空白とうろこ雲
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

空白とうろこ雲

2014-10-12 06:38


     九月も半ば。曇りがちな空の下、朝のほの暗い居間でIAちゃんと2人。薄っぺらい画面の中で気象予報士が、今日も日中は暑くなるだろうということを、涼しい顔で言ってのけている。
     切り替わるニュース映像と、隣の壁にかけてあるカレンダーを見比べて、ふと、とある日が近づいていることに気付く。
    「そろそろ一年ですね」
     隣に話しかけても、すぐに打って響くということはなく、たっぷりの沈黙が訪れる。はじめこそ無反応に意味を求めて神経を尖らせたこともあったけれど、このテンポも1年ですっかり慣れてしまった。
     やっとこちらを振り返った彼女は、無表情のまま首を傾げる。
    「なにが?」
    「IAちゃんが、うちに来てからですよ」
    「そうだっけ」
     彼女は全く気にした風もなく、すぐに視線をテレビのほうへと戻してしまう。
     1年前の今頃、まだ日中は日差しの強さと影のコントラストの濃さに夏の暑さがずいぶんと残り、しかし、ふとそよぐ風に秋を感じ始めた頃。彼女は、正確には、ラピスちゃんも含めた彼女たちは、この家にやってきた。
     そう、ちょうど今日のような、高い高い空がうろこ雲に覆われ、秋風の吹く朝に。

     春先に家庭の事情から私とCULを迎えて、実家で1人と2体暮らしを始めたマスターは、あっという間にVOCALOIDの魅力に目覚めて、取り憑かれたように、大学生活もそこそこに、新しいVOCALOIDを迎えるために猛烈にバイトを始めた。有言実行を座右の銘とするなんともパワフルなマスターは、夏休みの半ばの給料日にはそれまでの給金と十数年分の手付かずのお年玉と合わせて、その目標額をほぼほぼ達成してしまった。高機能自律型有機アンドロイドの中でも高機能、かつ人気もあるVOCALOIDは、学生がそんな風にぽんぽん買える価格であるはずがないのだが、彼女はやってのけた。しかも、給料日の次の日には、ネットのレビューでの比較と各所の展示販売場巡りを終え、さらにその次の日には2体のVOCALOIDの新規所有契約を終えてくるという、なんともせわしくもめまぐるしい展開だった。
     さらに数日後の納品予定日の、面白いくらいにガチガチに緊張したCULの顔も、これ以上ないくらい緩みきったマスターの顔も、とても良く覚えている。私はといえば、極度の緊張や歓喜に満ちた興奮よりも、急に足場が不安定になってしまったような心許なさと居心地の悪さを強く感じていた。そこにあったのは、背中にべっとりと張り付いて拭えない居場所を追われるような焦燥感と、さらにそこから派生する緩やかな拒絶と恐怖。落ち着かない心を無理矢理覆うように、とにかく体を動かしていたくて、朝から掃除ばかりしていた。
     その日、3周目のの玄関掃除に没頭していたときに、彼女たちはやってきた。つまり、彼女に最初に出会ったのは、他でもない、私だったのだ。
    「はじめまして」
     凛として透き通った声に振り向くと、目を見張るほどに美しい真っ白な髪と強い日差しにいまにも溶けてしまいそうな滑らかな肌、光の加減で色味を深くする宝石のような碧い瞳をもった少女が、庶民的な住宅街のごく一般的な門先に、圧倒的な存在感で佇んでいた。
    「は、はじめまして」
    「こちらが武井さんのお宅ですか? 私、IAと言います。この子はラピス。このたび、こちらにお世話に――……」
    「や、あ、その、すみませんっ。そうです、うちです。うちなんですけど、今、マスター呼んできますので、少々お待ちください」
     私は玄関の戸を拭くために持っていた雑巾と履いていたサンダルを放り出して、慌てて奥の居間へと走った。
     こちらに真っ直ぐに向けられていた、射るような瞳と、綺麗な声と、感情の乗らない綺麗なだけの発音。直感的に、言わされている、と感じた。もしくは、用意されたものをただただ読み上げているだけ。そこにこめるべき何かをどこかに忘れてきてしまったような感じを受けた。例えば、私たちに人の感情に似せた何か、つまり心というものがあるとして、それが目に見える一本のネジのような形をとっていたら、それをそのまま取り付けるのを忘れて置いてきてしまったような。
     マスターが待つ奥へと通して、彼女たちが談笑するのを廊下からCULと並んで眺めていたけれど、談笑といってもにこやかに話しているのは主にマスターであり、たまにラピスと名乗ったドールのようなVOCALOIDが微笑む程度で。IAと名乗る少女は、マスターに初対面で指摘されてあっさりと敬語を改めたわりに親しげになったわけでもなく、始終ニコリとも笑わなかった。
     新しいおもちゃをふたついっぺんに手に入れた子どものようにはしゃぐマスターは、けれども興味のほとんどは15cmのラピスちゃんに注がれていて、その場から逃げ出す算段でいっぱいいっぱいなCULを横目に、私だけがいつまでも変化しない表情を仔細に観察するように彼女をいつまでも眺めていた。

     今思えば、その不完全さに吸い寄せられるように、私は彼女に惹かれていたのだ、と結論付けることができる。
     彼女の空白は、そのまま私の空白になった。
     しかし、何故だろう、彼女の心の空間をどうにかして埋めたいと想えば想うほどに、満ち溢れて、胸が詰まるのは私のほうなのだ。私の感情は今にも氾濫してしまいそうなほど、こんなにもたくさんたくさん胸の中で渦巻いているというのに、それでも、足りなくて。
     そしていつからか、強い願いに変わる。
     何かが欠けた彼女の、その“何か”に“私が”なれないだろうか、と――

    「ゆかり、ちゃん?」

     彼女の指が私の指に遠慮がちに触れて、思考がぷつりと途切れる。
     純真無垢な碧い瞳でもって、彼女は私にどうしたのかと訊ねる。内面までそっくり映し出すような鏡のような瞳に映りこんだ胡乱な瞳が、そのまま答えだ。
    「少し、ぼーっとしてしまいましたね。IAちゃんに出会った時の事を思い出していたんですよ」
     彼女は私の言葉ではなく、私の心の奥底まですっかりさらって見透かしているかのように私の目を見つめ続けるために、にわかに頬が熱くなるのを感じながら、私はそっと目線を落とした。
    「IAちゃんも変わりましたね」
    「そ?」
     こっそりと盗み見た、瞬きをひとつしてから小さく首を傾げる彼女の唇の端は、よくよく見ないとわからないほどに僅かではあるけれど、ほんの少し上がっている。
     その小さな笑みの意味を量りかねて、もてあます。一年前なら、そんなことはなかったのに。
     彼女の中に芽生えたものはなんだろうか。芽生えさせたものはなんだろうか。私はまた不完全な問いに囚われて、身動きが取れなくなる。
    「IAちゃんは、」
    「ん?」
    「いや、なんでもないです」
     私は、そっと、すぐ隣の肩に寄りかかる。
     髪がかかったのか、くすぐったそうに鼻を鳴らしたものの、IAちゃんは口を開くこともなく、大人しく前を向いている。
     ああ、私は、ずっと前からこうしていたかったのかもしれない。
     体温を分け合えるほどに近くに寄り添い、同じ方向を向いて、同じものを見ながら、同じ時間を過ごす。
    「ねぇ、綺麗だよ」
     液晶画面を彩る遠い北の地方の映像は、暖色のモザイクとなった広葉樹が稜線を描いていた。
     きっとあの紅や黄や橙は、もうしばらくすれば、近所の駅向こうの山や商店街の銀杏並木にもやってくるだろう。
     紅葉した葉が落ちれば、木枯らしが吹いて、じきに冬が来るだろう。また町を覆うような白銀を一緒に見られるだろうか。
     そして、春が来て。
     夏が来る。
    「ええ、そうですね」

    あなたの隣で、また季節が廻りだす。  

      fin.




    この物語は、2013/9/16 IA Revolution におきまして、
    あ~るわい@柚子之屋にて無料配布されましたssペーパーの加筆修正版です。


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。