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【自然災害メモリアル】第330回:フジロックフェス'97災害(1997)の日 [防災]情報が入らなくなったことを筆頭に考えてほしい
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【自然災害メモリアル】第330回:フジロックフェス'97災害(1997)の日 [防災]情報が入らなくなったことを筆頭に考えてほしい

2019-07-26 21:00
    どうも、
    管理者のNDです。

    07月26日は、
    フジロックフェス'97災害(1997)から22年です。

    毎年開催されているフジロックフェスは今年も今日から開催されていますが、
    実は第1回となる1997年は、自然災害に見舞われた年であることを皆さんはご存知でしょうか。

    一部界隈にはトラウマとさえ言われた、史上最悪のロック・フェスティバルで、
    イベントが行われているさなかに台風が直撃したことで、
    とんでもないことになってしまった災害事象の一つです。

    このフジロックフェス'97は、開催1回目ということもあって様々な面が初めてという
    開催運営も緊張したものにはなりましたが、他の人には経験もできない最悪の展開を
    初めてとしていきなり経験する羽目になったと言えるでしょう。

    この当時、富士山のふもとである天神山スキー場で
    レッド・ホット・チリ・ペッパーズなど人気かつ有名な大物ロックバンドが数多く集まる場と
    なりました・・・が、恐ろしいことにこの日は当日から台風が直撃して豪雨になります。

    しかし、日本最大規模の野外音楽ライブを台風直撃した中で強行開催。

    スキー場というだけあって、周囲は大自然に囲まれた場所の為に近くに市街地がなく、
    しかもこのスキー場は標高1200mだった為に、冷たい風雨がライブ客を襲いました。
    現場のテンションなら、嵐ぐらい盛り上がりで吹き飛ばしてやろーぜ!的なノリが
    あったかもしれませんが、現実は甘くなく、大自然の驚異を開催陣営は突き付けられました。

    この後数百人が、山の冷たい風雨で体調不良を訴え、体力を奪われて倒れるものが続出し、
    次々と救護室に運ばれるものが多数発生しました。
    寒さをしのごうとゴミ箱をひっくり返し、その上でライブを何とか楽しむという異常行動に
    発展する人もいたそうです。
    これだけでもそれなりの惨状でしたが、
    更に酷かったのはこの会場へのアクセスは道路1本だったのです。

    普段人が少ない場所に駐車車両などで、渋滞は必至。
    車の人は、真夏に暖房を使った人も数多くいました。
    市街地に戻りたくても戻れない交通麻痺が起き、バス停は難民のたまり場となり、
    ついには徒歩で麓まで1時間半~数時間かけて下山する人もいたそうです。
    途中にトイレも存在せず、ライブ強行の影響は周辺民にも大きな影響を与え、
    会場参加した客たちが、近くの民家にトイレを借りに行ったり、
    麓のセブンイレブンさえも大混乱になっているなどして、混乱は極まりました。

    なお、救護室に運び込まれた人も救急車は到着できない状態です。
    さっきも言ったように、アクセスの道は一本のみ。その途中の道は駐車した車で交通麻痺を
    引き起こしていましたので、これ以上ない最悪の事態となりました。

    その中で酷かったのは、肝心かなめの主催運営側が何もしなかったということです。
    あくまで参加客の感想ですが、シャトルバスの仕切り能力は皆無に等しく、
    誘導者も誰もいない、現場のスタッフさえも上から何も指示をもらえることができずに
    ただ立ち竦むだけで、大雨の中強烈な風雨と寒さに加えて、ただ現状の混乱を耐え凌ぐばかり。
    当然真夏ということもあって、薄着など簡素な恰好していた人はさぞ相当震え上がったことです。
    やがて、自主的に観客が行列を作るなどして対応したそうです。

    挙句、この日山に野宿した人も少なくなかったそうです。
    そして2日開催予定だったこのロックフェスは、2日目は自治体や警察の要請、
    そして会場と周辺の凄惨な荒廃状態によって、中止になっています。

    もはや会場は壊滅状態、混乱を極めましたがこの中でも自然災害に妥協できるだけの
    日本人の強い精神力というものか、暴動だけはなんとか起きずに済んだそうです。
    但し、当時のマイナーな掲示板などではおぞましい程の苦情と愚痴が溢れていたそうです。
    運営だけでなく、バスや富士急行にまで飛び火していました。

    会場の2日目は凄惨な光景で、ゴミが台風で描き回されて後片付けもままならず、
    結果的にこの年のロックフェスは大失敗を超えて、「崩壊」となっていたそうです。
    特に2日目の中止に関するお知らせは、現地近くで事実を知った人も多かったそうです。

    膨大な課題を残したフジロックフェスの運営は、この年はもはや絶望以外の何もなかったでしょう。
    それでもファンからの熱望で、翌年は開催場所を変えて無事にフェスタは開催され、
    今では毎年新潟で開催されています。しかし、この災害で現地で大きな苦情を突き付けられたのか、
    フジロックフェスという名前だけ残して、富士山周辺で野外ライブフェスは一切されていません。

    ですが、20年以上イベントが毎年開催されているということは、当時の怒りを真摯に受け止め、
    しっかり災害対策をした運営側は良く立て直せていると思います。


    これだけの凄惨な状況になりましたが、本当に良かったと思うこと、
    それはこのイベントによる死者は0人でした。当時の意見にもありましたが、
    2日目は快晴になったことにも関わらず、堅実にイベントを中止したことがこれ以上の混乱を
    招かずに済んだことだとは思います。

    当時イベントに参加した人たちは、運営の悪さとはいえ、それがなければ趣味となる
    ライブの開催もなかったことなど、様々な形で複雑な心境を持っていると思います。
    もう二度と参加しないと思ってしまった人もいるでしょうが、
    自然災害に人間はかなわないということも念頭に思って、
    イベント事をどうか嫌いにならないでください。

    今回は、
    「情報が入らなくなったことを筆頭に考えてほしい」をテーマにお伝えします。

    このフジロックフェス災害について、最も参加客が苦しんだのは情報がないことだったそうです。
    なけなしに掴んだ情報は、どれもこれも噂か、自分で見聞きで来た情報で、
    当時はスマホなんてものも全然なかったので、とにかく探り探りの状態でした。
    2日目のイベント中心も現地に前述した通り、当日現地について初めて知った人もいたそうです。

    今でこそ、情報が入り辛くなることはスマートフォンさえ持っていればあまりない時代ですが、
    情報の氾濫という言葉があるように、どの言葉が真実なのかそれさえもわからなくなると、
    それは情報がないに等しい状態に戻ってしまいます。

    大震災が起きれば、今でも停電したりしてラジオも持っていないということになれば、
    自給自足で情報を手に入れるという、恐ろしい事態になります。
    別に情報がなくても、その場の成り行きで~~ と思う方もいますが、
    命の危機に直面する中で、情報がないということは安全を獲得できない、今その場が安全と
    確信できない心理が働き、慢性的な不安に駆られる為、余程の無関心でない限りは
    そう簡単に落ち着くことができません。

    そんな時は、せめて順序良く情報を手に入れるようにしましょう。
    まず自分の目の前の情報から手に入れていけばよいのです。
    ネットの情報は、あくまでも落ち着いている人が使う情報ですから、
    震災直後のリアルタイムで自分の必要な情報を手に入れるのは正直難しいです。
    ローカルに特化した掲示板など、地元に近い場所の様子がわかる情報を探すと良いでしょう。

    地震情報などは正直地震が何度もある中では、強い揺れがあった時以外は不要気味です。
    地震の情報を掴んだところで、今後大地震がまだ起きるのかもう起きないのかなんてわかりません。

    情報を掴むアテがなくなった時は、まず自分のすぐ身の回りの情報、
    避難先など自分のこれからの移動先となり得る情報、
    それから地震情報などの災害情報や、近くの被害情報を確認し、
    余裕が出てきたら、全国の情報にも気を配ってみて下さい。


    今日の記事は以上です。
    皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。

    明日もどうぞお楽しみください。
    尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。


    明日は福井県で発生した、敦賀市ガストフロント災害(2008)を紹介します。
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