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  • 「ちいさな詩人」

     子供は詩人だ。目で見たものを、耳で聞いたことを、知っている言葉だけで素直に表現する。  娘と浜辺を散歩した午後のことだ。陽射しは降り注いでいたけれど、師走らしい寒風が音を立てて吹き荒れていた。思わず「寒いね」と首を窄めて僕が言うと、娘からこんな言葉が返って来たのだ。 「風がおしゃべりしてるね。びゅーびゅーって」  僕はいつからより相応しい言葉を探して辞書を捲るようになったのだろう。難しい言葉ほどより適確に言い表せていると思うようになったのはどうしてなんだろう。本当はそんな必要なんてない。目で見て、耳で聞いたことを、自分の知っている言葉だけで表現する。それだけで伝わる。いや、むしろ簡単な言葉ほどより多くの人に伝えることができる。それは時に、美しい詩にすらなる。そんな「言葉の力」を2歳の娘に教わることになるなんて想像もしていなかった。  言葉を使い始めたばかりの彼女は、今日から僕のちいさな詩の先生だ。

    17時間前

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  • 「笑えないフィクション」

     とうとうこの国の水道までもが投資の対象になる。 仕方ない。今の政府の仕事は新たな投資商品を作ることだからだ。オリンピックも万博も未曾有の好景気だと鼻息の荒い人々はその多くが関連銘柄に投資している。ただそれだけの話だ。表舞台で答弁されていることはすべて言い訳に過ぎない。一国の政府を動かすほどの多国籍企業が巨大な台風のように世界中に停滞しているというだけの話だ。と考えると、何もかもがシンプルで理解しやすい。  次は何が投資の対象になるんだろうと半笑いで考えた。だったらいっそのこと教育なんて面白いんじゃないだろうかと1ミリも笑えない冗談を思いついてしまった。子供ひとり一人のスペックを数値化して、競馬馬みたいに投資させるのだ。投資額がそのままその子に使える教育費となる。投資家には十数年後からその子の稼ぎに応じて配当がある。民間投資にすることで赤字政府は教育費を大幅に削減できるし、奨学金の問題も解決する。親たちは遺伝子操作で投資が集まるような子供を作ることに躍起になり、先進医療にも新たな投資を生むだろう。当然教育格差の問題が今以上に浮き彫りになるがそんなことは大した問題じゃない。学者に頼...

    3日前

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  • 「ルーツⅡ」

     12月だというのに汗ばむような気温に思わずパーカーを脱いでTシャツ一枚になった。ぬるい潮風が数週間前に滞在していた八丈島を思い起こさせた。そう、天野花が故郷で開催する初のワンマンライブで訪れた僕にとっては三度目の八丈島だ。  八丈島は不思議な島だ。一日が36時間にも48時間にも感じられる。羽田から40分。見渡す限りの大海原に浮かぶ2つの山を持つ島の空港を出た途端、いつもそういう気持ちになる。  空港近くでレンタルした軽自動車で市街地へと向かうも、午後2時を過ぎたばかりなのに歩いている人どころか車もほとんど見掛けない。目に入る動いているものと言えばのんびりと空をゆく雲だけだ。おまけに看板もないので情報の洪水に急き立てられることもない。これが時間の流れがゆっくりと感じられる原因なのかもしれない。  八高(はちこう)と呼ばれている島唯一の高校を通り過ぎ、島で一番大きな集落にある彼女の実家へと辿り着いた。水回り以外はすべて天然木で大工のお父さんが手作りしたというロッジのような建物の中から音楽が聞こえる。翌日の本番に向けてリハーサルの真っ最中だった。自身のアコースティックギターにピアノとパ...

    6日前

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  • 「幸福な孤独」

     小さな子供を抱えたお母さんが「社会から取り残されたような気分になる」と誰かに電話で嘆いているのを小児科の入り口で耳にした。子供と向き合う時間が長くなることで、社会との接点が削られていくという。彼女が専業主婦なのか子育てをしながら仕事もしているのかは分からないけれど、「社会」とはすなわち職場や同世代などを差しているのだろう。僕は働いているけれど気持ちは分からないでもない。何より最近も妻とともに同じような侘しさを噛みしめたばかりだったからだ。  娘がまた熱を出した。と言っても37.2度という子供なら平熱の範囲内とも言える微熱だ。食欲もあるし、体調だって悪くない。それでも他の子への感染を防ぐ為に37度を越えると医師の判断無しで保育園には行かせられないルールだ。この日は在宅仕事の予定だった妻が娘をかかりつけの小児科に連れていった。 「心因性の発熱じゃないかって」  風邪のような症状が見られないことから「様子を見て下さい」「登園はしてもいい」と言われたものの、肝心の娘が「今日は保育園に行きたくない」と言い出したのだという。  思えば僕も転校先の熊本で毎朝腹痛を起こしていた。内科的にはど...

    2018-12-05

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  • 「ふつうのおばけ」

     線だけでなく丸や点を描けるようになったことで再び絵に夢中になっていた娘に「何を描いてるの?」と訊いたときのことだ。返ってきた「ふつうのおばけ」という答えに絶句してしまった。彼女の言葉はそのほとんどが僕らか保育園か、あるいはテレビや絵本から耳で聞いてインプットされたものだ。それを的確に組み合わせて会話をしている。そんな人間の言語習得能力には日々驚かされているのだけれど、今回驚いたのは「普通」なんて言葉を自分たちがいつの間に、どんな風に使っていたのだろうということだった。いや、僕らではないのかもしれないのだけれど、すんなり出て来るということはよく耳にする言葉のひとつだったのだろう。  正直言って、あまり好きではない言葉のひとつだ。それは僕自身が「普通」とカテゴライズされることに抗って生きて来た世代だからかもしれない。1969年生まれの僕らが10代の頃、公立の学校というのは莫大な税金を使って画一的な人間を製造し社会に送り出す工場だった。個性は悉く潰された。少なくとも僕自身はそう感じていた。だからこそ普通じゃない人間になって普通じゃない人生を歩もうと躍起になった。でもそれ自体が「普通」...

    2018-12-03

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  • 「ルーツⅠ」

     アーティストが生まれ育った土地で観るライブは特別だ。風の音。海の色。山肌を通り過ぎる雲の影。雨上がりの虹。森のざわめき。まっすぐな道。校庭の静けさ。町の匂い。人々の笑い声。故郷ではそこかしこにその人の影とその人が生み出して来た音楽のルーツを感じることができる。そして、ステージで奏でる音楽にも必ず特別な何かが宿る。ましてやもともと好きだった土地であればその味わいはさらに格別だ。  東京から290㎞の太平洋上に浮かぶ伊豆諸島のひとつ八丈島。2015年に初めて旅して以来、何かに取り憑かれたように魅了されたのをきっかけに、この島で生まれ育った天野花というシンガーソングライターに出会った。  今から2年前と少しの話しだ。当時、渋谷駅の新南口にあった喫茶店の窓際の席で初めて会ったときのことは今でもよく覚えている。ネット動画で見た彼女自身の音楽よりも、島の話ばかり身を乗り出すように訊いてしまって、帰り道に反省したことも。  毎週喋らせて頂いている「渋谷のラジオの学校」にゲスト出演して貰って弾き語りを聴いたときには、この歌をいつか八丈島で聴きたいと強く思った。その為にもと番組が終わる頃には月一...

    2018-11-30

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  • 「子育て健康法」

     この1年で3㎏ほど体重が落ちた。特に意識していたわけじゃない。余分なものがごく自然に消えていくように健康的に、だ。  理由は分かっている。子育てだ。2歳児と同じ塩分控えめな野菜中心の食事を娘と一緒に夜6時に摂り、それ以降は食べない。保育園の送迎で朝が早いから深酒もできない。寝かしつけの際に一緒に眠ってしまうことすらある。逆に朝は早いから送迎が終わった後、仕事までの間に海沿いを走る。  そんな仕事の中に子育てが入り込んだ生活を続けていただけで痩せたのである。一般に男性より女性の方が平均寿命が長いのは子育てをしてきた女性が多いせいでもあるんじゃないだろうかと思えてすら来た。確かに外食中心で遅くまで働く生活に比べて、子供に寄り添って生きることで食事も睡眠も健康的で規則正しいものにはなる。  今は男女の区別なく仕事も子育てもする時代だ。その世代が高齢化していく。逆にかつての男性のように外食中心で遅くまで働く女性たちの中には喫煙する人も増えた。近い将来には男性が平均寿命で女性と並ぶ日も来るのかもしれない。  などと良い影響に目を向けることで子育てによる様々な制限を自分なりに納得させ...

    2018-11-28

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  • 「君は本当に何もかも忘れてしまうのかい?」

     娘が入院していた夜のことだ。面会時間が終わる20時間際、妻を残して帰ろうとした僕に、娘が小さな目に涙をいっぱい溜めて「また来てね」と言った。同じ屋根の下で暮らしている僕に「また来てね」なんて言ったのは初めてのことだ。こっちが泣きそうになってしまった。  帰り道、娘の心細さに思いを馳せ、夜空を見上げた。三日月が浮かんでいた。前の晩、食事のときに窓の外の空を見上げ、祖母と一緒に三日月を見つけて嬉しそうにしていたのを思い出した。いつか家のベランダから三人で見たことがあったからだ。ここがどこなのかは分からないけれど、慣れ親しんだ家から見えたものと同じものが見えたことが彼女を安心させたのだろう。  妻と二人なら淋しくないだろうと思っていたのは間違いだった。今、僕らが三人でいることを誰よりも望んでいるのは娘であることを思い知らされた。三人で住む「家」というものがこの世界の中でどれほどの拠り所になっているのかということを。  三人で浜辺を散歩した帰り、家が近づくと真っ先に玄関に走る。僕らがソファに並んで坐っていると「パパもママも大好きになっちゃった」と嬉しそうに抱き着いて来る。三人で...

    2018-11-26

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  • 「ビーチクリーンと焚き火と音楽と」

     ビーチクリーンと称する海でのゴミ拾いがイベント化したのはいつのことだったのだろう。少なくとも僕が「早乙女タイフーン」という連続ドラマの脚本を書いた2001年にはなかったと思う。夏の海のゴミ拾いがまだライフセーバーの専売特許だったあの頃には。  今年の夏、地元の海岸通りに一軒の小さなカフェがオープンした。アクセスも悪く、年間通じて観光客も少ないこの辺りにしては強気な値段だったけれど、飲んでみると味もなかなかだ。訊けば大量生産ではないこだわりの豆を仕入れているサードウェーブの店で、オーナーは地元出身の著名なアーティストの方だった。  秋にはその店が主催するビーチクリーンと焚き火を囲んでの生演奏というイベントが始まった。夕方になると海沿いを走る路線バスに揺られて遠方からファンと思しき女性たちが訪れる。夕焼けを見ながら浜辺のゴミを拾い歩く。1時間後、焚き火の周りで熱いコーヒーやカフェラテで冷えた両手を温めていると、ボサノバの弾き語りが始まる。そんなささやかながらも上質な、そして心温まる時間だった。  気がついた時や祭りの前なんかに浜辺でゴミ拾いをしていた僕らからすると、まだまだ遊びに...

    2018-11-23

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  • 「波止場にて」

     波止場に停めた車の中でこれを書いている。午後1時過ぎ。晩秋といえどもフロントガラスには汗ばむくらいの陽射しが降り注いでいる。バックミラーの中で娘が寝息を立てている。ダッフルコートを脱がせておくんだったと申し訳なく思う。  休日の午前中、近所で遊んで昼食を食べた後、帰りの車の中で昼寝をさせることが多くなった。保育園と違って家だとなかなか昼寝をしてくれないのだけれど、車の中だとどういうわけか走って3分もしないうちに眠りに落ちる。振り返れば子供の頃、僕も車の中でよく眠っていた。適度な揺れとエンジンの温もり、車窓を流れてゆく景色のスピードが子供たちを眠りに誘うのかもしれない。  娘が眠ると夕餉の支度をする妻を家の前で先に降ろし、近所のこの波止場へと車を回す。一度眠るとエンジンを切ってもすぐに目を覚ますことはない。そして娘が起きるまでの1時間半ほど、僕は運転席でこんな風に書き物をしたり、読書をしたりする。ドーナツを食べ、ポットのコーヒーを飲みながら窓の外を眺める。浜辺と国道の背後に晩秋の山々が広がっている。半月前まで鳴いていた虫たちの声ももう聞こえない。いつも海の向こうの水平線ばか...

    2018-11-21

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