
あの時、夜更かしして遊んでいた頃が悪かったのかな?
お酒やたばこを吸っていたからなのかな?
あの時服用していた薬が悪かったのかな?”
そう言って、自分の身体やこれまでの生活を責めるのです。
●難病と闘う多くの兄弟、姉妹は、こう話してくれます。
“いま、僕(私)がわがままや甘えを言っちゃダメなんです。
だって、パパとママが、もっと困るもん。
お兄ちゃん(お姉ちゃん、兄弟、姉妹)だって頑張っているんだから、
僕も我慢しないといけないんです”
そう言って、淋しさと闘います。
小児難病は、このように、つまり家族全員で闘います。
さらに、パパとママの間での闘いもあります。
原因が解らず、治療方法も判らないのが難病なのです。
だから、これ!って明確な手段が、この世で誰も判らないのです。
病院の先生も判りません。
だから最後にこうしよう!って判断するのは、パパとママなのです。
だから、意見の衝突だってあるはずです。
病気と闘っているパパとママ。
その離婚率は約40%。
その殆どは、パパが家を出ていきます。
もっとはっきり言うならば、パパが現実から逃げ出してしまって
いることも多いです。残された家族は・・・
ママと兄弟姉妹たちだけです。
それでも病気は待ってくれません。
日々、進行していく、子どもの身体だから大人より早く進行していく
病気も少なくありません。
パパとママ、そして兄弟姉妹。
家族の試練の瞬間、時間が、24時間、続きます。
『これまであれも、これもと、欲張って生きてきたような気がしています。
でも、娘が生死をさまよっている時、想ったのです。
なにも、要らないから、って。。。
そう想えたら、逆に思えたのです。大切なもの?って。
そう考え、整理してみたら…そのすべては…目の前にありました。
大切なものほど…目の前にありました。』
ウィッシュ・バケーションに参加してくださったご家族のお母様が
話してくれました。
17歳の娘と白血病と闘いながら、この想いが出てきたそうです。
そして、また別のご家族のお父様が話してくれました。
『音をたてて崩れる、って言うじゃないですか。
あれ、違いました。音もなく、突然に、崩れていきました。
当たり前、ってとてももろいんです。
でも、家族がゆっくりとつながりを深めていく、当たり前の日常の
中で、かけがえのないお互い、そしてその中で生きていけることの
素晴らしさを実感できました。
それは、いろいろな時間が経過して、その中でも劇的なきっかけ
などではなく、日々の陽だまりの中で、こう感じることができました。
家族を想うこの気持ちは、とても自然なことだったと、いま、思います。』
人は一人では生きていけません。
みんながいるからこそ、生きていけるのです。
そして、そのみんながこうしてつながるからこそ、しあわせを
感じることができるのだとと思います。
なぜなら、一人では・・・誰もいない、知らない、相手にされない
孤独な空間では、しあわせを感じることができないからです。
そして、その一人ひとりが、誰かとともにいることを嬉しいと
思った時、誰か寄り添うことができた時、思ってもいない力が
生まれてくるものなのだと思います。
ある重い病気を持って生まれてきた子のお父さんは、こんなことも話してくれました。
『人は健康であっても、病気と闘っていても、どのような環境にいても、
全ての人に“生きる意味”があります。
この子は、5歳までしか生きられないとお医者様に言われました。
でも、もし、5歳までしか生きられなくても、この子にも
“生まれてきた意味”“生きる意味”が必ずあると思うのです。』
人には、必ず、“生きる意味”があり、必ず、その人にしかない
“役割”があります。
どんな時にも、どんなことがあっても・・・。
そのことを私は、彼らから教わりました。
その日から、私はその“生きる意味”と“役割”を考え続けています。
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代表 大住力
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最終更新日:2018-02-01 00:00
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