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「本当」と「真実」を結ぶ、一粒の核心。
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「本当」と「真実」を結ぶ、一粒の核心。

2014-09-20 21:00
    こんばんわ、ユーラです。


    (素材提供 MobA 様)

    前回の記事で、現実も空想も無いですって言ったのが、そこだけ
    ピックアップされてしまって誤解をされている方もいたようです。

    多分「現実と空想の区別のつかない人」という捉え方をされていたの
    かもしれません。

    いえいえ、僕の言いたいことは違うのです。

    確かに、現実と空想のギャップはあります。

    とある物語に出てきた人物の性格と、実際に出会った人の性格が
    似ていたとき、あたかもその人であるかのように投影するのは
    一つの側面としてです。

    間違っても、当人が空想世界の住人と同じ言動をするとは捉えません。

    物語であろうと、目の前の人であろうと、同じヒトなんていませんからね。

    ちなみに、僕の読者さんでよくメッセージくれる方の言葉を借りるなら
    「一見、夢見がちな子に見えても実際はとてもリアリストだったり」します。

    つまり、その境界線は本人の中にはあって、傍から見たなら相手の印象は
    別々のものとして映るでしょう。

    それは現実と空想を区別しているということだけれど、自分の経験として
    こういう人と出会った、でもそれに似ている人にも出会った。

    共通している部分は多いけれど、相手を知る一つの手段としては、そこに
    現実も空想もなくて、自分の経験知としているだけです。

    ただ、本当に相手のことを知ろうと思ったなら、会話のやりとりや色々な
    コミュニケーションの中でしかそれは育めません。

    その中で相手との距離感や、その人の人物像をある程度把握する上で
    必要なものであって、そこに現実や空想」といった隔たりを作るのは
    視野が狭いのではないかな、というのが僕の考えです。


    もう一つ例えるなら、頭がお花畑な人という言葉を引用します。

    まぁ良くない印象を受けるかもしれないですが、大別して二つ。

    好意的に解釈するなら、とても幸せそうな人です(笑

    自分の世界観を持ってて、夢とか理想とか憧れを自分の中で真実まで
    昇華させて、それに浸れることが出来る人です。

    残念ながら、自分の世界を持ってない人は何かに酔うことや、時間を忘れて
    浸ることが出来ないです。何かにかこつけて自制して、周囲の環境の変化に
    翻弄され続けてしまいます。
    その場合、悪い方向に進むとそれは依存という形で表面化します。

    浸るのと、依存するのとでは意味が違います。

    自分の世界に浸れる人と、自分の世界が無いから誰かに依存する人。

    この違いはとても大きくて、頭がお花畑でも前者であれば何ら蔑まれる
    ことは無いと思ってます。


    逆に、反感を持たれるというか、悪意的とまではいいませんがそういう
    捉え方をされる場合。

    こっちは受け手に依存する場合が多いですが、頭がお花畑の人を見ると
    いつもぽわぽわしているように見えます。

    言い換えるなら、自分の世界に入っちゃってる人とか、それこそ妄想や
    空想といった絵空事を言っているようにしか見えなかったり。

    それが受け手の癪(しゃく)に触ると、相手の印象をマイナスに捉えて
    しまいがちです。
    頭がお花畑な人というのが、悪いイメージが強いのは、やっぱりこちらは
    中傷の度合いが強いからです。

    もしくは、相手を小ばかにしたように使う傾向にあることから、代名詞
    のようになっちゃってる部分もあると思います。

    だから、あの人は頭がお花畑だから…っていう裏には、現実と妄想の
    区別が出来て無いっていうニュアンスが含まれるんですね。


    とはいえ。
    先に挙げたように、一概にお花畑なのが良くないとは僕は思わないので
    何が重要になるかは、やっぱり受け手の見識なのかなとも思います。


    □■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□


    もちろん、文章を書く上で机上の空論であったり理想論で終わらせない為に
    僕たちはその理想を、現実のものとして捉えさせなければいけないです。

    その一つの手段として仮定するという作業があります。

    前の記事で「うそつき村の嘘つきさん」を書きましたが、それをもう一度
    思い出して貰えれば、分かりやすいかもです。


    例えば、あなたが好きな物語があったとしましょう。

    それは完全無欠のファンタジー小説だったとします。
    一概にファンタジーだからといって、すべてが空想世界だからそれは現実ではなく
    自分とは別の世界だからという捉え方しか出来ないでしょうか?

    僕たちには、言葉に出来ない理想や憧れ、こうだったら良いのにっていう願望が
    少なからずあります。
    それを物語に投影して、それに近い描写(もしくはシーン)があった時、
    何かと結びつけて夢想します。あたかも自分が体験しているかのように。

    その作業を、物書きさんたちはあらゆる手を尽くして
    読者さんの「真実」を見つける旅の手助けをしています。

    逆に言えば、書き手(伝え手)に求められるのは、その「空想」をいかにして
    「本当」であるかに変換させることが出来るか、なんですよね。

    それを人は、と言ったり幻想といったり、はたまた妄想と言います。


    だけれども、受け手は何かに期待して、その物語を開くものです。

    この世界は自分の住む世界じゃない、でもひょっとしたらこんな時代が来てても
    おかしくなかったかも。

    こんな人は私の住む世界には居ない、でも彼の気持ちは少し理解できるかも。
    だってこの気持ちは経験したことがあるから。

    こんな話の流れは現実的じゃない、でも一理ある。可能性の否定なんて
    誰にも出来ないし、もしもなんてファンタジーだけれど俺にとっては妙に
    リアルに想像出来た。


    そう、ここで頭の中でしている作業は仮定したうえで」の自己完結です。

    「幻想と本当」の間を埋めるのは仮定。

    そして「本当と、あなたの中にある真実」を結びつけるのは、一粒の核心です。

    空を飛びたいという幻想を、翼があれば…その翼を動かす動力があればと
    仮定して、本当に人は空に旅立った。

    そして、人は空を飛べるんだという真実を胸に刻みつけた。

    一粒の核心は、経験則からなる自信、もしくは確信です。


    でもそれは、結果の伴うものでなくても成立するんですよね。

    膨大な実験データや数え切れないほどの検証がなくても、腑に落ちたなら
    それはその人の中で真実として確立します。

    もちろん、学術的には気の遠くなるほどの裏づけがなければ確信足り得ないとは
    思いますけど…。


    僕たちは学者ではないですから、物語を分析するという意味ではもっと直感的

    心理学を少しかじってたら、これはあの法則っぽいなとか。
    この展開は、序破急っぽいなとか。三幕構成かなとか。

    幅広く知っていれば、それに越した事はないですが、知らないとこういう仮定は
    出来ないですよね。

    でも、自分の経験則の裏づけや、経験の知で仮説が立つのなら紐付けも
    可能ということです。


    繰り返しになりますが、書き手が意識しないといけないのは伝えたいことを
    あやふやな霧状のものから、形ある目に見えるものに落とし込むこと。

    受け手は自然と空想と現実を結びつける作業をしますが、その過程において
    仮定するという作業ありきです。

    分析するなら色々な経験則、経験知があれば様々な角度から物語を紐解くことが
    出来るというお話でした。


    □■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□


    ううむ、色々書いたけれどうまくまとまらなかった気がしますね(笑

    そんな日もあるさーということで、たまにはゆるく行きましょう。

    突っ込みどころ満載のときは、ぜひコメント・メッセージなどで石を
    ぶつけてください。

    嘘ですw ディスカッションしましょう。

    今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。


    また次の記事にて。


    ユーラ。

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