9a7506e121aed7c1e155aff9363daff458e9f0a4日本から14400km離れる彼の地、コロンビア。
コロンビアは国自体が都市伝説として語られる。
麻薬都市、犯罪都市として首都ボゴタは世界中
に喧伝されている。
この国に赴任することになったビジネスマンに
保険会社が次のように忠告する。
『この国の人口10万人あたりの殺人認知件数は
81件で世界一。また誘拐が毎日平均四件も発生し、これも世界一。外国人は身代金に数十万ドルから数百万ドル要求され、支払って解放される確率は52パーセント、殺害される確率は9パーセント。総合的に評価すればロシアンルーレットの方がまだ生き残る可能性が高い』
事実コロンビア駐在員に掛けられる保険料は年間3万ドルに上り、この金額もやはり世界一である。

 最近はかなり良くなったが、当時の首都ボゴタの治安は最悪で、街にはスリや引ったくり、強盗があふれていた。とりわけくせ者なのはスニーカーを履いた三人組の強盗で、多くの市民が被害にあっていた。金を持っていると見なした標的に対して二人が正面から近ずいて進路を遮り、残りの一人が標的の背後から羽交い絞めにして三人で標的を囲む。正面のどちらかが標的の腹に、背後の一人が首筋にそれぞれナイフを突き付ける。標的が率直に金を出さなければ躊躇なくナイフが標的の肉体に食い込む。
突き刺されて標的がひるむ好きにポケットから金品を奪い、三人組は疾風のように消え去る。
大抵は普通の街通り、時には雑多に混み合う街頭のど真ん中が現場なので、通報でもよりの警察官が駆けつけるまでの五分間が勝負であり、きわどい逃走にはスニーカーが物を言う。
逃走する三人組の背中を追う警官の威嚇射撃はボゴタ市民にはなじみの光景である。
後に私の会社の従業員になる者の兄がこの被害に遭い、金を出すのを拒み脊髄に到達する重傷を負い、寝たきりの半身不随となった。むろん、出血多量で死ぬケースも度々あった。 

 私がボゴタに居を定めて間もないある日のこと。私がボゴタ一の目抜き通り、7番街と19通りの交差点に差し掛かったときに、この手合いが襲ってきた。私は交差点から一丁手前の銀行を出たときから、付けられているのに気付いていた。三人組は二手にわかれいったん私を追い越して、前方に回った二人が身を翻して近ずいてきた。私は素知らぬ振りをして相手が間合いを詰めるのを待っていた。
前から近ずく二人が前方三メートルぐらいに迫った。背後の一人もおそらく同じぐらいの間合いだろう。奴らは前後から同時に素早く組み付いてくるはずだ。
一度組み付かれたらもう手遅れだ。前後にナイフを持った若者三人組では、いくら空手有段者の私とて、とても勝ち目はない。
私はその瞬間を待ち構えた。左斜め前の長身の男が右手をジャンパーのポケットに突っ込んでいた。右側の男は手ぶらだがさらに背が高かった。二人とも肩幅があり胸板も厚い。背後の男は伺い知れないが、眼前の二人よりさらに体格がいいはずだ。
正面の二人と間合い二メートルに迫った時、私は彼らが一瞬身構えたのを見逃さなかった。
高校の番長になって以来ケンカ慣れしている私にとって、相手の動きを察知し機先を制することは
それほど難しいことではなかった。それは注意していた左斜め前の男の右手がポケットから抜き出たその時だった。

 その瞬間、既に私は身をよじって横蹴りを描いていた。かの右手に握られた物がキラリと光る。
私の左足刀が一直線に炸裂してナイフは宙に舞った。次の瞬間、私は横跳びで建物側に身を寄せた。
建物を背にし三人を車道側へ横一列に配置した。ナイフを払われた男は驚きの表情を隠しきれなかったが、たまにはこんなこともあると見えて、慌てることもなく体制を立て直した。
並みの奴らならここでむやみな面倒をさけて退散するところだが、この三人はどうにもたちの悪い底意地の張った奴らだ。先ほど背後にいた巨漢は大型のジャックナイフを誇示して気色ばんだ。
今にも飛びかからんばかりの気迫だ。既に群衆が周りに人垣を作っていた。
私は糸東流空手仕込みのサンチン立ちで構えた。

 糸東流は戦前の沖縄で、開祖である摩文仁賢和の手により生まれた流儀で、単に突き蹴りだけ
では
なく投げや逆技も包含した総合武道である。

 私が糸東流空手に出会ったのは、高校時代だった。戦争が終わって世の中が少しずつ秩序を取り戻し始めると、戦争中関東からの引揚者である我が家も母の血の滲むような苦労が実って多少は裕福な暮らしができるようになっていた。
母の切盛りする“はやた衣料店”は、町に10軒ほどあった衣料品店の中で最も大きな店になっていた。私は熊本県城南の雄、八代高校に入学して希望に燃えていた。
 入学直後の十五才の春、学校帰りに八代駅近くの通学路で他校の不良グループに呼び止められ、因縁をつけられて三発殴られた。エリート意識が芽生え始めていたその当時の私にとって、それはとても我慢できるものではなく悔しさのあまりその夜は一睡もできなかった。
その夜、強く文武両道の思想に目覚めた。この翌日からボクシング部の先輩のところに通い、また空手部にも入り、ケンカのやり方を猛特訓した。そして、その一ヶ月後に、自分が殴られたのと同じ場所でかの男を呼び止め、球磨川の河原へ移動した。
敵味方十数人が囲む円陣の中で二人の決闘者が対峙した。拳闘の形で構えた私に敵は猛然とストレートを放ち突っ込んできた。私も一歩足を踏み出し、ボクシングの右アッパーカットをカウンターであわせた。ものの見事にそのカウンターパンチは敵の左下あごにきまり、相手は吹っ飛んでぶっ倒れた。
私は思わず自分の右こぶしに向かって吠えた。数十秒後に失神から目覚めた相手の顔ときたら、豆鉄砲を食らった鳩そのものだった。
 たちまち、私の名前が八代市に6、7校ある高校生仲間にひろまった。それはその相手が一高校の番長だったからだ。快い風に運ばれて匂う潮の香りがとても清々しい午後だった。
もしこのケンカに負けていたら、私のその後の人生は全く違ったものになっていただろう。とはいえ、私はその重要な一戦を戦った対戦相手の名前すら覚えていない。純粋な暴力衝動を原理主義的に肯定し、それに身を委ねる硬派男子の世界において、敵とは前からやってきて行く手を阻むやつのことでしかない。
ともあれ、それは人生においてまだ緒戦の初戦にすぎなかった。私は空手部で鍛えに鍛え、色白で身体も決して大きくない私をなめて挑戦してくる血の気たっぷりの肥後海賊の末裔たちを次から次に叩き伏せた。連勝連戦で早田英志の名は県下の高校生の間に鳴り響いた。
当時の硬派高校生のケンカは、実に正々堂々とした素手と素手の対決で、刃物を使うような汚い真似は誰もやらなかった。それは名誉にならないし、犯罪行為であるからだ。実に明朗闊達な男らしい時代であった。

 しかし、ここコロンビアでそんな流儀が通用するわけがない。
“ベンガン、ペンデーホス!=かかってこい、アホども!”
私は不適な微笑みさえ浮かべた。クソ度胸は私の持ち前だが、それでもちまたに武器が蔓延し、殺人が日常茶飯事の社会では、格好をつけたハッタリや三文芝居は全く通用しない。
実際問題、武器を手にしたこの三人の屈強な男どもに一挙に飛び掛かられればひとたまりもない。
一人ぐらい打ち倒せても結局は刺される。巧くいくかわからぬとしても本来は後退りして逃げるのが一番の得策であり定石である。個人差があるとはいえ人間一人の体力的、技能的限界など、海千山千の三人は身体的に熟知しているはずだ。それでも身に降り掛かった火の粉は自らの手で振り払わねば気が済まないのが私の流儀であり、今までもずうっとあえてそういう運命に身を委ねてきた。これからの人生も死ぬまで、あるいは殺されるまで同様だろう。
言うまでもなくこの場面は重大な危機であったが、私にとっては人生に対する一挑戦という真剣勝負以外の何物でもなく、いかなる運命も甘んじて受け入れた。ここで死んでもやむを得ないというのがその時の私の偽らざる心境であった。またそれだけの覚悟がなければ、こういう大胆な真似はできるものではない。薄気味悪い私の“不敵な笑み”に対峙して、三人の中で一番でかい背後から来たリーダー格の男が激昂にゆがんだ顔で唾しぶきを飛ばした。
“クソっ垂れ!カラテが何だ!ぶっ殺してやる!”
“やっちまえ!”
後の二人も呼応した。犯罪者にも意地がある。いやむしろ常人よりも執念深い。抵抗した相手をめった刺しにして無用な殺生に及ぶなどよくあることだ。局面が彼らを臨界に追い込み、過剰に駆り立てる。一度でも妥協すれば、自分らの存在がブタ以下に堕ちてしまう事を彼らはわかっているからだ。危機一髪の瞬間である。
私はやおら右手を革ジャンの下、ジーパンのベルトに伸ばした。取り出した私の手には黒い拳銃が握られていた。緊張が辺りを駆け抜け、次の瞬間には銃口が向いてる三人の背後の野次馬がどっと散って、一気に風通しが良くなった。
これが私の“不敵な笑み”の種明かしで、最初から銃を抜くような無粋な真似はむしろ危険だ。
大胆であっても決して無謀ではいけない。
“来いよ。テメエらのようなクズを撃ち殺したところで俺には何のとがめもねえ”
もしも三人が一か八か一挙に突っ込んできたとしても二人は頭を撃たれ即死、残りの一人が私にうまく組み付けたとしても拳銃を奪えなければ結局は後頭部か脇腹を打ち抜かれる。こういう計算は修羅場を経験してきた者には直ぐできる。
この三人にはそこまでやる動機はないので実際論として三人に飛び込まれる可能性はまず無い。
ただし、“きたら本当にヤル”という気概を見せなければならない。彼らもそれを読んでいる。
それは修羅場を何度も経験した者同士にはよくわかる。
私に銃口を突き付けられたリーダー格が両手を上げて目に苦渋をにじませ叫んだ。
“ここまでだ!もう済んだ!何も起こらなかった!撃つな!”
“警察が来る!引き上げよう!”
あとの二人にも恐怖が伝染した。三人は踵を返してまるで彼らのために空けたような風通しの良い退路を脱兎のごとく逃げ去った。拳銃を腰に戻す私に衆人が拍手と口笛を送った。
その間ざっと二、三分警察はまだ来ない。私は何も無かったように歩き出し、揚々とその場を後にした。一丁過ぎた辺りで前方から小走りで駆け付けんとする二人組の警官とすれ違ったが、彼らを無関心にやり過ごして振り向きもしなかった。


読者へ………
私は実際に起こった事件を全く創作をせず忠実に、実証論的に読者に提供し冒険の醍醐味を楽しんでもらいたいと思っています。これから私の身にあるいは私の周りで次から次に凄まじい事件が起こっていきますが、それも私が殺されることなくこれまでやって来れたおかげです。

事件の合間には素晴らしい恋もあり楽しい出来事も多々ありました。

以下、次号!