• こんな時だからこそ、あの言葉を寄せて。

    2014-12-27 21:00
    こんばんわ、ユーラです。


    前々からお話していた、最近書いたショートショートのお披露目です。

    このお話は、FinalFantasyXIVの公式イベント「キャプションコンテスト」にて
    執筆したとても短いお話です。

    コンテストのテーマはまた別のところにあるのですが、かねてより二次創作も
    やりたいと思っていたのと、最近友人の悲しい知らせがあったこともあって
    何か一つ、この節目に残しておきたいと考えていたので執筆することにしました。


    つい先日、FF14は祝1周年を迎えました。

    まだまだこれからも飛躍していくと思いますが、僕もずっと応援していこうと
    思っているタイトルです。

    このSSに関しては、FF14の世界観をある程度知っている方であれば入りやすい
    内容になっていると思います。

    現プレイヤーさん、旧プレイヤーさん、引退してしまったけども知っている方。
    そういった方には、非公式ながら本編の裏側であるワンシーンをお見せ出来る
    のではないかなと思ってます。

    また、FF14を知らない方にとっては、もちろん二次創作であるので固有名詞や
    世界観が把握できないことが予想されます。

    その場合は、ユーラがどんな文章を書いたのか、コンセプトやテーマはどこに
    重きが置かれているのか、この短いお話の中でどういった構成になっているか、
    などなど考察していだければ幸いかなと思います。


    今回は言行録という趣で書きましたので、一人称になっています。

    ただ、描写はそんなに入れていないので割りと平坦な流れかなと思います。

    言ってみれば物語のあらすじを読むような、それでいてFF14の世界観がぽつり
    ぽつりと染み渡るような、そんな書き方をしました。

    一つの、裏舞台で起こっていたかもしれないIFのような、物語の補完
    意識していますので、やはりFF14の世界を知っている方がよりお楽しみ頂ける
    のではないかなと思います。


    コンセプトについては、作中でしつこいほどにキーワードが出てきますので
    こちらは語られるべくして語られるでしょう。

    なので、印象そのままに胸にしまっていただけたらなと思います。


    テーマに関しては先に補足しておきます。

    前述したように「物語の補完」という位置づけになりますので、今回の
    主役の言行録よろしく、それぞれが「独白」のような言い回しから、大体が
    補足説明のような印象を受けるかもしれません。

    結果を切々と語る、起こったことを淡々と話す、感じたことをあるがままに
    口にする、そんな感じになりますね。

    それはある意味、朗読のような雰囲気で物語を楽しんでもらいたいという
    思いからです。

    この短い文章量の中でも色々な書き方が出来ると思いますが、主役が、誰かが
    朗読をするように読者に語りかける、そういったニュアンスになります。

    余計になる感情は減らし、頭の中の想像を楽しめように。

    そういった意味で、FF14の世界観を知っている方はより多くの情報とリンク
    出来るので、また想像も膨らむのではないかということです。


    とはいえ、個人的にタッチは割りとカジュアルにしたつもりなので、
    「ちょっとファンタジー世界覗いてくらぁ」といったフランクさで、FF14を
    知らない方も、読んで頂ければなぁと思います。


    □■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□


    ということで、FF14を今現在プレイされている方も、FF14を知らない方もぜひ
    読んで見てくださいね。

    感想フォームはあとがきにありますので、何か思うことがありましたらどしどし
    送ってください。


    それでは、気分転換にささやかな時間ですがお楽しみ下さい。


    どうぞ。

    カヌエ新生祭り

    新生祭言行録 Scene1 <カヌ・エ・センナ>



     ユーラ
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  • 創作家の未来。これからの再出発。

    2014-12-13 21:00
    こんばんわ、ユーラです。


    (素材提供  夢見白猫様)

    気がつけば早いもので、もう10月になりますね。
    もういくつ寝れば、年越しになりますね。

    なんて、いつも言っている気がしますが、もうほとんど自分の歳も
    数えなくなってから年月のことを考えると老け込んでしまいそうです(笑

    「時間が過ぎるのは早いなぁ」と思うのは、何も考えてなくてただひたすらに
    目の前のことを処理することで精一杯、気がついたら1週間、1ヶ月経っていたのか。

    それとも日々が充実していて、気力も充実していて、今の生活が楽しくて
    しょうがなくて、明日が待ち遠しい、時間を先取りできるなら寝る間も惜しんで
    何かに熱中・没頭していて月日が経っていたのか。


    どちらが「より良い生き方」であるかは、主観的に見れば後者だと思うのですが
    残念ながら現代に生きる多くの方は前者なのではないかな、という印象です。

    僕も含めて、生きることに精一杯で、仕事に忙殺されている日々。

    それを「日々充実」と思えるなら、それも一つの「より良い生き方」なのかも
    しれません。


    しかしながら、ふと思うのです。

    仕事が忙しいことが幸せなのか、好きなことに没頭できることが幸せなのか。

    それを天秤に掛けることは、さして意味が無いのかもしれない、と。

    もっと言えば「より良い生き方」が体現出来ていれば、それは幸せと呼べるのか。

    詰まるところ、僕たちはなぜ生きることを選ばされているのか、という禅問答の
    ような問いかけに抵触しそうですが、それは言及しないでおきます。

    ただ、仕事が忙しくて嫌だから好きなことをしてストレスを発散する、そして
    結果としてそれが幸せだなぁという消去法的な考えで幸せを求めているわけでもなくて。

    ましてや、あの人の生き方が幸せそうで、今の自分は不幸せだからあちらの世界に
    行こうという「幸せの天秤」に掛けること、何かを比べて常に優劣をつけて優れて
    いた方を幸せと認識する為に生きているわけでもない。


    そんな、「人の生き方」なんて広い見識を見ながら、「本質」を見極めるなんて
    言葉が果たして妥当かどうかは分からないけれど、もっと、もっと答えは単純で。

    たくさんのことに影響を受けて、多くのことに悩んでその末に辿り着いた、
    思い至ったことが「なんだ、こんな簡単なことだったのか…」というのはよくあること。


    それは決して、生きることの意味が単純だったということではないですよ。


    少なくとも。

    僕が今ここにいるのは、この文章を書く為。終わったら、やりたいことがあるから。
    明日やることがあるから。その今を積み重ねているだけ。

    明日やることがない…。 そういう人もいるかもしれない。
    でも、このあと寝なきゃ。起きたらご飯食べなきゃ。トイレ行って用を済ませなきゃ。


    そんな、極々ありふれた生活のサイクルが止まったら、それはもう「生きていない」
    それだけのこと。

    「何かの為に」「誰かの為に」「自分が目指す幸せの為に」

    それは、それぞれの人が胸に秘めている、大義名分。

    大義名分って「誰かに対して」っていうイメージが強いのは、昔の人が
    忠義を尽くすみたいな感じで使ってたり、人としての道理を貫く為みたいな
    使い方が多いからだけど、本来「自分自身に向けて」のもの。

    だからそれを否定することはしないし、本人の拠り所にして良いと思う。

    ただ、それを貫ける人もいれば、その時その時で入れ替えている人もいる。


    だから僕は、またもう一度「再出発」します。


    □■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□


    さて、前置きが長くなりましたが、今日は「創作家の未来」について。
    語っていきたいと思います。

    以前、僕が目指す「新しい作家のスタイル」について触れました。

    本来であれば、僕が目指している生き方なので「ユーラってこんな人」で
    音声録って記事にするべきなのですが、今日は、前回話した内容をもう少し
    文章で丁寧に書こうかなと思ってます。

    なので補足として聞いてもらえたらなと思います。


    まず、「作家」と限定した言い方をしましたがもっと広義に「創作家」さんは
    このライフスタイルを目指して欲しいなと思ってます。

    ノートとペンさえあれば、いつ、どこに居ても、どんな場所であっても、無数の
    作品を創作出来るということ。


    例えば、モノ書きさん。

    文章で何かを表現すること、伝えたいことを文章によって構成すること。

    それは文字通り、ノートを片手にペンを胸ポケットに入れて歩き出せば
    外の刺激を受けて、色々な作品を生み出せるはずです。

    で、あるならば、場所に固定されることほど勿体無いことはないです。

    頭の中の空想世界はそんなに大きくありません。いくら孤高の天才が書斎に
    閉じこもり、数々の名作を生み出したとしても、僕にはそれは悲しい作家の
    背中に思えてならないのです。

    もちろん、歩きながら筆を走らせる必要はないですよ、そんな突撃記者のような
    浮き足立った心境ではせっかくの文章世界も歪んでしまいます(笑

    「場所に固定されない」それはつまり自分の目で見た風景を、実際にその場所を歩き、
    その街の雰囲気に浸り、感じたままに表現出来るように自らが経験すること。

    初めて入るお店で、ちょっと雰囲気の良いカフェでも良いでしょう。
    窓から眺める街並みを見て、アフタヌーンティと洒落込みながら、筆を走らせる。

    室内の装飾が気に入ったなら、マスターと話すのも良いでしょう。
    隠れ家的なお店って、とてもワクワクしませんか? お客さんの年齢層、賑やかさ、
    マスターのこだわり、そのひと時を切り取ったシーンが描けるはずです。


    感性が豊かな人であれば、風に流される雲の動きを「詩」に表せるでしょう。
    誰も気づかないような道端に、ふとして落ちるハンカチを見つけたり。
    紅葉を眺めて、落ち葉の絨毯に季節を感じれば、焼き芋が食べたくなりますね(笑

    感性が鋭い人であれば、道行く人々の表情が目に付いてそれぞれの人生に
    思いを馳せることが出来るでしょう。
    忙しない様子で小走りに掛けるスーツの男性は、時計を見ながら額の汗をぬぐう。
    初めて一人で帰省してきたであろう、女の子が悩んでる所に女性がしゃがんで声を
    掛けている様子だったり。
    学校帰りの制服姿の学生達は、疲れを知らない横顔でカラオケに我先にと駆け込む
    放課後の一ページ。
    あぁ、私の青春時代は放課後にそんな一コマは一度も無かったなぁと(笑


    もちろん、周りに人が居ないときもあります。
    小さい頃にしか公園の遊具で遊んだ覚えは無いでしょう。そんな、夕暮れの公園で
    ベンチに腰掛けて、普段は小さい子を遊ばせているだろう奥様方の井戸端会議を
    想像してみたり。

    昨今、公園の遊具も事故があった影響で撤去されたり、集合住宅の中にあったはずの
    広場もいつの間にか駐車場になっているなんてこともありますよね。
    その背景には一体何があったのか、その地域の回覧板では回ってるかもしれません。
    新聞に載っているかもしれません。
    真相が分かったとき、その一連の騒動が、ここがどんな地域なのかを教えてくれるかも
    しれないですよね。

    ロケーションによってたくさんの刺激が受けられる、だから一所に留まり続けるのは
    良くない、勿体無い。

    確かに書斎に篭ってもメディアやネットを通じて色々な情報は入ってくると思います。
    でも「百聞は一見にしかず」という言葉があるように、さらに踏み込んで言うと
    僕はこう言いたい。

    「百見は”一経験”にしかず」

    ある人は、この世界は美しいと感じるかもしれません。
    それはその人の経験によって形になり、文章世界に落とし込まれたとき読者は、
    なんて美しい世界があったんだろうと感嘆するでしょう。

    でも僕は、世界は美しくなんか無い、と感じた場合。
    色々な醜い人間模様や、決して綺麗とは言えない心理描写を駆使してこの世界が
    いかに「醜悪な黒」に染められていることを表現するでしょう。

    それはその人が感じた経験であって、それぞれにしか描けない世界です。

    僕たちはそうやって経験を積み重ねているし、それが自分にしか創れない作品。


    とはいえ、これだけではまだ自分の世界に留まっていると感じるかもしれない。

    そこで僕は、自分が最高に楽しめる生き方を、何か少しでも誰かに還元できないか。
    どうしたら自分の世界に留まらず、外の世界に影響を与えられるかを考えて
    みたのです。

    それは、後ろを振り返ってみたら、あっけないほどにすぐに見つかりました。

    僕たちは自らが想像して、何かを形に残して、一つ一つを経験してきたとき、
    必ず「足跡」が残ります。

    それは何でも構いません。学生の頃の卒業文集かもしれない、小さい頃に描いた
    親の似顔絵かもしれない、誰かに宛てて認めた…でも出せなかった手紙かもしれない。

    それが僕が歩いてきた人生で、残してきた足跡。

    もちろん当時は、その都度「残る」ことを意識して経験してきたわけではないです。

    ただその時は夢中で、必死で、その姿に感化された人もいたかもしれない。
    その残った形に触れて、何かを感じてくれた人もいたかもしれない。

    そうして、自分が残してきた足跡が誰かの人生に少しでも残るなら、自分の
    経験してきたことは無駄じゃなかったんだなぁと、思えたのです。

    そしてこれは、僕だけじゃなくこの記事を読んでくれているあなたにも同様に
    言えること。

    つまりは、そういうこと。


    誰も居ないところにいくら足跡を付けたとしても、それは作家の悲しい背中と
    同じなのであまり意味が無い。

    それなら僕は、縁あって生を受けたこの日本に足跡を残したい。

    生まれた県、育った街、それ以外にまだまだ行ったことの無い場所はたくさん
    あります。
    同様に、見たことが無い景色も、出会っていない人たちもたくさん居ます。

    だから。

    僕は日本の各所に行って、その土地、その地域、その町に根ざす物語を書きたい。

    ニュアンスは旅行に似ているかもしれないけれど、決定的に違うのは僕は観光を
    しにいくわけではないということ。

    「全国行脚」というと古めかしいかもしれませんが、僕の中のイメージはそれに
    近いです。
    家が仏教徒だったというのは、合縁奇縁。まぁそれは置いといて。

    「根ざす物語」というのは、その地域色が含まれたお話であること。

    もう平成も27年を迎えようとしていますが、逆に見ればまだ30年も経ってません。

    一つ前の年号、昭和の時代を紐解くくらいは近い歴史です。

    もちろん、それは伝奇やホラーといったジャンルが書きやすいというだけで、
    現在にも残る面白い特色があれば、それを活かすのも良いでしょう。

    もっと調べれば、今なお残る色褪せない伝統や風習があったなら、より強固な
    地域色が生まれるはずです。

    それは同時に、大げさな言い方でもなく「地域貢献」にも繋がると思うのです。

    例えば作品の舞台になった場所。撮影の為にモデルになったロケーション。
    実際にある場所であったなら、一度は行ってみたいと思うものです。

    僕はそれを身近で経験していますし、今僕が住む町は「町興し」の一貫として
    その作品を大々的に受け入れて、遠方から多くの人が訪ねてくるほどです。


    もう少しだけ具体的に言うと、僕が住む場所は関東最古の神社があります。

    それだけでも、年末年始は初詣客で2万人くらいの参拝者が訪れていました。

    それがどうでしょう、とある作品の舞台地がココだと噂が広まった年。

    参拝客が例年の2万人から、8万人に増えたと地元メディアが報道しました。

    今では特別住民票を配布したり、ポイントラリー形式で各お店でスタンプを集めると
    町から、とある作品にちなんだ景品が貰えたりします。

    もちろん、その内容はどうであれ、それだけでも多くの人が動くということです。
    そして人の流動によって、大きくお金も動いたというお話です。

    だから決して、その土地に根付く作品を生み出すことは無価値ではないと思ってます。



    とはいえ、「その作品も有名にならないと意味が無いんじゃないか」と、思うかも
    しれませんね。

    僕は、さして作品自体が有名作になることは条件ではないと思ってます。

    もっと言えば、その作品が生まれたことに意味があるのであって、その影響は
    ささやかなもので構わない、とすら思っています。

    誤解の無いように言いますが、その作品が認められて大きくなることは良いと思い
    ますよ。それが自分の作品であったなら、とても嬉しいことです。

    ただ、必ずしもそうである必要はないんじゃないか、というのが僕の見解です。


    一つ例を出しましょう。

    ご存知でしょうか、高橋しん先生の「最終兵器彼女」というお話。
    漫画原作なので、漫画が好きな方であればメジャー所ですが、あまり漫画を
    読まない方は、初めて聞くタイトルかもしれません。

    この物語の舞台は、北海道小樽市です。

    僕は結構まじめに、小樽市に移住したいと考えてます。
    もちろん今の仕事やめてからですが(笑

    僕にとって北海道の小樽は知りながらも、有名どころの運河やガラス細工が綺麗、
    という認識でしかなく、そこに住みたいと思うほどの影響は受けていませんでした。

    そこに、この作品が重なっただけで、僕の心は震わされたのです。

    作中の年代は高校時代なので、その時代が響かない方は琴線に触れないかも
    しれません。

    だから、何度も言うようですが作品に対して受ける影響は人それぞれ。

    この作品に何の感慨も浮かばず、普通のSF青春ラブストーリーとして捉えた人には
    そこまで感銘は受けないかもしれません。(しん先生、こんな言い方ですいません汗)

    でも、僕のような人には住む場所を変えようと思えるほどの影響を与える。


    何かが生まれて、それが世界に産声を上げたとき、そこには小さな反応が生まれます。

    その反応が誰かと共鳴して、大きな波長となって水面を揺らす時。

    それは一大ムーブメントが引き起こされているかもしれません。

    だけれども、その産声が森の中でひっそりと木霊するくらいだったなら、風の囁き
    程度のささやかなものであるかもしれません。

    それでも受け取ってくれた人に、小さな変化があったなら僕は嬉しい。
    …と、いうことです。


    だから。

    その土地特有のお話を公開出来たとき、その地域に興味を持ってくれたらと。
    そして実際にその町を訪れて、作中で出てきた場所や、描写された風景をぜひ
    堪能してもらいたい。

    それが、僕が「その土地に根ざす物語を書きたい」と思った、理由です。



    □■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□


    長くなってしまいましたが、最後までお付き合いありがとうございました。


    まずは、僕が創作した作品を形として手に取れるようにすることです。

    それは単純に保存して、お好きにどうぞではないですよ。

    「伝えるべき人」が必ず居ます。

    それは一つの側面から言えば、作者側から伝えたい人をある程度限定することも
    出来ます。
    どんな人に聞いて欲しいのか、どんな人に読んで欲しいのか。
    どういう人に伝えたいのか。

    それを浮き彫りにすることが、まずは大切かなと思います。


    そして、全国行脚マップ(仮)を作る!

    日本列島をドーン!と載せて、その地方をクリックするとスクリプト的に作品が
    飛び出してくるような!?

    最初は自分だけの作品しかないマップでもいいです。でも共感してくれた人が
    どんどんそのマップに追加していってもらって、日本列島が、日本に生まれた
    僕たちが書いた、日本の物語に彩られていくんです。

    とあるの地域には今も昭和の香り残る設定を組み込んだ物語が。

    こっちの地域にはその地方でしか見れない景色があって、風景描写が美しい物語が。

    そうやって、創作家さんたちが自分の足跡を、その地域の人たちもささやかながら
    影響を与えながら、足跡を残していける生き方を。

    目指して行こう。

    一所懸命、一生、懸命に。



    今回は、物書きさんの例を多く取りましたが、絵描きさんも音作りさんも含めて
    色々なジャンルの方の話も今後は繋げて行こうと思います。

    物書きさんだけでこの量だから、絵描きさんと音作りさんだけ追加しても3倍に
    なっちゃいますから、今日はこの辺で。


    ありがとうございました!


    ユーラ。
  • 【セツノベル】第3話 セツの願い。

    2014-11-29 21:00
    こんにちわ、ユーラです。


    (素材提供 ハル 様)

    いよいよ3日目。本当は1週間くらい続けたかったのですが、明日
    予定が入ってしまったので連続投稿はこれで一先ず終了です。

    まだ数話ですが、まだまだ語りたいことはたくさんあります。

    それから最近仕入れた、勝手にセツノベル認定した作品たちの紹介。

    今セツノベルを打ち出すのはどうしてなのか、色々。。

    そういえば昨日、超天気良くなって暑さ逆戻りって言いましたが、
    今この記事を書き始めたら、ザーっと雨が本降りになってきました。

    いいぞ、雨もっとやれ! という感じ(笑

    ということで、部屋が涼しいうちにせっせと作業をこなして行こうと
    思います。

    今回は、第3話として「セツの願い」です。


    □■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□


    なんだかどこかで聞いたような語呂ですが、まぁ気にしない方向で。

    初回から匂わせていた「セツノベル」が、なぜ「セツ」なのかという部分を
    掘り下げて行きたいと思います。

    まず、以前にも書いたようにセツノベルは「切ないノベル」のことです。

    その上で、切ないとはどういう感情なのか、色々な切ない気持ちの表現の
    在り方を語ってきましたね。

    じゃあ、もっと具体的にセツナノベルではなく、切ノベルでもない、、、
    どうして「セツノベル」を選んだのかをお話していきたいと思います。


    単刀直入に、「せつ」という単語をすべて書き出してみてください。

    僕は切ないという言葉を辞書で引いたあとに、「せつ」という単語も
    調べてみました。

    すると結構な数の言葉が出てきます。

    例えば「切」 一番上に出てきたので、これから行きましょう(笑

    切は、切るというイメージが強いと思いますが「切に願う」など祈り
    という意味もあります。

    僕は祈りと聞いて「異界送り」がまず浮ぶのですが、あなたはどうでしょうか?
    とても神聖な、それでいて荘厳な雰囲気をまとった響きがあります。

    それを題材にして、ある一つの村の信仰に祈りを捧げるという風習があって、
    王道でいくなら旧家の巫女がそこには座っていて。。。みたいな感じで
    どんどん広げていきます。

    また逆に「切る」というイメージを広げたい人もいるでしょう。
    もうすでにサスペンスが首をもたげてくることになりますが、推理モノは
    エンターテイメント性が高い。

    でもそこに、「切ないサスペンス」というテーマにしたらどうでしょう。
    一気に情緒に訴えかける物語に転換させることが出来ます。


    また、切ノベルにしなかったのは、この「せつ」に入る単語は一要素に
    過ぎないからです。つまり、何を加えても良いと思ってます。

    同時に、「切」一つをとっても様々な解釈がありますので、それをどの角度から
    描写するかによっても、また多彩なシナリオが生まれてくると思うのです。


    次に「接」 この文字から、どんなイメージがわくでしょうか?

    接すること、人との関わり。そんな人コミュニティに根付く関わり、交流を
    主眼に置いたテーマはどうでしょう。

    でも、コンセプトは切なさが含まれる。そうなると、簡単には描けません。
    恋愛しかり、兄弟愛しかり、世代間交流しかり、人との関わりを一口に
    説明出来ないのと同じように、真に心の底から関わりを考えたなら多くの
    思考が生まれるはずです。

    結構難しいと思いますよ。この「接」の交流って言うテーマ。


    こんな感じで、「せつ」ノベルのテーマはその要素をどれにするかで様々な
    表情を見せてくれるのです。

    逆に、あえて接ノベルと限定したなら、その方向性のお話が生まれるでしょう。


    また、せつは要素であり、単語であり、熟語にも変換可能です。
    このあたりは言葉遊びが好きであれば容易に発想出来ると思います。

    二字熟語、四字熟語でテーマ選定をすることも出来ます。

    セツノベルコンテストなるものが開催されるとしたら、その都度、今回は
    「セツノベルコンテスト 刹編」とかにして、様々なテーマを決められます。

    上でも言ったように、同じ単語一つとっても捉え方や見る角度によって
    人それぞれなので、多種多様の物語が生まれてくるのです。


    このように、セツノベルはコンテストをやるにしても、物語創造にしても
    色々な拡張性があると思ってます。

    とはいえ、やっぱり「セツノベル」はどちらかというと情緒に訴えかける
    物語に分類されるかなと思います。

    「そのテーマで描ける切なさとはなんぞや」っていうのがコンセプトになると
    思うので。

    そこは核としてあるんですが、その表現の仕方や捉え方は他のジャンルと
    同じくらい自由度はもたせてあります。


    では、「セツナノベルではダメなのか」といったら、これは語呂の問題です。

    セツナまで入れてしまうと、切ないという言葉が強すぎて他の拡張性が
    活かせなくなってしまうと思いました。

    セツナ・ノベルでリズムは良さそうな響きなんですが、やっぱり含ませる
    意味を考えると、セツだけの方が自由が利くんですよね。


    このセツノベルの面白いところは、やっぱりその捉え方にあると思うんです。

    僕が捉えられる2,3の発想よりもさらに上をいく想像力でシナリオを書いて
    くれるひともいるでしょうし、まったく逆の捉え方で「そうきたか!」っていう
    シナリオを練り上げる人もいると思います。

    僕は、ある程度ジャンルという大枠、ルールは必要だと思いますがその中での
    表現の仕方は、十人十色で良いと思ってます。

    だから昨今の、意外性ばかりを追及した同じような方向性の作品を作ろうとせず
    表現の楽しさを、自分の持ち味を、感性を十二分に発揮出来るジャンルでありたい。


    そういう意味でも、「セツノベル」は人の情緒に訴えかける物語でありながら、
    自分の捉え方次第で様々な表現が出来る、そんなジャンルを目指しています。


    To Be Continued...


    □■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□


    さてさて、三日間と短かったですが駆け足でセツノベル語ってきました。

    これからはまた通常営業に戻ります。

    セツノベルにて思うこと、これからも色々語っていこうと思いますので、
    お楽しみに。

    また何か思うことがありましたらメッセージなどなど送ってくださいね。

    衝動的な何かを感じてもらえたなら、ぜひご自身の媒体で語ってみたり
    そのような物語を書いてくれたら、なお嬉しいです。


    それでは、お疲れ様でした!


    ユーラ。