一九四五年七月、ドイツ ベルリン
Ⅰ
呼び鈴がけたたましく鳴らされ、私はコカ・コーラの瓶とコンビーフ・ハッシュの大皿を右A卓に、潰したじゃがいもの大皿を左D卓に置いて、音のした方へ向かった。つま先でターンすると、U.S.ARMYのロゴ入りエプロンの裾がひるがえる。
アメリカ軍の慰安用兵員食堂〝フィフティ・スターズ〟は夜のバータイムとあって盛況だ。昼間は作り置きの料理で大食らいたちを迎える配膳カウンターはバーになり、普段の芋洗い状態が嘘のようにしっとりした雰囲気の中、白いクロスをかけた丸テーブルが澄まし顔で並んでいる。濃い青色の照明にミラーボールの銀がきらめき、ホールの中央で女性と頬を寄せ合い踊る軍服姿の男たちの顔や体に水玉模様を落とした。ウェイトレスの私が空いた席のグラスや皿を片付けていると、再び呼び鈴が鳴った。尻が椅子からはみ出さんばかりに大柄なアメリカ兵が、太い指をくいくい曲げ、早くこっちへ来いと急かすのが見える。私がようやく奥B卓に着くなり、ミラーボールのせいで顔がまだらのそいつは、牛が草を食べるように唇をもごもご動かしてこう言った。
「あの黒髪の姉ちゃんは何時に仕事を終えるんだ?」
ここで働きはじめてまだ五日も経っていないのに、この質問はもう三度目だった。「黒髪のお姉ちゃん」は同僚のウェイトレス、ハンネローレのことを指す─彼女はちょうど右C卓で別のアメリカ兵の手の甲をつねっているところだ。
「ご注文はお食事とお飲み物のみです」
ため息交じりに答えると、両隣に座っていた仲間の隊員が笑い、冷やかした。私は彼が怒り出す前に急いできびすを返したが、案の定、背後から罵声が追いかけてくる。
「気取りやがってナチ女が!」
「その頭にぶら下げてんのは豚の尻尾か? ブスのデブめ」
笑い声がどっと続く。私は豚の尻尾と蔑まれた自分のお下げを握りしめながら、大股でフロアを横切った。あいつだって牛みたいなくせに! 私は〝ナチ〟じゃない。でもあの人たちにとってドイツ人はみんな同じなのだ。
正面のステージでは黒いドレスをまとったドイツ人の歌手がドイツ人の楽団を従えて歌っている。でもその後ろに掲げられた大きな旗は星条旗だ。しましま模様に星をちりばめた、おもちゃの包装紙みたいなアメリカの国旗。
この地区を仕切る国家はドイツじゃなくて、アメリカだから。
安っぽいプレハブの兵員食堂がここに出来たのはつい一週間ほど前のことで、まだ接着剤やおろしたての資材の、化学的なにおいがする。アメリカ兵コックに混じって、私のようなある程度の英語が話せるドイツ人従業員が働いている。ようやく閉店時間になり、コーン油のむわっとしたにおいや茹でたじゃがいものにおいから離れ、ひと息つくために厨房の裏口から外へ出る。
「〝sewerage〟の意味がわからなかったからって、あいつらあたしのこと馬鹿だと思ってんの。そっちこそドイツ語でしゃべれって話よ。所詮、自分のところの言葉しか話せないくせに」
すでに休憩中だったハンネローレが他の数人のウェイトレスと愚痴を言い合っているのが聞こえてきた。青色の闇に浮かび上がった彼女たちの影に、客からもらったらしい煙草の赤い火がぽつぽつと点る。ハンネローレは私に気づくと、「ラッキーストライクだよ」と煙草を一本くれた。白くすらりとしたアメリカ製のそれを、私はポケットに入れて明日にでもマッチと交換しようと思った。家のマッチがそろそろなくなりそうだから。
「おーい、君たち! こっちを手伝ってくれ! 支給品が届いたんだ!」
私たちを呼ぶ洋なしのような顔の人、マクギネス特技軍曹はここのコック長だ。
食堂裏の巨大な貯蔵庫へ行くと、輸送トラックはすでに出発したところで、搬入口の前に大量の木箱が積まれていた。側面に捺してある品名の黒いスタンプをひとつひとつ読みながら、置き場所を間違えないように運ぶ。何十個目かの箱に取りかかろうと屈んだ拍子に、そばの茂みの葉と葉の隙間から、子どもの顔が見えた。その視線の先には搬入が遅れたらしい木箱が一箱、ぽつんと置いてある。私は気づいていないふりをして、自分の分の荷物を持ち上げ、貯蔵庫へ運んだ。
朝から晩まで働きづめ、明日のためのじゃがいもの皮を剥いてようやく仕事を終えたのは、夜の十時を回る頃だった。他の人と共同で使っているロッカーを開けると、私の上着がきちんと待っていた。何もかもが足りない今のこの国では、人のものを奪って生きることがあたり前で、盗みが日常茶飯事になっていた。二日前には厨房に忍び込もうとした男性が憲兵に捕まったし、さっきは子どもが─私は首を横に振って考えるのをやめ、支給品のエプロンを外してロッカーに掛けて、上着に腕を通した。上着は羊毛製で分厚く、真夏だから本当は脱ぎたい。でもやがて必ず来る冬を上着なしで過ごすわけにはいかないので、身につけている。自分の体が一番信頼できる金庫だから。ロッカーの扉を閉め、腕に白いハンカチを巻き直す。〝私は降参しています〟の証として。
足はだるく、腰が痛かったけれど、右手に抱えた紙袋の重さが嬉しかった。中身は砂糖と塩の包みがひとつずつ、それに本物の小麦粉とココア。マクギネス特技軍曹が「こいつは不良品だな」と紙袋に入れてくれたのだ─おどけたウインクつきで。
嫌なアメリカ人もいれば、優しいアメリカ人もいる。悪い人間といい人間。そして大部分の、どっちでもあり、どっちでもない人たち。
じゃあ私自身はどうなのか? 少なくとも、天国へ行ける善人だという自信はなかった。
太陽はまだ沈んだばかりで、停電時間中でもほのかに明るく、瓦礫がごろごろ転がる道でもつまずかずに歩けた。薄くなった靴底越しに、ごつごつしたモルタルやコンクリートの感触が伝わってくる。開けた空き地には、建設中のプレハブが星条旗を翻していた。
夏の長い長い夕暮れが、そろそろ終わる頃だった。昼の青空よりも暗く、真夜中の漆黒の空よりも明るい、まるで貴婦人の胸元に輝くサファイアのような青い闇が、廃墟の上をどこまでも広がっている。先月は夏至だったけれど、まだ粉塵が漂うこの街で、夏の到来を祝った人は誰かいただろうか。
外出禁止時刻をとうに過ぎ、私の他に歩いているドイツ人はほとんどいない。アメリカの将兵やその家族たちが暮らす地区から外れると、たちまち人の声や物音が聞こえなくなり、心細さと安堵が相俟って、少し早足になる。
一日の半分を豊かで満ち足りたアメリカの施設で過ごしていると、つい祖国の敗戦と惨めな状況を忘れてしまいそうになる。立ち止まってあたりを見回せばすぐに現実に戻るというのに─来た道を振り返れば電気の明かりがきらきら輝いているけれど、帰路に視線を戻せば光のない灰色の街が広がっている。空襲で焼けた発電所の復旧が遅いために慢性の電力不足で、特に夜は順番で停電することになっているからだ。そして浮いた電力は占領軍に回される。彼らの居住区はいつだってきれいで明るい。ドイツ人が抗議したところで、発電所に爆弾を落とされるようなことをしたせいだからと一蹴されておしまいだろう。
顔を上げると、広告塔にかかった〝もはやドイツにはいかなる政府も存在しない〟という横断幕が風に揺れた。
二ヶ月と少し前、アドルフ・ヒトラー総統が国民を置き去りにして自殺、私の祖国ドイツは降伏し、戦争に負けた。
すでに空襲でぼろぼろだった街に勝者が押し寄せ、国民の手から国が奪われるまで、本当にあっという間だった。ここ首都ベルリンは、ソヴィエト連邦、アメリカ合衆国、イギリス、そしてフランスの四ヶ国に統治され、ドイツ人に発言権はない。ドイツ人は敵だった国の命令を、幼い子どもみたいに素直に聞くしかなかった。
特に私は普通のベルリン市民より何倍も敵に従順だ。アメリカ軍に雇ってもらい、彼らが接収したツェーレンドルフ地区の部屋に住んでいるから。
これまでドイツ人─というよりベルリン人は、アメリカが好きだった。おしゃれでお金持ちで、食べ物が豊かで、音楽が素敵で、自由で、憧れていた。みんな「フランスやソ連は嫌なやつらでも、アメリカの好青年たちはドイツを悪いようにはしないはずだ」と期待していた。
私もそうだ。私は幼い頃からアメリカの小説やミッキーマウスが好きだった。隠れてでも英語を勉強した。だからアメリカがやって来た時、これで平和になると信じたし、すぐに彼らの従業員になりたいと志願した。
なのに、今は失望してばかりいる。
爆弾の炎がいかに街を焼き、醜い姿に変えようと、夏の青い夜は美しい。風になびく旗が、黒と赤のハーケンクロイツ旗だろうと異国の旗だろうと、自然の美は存在し続けている。
そう自分に言い聞かせながら歩いていると、道ばたの瓦礫と折れた鉄骨の隙間に、小さな花を見つけた。しかし花につられて屈んだその時、崩れた煉瓦の間に渡したトタン板の下で、小さな子どもが、死んだまま置き去りにされているのが見えてしまった。何匹もの蠅がぶうんと翅を震わせ、私は慌てて飛び退き、大急ぎでここから離れた。手のひらで顔をぬぐってもぬぐっても汗が止まらない。
アルゼンチン通り沿いの自宅に着いた私は、正面住棟の鉄門に鍵を差し込んで押し開け、体を滑り込ませた。ベルリンの住居の多くは、ジードルングと呼ばれる集合住宅で、私がこれまで暮らしてきた家も、戦争中のほんの一時を除けば、ほぼジードルングだった。たいていは四階から五階建てで地下室があり、住棟は上から見るとロの形をし、真ん中は必ず中庭になっている。ベルリン市民は中庭が好きだから。
その先は正面住棟をアーチ型にくりぬいた通路になっている。靴音の反響を聞きながら石畳を歩き、花ではなく食べられる野菜が花壇に植えられた中庭を横切って、奥にある第二棟の扉を開けて中へ入る。階段室の電気は消えており、壁に取り付けられた燭台の橙色をした灯の下、仄暗い階段を登った。
帰宅すると、薄い壁を通じて隣人の怒鳴り合いが聞こえてきた。マッチを擦って、この借り物の部屋に明かりを灯す。マッチ棒の残りはあと三本。さっきハンネローレにもらったアメリカ煙草一本で、マッチ箱の他に何を買おうかと考える。
私は琺瑯のたらいと水道管がむき出しの蛇口という簡素な台所にもたれかかり、蛇口をひねった。たちまち、ごぼごぼと音を立てながら水が流れ、塩素のにおいがつんと鼻を刺激する。断水状態の地区がまだ多い中、栓をひねればすぐ水が出てきてくれるだけで嬉しい。
私は上着も脱がず、肩掛け鞄も下ろさずに、アメリカ製の香料たっぷりの石鹸で顔や手を洗った。水垢まみれの鏡に映った私は、十七歳とは思えないほど老けて見える。丸い顔は疲れきっていて、腫れぼったい目の下には青いクマがある。髪も眉毛もぼさぼさ、唇はがさつき、頑固な口角炎がまだ居座っていた。食堂で名も知らぬアメリカ兵から「ブス」と罵られたことを思い出し、ため息が出る。たとえばこの冴えない茶色の髪を染めて、肩くらいの長さまで切ってみようか、とこれまで何度か想像したことをまた繰り返し、虚しくなった。
夜になってもまだ暑い。着の身着のまま、体も洗えず、自分でもわかるくらいに汗臭かった。道ばたで拾ったブリキの洗面器に水を張ってベッドに腰かけ、素足を浸す。窓から差し込む月明かりが、まるで川を泳ぐ魚の腹みたいに丸々しくて生白い足を照らした。ところどころ靴擦れやまめができ、とりわけ右の踵ばかり赤くなっているのは、歩き方がゆがんでいるせいだと医者から言われたことがある。
いつの間にか隣室の怒鳴り合いは終わったようで、洗面器に揺らぐ水のちゃぷんという快い音がよく聞こえた。
私の部屋で生きているのは、私と、窓辺で育ちはじめたミニトマト、それから何匹かの虫たち。ミニトマトは食堂勤務の初日にこっそり拝借した実を潰し、闇市で買った割れてない鉢に植えたものだ。今は黄緑色の子葉がにょきにょきと生え、外の様子を窺っている。
※1月16日(水)17時~生放送