(ひともうらやむ)
「なんだ?」
長倉克巳は怪訝そうに言った。目は、長倉庄平が持参した釣針に向いている。
「なんだ、とはなんだ!」
相変わらずだな、と思いながらも、庄平は答えた。長倉本家のたいそうな屋敷の、克巳の座敷である。
「十日前、どうしても今日までに釣針が欲しいと言ったではないか」
「そんなこと、言ったか」
「ああ、言った。こっちは無理をして仕上げたのだ」
庄平も克巳も御藩主を間近でお護りする本条藩御馬廻り組の番士だが、庄平は剣術にも増して釣術の俊傑として知られている。庄平の鍛える釣針や竿は引っ張りだこで、近頃では隣藩でもその銘が知られるようになった。
「そんなに無理することはなかったのに」
克巳は悠長な声で言う。二人とも御馬廻り組三番組に属していて、今日は非番だ。秋の寝そべった陽が、表替えをしたばかりの青い畳を撫でる。庄平の組屋敷では、畳表など張り替えたことがない。
「俺とおまえの間柄だ」
庄平は憮然として答える。
「おまえにしてみれば、すっかり忘れちまうくらいのほんの思いつきでも、俺としては、頼まれれば無理をしないわけにはゆかない」
二人とも長倉家の惣領である。ただし、克巳は本条藩の門閥である長倉本家で、庄平は分家の分家だ。おまけに十年ほど前、庄平の父の仁三郎が勘定所勤めをしていたとき、八十両の御用金を置き忘れて紛失するという失態を演じて、本家に尻ぬぐいをしてもらった。
三割に減知されたとはいえ、いまも家禄がつながり、庄平が上級藩士の惣領のみで編成される御馬廻り組に番入りできたのは、ひとえに家老の職にある本家当主の長倉恒蔵の助力による。縁戚につらなる同い齢の若者とはいえ、対等の付き合いなど望むべくもない。
「また、そんなことを」
邪気のない笑みを浮かべながら、克巳は言う。城下の娘たちを惹きつけてやまない端整な顔立ちに、わずかに隙ができる。
「笑わせてくれるぞ」
克巳はまったく取り合わない。縁戚だから、というのではなく、庄平をとびっきり気脈の通じ合う輩であると信じ込んでいる。
「しかし、ま、言っておいてよかった。庄平の釣針は得がたいからな」
門閥の惣領らしく、克巳は苦労知らずだ。しかし、克巳に限っては、苦労知らずゆえのわるさよりも、苦労知らずゆえのよさのほうが遥かに多い。
克巳は人をだますことを知らないし、人を疑うことが下手である。
類まれな容姿を鼻にかけることもない。というよりも、気に留めていない。
剣にしても同様だ。克巳と庄平はともに、城下で脇谷派一刀流を導く至道館の目録である。けれど、道場の外の克巳は己が手練であることを忘れている。
秀でた資質に恵まれた者は、その秀でた資質に囚われやすいが、克巳は自由だ。だから庄平も、立つ場処のちがいを忘れずにいつつも、朋輩のような口をきくことができる。庄平が克巳をつくづく羨ましいと思うのは、誇るべきものがあり余っているにもかかわらず、いつもふんわりとしている、その気持ちのあり様だ。
「忘れたのは済まんが、実はな……」
急に口調を変えて、克巳は言う。
「このところ、どうにも気鬱でな」
「気鬱?」
「ああ」
「気鬱というのは、気がふさぐ、あの気鬱か」
「他になにがある?」
克巳に、最も似合わない言葉だ。
「なにか思い当たることはあるのか」
「それが、ある。女だ」
「恋わずらい、ということか」
「そういうことになろう」
ますます、克巳らしくない。克巳は恋わずらいをするほうではなく、させるほうだ。いったい、どういう風の吹き回しだろうと訝る庄平に、克巳はつづけた。
「世津殿だ」
名前を聞いて、ああ、と腑に落ちる。城下の女で克巳に恋わずらいをさせるとしたら、世津しかいない。庄平とて、その名前をなぞるだけで、にわかに気持ちが落ち着かなくなる。
庄平は来月、同じ家格の堀越家の娘である康江と祝言を挙げることが決まっている。胸のざわつきにかすかな罪を覚えつつ、世津殿な……、とつぶやいた。
「どう思う?」
「どう思う、と言われてもな……」
女で気鬱になる克巳に戸惑いながらも、やはり、克巳はたいしたものだと思う。
庄平を含めた本条藩の若手の藩士にとって、世津はあくまで憧れの女人だ。生身の恋の相手として、考えることなどできない。
世津はとにかく、美しい。もう、どうにも美しい。ただ美しいのではなく、男という生き物のいちばん柔らかい部分をえぐり出して、ざらりと触ってくるほどに美しい。
しかし、世津に手を伸ばせないのは、それだけでもない。
言ってみれば、世津は、かぐや姫なのだ。
月からやってきて、やがて月に還ってゆく……。
「このままでは、さっぱり気持ちが晴れぬのでな」
色づきはじめた庭のイロハモミジに目をやって、克巳は言葉を足した。
「思い切って、世津殿を静山祭に誘うことにした」
「告げたのか!」
やはり克巳は自分たちとはちがう、と庄平はあらためて嘆ずる。あの世津を、静山祭に誘った……。
「ああ、告げた」
静山祭は、本条藩の御藩祖、山科静山公をお祀りする静山神社で催される秋の大祭だ。その日、陽が落ちてからは無礼講で、つまりは、想い人を得る夜になる。
「世津殿はなんと?」
自分のことでもないのに、胸の鼓動が大きくなった。静山祭はもう八日後に迫っている。
「はっきりと断わられて、きれいに忘れるつもりで申し出たのだがな……」
克巳はイロハモミジから目を戻す。
「ああ」
「なんと、承知してくれた」
「まことか!」
「まことだ。行ってみたいと思っていた、と言ってくれた。しかし、そうなったらそうなったで、なんとも落ち着かぬ」
そんなのは当り前ではないか、と庄平は思う。あろうことか、かぐや姫に手を出そうとしているのだ。
「いざとなると、喜びよりも、不安のほうがまさってな」
柄にもなく、ふーと大きく息をついた。
「はたして俺で相手が務まるかなどと、腰がひけてしまうのだ。こんな気持ちになるのは初めてだが」
やはり、世津はかぐや姫だ。克巳を、人の子にさせる。
「どう思う?」
また、克巳は問う。
「どう思う、と言われてもな……」
また、庄平は答えた。
誰が、おまえなら、だいじょうぶだ、などと言ってやるものか。
世津はこの春に本条藩の藩医に加わった医師の娘である。
父の名を、浅沼一斎という。
一斎はただの医師ではない。
家禄二百五十石と破格の待遇で迎えられたことが、並々ならぬ力量を物語っている。
一斎は鍛え抜かれた西洋外科医なのだ。
ずっと日本の西洋外科を引っ張ってきた栗崎流の外科医として四十過ぎまで奮闘した後に、長崎の成秀館に学び直して紅毛流外科を修めた。
成秀館は、阿蘭陀語の大通詞にして、かのツンベルクに師事した外科医の泰斗である吉雄耕牛が開いた家塾である。全国の俊英が集まる、その成秀館でも一斎はまたたく間に頭角を現わし、二年と定められた吉雄流の修了年限と、一年の阿蘭陀商館での研修勤めを終える頃には、本条藩を含めて全国から招聘の声がかかった。
そのなかには、幕府の御番医師にという話もあった。それも、ほどなく御当代様の脈をとる奥医師に上がることを含んだ御番医師である。にもかかわらず一斎が本条藩を選んだのは、いまは亡き一斎の父の浅沼玄哲がかつて本条藩主の恩顧を受けたことがあるからだった。一斎は最新の外科の知見を追い求めてやまない進取の精神と、古風な律儀さを併せ持つ人だった。
だから、というべきか、一斎は藩医になるにあたって、ひとつの条件を出した。御藩主のみならず、藩士、そして領民の治療にも当たることを望んだのである。
それは、多くの臨床に携わることによって紅毛流外科の技を検証し、さらに高めたいという医師ならではの欲とも言えようが、本条藩のためにできる限り役立ちたいという想いの現われでもあっただろう。
一斎の願いはかなえられ、城下の仙崎に診療所がしつらえられて、月に六日、下に三と七の付く日に門戸が開けられると、前の路には早朝から行列ができた。そして、日を経るにつれて、行列はますます長くなるのだった。並んだ人々は、それぞれの住処に戻ると等しく熱を含んだ口調で、一斎の施療の素晴らしさを称えたのである。
それまで仙崎にいた外科医は西流を学んだ若手の高浜周石という医師のみで、西流にではなく周石その人の習熟度に問題があった。すぐに、どうしようもない力の差を見せつけられた周石が、西流外科の看板を外して一斎に弟子入りすると、行列はますます長くなった。
そして、もうひとつ、人々が口々に褒めそやしたことがあった。
ひとしきり語り終えると、人々は決まって、それにね、と付け加えた。一斎先生を手伝われている娘御の世津様のお優しく美しいこと。ああいうお方こそ、女菩薩というんだろうね。
そういうわけで、やがて本条藩の若手藩士たちが、世津詣でに励むようになるのに時はかからなかった。
一斎は月に六日の診療日の夜の居間を若手藩士たちに開放した。それも、本条藩への恩返しのひとつらしく、本式に蘭学を講じる時間をとれない代わりに、できる限り若手との雑談に応じて、より広い世界への窓となろうとしているようだった。
ただし、そこでの主役は、一斎よりもむしろ世津だった。
本条藩で二百五十石取りといえば、御目見以上の平士のなかでも上級であり、住まう屋敷は表と奥がしっかりと隔てられている。つまり、通常は妻女が客の前に姿を見せることはない。
しかし、そこは長崎に学んだ西洋外科医なのだろう、一斎は世津を奥に仕舞いこもうとはしなかった。むしろ、意図して表に出そうとしたし、十九歳の世津は世津で、なんのためらいもなく若手藩士たちの前にこぼれる笑顔を披露した。
「長崎の吉雄先生の御屋敷には、渡来の見たこともない生き物がたくさん暮らしておりますの」
銀杏の形をした目をくりくりと動かしながら、世津はそういう、たあいないともとれる、しかし、目新しい話をたくさんした。
「見たこともない、といいますと、どのような生き物なのでしょうか」
「駱駝とか鰐とか、あとロイアールトとか」
「ろい、あーる、と……」
「まだ、日本の言葉の名前がないんです」
そう答えると、世津は器用に筆を動かして、毛がふさふさとした、奇妙な猿が木の枝にぶらさがっている絵を描いた。世津の美しさは清楚というよりも、どちらかといえば艶を伝えてくるものだったが、診療所に立ちこめる新知識の空気が、二十歳になろうとする世津の躰から溢れ出そうとする女をせき止めているようだった。
もしも一斎が世津を誘い水にして若手藩士たちを蘭学の世界に誘おうとしていたとしたら、相当に功を奏したと言ってよいだろう。一斎の屋敷の居間に通った者からは、天真楼や芝蘭堂で学ぼうとする者が現われたし、そうでなくとも、もはや彼らは世津詣でを繰り返す前の彼らではありえなかった。多かれ少なかれ、彼らは国境の向こうに、ろいあーるとが木の枝にぶらさがる世界が広がっていることを知ってしまったのだ。
「いつまで、いらっしゃるのであろうな」
居間での語らいからの帰り路、十二、三人もいた藩士の一人がそういう台詞を口にしたことがあった。
「一斎先生か、世津殿か?」
即座に皆が、話の輪に入った。
「どちらも同じだろう。先生がこの国を離れれば、世津殿も離れることになる」
「そうとも限るまい」
あちこちから、てんでに声が上がった。
「どういうことだ?」
「誰かが世津殿を嫁に迎えれば、先生は去られても世津殿はこの国にとどまる」
瞬間、沈黙があって、すぐに大きな笑いの渦に包まれた。
「誰が嫁に迎えるのだ? おまえか」
言った当人は真っ赤になって押し黙った。
「いずれにせよ、我こそはと思う奴は早くしたほうがいいぞ。一斎先生がこの国に来られたのは、昔、お父上が受けた恩を返すためと聞く。となれば、三年もいれば十分に義理は果たしたとみなしてよいだろう。そのあいだに、なんとかせねばならんということだ」
「いや、三年は長い。一斎先生ほどのお方だ。この春に他の話を断わっていただけただけで、けじめはついている。二年、いや一年だって御藩主は得心されるだろう」
「一年か……」
それぞれの唇がまた動かなくなった。
多人数の足音だけが響いて、皆が皆、沈黙に耐えられなくなった頃、誰かが、克巳なら、どうだ、と言った。
「長倉、克巳か」
一人がゆっくりとつぶやくと、次々に言葉がつづいた。
「そうか、克巳がいたか」
「なんで、思いつかなかったのか」
「克巳なら、ありうるかもしれんな」
たとえ人の妻ではあっても、月に還ってしまわれるよりは、地上にいてくれたほうが遥かによいと、皆が思っていた。
※冒頭部分を抜粋。続きは以下書籍にてご覧ください。
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