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魔法にシステムは必要か ― 西洋ファンタジー界に起こりつつある異変【コタクベスト】
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2012年6月26日公開記事を、編集・修正して再掲載します。
王国に騎士にドラゴンに魔法。子どもから大人まで、多くの人に愛されるファンタジー小説。欧米ではフィクションのメジャーなジャンルとして、毎年多くの本が出版されています。
しかしここ最近、ある異変が起きているようです。それは、読者がストーリーのおもしろさや登場人物の描写よりも、魔法の「システム」がきちんと作られているかどうかで批評するようになったこと。 魔法がどういう仕組みで働き、そこにどんな原因と結果があるか、まるで物理学のような説明をファンタジーに求める必要があるのでしょうか?
以下に、米ファンタジー作家で『空の都の神々は』の作者であるN・K・ジェミシン氏が、「魔法」と「魔法を変えたもの」について書いたコラムをご紹介します。
充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。
―アーサー・C・クラーク充分に分析された魔法は、科学と見分けが付かない。
―米コミック『ガール・ジーニアス』のアガサ・ヘテロダイン(クラークをもじったSF作家ラリー・ニーヴンの言葉をさらにもじったもの)ラララーなんにも聞こえない。これは愚痴であって、文句ではない。私は怒ったときは文句を言うが、今は不満で不機嫌なだけだ。ファンタジー作家には面倒なことに、どうしても従うべきルールがあるらしい。従わなければファンタジー警察に捕らえられて、冷鉄の鉱山で重労働をさせられるのだ。たとえば、魔法には法則がなくてはならないという声がよく聞こえてくる。論理的でなくてはならない、制約や結果がなくてはならない、エネルギーの交換が、物語内での一貫性が、明確な因果関係が、徹底的に検証された法則と、それに伴う反復可能な結果が... ちょっと待った。
―私
私たちは魔法の話をしてるんだよね? 神秘の力、ビヨーンとかボワワーンとか、人智を超えたアレだよね? 何よりもまず、科学ではないよね? 私は時々わからなくなるのだ。ファンタジー小説の読者が厳格に作られた魔法システムを褒め称える(「システム」という言葉については後述)、その時々に私は考える。なぜこの人たちはファンタジーを読んでいるのだろう? と。 もし彼らが科学に似ているかどうかで魔法の良し悪しを判断したいなら、素直にサイエンス・フィクションを読めばいいのではないか? サイエンス・フィクションでも魔法っぽいネタ(超能力など)は充分楽しめる。ファンタジーは体裁だけでなく、基本的前提においても、もっと違うものを目指すべきではないのか?
なぜなら、これが魔法の話だからだ。それは科学では行けない場所に行き、論理をねじ曲げ、テクノロジーにウィンクし、私達がフィクションの世界を覗き込んで自分の世界とは全く違った何かを見たときに感じる「センス・オブ・ワンダー」(不思議な感覚)で私達をいっぱいにしてくれるもののはずだ。世界の多くの文化において、魔法は生と死にまつわる信仰と密接に結びついている。生と死を理解する者はいないし、できると思う者もまずいない。
魔法とは神または神々の成せる業だ。 それは大地の息吹であり、世に在るものの副産物であり、森の奥で人知れず木が倒れるときに働く力だ。誰もがそれに触れる幸運を、または不運を得られるわけではない神秘だ。人の信念や、眼に見えないものの気まぐれや、無慈悲な言葉によって乱されるものだ。そして、筋が通っていなくてもいいのだ。実際筋が通っていない時の魔法のほうが、私はかっこいいと思う。 昔、英語のファンタジー小説はそれがわかっていた。昨年、ル=グウィンの『ゲド戦記』の読書会に参加する前に同シリーズを読み返してみたら、ゲドがロークで学んだことのどれひとつも全く筋が通っていないことに、私はショックを受けた。彼らの魔法は名前がすべて。
物の名前を知るために、魔法使いは充分な経験を積んでそれらを理解し、自らを先入観から解放し、そして...あとはうまくいくよう願いながら一生懸命祈るしかないらしい。なぜなら魔法は、同じ結果が繰り返されることも予測できることも決してない、いちかばちかの実験だからだ。 魔法が使われる度毎に何が起きるのか、最も経験を積んだ魔法使いでさえ、それまでの知識から見当をつけるだけで精一杯なのだ。しかも、使用する者が変われば魔法も変わる。それは経験的ではなく直感的なもので、直感の強い魔法使いならその場の思いつき以外の何物でもない、推測や飛躍した信念で呪文を編み出してしまう。それに感情も重要だ。魔法に間違った感情を持ち込めば、すべては槍に姿を変える。ル=グウィンはそれを美しく描いて見せ、私はその虜になった。
なぜなら、魔法とはきっとこうだと私が思う感覚がそこにあったからだ。 また、行き当たりばったりな奇妙さがあったトールキンの魔法も然りである。『指輪物語』の魔法は、ある時は魂を溶かし込んだ合金で指輪を作ること。ある時は暗黒の言葉を身につけ、暗黒の種族に話しかけること。ある時は特殊な棒を特殊な方法で振りかざし、大きな声で叫ぶこと。または、尖った耳を持って生まれること。魔法に抵抗できるとは、毛に覆われた足で生まれること。それは有機的で世界に溶け込み、まったく捉えどころがなく、そして素晴らしかった。
トールキンやル=グウィンから現在までの間に、何が起こったか。「ダンジョンズ&ドラゴンズ」(以下D&D)だ。D&Dは現代のファンタジー読者に多くの責任がある(私はこれをD&Dファンの一人として言う)。システム化する必要のない、してはいけない実に多くの物をシステム化してしまったのはD&Dだ。種族、人種、性別による差別と決めつけ主義、キャリア選択、死亡率。もちろんD&Dは長年の間に良くなっているし、これらすべてはD&D以前のこのジャンルにも確かに見られた。
だが少年少女とその他の諸君には覚えておいてほしい。システムは馬鹿げた考えに拍車をかけるのに極めて効果的な手段だということを。 なぜならシステムには自己を補強する力があり、何かが論理的または倫理的に疑わしいときでさえ、その内部では整合性が保たれるからだ。
人間の脳はそう働くようにできている。ある事象があるパターンで充分な回数発生すると、私たちは考えるのをやめてマクロ・モードになる。すると突然、「もちろんオークは悪者に決まってる。だってオークなんだから」と言うことに何の疑問も感じなくなるのだ。または、「もちろん魔法は論理的であるべきに決まってる。だってそうでなければ、どうやって数値的に、しかも良いチーム作りを促す公平な方法で、魔法の効果をシミュレーションするの?」 数量による公平さとチームの育成を気にかけるのは、ゲームの論理だ。魔法にゲームの論理を当てはめてはいけない。だってこれは魔法なんだから。
(中略)
私の苛立ちのきっかけになったのは、最近、複数のイベントで作家のタマゴたちと一緒にワークショップを手伝ったときの出来事だ。私が見た未来のファンタジー作家の彼らは、魔法システムについて自ら進んで苦しみもがき、ルールやら力の供給源やら魔法保存の法則やらに、細心の注意を払っていた。もしいつか作品が出版されることになったとき、魔法システムをファンタジー警察にボロクソに言われるのを恐れているのだ。
なかにはプロットやキャラクターを考えたときよりも、ずっとずっと多くの時間を魔法システムに費やす者もいる。悲しいことにプロの作家でも、すべてをなげうって仕組みだけに集中しました的な作品をたまに見る。さらに悲しいことに、それに大喜びする読者がいる。まるでストーリーにとって大事なのは、魔法システムだけであるかのように。
ファンタジーとはそんなものか? プレイヤーガイドに薄っぺらく書かれた物語でいいのか? それがファンタジーのあるべき姿か? きっちり構成された魔法と公式と数字なのか? もちろんそんなはずはない。ファンタジーにはもっとずっと多くのものがあるし、あり得るし、あるべきなのだ。だから神秘的で、馬鹿げていて、奇妙で、めちゃくちゃカッコいい魔法を見せてほしい。それで論理はほどほどに。私たちは科学をやってるわけじゃないんだから。
(N・K・ジェミシン)
魔法にシステムは必要か ― 西洋ファンタジー界に起こりつつある異変【コタクベスト】[Kotaku Japan]
But, but, but -- WHY does magic have to make sense? [N.K. Jemisin]
Why does magic need so many rules? [io9]
(さんみやゆうな)
論理の問題として非常に複雑な問題なのですよね。体系の違う科学として魔法が描かれる例は日本のファンタジーおよびアニメなどでもよく出てきますし(月姫など)。物語上の現象や事象,その論理の仕組みのことを「フィクションライン」というそうですが(ホラー映画の文脈らしい),魔法という「ありえないこと」というイメージを,フィクションラインに対してどこに位置づけるか,という問題はつきものになりそうです。
一応,方法としては,「作中の人物がそれをどうとらえるか」から出発すればいいんじゃないのかな,という感じがしますが…(魔法世界でも魔術書など書籍が書かれる描写があれば,その地点で魔法は一種の科学,魔科学があるという設定になってしまうはずです)。
現実世界から見て、魔法自体が理から大きく外れたイレギュラーだから、何かしら型とか制約とかルールがないと何でもアリになって話が破綻しちゃうんでしょうね。
きちんと決めとかないと最悪の場合、主人公が直面するあらゆる局面に対して「○○な魔法がどうせあるんだろうからどうにでもなるよね」な論法が常に成り立ってしまい、設定上ご都合主義な展開以外ありえないというめちゃくちゃな話になりかねません。
それが創作上でまかり通った結果の実例としては、もはや魔法と呼べるものではなく『這いよれ! ニャル子さん』の宇宙CQCあたりでしょうか。
アレはホントに何でもアリですから。ギャグ作品ならではの開き直りによってはじめて成立する無茶苦茶さかと。
魔法がガチガチの論理に縛られるべきではないというのはある意味賛成だと思います。細かい設定の多い作品は楽しむのも一苦労ですから。
ただしそれはあくまで受け手の側の話で、作り手まで「魔法とは理屈で説明できない不可解なもの」という認識だと、そんな得体の知れない概念をそもそも話に組み込みようがありません。
理論自体は作り手が好きに決めていいんですから、だからこそ、魔法の存在が本来進行すべきストーリーに対して抜け道にも壁にもならないよう、裏設定レベルで魔法に関する設定には細心の注意を払う必要が必ずあると思います。
魔法に限った話じゃないですけど、自由度の高い概念な分、「話に不都合が生じてからの後付設定で矛盾がでる」という避けたい事態がいかにも起こりやすそうな題材なので。
……類は友を呼び、友は目的を遠ざける……お気をつけて
指輪以降の創作ファンタジーはSFのサブジャンルに近い文脈があるし、別に最近の傾向でも無いんだよね。
魔法に限らずどんな特殊能力においても起こりうることだよな・・・。
物語のガジェットとしてはシステムは邪魔かもしれないけど、読むほうとしてはひとつの楽しみでもあるんだよね。
作家の側からしたら不本意かも知れんけど、そういう細かいとこ楽しんでもらえるのも愛されてる証拠では?
あと、最低限出来ることと出来ないこと言及しないともやっとするし、その理由としてシステムが出来ていくのは自然なことだとおもう。
ま、ストーリー制作の枷になるほど窮屈な風潮はどうかとも思うけど。
『物の名前を知るために、魔法使いは充分な経験を積んでそれらを理解し、自らを先入観から解放し、そして...あとはうまくいくよう願いながら一生懸命祈るしかないらしい。なぜなら魔法は、同じ結果が繰り返されることも予測できることも決してない、いちかばちかの実験だからだ。 魔法が使われる度毎に何が起きるのか、最も経験を積んだ魔法使いでさえ、それまでの知識から見当をつけるだけで精一杯なのだ。しかも、使用する者が変われば魔法も変わる。それは経験的ではなく直感的なもので、直感の強い魔法使いならその場の思いつき以外の何物でもない、推測や飛躍した信念で呪文を編み出してしまう。それに感情も重要だ。魔法に間違った感情を持ち込めば、すべては槍に姿を変える。』
この文章の『魔法』を『科学』に変えても文章が成り立つ事に気づくw
ゲームでまかり通ってる事の多くが現実で通用しないものを含むのはみんなが知ってるが、
アニメや漫画にも持ち込めないことがままあるというのは忘れがち
破る描写を書いたほうが敵より優位性を確保できるからだろ
あと魔法以外を用いて魔法を破ったりするアニメだから実際はPCのプログラムのような道具感強いほうが
主人公の機転や有能っぷりを出しやすいやん。だからさすおに!をさすおに!たらしめたと思うが(良くも悪くも)
今最近ファンタジーって言ったらバトルものが多いので、それにあわせて法則を考えているのではないでしょうか?例にあるような静かな世界観のファンタジーはあてはまらないと思います。例えば漫画だと、魔法使いの嫁とかベルセルクとかさんみやゆうなさんの言う「良い魔法」だと思うので読んだことがなければ是非読んでみてください。それに例で上げてるファンタジーは小説として実力が高すぎるから、魔法がその世界観に溶け込んで法則だなんだって言わなくても自然と納得できちゃうだけかもしれないので新人と比較してやるのは可哀想ですよ。
魔法の本質を書こうとすると一気に人間には理解できない怪奇と恐怖の産物であると読者に突き付けてしまう恐れあり
システマチックであるという事は恐ろしい物ではないという保証付きの出来のいい奇跡にである
それは勇気も愛も関係の無いでたらめなおとぎ話だが、また理不尽なファンブルも人智を超えた邪悪もない世界かもしれない
SFと違って 設定ばかり増やしても考察はしないよね?
魔法の神秘性が失われ、我々の使う物とは違うエネルギー源を背景にした唯の力学に成り下がっているというのは、最近のタイトル・設定等に魔法という単語が出てくるものを見ていて思うことが多い。
魔法はあくまで論理的に作用する力に対立するナニモノかであるべきだと思うんだ。何もそれが完全に無秩序であれとまでは思わないが、あまりにも理路整然とした所謂自称「魔法」は、一つの「科学の一種」「別の世界の下にある科学」としか言えないことは否定するのは難しいのではないか。
そして、例えこの地球以外の世界を扱った作品──むしろ私たちの住む世界を題材にした作品こそが本来の意味での魔法であるべきなのだが──だろうと魔法そのもの本質は変わってはならないはずだ。現実の私達は使えないが作品世界の住人は当然のように使用する力を魔法と言えるかと言えばそれは違うだろう。この点も魔法というものから神秘性を失わせる要因の一つではないかと思う。
魔法が何でもできる力を持っていると破綻すると言うが、私達の世界における力学とは異なった力学に対する用語として「魔法」という言葉がすべてを解決する力を持ってしまっているのではないか。魔法という単語それ自体が設定構成の場における文字通りの魔法になっているように思える。
ファンタジーの名を借りた単なるSFもどきか
ESPとか超能力でよくね
わざわざ魔法にする必要性もないでしょ
なんというか 作る側と見る側の違いだなーと感じたなぁ
前にこれ読んだな。
俺は物語を書く側に向けた言葉で、つまり「結局人を楽しませたもん勝ちなんだから、悩むならそういう事で悩みなさい」という話だと受け取った。
読者に向けては「僕らが愛した魔法はもっと夢があったでしょう、システムにわくわくしたのではなかったでしょう。その気持ち思い出しましょうよ」って感じだと思う。
システムを語る事のメリットは読者に、「この世界で自分が魔法を使うなら自分は……」なんて考えさせる事ではないかと。それをゲーム的だと言ってるよね。そしてそれは筆者の憧れた魔法の飛び交うファンタジーのものではない、とも言ってる。
だから反論として、魔法システムを練る事がどれだけ素晴らしいかを語る事は無意味だよね。
この人が言いたいであろう「魔法」は自分が考える「魔法」とは少し違うけれど「魔法を科学するなんて無粋なことはするな」って意見にはすごく同意
だけど魔法を「科学ではないもの」、「科学できないもの」とするために一切の体系化が許されないのであればそれはそれで魔法を扱う創作を作るにあたって大きく表現の幅を狭めてしまうし、
体系化されてもされた時点で理論が存在する「科学」になってしまうんじゃないかってジレンマもあるから結局どっかしらでうまい妥協点を見つけなくちゃいけないんだよなぁ
あんまり自分の意見は言えないけど、ゲド戦記についてのところはすごく同意。あれはすごかった。なんというか、ドラクエとかFFとかゲームとかから魔法というものを捉えていたところに、風穴開けてきた。
あと記事の内容とは直接関係のない話だけど日本においては「魔法」って語自体が「魔の法」、「魔の者の法則」としてシステム化・体系化できてしまいそうに感じるのもあるよね
これは明治時代?にMagicやらWizardryやらを訳そうとした訳者の痛恨のミスだなぁ
?「なかなかできることじゃないよ」
作者が書いてて楽しくてその感じとか世界観が好きな人が見ればいい
中世冒険系テンプレファンタジーで詳しい魔法設定とか科学的な分析とかは無粋
こっちは精霊さんとか妖精さんってすごいね!くらいでもいいと思う。ハリーポッターって結局なんで魔法が使えるかとか出なかったし。
開発・クリエイト系の話とかならあんまりテキトーなのもつまらない
飛行機出来ました~魔法の力でマッハ3です!とかいわれてもつまらん
現代のラノベなら中間くらいが書きやすく、読みやすく、設定も作りやすいんじゃないかな
そもそも「魔法とは人智を超えた神秘的なもの」ってイメージがピンと来ないんだよなあ
錬金術と化学の関係なんかもそうだけど、昔のまじないとか魔術の類も、当時の人々なりの科学じゃないか?
何が起こるか判らないフワフワした技術なんて必要とされない
科学的な魔法っていう厨二設定読んでるだけで結構楽しいのはある。
けどそういう話じゃないよねわかる
わからなくはないのよね、というかかなり共感出来る話。
ただこれ、たぶん訳語の問題で。マジックもウィザードもソーサラーも何もかも日本語だと魔法使いとかそんなんだから。神秘的な”魔法”とシステム化された、なんていうか。しいていうなら”魔術”みたいのは微妙にニュアンス違ってるっていうのはある。海の向こうじゃなくてこと日本の小説界に限って言えば。特にファンタジーだったりする乱暴な言い方すれば子供向け青年向けなやつ。
環境が違ってるから鵜呑みにするのはあれだけど、やっぱりこういうのはためになるな、とは思いましたまる。
ファンタジーのあるべき姿は「読んでいて、遊んでいて楽しいこと」だよ。
記者が言っている通り、ファンタジーには多くのものがあるし、あり得るし、あるべき。
当然その中には『綿密に練り上げてシステム化した魔法体系』という世界観の存在も許されるべき。それが作品世界を楽しむために必要ならね。
昔ながらの「神秘的な魔法」に読者が飽きたから「システム化された魔法」が流行するようになっただけじゃないんかな
俺も昔、ハリーポッターとかの後に初めて「システム化された魔法」を見たときは感動したもんだが
どっちの魔法にも愛好家がいるんだから幅が広がっていいじゃないか
まあ、読んでて楽しければどっちでもいいですw
コタクさんのこの記事は内容が破綻してるよね。
『ゲド戦記』の読書会に参加する前に同シリーズを読み返してみたら、ゲドがロークで学んだことのどれひとつも全く筋が通っていないことに、私はショックを受けた。彼らの魔法は名前がすべて。
。『指輪物語』の魔法は、ある時は魂を溶かし込んだ合金で指輪を作ること。ある時は暗黒の言葉を身につけ、暗黒の種族に話しかけること。ある時は特殊な棒を特殊な方法で振りかざし、大きな声で叫ぶこと。または、尖った耳を持って生まれること。
魔法を発動する理由付け。システムがちゃんとあるじゃんwwwwww
ある程度シリアスな話を作りたかったら
魔法にシステムが必要なのは当たり前だろ
理屈の上にギミックを成り立たせなきゃ、話の上でとんでもなく迷惑な存在になる
ある程度システム化されてないと後進に学ばせるのも困難だと思うのだが。
その意味で「学園モノ」要素を取り込んだ「魔法モノ」はシステマチックにならざるを得ないかと。
それ以外でもフィクションにおける魔法の源流である様々なオカルト、錬金術等は法則や規則性を学ぶ当時の学問でもあった訳でシステマチックに描かれる方が自然なのかもしれない。
そうでないならモーゼが海を割るがごとく「奇跡」の分類に向かうとかね。
女神転生で悪魔召喚の様な魔術はデジタルと馴染むと言う話が出たのは、もう30年近く前の事か…
『これは魔法だから』で思考停止せずに『なんで虚空に炎が湧くのか?』と考える脳みそが有ればそれは法則化していく、法則を文章化さえできれば炎を出すのも水を出すのも人間をカエルにするのも説得力を持たせることが出来る、薄っぺらなプレイヤーガイドじゃなくて辞書のようなファンタジーの魔法大辞典が見てみたい、『鼻行類』みたいな。
極端に言えば好みの問題だよね。
それに徹底して緻密に計算された魔法体系に大喜びする読者がいるって認めてるじゃないこのコラム書いた人自身。喜ぶ人がいるならそりゃいいことだろ。まあどれほどの割合いるのかはわからんがさ。
海外の人じゃ育った環境が違うから日本人の感覚とは違うだろうが、読者層が小賢しくなってるからそういう設定が必要になったんでないかね。設定がない魔法は手抜きだ適当だと感じるとか、何が起きるかわからないパルプンテみたいな魔法、ネタじゃなきゃまじめに使わんだろって考えでもあるんじゃないか? 穴があれば突っ込みたくなるのは男の子だけじゃないし。
結論:魔法科高校の劣等生は、現代版チャージマン研である。
ストーリーを作るうえで想像上のものにルールを設けるのはある程度必要だろ
なんでもありな魔法で深い・長い話を作るのは難しい
例えば祈りの力だけで魔法を使えるにしても「祈りの強さで魔法の強さが変わる」みたいな最低限のルールは大体の作品にあるし
上でも言われてるけどルールのない神秘は「奇跡」って言った方がいいと思う
言いたい事大体言われてるな…
俺は「好きな奴が書いて」「好きな奴が読む」ってのが大前提だと思うわ。
体系化された魔法、魔術に中二病心を動かされたし書いてる奴らも好きだから書いてるんだよ。
人に書かせたいって思いがある作家なら「まずあんたが書いて読ませてくれ」そして感動させてくれ。
そしたら態々こんな文章を書かなくても、書くようになるさ
魔法=一部の優れた人
科学=一般人で再現可能なもの
魔法=なぜそうなるのか原因を論理的に説明できないけどその事象を起こすことが出来る
科学=なぜそうなるのか原因を論理的に説明出来てそれを再現できること
魔法=なぜそうなるのか論理的に説明出来ないけど手から火を出すことが出来る
科学=人が開発した手甲を装備することで一般人でも手から火を出すことが出来る
魔法=空を見ただけで明日の天候が予測出来る
科学=天気に関する知識がある前提で望遠鏡を用いることにより一般人でも天候を予測出来るようになった
こうでしょ。
ちなみに「魔法科高校の劣等生」の魔法はどう考えても科学だね。
同じ条件で同じ試行を行えば同じ現象が起こるのが科学と言うなら、たいていの作品における魔法は科学の一分野に過ぎない
だって、誰もパルプンテしか無い世界で魔法を使いたくはないから
ただ、その現象が発生する原因について「さっぱり分かんねえけどとりあえず魔法が発動する」のか「魔法はこれこれこういう原理で発動する」のかによって、この人のいう「システム化」なるものが決定されるのかもしれない
特定の現象の発生条件を解析し・再現し・制御したからこそ魔法として名前がつくんじゃないのか?
誰が何を如何しても制御不能・再現不可能なカオスな魔法群は、詰る所名前が違うだけの『パルプンテ』だろう。
逆に、一つの魔法で全ての状況に対応するなら、それは名前をつける必要があるのか?
ファンタジーをファンタジーとして楽しみたいという筆者の考えに共感できる部分は多々ある。
しかし、だからこそシステマチックなファンタジーを楽しみたい、未知を切り拓き既知を広げたいという考えも受け入れるべきじゃないかな。
まぁ、ぶっちゃけるとだね
『君が読みたいファンタジーだけ読んでいれば良いじゃないか。』って事。
誰も筆者に今のファンタジー界の在り方に意見を求めてなど居ないのだから。
10年前なら、ここで話題になってたのは魔法科後攻ではなくFateとかの型月だったのかなと思いつつ
「学校・学院で教える魔法」っていうものにするとある程度「系統だった」ものにならざるをえないなぁとは思う
魔法それ自体の荒唐無稽さを日本人にも馴染みのあるもので体現してるのはMTGかなぁと思った
(MTGはD&Dの流れ組んでる作品だけど)
魔法が「倫理的であるべき」ってのはどーなのか、とは思う。むしろファンタジーにしろなんにしろニュータイプのごとく「戦うための道具」に理念に反して使われてることばかりなきがする
システムにのめり込むか、世界観にのめり込むかの違いかな・・・
世界観の場合は、それを知ることでその世界の住民になったような気分になれるし
その知識を知ることで、登場人物と一体になったような気分を無意識に味わう事が出来る
単に後者が増えているだけの事ではないのかと・・・
楽しめればよい。その基準は十人十色だから、色んな作品があっていい。
少数でも楽しめる人がいれば作品として価値がある。商業価値は別として。
だから1つのものさしで全作品を斬るのは慎重に。確かに批判は自由だ。
だけど、理解せず叩くのはイカン。何をもって「理解」とするかが
難しい分野ではある。それにしても、もう少し多様性の芽を摘まずに
やれないものかなと思う。
設定不足というだけで何でも叩くのには反対だけど、まあしかし、設定が
よく練られているに越したことはない。想像や妄想を拡げるのは小説の
楽しみだが、設定はその想像や妄想のタネになる。よくできた設定の
ほうが、そういう意味で楽しみやすい。
一方、設定をしっかり練るデメリットは特にないと思われる。理解に時間
がかかることくらいか。その問題も、大筋は理解できるようにしておけば
ほぼ解決する。どうしても設定が込み入ってくるのであれば、些末な設定
を巻末や別巻に載せるという方法もある。
本編に関係ない裏設定レベルを作中で長々と語られても・・・
魔法が自然を統べる神々の法なら、それに近づくための分析は現代人にとってはむしろ受け入れやすい
賢者が賢者なのは、賢者その人にしか分からない自然を統べる方法を知っているからだしね、きっと
あとはまぁ、「火よ出ろ」と唱えただけじゃあ魔法すぎて真実味がもう無いよね、というのは有りそう、原因をすっ飛ばして結果を手に入れるのは魔法なんだろうけど、せいぜい過程をすっ飛ばすぐらいの方が逆にリアルな魔法っぽい今時は
悪役に理由が要らなかった時代ならともかく、現代はたとえファンタジーであっても悪役側にある程度の悪の理由が求められる(児童文学を除く)。
それと同じで、魔法も「不思議なことが起こせます」だけでは説明不足になっちゃったんだと思う。
夢オチやメアリー・スーが忌避されるようになったのも同様で、魔法がまさにメアリー・スー的であっては現代の読者は白けてしまう。
だからある程度の説明や制限、短所をもうけるようになったんじゃないかと。
>>37
あなたのおかげでもう少し短くまとめられたので再度コメントします。
魔法=原因が説明できないもの
科学=言語によって論理的に説明出来て再現可能なもの
と私は位置づけました。
でないと呪文が科学になってしまいますからね。
ちなみにパルプンテは結果がランダムなのであって原因は呪文を唱えることですよ。
ただ、そう考えてみると魔法科高校の劣等生は確かに魔法として成立していますね。
魔法のシステム化に関しては筆者の記事を見る限り読み手側の問題だろう。
魔法を題材にした作品が増えれば魔法に関するジャンルも増えてく。
魔法の発動に条件が無い作品が見たい→フェアリーテイル
呪文を唱えて初めて魔法が発動する作品が見たい→ハリーポッター
現代を舞台に機械チックな触媒を用いて魔法を発動させる作品が見たい→魔法科高校の劣等生
と今後も更にジャンルは増えていくので製作者としては創作の幅が広がりますし、ユーザは自身が求めているのは何なのかを理解する力が求められると思います。
今から千年近く前にも神という何だかよくわからない荒唐無稽な存在に
どんな風に生まれ、どういう行いをして、どういう最期を迎えたかと
色んな設定を付けて喜んでた人たちがいるらしい
とりあえず、不思議な魔法を見た時に思うのが、それに至る科学的なパスです。
魔法はとにかく偶然発生した。では科学的にそれを成せないか。
そういう逆説をたどっていくとどうしてもシステム化してしまいます。
ツールはただの再現性のない奇跡ではいけないのです。
日本の工業製品が優れているのも仕様通りに動くからです。
腑に落ちるとは納得することです。納得するパスが今必要なのでしょう。
最近の人たちは調理されたものを食べすぎて原始を忘れてしまいました。
間を補完する情報が無いんです。
それを見せてくれると腑に落ちて賞賛するという構造に見えます。
斬新な大きなものを見せてくれるファンタジーもいいですけど、
身近で使える知恵の詰まったファンタジーも同じくらいいいと思います。
現在の社会情勢が「神秘的なもの」という不安定さを許さないのかもね
日常系にしろバトル系にしろファンタジーで魔法を使うというのは
命や大事なもののためというのがほとんどで、それを「神秘的なもの」という理解できない=システム化されてないものに預けるという行為は大多数の人が怖くて見てられないじゃないかな
頭悪そう。
著者本人でないのでここで書いてもしょうがないかもしれませんが、まずトールキンとル=グウィンでは時代が違いますよね。ル=グウィンは存命の人物ですし。この二人から現代に至るまでに魔法に対する姿勢が変わったという指摘そのものに無理があると思います。
さらに言えば、トールキンは現代のファンタジーの系譜をたどれば一番上辺りにはいると思いますが、それでも最近の人物です。それに、彼は作家である以上に学者・研究者です。例えば『指輪物語』の背景には『シルマリル』において創られた独自の神話体系があります。また彼が作ったエルフ語に関しても言語学的に見てしっかりと文法や綴りの法則性などがあります。言ってしまえばトールキンは、自身が学んだ文献学や言語学といったあらゆる知識を利用して世界を一から設定しています。
「魔法」という狭い範囲でなく、「魔法の存在するファンタジー世界」を非常に丁寧に、その構造や体系から作り上げたのがトールキンと言えます。そういった意味での「批評が魔法のシステムを重視する」というお話ではないのでしょうか。
仮に本文にあるような「魔法がどういう仕組みで動いてるか、というシステム」が重視されているのなら、それはナンセンスだと私も思います。たしかに神話や言語を創るよりかは、ある程度の一貫性を持たせればそれなりに見える魔法の方が一見取っ付きやすく、独創性を出しやすいのかもしれません。そのあたりはわかりませんが。
ちなみにトールキンの世界に描かれる「魔法」は古典的かもしれません。
「理由もわからず抗えない不思議な力」といったところでしょうか。
専門外であまり詳しくありませんが、思ったことを冗長に書いてしまいました。研究者の方がいたら怒られそうです。長文失礼しました。
てか、理論ちっくな魔法のが今は売れるってだけだろ。
歴史上の魔法(魔術)がシステマチックであったから、それに惹かれるように(参考にすればするほど)物語上の魔法システムも複雑になっていくのかなぁと。あと、シンプルにそういうのは楽しいので。
作家が楽しいばかりの作業をしてちゃいけないって意見なのかな?でもまあ、そういう楽しみ方もあるのだから、複雑な魔法システムは大歓迎なんだけどね。言われるように、今であれば超能力の方がより「魔法的」だしそっちじゃ駄目ですかね?
自分の見える範囲ではGD系に端を発する近代魔術が主なファンタジー作品群の基礎になってるけど、そういう実在した(とされる)魔術(あるいは魔法)ってのは、ある種の学問(隠秘学とか)だったわけで、今のそういう作品が学問としての考え方を取り入れていくのは普通の流れかなと。
エリファス・レヴィ云わく「魔術は理性に基づいた合理的科学」とのことです。
どうせなら魔術は楽しいので、是非みんな追っかけて欲しいね。最初のワードは「魔術における神殿の作り方」あたりからどうぞ。
そもそも、なんでもかんでも「解き明かしたい」ってもがいてきたのが魔術だよなーって思います。結果だけしか見ないなら、そこに魔法と超能力の違いはないですし。
魔法がある世界観なら、その作品内じゃ現実に起こっていることだろ
魔法発動理論は化学であるが、それを説明するには物理学の知識が必要である。
法則的な魔法、不思議な魔法の2つともあっていいはずなんだ
ただ一部の法則にとらわれた人間はそれを許してくれないみたいでね・・・
「法則的な魔法を描いた話だから」ではなく「魔法を描いた話だから」と言いながら、当たり前のように法則の話を持ち出すというある意味「魔法」を乗っ取ったような不思議の否定が起こっているのだから悲しい話なんだ
あと"システムは馬鹿げた考えに拍車をかけるのに極めて効果的な手段"とは、魔法に限った話ではない、教訓みたいなものかもしれない。
?「あったほうががっこいいじゃん!」
長い、魔法=科学まで読んだ
トールキン自体があれやん、ダンセイニ卿の幻想神話小説にインスピレーション受けつつも、あまりにも体系化されていないっておこになってシルマリルその他の超設定重視の作品を体系化して生み出したんだから、論旨から言っていまいち説得力がないわな。ル=グウィンちゃんも両面性あるから、不可解なのもシステマチックなのもどっちもやるし。
原初的なもの、わけのわからないもの、不思議なもの、みたいなものに対する感性ってのは、どっちかというとラヴクラフト辺りの作品に吸い込まれてそっちで生き残ってるよね。RPGとファンタジーはもう現代では不可分だから、魔法のシステム化ってのは避けがたいことだろうし、不可解なものを表現するにはより一層の魔的なものに対する接近が必要になってるってだけでしょう。
魔法を戦闘技能として捉える世界だと、どうしてもある問題が出てきます。「最強の魔法があってはいけない」と。これは、近年の少年漫画によくあることだと思いますが、主人公の強さはあくまで平均的に、伸び白の多い強さでなければ行けません。なぜなら単一唯一随一の能力を持ってしまえば、その力だけで全ての敵を薙ぎ払えてしまえば、その作品はただの消化試合を淡々とこなすだけになります。マンネリ化を防ぐため、超能力に近い魔法であっても、得手不得手があり、相性の善し悪しのある世界観で戦いに緊張感を生むことで、読者を飽きさせずに話が展開できるものです。最強能力は、ラスボスと最終決戦以外で出してはならないのが、今のファンタジー世界の流行でありルールになっているのでしょう。
ハリポタの世界のように、魔法は文化であり、生活に役立つものから護身術レベルのものまであれば余計なことはいりません。「〜するための魔法」でいいんです。ですが、魔法を戦闘技能、武器兵器として使うなら、それがメインとなるなら、必要なのはあらゆる状況に対応するための魔法、理論で制御された正確に操れ、戦略に組み込むにふさわしい魔法が必要なのです。現実の兵器だって同じです。最初は獣を狩るため、とりあえず皮を破ければよかったのが、人を殺すため、防具すらも貫通できる力のある武器は科学理論を持ってしなければ生まれませんでした。そういった背景もあります。
要は、飽きない展開を作るために、主人公の持つ強い力に対抗するための魔法、またそれに対抗するための魔法、またそれにとやっているうちに設定がぐしゃぐしゃにならないための一つの答えが、魔法理論というものを生みだしたのだと思います。
長文失礼します・・・
ファンタジーに限らず、ミステリー小説における「ノックスの十戒」「ヴァン・ダインの二十則」のような規則や法則が
ライトノベルというジャンル全般においても徐々に確立し始めてきたんだよね。作家達はそれらに過敏になってきてる。
言っとくが科学めいてないあやふやで曖昧な魔法にするとウケませんよ。
理論的でシステム形状になってる魔法がウケるからこぞって書いてるんだよ。
この記事まるで"理論なしのぐちゃぐちゃ魔法のほうがウケる"と勘違いして書いているだろ。
適当に作った設定には適当な評価が付きます。
科学や理論めいてすらいない適当な魔法には適当な賛美が来ます。
わかりましたか?
登場人物全員がドラクエのパルプンテしか使えなかったら、作品として破綻するからってだけじゃない?
「もちろんオークはエルフや女騎士に襲われるに決まってる。だってオークなんだから」
どこでもドアの原理を誰か
設定厨か
また日本のせいだな
>悲しいことにプロの作家でも、すべてをなげうって仕組みだけに集中しました的な作品をたまに見る。さらに悲しいことに、それに大喜びする読者がいる。
これは何も間違っていない、読者の大喜びは至極当然である。
これを否定するあなたが間違っている。
先達の英知、努力の結晶にたまたま魔法という名前がついただけで、魔法も超自然的に思えるエネルギーの運行に規則性を見出してく一種の経験科学なんじゃないかと僕は思います。
なにより魔法にせよ何にせよ体系という枠組ができることによって、読者も「この作品のなかで出来ることと出来ないことの線引き」が出来るってのは重要なことだと思う。この枠組によって読者は「次はこういう展開があるんじゃないか?でもそんなの出来ないよな」と展開を想像しやすくなるんだと思う。なんでもかんでも「その時不思議なことが起こった」で解決できるなら。ストーリーの展開はあっという間にマンネリ化して退屈なものになってしまうんじゃないかな
文化的常識や事実解釈の転用・拡張という枠にくくられて実質的には制限のあった魔法が
それらが混在し、或いは過去のものとなり実質的に枠が破壊されつつある現代において
巨大な不確定要素として、惰弱な浮動層にとっての不安材料となるよう変化した
であるが故に、それを再度縛りなおす事がいくらかは求められるようになったようだ
科学的な目や現象制約のみに囚われるのであれば、それは単なるできの悪い科学盲信に過ぎない
いくらかの前提条件や最低限の因果性等まで一切なしに用いられる魔法は、只管に荒唐無稽
どちらも、然るべき前提である文化背景や触れる現実から離れた結果の粗末な一人歩きである
何事もほどほどが良い
まあ物語や作者にとって都合のいい何かになってるより
ちゃんと設定があって出来る事できない事がわかる方が面白いとは思う
だからただ何となくとか・偶然とか・魔法だからみたいなご都合主義はラノベだけでいいよ
んなもん、演出次第では・・・?文才の不備を転嫁してるだけじゃないでしょうか。
内容とは直接関係ないけど、「もちろんオークは悪者に決まってる。だってオークなんだから」ってのも二回りくらい古い概念だな
その次に「善のオークがいてもいいじゃない。オークだってただの悪者じゃなくて一つの命なんだ」みたいなのが来て
今は「そんなこと考えてたらオークを悪役として使いづらすぎる。やっぱりオークは全員ただの悪者でいいや」が主流かな
思考停止ではなく、話がより面白くなるように考えた結果そうなる
>78
厄介なヒューマノイド種に100に1程度の善玉気質が生誕しても構いはしない
もっともそれらの大半は幼少時に同種により戮殺淘汰されるだろう
結果的にほぼ全て悪属性、程度の認識を持つくらい造作もない事である筈だが
とどのつまりは考えるな、感じろって事か?楽しみ方のひとつとしては同意できる。
ラピュタはどうして飛ぶのん?なんて考えた事もないし、モロや乙事主が人語を喋るのに突っ込み始めたらキリがない。
その一方でシステム化された魔法の設定にも十分魅力を感じる。
まぁ筆者自身が最初に愚痴だよって宣言してるように好みの問題だって事さね。
個人的にはガッチガチに隙間なく固めた設定よりかはされ龍とか円環少女みたいに大雑把にノリで読める方が好きだけども。
規則正しい可不可の線引きなんてミステリーでやってりゃいいよ。不必要な場面にまで持ち込むような話じゃない
魔法理論かあ……物語性を重視する立場としては不必要な気がする。
勿論ある程度の理論は許容できるけど、理論説明が複雑すぎると物語のテンポが悪くなる可能性がある。それにあくまで『ファンタジー』なら、その世界に現実的な科学概念が入るのは何となくおかしい気がする(個人的な意見なので目くじらを立てないでくれると嬉しい)。
とにもかくにも、ファンタジーという言葉をどう理解するかによってその人のファンタジー像は違ってくる故、みんなの意見が正しい正しくないとは断言できないですね……。
システム化ってのは要は成し遂げたいって思いの現れなんじゃないかなあと思ったり。
科学の発展だってそうでしょ。それぞれやりたいことがあり、既存の法則、システムを組み合わせ、新しいシステムを発見し、その末達成できる。
「理論は分からない。だけどすごい!」のままじゃただの憧れ。憧れは自分自身で成し遂げるものには永遠にならない。
「こういうシステムがあったら、これをすることができるかも」そういう思いが実現への道を生む。結果的に失敗に終わろうとも。
要は魔法というものをただの憧れの存在のままでいさせるか実現可能な理論と見なすかの違いだけなんじゃないかなあ、と。
宗教的あるいは反宗教的な奇跡や神秘としての魔法ならシステムが介在しないのもわかるが、
それだと絶対に体系化はしないし文化文明の中核には成り得ない。
(せいぜい『膨大な知識の蓄えによるリスト化』が精一杯)
ということで話の中心に据えにくい
そういう世界観では「剣と魔法のファンタジー」で、「勇者と魔王の物語」レベルに留まってしまいがちになる
少なくとも今流行っているような「魔法使いの社会の物語」はかなり難しい
ある程度システムを用意してやったほうが物語を作っていく上で簡単なんだったらそちらが主流になるのは
ある意味しょうがないこととして割りきらなければ
魔法をツールとしてじゃなく奇跡として使うなら不思議でいいでしょ。
じゃあ、物語の中で何回奇跡起こすのよとは思うけど。
システムが必要なのは魔法じゃなく生活。
荒事も含めた生活の中に魔法が組み込まれているなら、魔法も機能的でないとおかしい。
この世に1本しかない伝説の剣がなんだかわからない不思議素材で不思議パワー発してもいいけど、仲間全員に持たせる武器ならどうやって作ってどんな効果があるか説明できないと。
「魔法」という名前をつけてユーザーが特に何も言わないならOK
魔法を理論化し、理解できるものとしたのは、
魔法使いが何を理解しているかを理解したかったってのもあるんじゃないかな。
その理論はつまり魔法使いになるための知識そのものであり、
多くのファンタジー読者は魔法使いになりたいんだから。
科学というのは詰まるところ、物の測り方を決めて何をしたらどうなるという知識を積み重ねる考え方のことだから。その世界で魔法が学び伝えるものであるなら、魔法が科学的に描かれるのは当然なんだけどね。でもその辺を描かないことは別に悪いことじゃないと思う。ただ、物語として読者が知らない方法で大切な問題が解決されたりすると読者が怒るかもしれん。ファンタジーにもノックスの十戒みたいなのを誰か作ればいいよ
単純に,物語のリアリティの問題だと思う。
魔法が何でもありになってしまったら,
魔法使いが出て3行で物語が終了してしまう。
そうではなくて,魔法がありながらも物語が本1冊分に渡る理由として
魔法のシステム化,設定の作り込みをすれば
説得力が増す,ということじゃない?
トールキンもル=グウィンも,魔法のシステムには力を入れなかったが,
その代わり世界観の作り込みがすごい。
トールキンに至っては,数千年にわたる長大な歴史と複数の架空言語まである。
そういった作り込みが,魔法システムを作らなくても読者に説得力を与えた,
逆に言えば,今のファンタジー作家は,魔法システム意外に
リアリティを出せていないと言うことではない?
隠者か少数の超越者専門の能力としない限り、魔法が理論化されるのは当然。
良し悪しを論じる余地も無く、当然。
その世界にとって魔法とはどういう位置にあるのかってのが全てだろう。
大事なのは魔法がいかなる方法で行われているかじゃなくて、魔法を取り巻く環境と魔法の定義じゃないかな。
定義の場合、不思議なことという漠然な括りにしてもじゃあその不思議って何?になる。定義次第で魔法の質が決まる。
環境にしても、魔法を極少数が握っているならいざ知らず、そこそこに認知されていると集団的な常識と決まりが生まれる。魔法に対する人々の認識、魔法と実生活の相関、あとは科学との兼ね合い。魔法によってその場に何かしらの現象が発生した場合、その現象はその場にどのような影響を与えるか。
この定義と環境をいかように考えるかによって、魔法の方法(システム)は自ずと決まってくると思う。
システム化してあると読者の人の想像の余地が生まれるよね。「じゃあきっとこんな魔法もあるはずだ」魔法そのものに面白さを求めるなら自然とシステムは必要になってくる。逆に理不尽でシステムチックじゃない魔法にはそれはそれとして楽しみ方(赤ずきんチャチャとか面白かったよね)があって今の流行りにはそう言うのじゃないってそれだけの話だと思うのだけど。
ラララーなんにも聞こえない。
―私
に心打たれた。
そこから下は読まなかった。
日本でも、Fate/Zeroなどの作品でも、はこの手の連中が多いね。
「英霊召喚に使う魔法陣と英霊の維持に用いる魔法陣が同じなのはオカシイ」
みたいにね。
幾らでも説明ができそうだが、結局の所、自身の想像力が貧困な連中が
他所の誰かに吹き込まれたそれっぽい理屈を拡散器の様にまき散らしているだけ
(ある程度、法則性がある方が物語的に面白くなるのは確かだが)
なるほどつまり不思議魔法だな
たとえば文中の「ゲド戦記」において、『魔法とは「一か八かの実験であり、その結果は見当を付けるだけで精一杯」である』という一貫性がある事が読み取れる。
ここで、「魔法ってのは分からないものだから何でもありなんだ」ということで一人だけ自由自在に魔法を操るものがいたら、話がおかしくなってしまう。
重要なことは、物語の中で一貫性があるってこと。そのために、「魔法とはこれこれすることで発動します」っていうルールを付けるのは、ゲド戦記で言う「名前がすべて」っていうルールがあるのと同じ理屈のはず。
魔法が不思議な力であるべきだという主張はシステムが必要だという主張と変らない
作者は好きに書けば良いし、読み手は好きなのを読めば良い
どんなのが好きでも構わないが、こうあるべきという主張は害悪
触媒を使う系の魔法が少なくなってかなC
ナイトシェードやら血の苔やらを大量に持ち歩く魔法使いすき
大変面白い記事だった。だがタイトルで釣るのはいかがなものかwだが実際の世界でも同じようなものだ。弾丸は火薬の爆発的燃焼で飛翔する。化学反応を利用した飛翔なので同じ弾道を決して飛ばない。だから射撃の世界は生産ロットごと散布界で統計をとり、確率論で判定する。核兵器もおなじでまったく同じ反応をさせるのは至難の業。だから定期的な核実験で理論値と実測値の整合をとらなければいけない。半導体のようにいまいち理論が確定しないものの経験則で使いまわしている技術もある。宇宙の仕組みなんぞ思考実験の域を抜け切ってない有様だ。まあ、あいまいなほうがよりリアルを感じれるというものだ。部品をそろえれば実現できるなんて魔法じゃなくてただのお買い物だ。
作品によって違うけど別にいいだろ
科学自体が「既にこの世に存在する法則を文脈化したもの」に過ぎません。
科学によって新たな物理法則が生まれた事実は一切なく、今まで知らなかった事を解明し法則を知り伝えることを科学と呼ぶのです。
燃焼の化学式が判明する前に火は起こせませんでしたか?そんなことはありませんね?
料理も一つのシステムと言えます、一定の材料を一定の分量で一定の加工を行うことで特定の名称を持つ物体になる。
架空の世界であるファンタジーもこれと同じ考えを持てば良いのです。
その正体を知らずとも特定の道具や意思で特定の手順を踏むと特定の現象が起きる。その再現率が高いものが流布されていくと捉えましょう。
あと、アレか
どこにリアリティを置くかの話なら、人間模様のリアリティが書ければ小道具(科学だの魔法だの)の作りは気にしなくてもよさそうだな
逆じゃないかなぁ。指輪物語のガンダルフとか、もっと言えばシンデレラに出てくる魔法使いの魔法に厳密なルールを求める奴なんて居ないと思うのよ。けど大勢の少年少女が魔法使いになれる魔法学校なんてものがあったり、剣士や武道家と同レベルで魔法使いになれる世界観を作るから魔法にも制限やルールが必要になる。
「実はこの世界では『ウィンガーディアムレヴィオーサ』と唱えれば誰でも空を飛べます」なんて言ったらじゃあもう魔法の勉強なんてせずに単語帳持ち歩けばいいだけやんってなるじゃない
何事もルールがあるから面白いんだろうにこれは出来るこれは出来ないっていうのを明確にしているかどうか
基本的に魔法を科学みたいにシステム化するのはそこら編だろう
魔法だからってなんでもOKにしたら一貫性の無い糞作品の一丁上がりだと思う
作者が考えた魔法ルール説明書になってなきゃ、どっちでもいい
今の時代は何と言うか、「二次創作が盛ん」というのも一つの要因なような気がする。
面白い作品を書ける作者の脳内を、読者がそのままシミュレートすることは難しい。
だが、「設定」が詳細に決まっており、尚且つそれが読者に分かり易いのであれば、「公式に当てはめれば答えが分かる数学」のように、設定に基づいて作者の脳内に近いシミュレートをすることが出来る。
ぶっちゃけ、萌え属性みたいな記号化の一種なんじゃないかな。
『「か、勘違いしないでよね!」って言わせておけば、とりあえずはツンデレである』のと同じで、
要は”ごっこ遊び”の拡張版。
現代の多くの読者が望むのは、『砂場と人形』であり、『結末が決まっている絵本』ではないのかもしれない。
あとはまぁ、「SF」というジャンルに『敷居の高さ』を感じる人が多いってのもあるかも。
「ファンタジー」というジャンルにしておけば、ガッチガチに設定を固めたタイプでも『だってほら、ファンタジーだし。奇跡も魔法もあるんだよ!』と言い訳が通り易い風潮がある気がする。
だから、「ファンタジー」や「魔法」と銘打ちつつ、「「SF」的な綿密な設定」をしているものが多く、それらの中には『設定上は○○だけど、例外的に××』『△△?知るかバカ、そんなことより主人公TUEEEE!』という歪なモノがあったりする。
システムがあるから物語が膨らむんじゃないか
でなければ「魔法使い」の話が作りづらく、存在が小道具のような扱いにしかなれない
そのあたりの設定がいい加減だと、
「ご都合主義」ってことになりますからね。
ツッコミどころが増えることにもなるし。
魔法とは文字通り「魔」の「法」である。
「法」とはルールであり論理である。
ゆえに魔法にはシステムが必須である。
つぶやく程度で良い記事じゃないのこれー。
そもそも神様にだってルールはあるんで
ハリーポッターなんかはどうだろう
自分も魔法は神秘的でルールがないほうが好き
どうせ現実で使えない力だし、ルールとかどうでもいい。MPシステムも正直好きくない
科学の世界で当たり前の物が魔法の世界で当たり前だとは限らないだろ。
どんな世界でもきちんと解析すればある法則性があるはずだ、だから魔法の世界でも一定のシステムがあるべき、という論理を主張するなら、それがもう科学の論理であって魔法の論理ではない。
「魔法」とは「法」である、という人をたまに見かけるが、それ日本語訳だからな。
「Right」と「権利」のニュアンスレベルでの誤訳、みたいに概念を言葉そのものから説明するのは無理がある気が。
長すぎて読む気なくした三行にまとめて
システムのある魔法の方がある意味では話が作りやすいのかもな
本来の意味での、なんでもありの魔法って
自由すぎて逆に話を組み立てづらいというか
鋼の錬金術師とかも神秘に対価があるから話が成り立つし
魔法に法則は必要ないってこと?
でもシステムがなければ魔法使いになる為の修行とか出来ないと思うんですけど
私は、人知の及ばない場所にある法則や理(システム)に対する畏怖や憧れ、そういうものがファンタジーの良さの一つだと思いますけどね
表に出す出さないは作者の好みでしょう
引用しただけの文に語りかけてるコメが多くて草
さらにただの愚痴って言う一番最初に書いてあることも読めてない奴がいてさらに草
これは「魔法とはこうあるべき」じゃなくて「魔法はこうあってほしい」って話なのに
「そんなの個人の好みでしょ」ってそりゃそうだよ筆者の好みの話をしてるんだから
ルールはある程度は必要だけどシステムなんてシンプルにすれば問題ない
システムは細かく作れば面白いけど紹介しきれるかわからないのに広く手をつけようとするからシステム批評みたいになるだけだと思う
システムの紹介ばかりに時間を割くのはどうかと思う
魔法も科学も根本は同じって出来杉君が言ってたよ。よって魔法にも体系があって然るべき
漫画版ドラゴンクエスト7だと呪文が一種のプログラムみたいな事がほのめかされてたな。
ゲームが悪いんじゃないんだ。いろんな作品があふれたから起こる問題なんだ。
同じ題材の作品を見て、感想を聞かれたらなんて答える?
「どっちがどっちに比べてよりどうだった」って答えるよ。
そしておしゃべりな人間っていっぱいいるんだ。
どうだった?ってとりあえず聞く人間。聞かれても無いのにしゃべる人間。人の話を大げさにしゃべる人間。
だからゲームは悪くないんだ。
自分にとって内容が面白ければ魔法にシステムなんてあってもなくてもどっちでも良い
ロード・ダンセイニとトールキンが、魔法にキリスト教と言うシステムを持ち込んだら、その影響を受けたファンタジーがシステマチック(というか哲学的)になっていると思う。
特にトールキンは、設定の塊だから、世界設定作る為のお手本そのものだし。
結局このコラムもぼくのかんがえたまほうを書き連ねてるだけに過ぎないよね
魔法の定義を明らかにしないまま魔法がどうあるべきか論じるのは不毛だと思うけどどうだろう
『魔法は不思議で、出鱈目で、理不尽で、良くわからない、人力では到達困難な素敵な力』って事でいいのかな?
システマチックで、理論的で、人力でもなんとか再現可能な魔法っぽい何かは何と呼べばいいのかな?
“大自然のエネルギーと己の精神の波長を合わせ、現象をその場に起こす”…
妙に機械的なものを用意するとなんだかよくわからないものになるので以上のようなものを想定している
本当にこれはつくづく思う。
世界観や設定(特に魔法なんかの仕組み)にだけこれでもかと糞みたいな御託ならべて「おりこうさん」ぽく見せてるけど、肝心なキャラクターやストーリーは量産テンプレだったり空っぽだったり。
「とある」とか「劣等生w」とかはまさにこの典型例だよ。
確かに自分もある程度は設定が矛盾なく作られてるほうがしっくり来る。でも読者の理解が追いつかないほどの独り善がりで終わってるものが多すぎ。
そんなんに時間かけてないでもっと中身を練れよって思うわ。
私は「本末転倒に気を付けましょう」という警句だと捉えました。
総体として見るのならば。
システムは「リアリティ」を作るためにあっても良い存在ですが、それは多くのひとにとっての「面白い物語」を作り出せることが前提にあるべきです。
作家として「面白い物語」を提供する必要はあっても、必ずしもシステムを提供する必要はないのですから。
ですので、「面白い物語」ではなくシステムを作り出すことにばかり注力して汲々とするのは本末転倒であって、戒められるべきものではないでしょうか。
個人的には冴木忍さんの作品が大好きでした。
魔法っていう広く知れ渡った既知のガジェットは、中身が定まってないからこそ価値があるんだろ
「さすがです、お兄さま」に釣られてきたけど劣等生まったく関係なくね?・・・
よくわかる現代魔法という作品では「プログラム化された現代の魔法が存在する世界」という世界観だった、システムは魔法じゃなくて世界観にかかるんじゃないかなぁ?
指輪物語の世界観の魔法、D&Dの世界観の魔法、30歳まで童貞だと魔法使いになれる世界観の魔法。
違う世界観に違うシステムがあって、それを読者に伝えているだけな気がしなくもない。
作者が書いた世界観を楽しめるかどうかは読者次第だし、けっきょく好みですよね
法則が必要ない、じゃなくて過剰な法則設定がファンタジーの全てなのかって事じゃないのかと。
勿論それを含んで楽しむ作品もあるでしょうけど、魔法(またはそれに近い何か)はあくまで一構成要素でしかなく、またそこにも想像の余地を残してある作品だってあるんですから魔法の設定だけでその作品の全てを評価するのは如何なものかと思いますし。
魔法の設定ばかり立派でも世界観や登場人物の心境が伝わってこないし想像できないような描写ばかりの作品が面白いのかっていう。
あれです、あんぱんまんが空を飛ぶのに明確な理由付けなんていらないでしょ(え?魔法じゃないって?
面白いか面白くないかが問題であって、面白くするために世界にルールが必要な話だってあるからそんなこともあってもいいじゃんか。
最近のアニメ辺りでも別に魔法そのものに厳密なルールを付けてない作品くらいはあるじゃん。
彼らは魔法が見たいのではない。
適当に理由をつけた、自分勝手で都合がよくて見目麗しい『不思議な力』を欲しているに過ぎない。
が、そもそも一般的な人間の求める『物語』と言うのは砂糖塗れのお菓子の様なもの。
許容できて精々ビターチョコレート程度と言ったところだろう。
誰が好き好んで、渋くて苦くて辛い胆汁のような物語など読むものか。
そんな物語を読むような人間は、苦行好きかマゾヒスト、あるいは盛大にこじらせた中二病患者か狂人だ。
よって、真に残念ながら人間が人間である以上、読者が読者である以上、
そして物語の作者が人間、あるいは読者である以上。
物語が理解しやすく、扱いやすく、都合がいい様に進化するは最早仕方がない、と言えるだろう。
一部の好事家達には酷く残酷な仕打ちとも言えるが。
少々脱線が過ぎたか、申し訳ない。
ここまで書いておいてなんだが、個人的にはあらゆる人に『自分のための物語を創る』という行為を推したい。
なに、他人の料理が口に合わなければ自分で作れば良いだけのことだ。
とある魔術の禁書目録とか、型月世界の魔法の概念が好きだなあ。「魔術」は系統化されたもので、「魔法」は等価交換とか物理法則とか全部無視した何でもアリなでたらめなものっていう感覚だ
問題は魔法の仕組みじゃなくて読者が何を求めるかだと思うがね。
例えば、この記事の釣り文句にもなっている「劣等性」
私はあれを好きだし、よく読んでいる。だかこれはこの本の魔法の設定が凝っていて筋が通っているから好きなんじゃなく、単に論理や設定をこねくり回したスタイルの能力バトルが好きなだけ。だから、私のような読者にとっては「魔法はシステム」で問題ない。
しかし、例えば「おジャ魔女どれみ」とか「カードキャプターさくら」の魔法は、別にシステマティックでなくても問題ない。物語内での魔法の役割は『不思議な力で何か不思議なことが起こる」程度の物であり、別にそれでかまわない。
要するに、作品によって魔法の役割、お仕事が違うのだ。ただそれだけ。
問題なのは、システマティックでない魔法を槍玉に挙げて批判する空気の読めない奴と、それに恐れをなして魔法論理を無理矢理ひねり出そうとする作者や編集。
科学もそんなにシステマチックじゃない出たとこ勝負だからしょうがないね
撲殺天使とか見ればいいよ
ファンタジー小説の魔法に論理や再現性を持ち込むなということかな。
確かに、スティーブンキングやクラバードやサイレントヒルのような魔法の表し方のほうが魔法としては雰囲気があると思う。
サイレントヒルぐらいしか知らないが、雰囲気はあっても、そういう魔法じゃ人を引き込むのは難しいと思う。
そういう場合、世界観とかの設定がしっかりしていたり、人間模様が面白かったりして、そこに引き寄せられて来る人のほうが多そう。
やっぱり自分の世界と何かしらの共通点が無いと人って興味を抱きにくいし、「魔法システム」か「人間模様」のどっちかはある程度現実に即していないと見てもつまらないと思う。
「自由」とか「なんでもアリ」って、遠巻きに見てる分にはすごく面白そうなんだよな。で、実際触ってみると1時間もしない内に飽きる。
スポーツにルールがあるのと同じで、多少なりともバトル描写を挟むなら、何らかのシステム化は絶対に必要。
まあ、緊張感なんか不要で全部ご都合主義のデウス・エクス・マキナでいいってんなら、その限りではないけど。
「魔法だから」なんでも有りなんて小説は書いてる側は楽しい!が、読んでる側からすれば一回読んだ程度で飽きる。
莫大な想像力の中、物語を纏まった形で展開できる文才があればいいかもしれないけど。
俺がなろう辺りでちょろっとファンタジーを書いてた時はある程度のおおざっぱな理論を適当に考えたらそれで終わりにしてたな。
あんまり魔法の原理や理論を深く考えすぎるとそれが思考を縛り過ぎて何も書けなくなるし、俺は頭が悪いから変に捻って複雑にするほどあらや矛盾が出る上にいちいち覚えてられないし何よりそう言う学問的な事は面倒くさいし(ry
まぁそんな感じの自分本位な理由が色々あってその辺は深く作らない様にしてる。
最低限のラインとしてある程度の分類分けと何ができて何ができないのかとかを設定してればそう不自然にはならない。
あと、読む側としてもそう言う魔法に関する小難しい理論がツラツラと長ったらしく羅列されてるばかりの文章は読みたくないし、あんまり長いと我慢しきれずに読み飛ばすこともある。
少なくとも俺がファンタジーに期待してるのは「緻密な魔法の理論」なんて言う下らない物なんかじゃなくて「現実離れした世界観」と「明快で面白いストーリー」なんだから。
そうか。役割の問題だな。>>140の言うように。
そして、答えは出ている。>>138でね。
まぁ、なんだ。上手く自分が人の書いた世界にはまらないならば、自分の世界を作ってそこに身を置けばいいだけの話。
あと個人的なこと言わせてもらえば魔法のような架空の存在って、一種の表現技法だと思っている。
そういった架空の存在。現実にはないモノ、力を通じて、現実に沿っていては表現できないモノやドラマ、景色等を表現する為のまぁ・・・色?画材?そんな感じだと思う。
だから、そもそもこういう議論自体がナンセンス・・・って事は無いがいらない気もする。決まりなんてない。創作に決まりなんてあっちゃいけない。
最低限、区別や区切りは要るだろうが。
緻密な理論が存在するというファンタジーを放棄したSFほんとすき
魔法は科学 科学は魔法
一応魔法関係の本によると必要だとか。大前提として「当人達が信じられる それっぽさ」が大事。
大昔の魔法は 発声 にらむ 指差す など単純だったけど
科学が発達するにつれて「それは効果が無い」と証明されてしまったので
魔法のプロセスがどんどん複雑化していったというのが魔法の歴史から伺える
んで今や 魔力 っていう 科学では踏み入れない概念があるために
どんな魔法もだいたいこれを経由する。
この通路を通れば科学は追ってこれないから「そんなことはありえない」と証明されずに済む。
ただ指を指しても呪いが発生しなかったのは魔力を込めなかった為だ という風に。
魔力の概念が生まれる前は ランダの方角に特定の呪詛を捧げ 契約を終えた指を ○○の骨のナイフで傷つけ 一滴目の血がほにゃららの魔法陣に落ちると同時に指を指す など 手順を複雑化することで
上手くいかなくても「それは特定の手順を正しく再現しなかった為だ」とか言い逃れることができた。
昔は正確な円やそれをいくつも要する図形なんてそうそう地面に描けなかったし 呪詛の言葉はまったくの謎言語 ランダの方角ってどこやねん(しかも時間と年月日によって変動)
んでもって○○の骨にユニコーンとか幻想生物を当てはめることで より到達不可能になる為 更に魔法として完璧になる。
まあ仮に揃えることができたとして、そんなやつが居たらその時点で魔法は証明されている(ユニコーンの杖とか)のでやはり魔法を使える。
てのがリアルの魔法信仰の怪しげな集いの人たちの見解の一つらしい。
でも二次元作品における魔法の複雑化は なにかと文句を付けたがる特定世代の方々をおとなしくさせるためってのが一番の理由だろうね。
ダイ大の頃はMP使って呪文発声で済まされたけど、今は黒曜石のナイフで何とかの光を反射した斬撃うんぬんとか魔術回路がどったらとかそういうのでケムに巻かないと連中は納得しない。
まあひとえにモンスター読者との戦いの中で複雑化していったんですね。
と考えると、天敵が現れるたび ケムにまくため 複雑化していく ということではないのかと。
VRMMO書きたい人が増えてるのもその辺が一端を担っても居そう。
魔法が単純でも「そういうゲームのシステムだから」って具合にできるからね。
VRMMOって時点で 複雑 が付与されてるので 普通のファンタジー書くより色々素直に思ったまま書けるし。
最近はギャグやご都合主義的に登場するとんでも科学の方がよっぽど魔法してるよな。
なんとなくファンタジーとSFの役割が入れ替わりつつある気がする。
確かに、魔法が出てくる本を読みながら「魔法なんてあるわけない、それはおかしい」なんていう人もいるね。
でも個人的には 「魔法は魔法だから魔法なのだ そういうものなの!!」 でいいと思う……
あとこれが超能力になるとなぜか文句が激減する不思議…
系統立ててるのもルール無用なのも気に入ってる物は気に入ってるけど
フェアリーテイルや七つの大罪みたいな単なる少年漫画の道具立てに使ってるのは
本当になんでもありのご都合主義って感じであまり好きじゃないな
つまり魔法に法則があるタイプか
つまり魔法に法則が無いタイプか
これって別に魔法に限らず 漫画の過剰表現なんかもそうだよね
リアルを追求するのかギャグ路線でやるのかとかで違うのと同じ
表現というかその作者の世界観なんだからどっちも有りでしょ 実際どっちのタイプでも面白いものは面白い
問題は作者の表現力次第
例外としてはあれだね、
魔法のコンパクトとか変身ブローチとかの玩具を売るために存在する魔法。
魔法なんぞ微塵も信じない商人の手によって作られたそれを手にした子供達は
やっぱり魔法なんて無いかー と変身できなかった現実に学ぶ。
ある意味反魔法的魔法とも言えるね。
記事の内容を勘違いしてる人が多数いるね
・記事の主旨はシステム化された魔法そのものの否定ではなく、システム化されていない魔法をまるで
欠陥品とでも言うように叩く人種と、その言葉に怯えてご機嫌伺いをする作家たちへの憤り。
・当然ながら魔法にも「ルール」や「制約」は存在しており、ここで話されている「システム」とはまた別の意味であること。
それと、「何が起こるかわからない神秘の力」=「なんでもありのご都合主義」というのは暴論にもほどがある。
ご都合展開なんてものはすべからく作者の意識と力量の問題であって、魔法など使わなくともフィクションである限りいくらでも体裁を取り繕うことはできてしまう。
私はご都合主義も、おざなりな世界設定も、ブレブレな人物像も、矛盾するストーリーも全部大嫌いだ。
けれど、システム化されていない不思議な力「魔法」の存在はこれらと違い話をつまらなくする要因にはなりえないと断言できる。
だってずっと昔から多くの人に親しまれてきたファンタジーと呼ばれるジャンルの物語を彩ってきたのが他ならぬ神秘で不思議な力、魔法だったからだ。
今、神秘的で、馬鹿げていて、奇妙で、めちゃくちゃカッコイイ魔法を使って、最高に面白い物語を創れる作家が減っている。私はそれがとても残念でならない。
そう、これは自分好みのジャンルの作品が少ない!という愚痴という心の叫びなのだ。
>>161
怪奇現象などが話題として成立していた一昔前に比べて
より科学が進んだ現代では「常識を超えたなんかすごい力」自体が胡散臭くて共感できない、っていうのはありそうですね。
魔法の「常識を超えた」の意味合いが「現代科学と相反するもの(現実との対比)」でなく「現代科学の未解決分野をさらに突き詰めて解明したもの(現実のあくまで延長上)」という解釈に変わりつつある、と言った方がいいのでしょうか。
「科学で解明できない力なら、むしろ科学以上の完成されたシステムがそこにあるに違いない」と言われれば、分からなくもないような…うーん。
いずれにしても、少し前まで想像もできなかった凄いアイテムが次々世に出回るような日進月歩のこの時代、
そんな今すら否定したくなるほどの魅力を持つファンタジックな代物が存在する余地は、たとえフィクションの中であってもあまり残っていないのかもしれません。
>>161が言いたい事言ってくれたけど、一応
「科学のような魔法」が駄目、面白くないというのではなく、
なぜ、魔法にしなくちゃ駄目なの?空想科学じゃ駄目なの?ってこと
「科学に似ているかどうかで魔法の良し悪しが判断される」なら、
私の好きな、科学の対極としての神秘の魔法が根絶やしにされてしまう!
という「愚痴」
全くの見当違いのコメントや、体裁は反論なのに内容は筆者の意見を肯定している、
という奇妙なコメントが散見されるけど、せめてちゃんと読んでからコメントしようよ
>>162
「現代科学の未解決分野をさらに突き詰めて解明したもの(現実のあくまで延長上)」
紛う事なきSFだと思うんですがそれは・・・
やっぱ神秘の魔法は淘汰されつつあるんすねえ、悲しいなぁ・・・
超能力なら文句が減るって言った人、面白い着眼点だと思う。ニセ科学やスピリチュアルが流行っていることを見れば、人々が今でも神秘的なものにハマりやすいことは間違いない。問題なのは魔法の根底には神がいて、その神が否定されているから、代わりに一見もっともらしい科学っぽいものを根底にしちゃってることじゃないかと思う。
その科学っぽいものって何なのかというと、分類ね。自然現象を区切りをつくって分けていくことが科学っぽいものとして捉えられているから、ファンタジーでもシステムをいちいち作るハメになる。つまりこの魔法は火の属性を持っていて発動形態がこうで…っていうのは、科学っぽいものを利用しているんじゃないかと。物語じゃなくて分類が大事になってくるわけよ。
日本だけかもしれないけどCRPG文化ってのもあるからな。
呪文を選択して同じMPを消費すれば大体同じだけのダメージや回復とかが得られるっていう
まさに常に等量の対価で同等の効果を発揮するって言う技術の理論で成り立ってる魔法
あとは能力ものの名称として適当ってのもあるかと
>神秘的で、馬鹿げていて、奇妙で、めちゃくちゃカッコいい魔法
この言葉、記事作者と記事作者に共感した人には悪いんだけどまったく魅力的に感じないのよね。
神秘的という言葉がまず嫌なんだよなぁ、「ようするに理解してないものでしょ?」という考えが頭をよぎるのよ。
その上"馬鹿げて"とか"奇妙"とか「なんだその表現曖昧だなぁ…ハァッ」っと声を上げそうになる。
そして"めちゃくちゃカッコいい"が当てはまらない位置に居るように感じる。
やっぱどう見繕ってもご都合主義の塊にしか見えないんだなぁ…
じゅうぶんに発達した数学は人類には理解できないからキニスルナ!
具体的に言うと波動関数の作者(そして命名者)は自分が作った式(=波動関数)が
「いかなる波をも決して表さない」ことを理解していなかったし、
アルバート・アインシュタインは相対性原理が
どういう原理なのかちゃんと理解してなかった。
(「相対性原理」に関しては「使っただけ」だったし
以降ずっと間違えてた証拠の宇宙項などの失敗の記録が残ってる
こっち=相対性原理のほうは作者達は理解してたが・・・)。
たとえば、ネットの一部で今も広まってる『三つの扉の迷信』を例に取ろう。
「三つの扉のどれかが正解で、一つの扉を開けたら不正解である事を知った後、
最初に選んでいた扉でないほうに変えたほうが正解率が上がる」という迷信で、
私は初聞で「なぜ間違えたかも含めて何が間違ってるかを指摘できた」って奴だが、
ようするに特定の時点から見た可能性の総計と比べて未来の時点での可能性の総計は
少なくてもいいし、この場合は「一つの扉が不正解であることがわかった時点」で
可能性の総計が最初の時点と比べて2/3に減っているのに、そこからでなくて
元のままの3/3から引き算してしまった結果の間違い、という訳なんだ…が。
『全可能性は情報の確定ごとに激減する』事実は把握した? それはOK?
『三つの扉の迷信』に初聞でつっこめなかったら先天的・後天的な数学者達とは違う世界を生きている。
世界に対する見方(認識)・考え方、選択肢、それを取捨選択する為の価値観の体系さえ違ってくる。
身内である事・似ている事は敵対が前段階の世界観、互いの距離だけが共存を可能にする世界観や、
正面から渡り合うライバル関係だけが関心の前提になる世界観、つまり親愛と恋愛と友愛の世界。
え? 古代からそうだったんだよ。 一般の愛など無い。 相容れない各種の愛、それぞれが
別々の分野を、何よりも愛を司る。 数学はその世界観であり、数学能力は思春期に伸びる。
数学能力の成長期である思春期を延長できる先天的な資質だけが数学能力の上限を高める。
だからある程度は外見で区別できる、良く言えば「目鼻立ちが整った中性的な童顔」。
(鼻の周辺に形状変異があると脳神経系の胎内発達過程でそこを通る移動が遅れる。
男性ホルモンは左脳を抑制する、ある程度まで左脳優位を抑制するが過剰だと
逆に左脳が劣位になるから、両利きに近い左利きで止まるのが数学的脳活動
=左右連携活動に望ましい、脳の男性化は脳の左右連絡を行う所の発達を
抑制するから脳は男性化してないほうがいい、しかし性的成熟期である
思春期は数学脳=統合脳の発達時期だから早く長いほうがいい、等々)
多くの要素が遺伝の影響を受け、そして目鼻立ちに反映されるから、民族性があるし、
他の点では遺伝的にも近縁の隣人でも目鼻立ちが違うなら資質を引き継いでいない。
古代アナトリアにいた変異種、その隣人であったエトルリアの伝承を起源とする
ゲルマンや北欧の神話にも登場する、極東に来て日本を作り出したその種族が、
先天的な数学の天才、日本神話の性別不詳の外見を持つ英雄の末裔って訳だ。 わぁい
個人的な嗜好の話になってしまうが、
逆に自分がシステム化された魔法世界が好きになれない理由として、魔法の神秘性が失われるということの他に
理解できない物事に無理矢理もっともらしい理由をつけて「理解したつもり」になるのが嫌だ、というのがある。
そういう事象の理由付けに使われる「神」と「科学」に差はない。
にもかかわらず、神や霊では駄目で、科学や科学に類似する何かであれば理解できるし、理解したことになるという感覚(錯覚)が受け入れられない。
ちなみに、不思議な魔法の存在自体がご都合だと思うのに、それに附属する創作科学のような設定はその設定自体がご都合だとは感じないのだろうか?
そういう人はそもそもファンタジーなど読まないのだろうか?
161でも書いたように、私はご都合が嫌いであるし、人にはよく細かいこと気にしすぎと言われる部類の人間だ。かといって魔法のような仕組みや原理が明かされていない存在そのものをご都合であるとは思えない。
とすると、むしろ一体何が「ご都合」なのか、その解釈の違いがこのズレの原因なのだろうか?
ともあれ、根本的に同じものであるのだから、長々と無理な理由をこじつけられるより、不思議なものは不思議なままに描いてくれるほうが私は潔いと思うし好感が持てる。
おそらく私は魔法というものを一種のブラックボックスとして捉えているのだと思う。そして、だからこそ良いのだと。
しかし、同じファンタジーの括りでもこれだけ好みの差が出るのだからジャンルを分けてしまったほうがいい気もする。SFとSFファンタジーみたいな感じで。
ただ現時点ですでにその辺の線引き曖昧だけどね。
これ以前も話題になった記事だよね-。作者の凝った魔法理論設定を延々説明されるの正直ウザイし、魔法は不思議で神秘的なもので科学理論じゃない!って気持ちは分かるけど、ルールは絶対に決めるべき。じゃないと魔法が作者のご都合主義の道具になるから。それだと読者は、どうせまた便利な魔法の設定が出てくるんだろ?ってなっちゃう。
おはなしに登場する魔法と一纏めにしても、歌や踊りを要求するものから、文字や図形を必要としているもの、相手に薬を飲ませないと効果が発揮しないもの、中には使うだけで"相手は頭をかち割られて死んだ"といった便利(?)なものまである。とか何とか言おうと思ったけどもう上で色々言われてるしもういいや!設定に矛盾がなければ"変態に魔法を使わせた結果がこれだよ!"も魔法として正しいと思うよ!
>>1
ダンジョンズ&ドラゴンズにおいては魔法全般は呪文学、一部物理学や薬学等は錬金術、魔方陣やシンボルは宗教学に分類されてましたね。
>>7
そしてそれは『料理』に変えても成り立つ(゜д゜)
>>18
体系化された魔法は科学の一部って考えであれば概ね同意できる。でも話に出てくる魔法って基本的に手作業だからね。体格も視力も指の太さも違う人間が同じようにやったって同じにならないのは当たり前。うちの工場で手作業で作ってる部品なんて精度バラバラだし、下手すると手順も違う。大体、全自動の機械からですら全然形の違うものが出てくるぞ。科学技術の再現性なんて現場レベルではこんなもん。
「読者=語り部の立ち位置」の問題じゃないかなあ。
指輪物語では魔法は無知なホビットからみる世界の神秘。ゲドは魔法に畏敬を払う学究の徒。
いうなれば自然科学→学者の立ち位置。
でも今の読者は「魔法のアラを探してハッキングで勝つ」というJoJoスタイルがお好き。
いうなればComputer API→プログラマの立ち位置。
まあ、ハッキング=世界を変えられる、という傲慢なポジションだから、自然に畏敬を払って生きる本来の「ファンタジー」みたいにはならんわな。
そもそもシステムが存在しないのならルールも存在しない。
「システムの存在しない魔法」ではなく「システムを理解していない魔法を行使している」だけに過ぎない。
デウス・エクス・マーキナーって知ってる?ギリシャ・アテナイとか都市国家が一般的だった時代の演劇に登場していた、物語の最後に登場して全てを都合よく丸く収めてしまう存在。日本語訳では「機会仕掛けの神」なんて呼ばれてる。
なんで魔法に法則性を作るのかって言うと、この「デウス・エクス・マーキナー」が発生するのを阻止するため。何でも魔法でご都合主義的に解決!になってしまったら、そもそも世界が存在する意味自体がなくなるんだよ。そもそも魔法で、問題が発生しないように「最良の状態」にしとけばいいんだから。そこにドラマなんて生まれると思う?いや、そもそも人間の営みとか文明とかすらいらなくなるよ?未来も何もかも魔法で都合よく作っちゃえばいいんだから。
実際、アテナイの演劇で物語の最後にこれが出てきて都合よく解決させてしまう展開が多かったため、観客がしらけてしまった。なので、早々にこの概念は使われなくなったそうな。2000年以上前に、あなたと同じような事を考えた人がいたわけw だから魔法にルールなんて必要ない!という主張は、デウス・エクス・マーキナーを認めるようなものなんだよ。
なお、「神秘性」なんてものは「知らない」から発生する事であって、魔法使いにとって魔法はただの道具であって、別に神秘な存在ではない。中世の人から見れば、私たちが使ってるスマフォは神秘の存在だけど、私たちからすればただの日常道具。魔法のルール化は、世界そのものが矛盾なく存在するために必要ってこと。
魔法システムが科学に似ているのは、そもそもSFのサブジャンルとしてファンタジー小説が生まれたからだよ。それまでの童話・伝説などの魔法は海を割ったりカボチャを馬車にしたり自由自在。しかし魔法があるならば主人公は努力せず魔法で楽々問題解決できる訳で、そうなると物語として面白くもなんともない。
城の前に魔王軍が来たら魔法で隕石を落として解決!なんて事もまかり通る。だからSF作家は魔法を書かなかった。
だが魔法に法則性・制限=システムを与える事によって、主人公は制限の中でいかに工夫して魔法を使うか?
が問われるようになり様々なシチュエーションが生まれる。
例えば魔王軍に隕石を落とそうとすれば、魔力が足りないから何とかしようとか、
魔術師の数が少ないから集めに行こうとか、星の位置が良くなるまで籠城しようなど、落とすに至るまでの物語を作れる。
ただシステムばかりに気を取られ本来楽しむべき物語を綴れないのであればシステム偏重は見直すべきとは思う。
魔法のシステムや大系、原理自体に魅力を感じてしまうことは否定できません。しかし、魔法とはもっと魔法であるべきだということを拝読して気づかされました。素晴らしい警鐘だと思います。
別に科学的な視点に立てば「魔法に魔力だのを持ち出して理由づける必要性」なんて全くないのよね。
なぜかって?物理学者が魔法を研究するなら、まずやることは要請から理論を作ることだからだよ。
魔法がシステム的なものである必要はない。むしろ、古代のファンタジーのような「念じれば起こる」レベルの話を理論化するのが物理学だ。
ちょうど、情報科学や統合情報理論、言語学や論理学が「古典的な魔法」の理論化に有効そうじゃないか。
……つまりはだね、「空気中のマナを集めて放出」などというとって付けたようなメカニズムは、ファンタジーに持ち込まれた歪なSFであると同時に、我々のSF作家としての部分の敗北を意味するんだ。