• このエントリーをはてなブックマークに追加

イベント

Twitter

ブログ・メルマガ

  • 「非日常と日常の境界線で」

     どんな〈非日常〉も3日続けば〈日常〉になる。生きてる限り何があっても腹は減るし、生き続ける為にはどんな状況でも生活を続けて行かなければならないのが僕らだ。だから僕らはどんな状況にもやがて順応し、慣れてしまう。時にそのタフネスに感心もするけれど、時にその無神経さに呆れもする。そして、世間ではその状態が〈日常〉になってしまったのに自分だけがいつまでもこの状態は〈非日常〉だと引き摺ってしまうがゆえに生じるズレでとても生き辛い気持ちになることがたびたびある。  東日本大震災後は特にだ。僕自身は未だに311以降の〈非日常〉の中で生きていると感じていても、原発の廃炉作業が行われている今がすっかり〈日常〉となっている人もいる。批判とか責めているのではなく事実として。僕の娘もそうだけど、311以降に生まれた子供にとっては今のこの状況が〈日常〉だったもする。    同じように北朝鮮のミサイル発射や核実験も少しずつ〈日常〉となり始めている空気を感じずにはいられない。かつては戦争も核兵器も反対していた日本人の中にも北朝鮮を攻撃することやその為に核兵器が使われることに異議を唱えない人々が現れ始...

    1日前

    • 0 コメント
  • 「無花果と蜜蜂」

     畑の隅にいちじくの苗木を植えて3年になる。千葉のいちじく農家さんに頂いたネグローネという品種で、濃いボルドー色の小ぶりな実がつく。苗木を選ぶ際にいくつかの品種を試食した中でもシングルモルトに合いそうなねっとりした食感と甘さが決め手だった。    しかしながら、成長が遅く実つきが悪いのも特徴だった ( もっとも僕の肥料やりのタイミングや量、剪定や摘果のやり方にも大いに問題があるのだろうが ) 。1年目は1メートル50センチくらいに成長した2本の苗木に2つずつ。2年目は2メートルくらいに伸びて4つずつ。それが今年は 気候が適していたのか3メートル近くまで伸び、9月の収穫期にはそれぞれ10個近い実を育てることができた。  完熟のタイミングを見計らって畑に足を運んだ先日のことだ。鋏を手にいちじくの木を前にした僕はそのまま立ち竦んでしまった。熟れた実のひとつにミツバチが群がっていたのだ。剥き出しになった果実の壁をミツバチが貪り吸う音まで聞こえるようだった。最近、町のあちこちでミツバチに刺されたという話を耳にしていたこともあり、これは危険だと退散することにした。  それにしても...

    3日前

    • 1 コメント
  • 「ノスタルジア」

       生まれ育った町が嫌いだった。  子供が生まれたせいだろうか。それとも50歳を目前にした年齢的なものだろうか。あるいはそのどちらもが作用しているのだろうか。このところ生まれ育った町に対する意識に大きな変化があった。今頃かと思われるのを承知で書くけれど、許せるようになったというか、いとおしいと感じられるようになった。  出生地こそ東京都目黒区なのだけれど、一歳を待たずに神奈川県の大和市に建ったばかりの団地の抽選が当たり居を移した。僕にとっては18歳で家を出るまで暮らしたその団地が故郷だ ( 色々あってそのうちの2年ほどは父の郷里である熊本に住んだこともあったのだけれど ) 。  団地の上空では昼夜問わず米軍機が爆音を轟かせていた。団地の外周を走る高架上の線路を走る東海道新幹線が数分に1度不快な騒音を響かせていた。平和や便利さの代償として押しつけられた〈耳を塞ぎたくなる音〉を「お前らは割安な住宅で暮らしているんだから我慢しろ」と言われているような町だった。そういう大人社会に対する憤りを暴走という迷惑行為でしか苛立ちを表現できない浅はかな不良たちも嫌いだった。かといって 何...

    5日前

    • 6 コメント
  • 『三度目の殺人』

     人はなぜ人を殺めるのか。その問いに対する答えは、実際に人を殺めた本人にすら分からないものなのかもしれない。  にもかかわらず、僕らはその答えを頭の中で都合の良い物語を作り上げることで理解した気になっているのではないだろうか。そしてその理解したつもりが、新たな殺人を生んでいることに無自覚でいることの怖さ。是枝裕和監督初のサスペンスは、この国の司法の慣習のみならず、真実よりも互いにとっての落とし所を重んじる協調社会、傍観者たち、さらには「殺人を理解したつもりになっているエンターテインメント」の作り手たちにも痛烈な問題意識を突きつけているように思えた。いわゆる〈神の視点〉で理解したつもりになって殺人を扱った推理ドラマなどを書いた経験のある僕自身、胸が痛かった。    また、是枝監督の「撮影中も脚本を書き直し続けて着地点が二転三転していた」という制作秘話すらもが、主演の福山雅治さんから翻弄される自然な表情を引き出す為の嘘というか、演出方法だったんじゃないかと思えた。そのくらい重盛という弁護士は今を生きる僕らと地続きでリアルな存在だった。などと妄想してしまった時点で「人は頭の中で...

    2017-09-15

    • 4 コメント
  • 「ルーツ」

     僕らはいつ、自分がどのようにしてこの世界に生まれてきたことを知ったのだろう。初めて見た母や父の顔がどんなだったのか、どんな気持ちになったのかを、忘れてしまったのはどうしてなんだろう。そして、自分がこの世界に誕生させて貰ったことの意味に、いつになったら気づけるのだろう。  娘が夢中になっている一冊の絵本がある。  『こんにちは、つむぎちゃん』という名前入りの絵本だ。ベネッセが無料サービスで応募者全員にプレゼントしてくれるという「お子様のお名前・生年月日が刻まれた世界に一冊の絵本」に妻がずいぶん前に申し込んでいて、忘れた頃に届いたという。  赤ん坊が母親のお腹にいるところから、誕生を待つ両親の声に応え、生まれるまでが描かれているのだけれど、問題は娘がなぜこの絵本に夢中なのかということだ。そしてなぜ僕らに「読んで!」と毎日嬉しそうに持って来るのかということだ。言葉が喋れない娘に訊くこともできないのであくまで想像なのだけれど、常識レベルではおおよそ次の3つのうちのどれかなんじゃないだろうか。 (1)娘も生まれる前のことを憶えていて、それを僕らに伝えようとしている(或いは共有しようと...

    2017-09-13

    • 3 コメント
  • 「人はなぜ足下のしあわせだけを抱きしめて生きることができないのだろう」

     どんな〈刺激〉も三日味わえば慣れてしまうと言われている。    11ヶ月になった娘の低刺激なものに囲まれた暮らしぶりを見ていると大人である僕らが如何に日々強い刺激の中で生きているかが分かってゾッとする。テレビ。スマートフォン。テーマパーク。ハリウッド映画。カフェイン。アルコール。ニコチン ( 僕は吸わないけれど ) 。食品添加物。過剰に砂糖の入った菓子やジュースなどなどすべてが赤ん坊には良くないとされているものだ。   コンビニ食やファストフードがおいしさの基準になってしまうと、たとえば出汁で複雑かつ繊細な味を表現した和食なんかは物足りなくなってしまうそうだ。同じように過剰な刺激でないと物足りなくなってしまう〈不感症〉は食以外のすべてに通じていると、先日観た『パターソン』という映画でもじんわりと感じた。些細な日常の中にも人生の味わい深さを感じさせてくれるものはたくさんあるということ。たとえば夕陽の美しさや、自分たちで作ったごはんのおいしさ、家族の寝顔に涙したりするみたいに。けれど刺激に慣れてしまうとそういう日常の些細なものに不感症になってしまう。自分と他人を比べ、その刺激を羨...

    2017-09-11

    • 2 コメント
  • 「渋谷の青空」

     ハチ公前で待ち合わせをして、人波を掻き分けながらスクランブル交差点を渡る。外国人観光客がそこかしこで写真を撮っている。どこかのテレビクルーがインタビュー撮影をしている。まるで東京マラソンのスタート地点みたいだ。道玄坂をジグザグに昇ってゆく。人混みにめまいと息苦しさを感じて空を見上げる。ビルとビルの間に小さな青い長方形の空。いつも見ている海辺の空よりも遠く高く感じるのはどうしてだろう。  道玄坂のラブホテル街にあるライブハウス〈TSUTAYA O - EAST〉のエントランスで受付を済ませてエレベーターで五階に上がる。扉が開いた途端、子供たちの笑顔に歓待され「こっちこっち」と手招きされるがままに階段を昇ると、そこにはトマト畑が広がっている。そこが渋谷の農家 小倉崇さんの屋上農園だった。    日曜の午後に開催された「夏の終わりのトマト祭り」に招かれ、シンガーソングライターの天野花さんと番組の取材も兼ねてお邪魔した。  トマトを贅沢に搾ったトマトジュース。サルサソース。カプレーゼ。そして、キンキンに冷えた レッドアイなど渋谷で収穫されたトマトを贅沢に使った小皿料理を...

    2017-09-08

    • 2 コメント
  • 「見つめるということ」

     雨が上がり、久し振りの斜光が何本も射し込んでいた。待ち焦がれていた8月31日の太陽は低気圧と冷たい雨で訪れることはなく、富士山頂に夕陽が沈む〈ダイヤモンド富士〉も拝むことはできなかったから、身体が太陽に会いたがっていた。仕事を中断し、すぐにランニングウェアに着替え、シューズの紐を結んで走り出した。  秋晴れだった。風は乾いていた。台風に夏を連れ去られた喪失感。淋しかった。淋しさとともに海沿いの国道を走りながら、先日鑑賞した〈美しい映画〉を反芻していた。   『パターソン』  去年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドッグ賞(こういう賞があるのを初めて知った)を受賞したジム・ジャームッシュ監督の最新作。 アメリカはニュージャージー州パターソンの街で、妻と愛犬と暮らすバス運転手パターソンの7日間が描かれている。その毎日は至ってシンプルだ。禅の影響を強く受けたという監督が生んだ主人公である。おそらくミニマリスト ( 最小限主義 ) なのだろう。毎朝決まった時間に妻の横で起き、シリアルの朝食を採り、規則正しくバスを走らせる。仕事を終えたらまっすぐ帰宅して夕食を採り、愛犬の散歩の途中で...

    2017-09-06

    • 2 コメント
  • 「話し上手な人」

     人と話すのが苦手だった。子供の頃にからかわれた吃音という劣等感は幾つになっても消えることはなかったし、人見知りという性格的なものも大きかった。普段から思っていることの10%も声に出せていない。ただ、物書きという仕事をするようになって「自分が書いた文章を音読する際はどもらない」とことを学んでから、ここぞという前には事前に言いたいことを文章で書き起こして整理してから臨むようになった。ここだけの話、週に一度生放送でマイクの前に座らせて頂いている「渋谷のラジオ」の時もそうしている。でもそれが厳密に言えば「会話ではなく、発表だ」ということに改めて気づかされた。  長年公私ともにお世話になっているフリーアナウンサーの荘口彰久さんがゲストに来てくれた時のことだ。   「喋っているときに原稿見て次に行こうとするのやめて下さいよ」  いつものように笑いながら冗談のように言ってくれたけれど、強く胸に刺さる言葉だった。もちろん耳に入って来る相手の話は訊いていたけれど、視線は原稿を見ていた。届いたメールも選んでいた。時間も見ていた。次の進行を考えていた。次に流す曲のセッティングもしていた...

    2017-09-04

    • 8 コメント
  • 「夏の終わりとたまごサンド」

      「まだ五時半じゃないか」  眠い目を擦る僕の顔を娘が嬉しそうに叩いている。子供が早起きだというのは本当だというのをこのところ身を以て思い知らされている。あと1時間、いや、あと30分寝ていたいという絶妙なところで起こされる。とはいえ泣き声ではなく、笑顔と平手打ちで起こされるのが救いなのだけれど。    妻とともに早起きした。妻がおむつを替えたり着替えさせたりしている間に僕が掃除と洗濯をし、今度は朝食の支度をする妻に替わって僕がベランダで潮風を感じながら絵本を読んだ。  『いただきますあそび』という仕掛け絵本。渋谷のラジオで月に一度一緒に番組をやっている絵本作家の五島夕夏さんに「娘がおっぱいで十分って感じでごはんを食べてくれなくなったんですよ」と相談したら「これがいいと思いますよ」と勧めて下さった一冊だ。  キャラクターが手にした食べ物を「いただきます」のタイミングで動かして口に持って行くだけの絵本なのだけれど、そのわかりやすさが10ヶ月の娘も気に入ったようで、すぐに僕の「いただきます」の声とともに自ら仕掛けを動かすようになった。「たまごサンド」がとてもおいしそうだ。リ...

    2017-09-01

    • 6 コメント

生放送

放送済みの番組はまだありません。

動画

動画が見つかりませんでした。