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俺がヒップホップを憂う理由(サイゴン)
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俺がヒップホップを憂う理由(サイゴン)

2012-12-13 17:00
    saigon.jpeg俺がラッパーになろうと思ったのは1994年のことだ。ニューヨーク北部の刑務所の独房で、釈放されたら自分のキャリアとしてラップの腕試しをしようと決めた。自分が最高のラッパーだと思ったからじゃない。何の資格も求められずに生計を立ることができるのはこれ以外ないと思ったからだ。学歴も必要ない。身元調査を受ける必要もなく、犯罪歴を問われることもない。仕事に応募するには犯罪歴はあまりプラスにならない。それで俺は「よし、やるか」と決めたんだ。最初の数曲を作っている時点で、俺が書くものはどれも自分の人生の中で醜く苦い現実に直面したときのことだと気がついた。俺の人生なんだから、俺がどう語ってもいいはずなんだが、どうもそれほど素晴らしくない何かを、まるで輝かしいもののように歌っている気がした。同じく受刑者だった親しい友人と話していて、ヤツが「若いヤツらに向けて何か有益で、しかも楽しめるようなことをラップにするのはどうだ?」と言ったことがあった。そのときは何を言っているのか完全には理解できなかったんだが、ヤツは俺に本なんかをくれるようになった。読めば読むほど、読んだことがラップになって俺の中から出てくるようになった。もしもいつかレコード契約のチャンスが訪れたら、俺はいつも若いヤツらの未来や成長に役立つ歌を作ろうと決めたんだ。この決断が、アーティストとしての俺の成長をあらゆる方向で妨げることになるとは思いもしなかった。

    俺がヒップホップを聞き始めたころ、ラップを聞いて窓の外をみれば、実際にその歌詞に歌われている光景をはっきりと目で見ることができたんだ。メリー・メルの『Message』で「あちこちでガラスが割れている」であったり、エムシーズがニューヨークのストリートを埋めつくす地下鉄やビルの落書きについてライムするのを聞いたりしたときだ。ヒップホップは俺たちが育った貧しい地域を反映したもので、みんなそれが大好きだった。そのときには分からなかったが、俺たちにはそれが必要だったんだ。あの音楽は、明らかに俺たちが育った場所を映した鏡だった。俺たちのCNNであり、ハフィントン・ポストだった。俺たちは街の向こうまでブレークダンスとMCバトルをしに行った。ラップやダンスをやる他のヤツらと勝負するためだ。町じゅうを歩いて、ときには他の町にも行って、誰がこのあたりのトップなのかを見極めた。俺たちをつなぐ唯一の共通点がヒップホップだった。これが後にアメリカにこれまでにないほどの影響を与えるカルチャーの始まりだった。

    俺はデカいレコード契約を取り付けてサインした。アレサ・フランクリン、レイ・チャールズ、その他多くの伝説的なアーティストを抱えるアトランティック・レコードだ。俺と期待の新星トレイ・ソングスが作ったファースト・シングル、『Pain In My Life (人生の痛み) 』。この曲は、売れているヒップホップの曲の中で称賛されるようなものに興味をそそられ、結局間違った相手と寝てH.I.Vに感染してしまう、若くてものごとの分かっていないティーンのことを歌っている。H.I.VとAIDSに感染しているか、あるいは新しく感染するのが最も多いのは黒人女性だということを知って、俺の曲の中で伝えなければならないと思った。この曲から始めたいという俺の意志は、レコード会社の猛反対に遭った。レコード会社からは、もっとセックスを盛り込んだ、セールスの見込める曲を作るように言われた。拒否すると、俺のプロジェクトは6年間棚上げされ、挙げ句の果てには解雇された。俺はレコード会社に頼らず音楽を続けること、そして青少年に害になるようなラップへの転向だけは絶対にしないことを決めた。だが、俺が戦うべきものに対して声を上げるのは、さらに難しくなる。
    今流行りの音楽を聞くと、金持ちと有名人の生活についての話ばかりだ。『Money to Blow (有り余る金) 』なんてタイトルの曲、『Rich Forever (永遠にリッチ) 』なんかもそうだ。今が経済的に苦しい時代だってことが分からないのかよ。ブガッティやベントレーを買うと歌ってるヤツは実際にはホンダかマツダだな。俺 の記憶が正しければ、ブガッティは100万ドル以上するし、新しいベントリーはだいたい30万ドルだ。こういう高級車を買えるレベルになった一握りのアー ティストも知っているが、これがヒップホップの標準になってしまったようだ。1996年に、ナズが彼の記録的な大ヒット曲『If I Ruled The World』の中で、「俺が世界とその内にある全てを支配したら限界なんて存在しなくなる 俺はインフィニティQ45に乗り...」とラップしている。有名な、それどころか当時いちばん成功していたラッパーが、約4万5千ドルのインフィニティQ45 だったんだ。

    一体いつのまに、この芸術はそれ自体が生まれた場所の現実を映し出すことを止めちまったんだ?生まれた場所とは正反対のもの になっちまった。俺たちは近代史上、最悪の経済状況の中にいる。それなのにラップの曲を聞いているとそんなことは信じられない。ヒップホップは、ヒップ ホップが生まれた地域から離れ、何かおかしなものになっている。人気のあるヒップホップのイメージは、ものすごく性的か、ものすごく暴力的だ。こうした アーティストたちは、アメリカで商品が売れるための手助けをしているだけだ。メルセデス・ベンツであれ、新しいフレーバーのウォッカであれ。ヒップホップ カルチャーは影響力の大きい広告ツール以上の何ものでもない。ラップの曲で人気を獲得できるかどうかでティンバーランドの靴の売上げが上がったり下がった りするウォッカの売り上げが屋根に届くほど伸びたのは、ヒップホップがウォッカを飲み物として選んだからだ。洋服のデザイナーやブランド、車のブランドか ら名前をとったアーティストをよく見かけると思うが、それもひとつだ。俺たちが圧力と戦い、元奴隷の黒人が、若い子孫に試練と苦難の歴史を語るために作り 出した言葉。それが今、セックスや車、ドラッグなんかを語るのに使われ、それ自身が生まれた地域を今でも苦しめている。誰のせいでこうなった?

    俺 の新しいアルバムが11月6日に出た。2012年の国民選挙日だ。アルバムのタイトルは『Greatest Story Never Told 2:Bread and Circuses 』 (「これまで語られなかった偉大なストーリー2 : ブレッド アンド サーカス」) だ。このアルバムには、シカゴやフィラデルフィアなどの都会で若い黒人が仲間内で意味なく殺し合うことについて書いた『Brownsville Girl』のような曲がいっぱい入ってる。人生が絶望的に思えるつらい時も、人々が神への信仰心を失わないように、ゴスペル・ラッパーのルクレイをフィー チャーした『Best Thing That I Found』 (「俺がみつけた最高のもの」) のような曲も書いた。マーシャ・アンブロージアスをフィーチャーした『Game Changer』(「試合の流れを変えるもの」) は、俺が「Think Rap」 (考えるラップ) と呼んでいるものを作ろうとして音楽業界の中で苦戦している状況についての曲だ。ここに紹介した曲と、それ以外のたくさんの曲は、音楽が正しく機能した場 合に発揮する威力を示したほんの一例にすぎない。強力なメッセージをこめても楽しめるものが作れるということは以前にマーヴィン・ゲイが証明したとおり だ。ボブ・マーリーやピーター・トッシュも。トゥパックが殺される前にしたのも同じことだ。俺は何百万ドルの売り上げだけでなく、俺の音楽を認めてくれる ことで救えたかもしれない命を犠牲にした。ヒップホップが性と暴力を売り物にしていることを非常に問題視している。俺は、今俺が信じるものの中にしっかり と立ち続ける。俺は100万人に対して間違ったやり方で金儲けするよりも、貰える金は少なくても、100人の人生に前向きな方法で関わりたいと思う。この 音楽は俺たちの子供たちの心や、子供たちの心に作用し、将来を左右する人々の心を形作る。アメリカがまともな将来を望むなら、それを牽引する世代として俺 たちがもっといい仕事をしなくちゃいけない。ブレッド・アンド・サーカス、大衆の不満を紛らわすための食事や娯楽...俺たちの将来を取り戻そう。
    (原文:Why I Care About Hip Hop)
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    saigon.jpeg
    サイゴン
    ヒップ・ホップアーティスト

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