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  • 「都市と農について考えた夜」

      10 年ほど前、農業の世界に初めて触れた時はあるエンターテインメント企業の方々と一緒だった。そこには農業そのものがビジネスになればという思いがあった。上場企業なのだから当然と言えば当然だ。けれど、命を育てるという営みの深淵とそこにある純粋な想いに触れれば触れるほど、個人的にはそれを金儲けにすることに対する違和感が募った ( そもそも僕は「生きる為に必要な食うこと」に金がいるというシステムから自由になりたくて農の世界に足を踏み入れたのだ ) 。何より100円の人参を商品にするまでの手間と労力を身を以て体験すればするほど「農業で金を稼ぐ」なんて本業の傍らに生半可な気持ちでできるようなものじゃないことを思い知った。  番組や書籍、映画など農業を題材にした作品こそ生み出すことができているけれど、今も農業そのものをビジネスにはできていない。でも、おかげで今まで縁のなかったような方々とつながることができた。全国の農家さんはもちろん、自分のできることでその大切な営みを持続可能なものにしていこうという人達だ。    渋谷のラジオが縁で出会った恵比寿新聞編集長の高橋賢次さんもそのひとりだ。恵...

    7分前

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  • 「そこで一括りに日本人とされてしまうことの違和感が拭えない」

     子供の頃からずっとひとりだったからだろうか。「我々」という集団に対して常に懐疑心と恐怖心がある。暴走族や暴力団など社会にとって悪しき集団はもちろん、デモや政党など自分たちを良きものとして活動している人たちも「私は」という主語で正義を説く一個人としては平気なのだけれど、ひとたび「我々」という主語で同じ事を語られるとどうにも身構えてしまう。 もちろん憲法で保障されている「集会結社の自由」を否定するわけではない。ただそんな理由で個人としてはずっと「集団」というものとは距離をおいて生きて来たというわけだ。ところが近年、なんとも距離がおき難い「集団」が生まれてしまった。それが「日本国民」という「我々」だ。その「我々」は国民全体から見ればほんの少数派であるにもかかわらず「日本人」という集団の思想を形成し他国民を嫌ったり差別したりするような発言をしたりする。そして「我々は」と語ることでそれがさも日本人の総意であるかのような錯覚を抱かせる。僕はあくまで「私」であって、そういった差別的な思想は皆無なのでそういう「我々」とは同一視されたくないと発言すると非国民とか売国奴などと揶揄されたりする。...

    3日前

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  • 「鎌倉の夜」

     日中は観光客でごった返す鎌倉駅前も夜20時を回ると閑散としている。賑やかだった表通りは 軒並みシャッターを降ろし、代わりに灯りのともった路地裏の店で地元の人達がひっそりと酒を酌み交わし始める。  そんな夜の鎌倉で久し振りに飲む機会があった。東京在住のラジオ関係の方と鎌倉在住のシンガーソングライターの方と3人だった。元々は東京で、という約束だったのだけれど、僕も含めて2人とも湘南暮らしならば自分が鎌倉まで出向くと東京住まいの方が提案して下さったのだ。これは湘南で暮らし東京で働いている身としてはとても珍しいことだ。通勤している僕らからすると東京は遠い場所ではないけれど、東京に住んでいる方からすると湘南は泊まりがけでもない限り、夜から飲みに行くような距離ではない。僕らはその方の申し出に感謝し、店を吟味し合った。    一軒目は小町通りから一本入った路地裏の穴子寿司屋だ。カウンターだけの小さな店で昼間は穴子寿司を提供しているが、夜は釣り好きの息子さんが地魚を出してくれる居酒屋になる。6人入ればいっぱいの店でビールや冷酒を飲みながら新鮮な刺身や穴子の白焼きで腹を満たした。僕らの隣...

    5日前

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  • 「ママはアイドル」

      ママはアイドル。かつてそういうタイトルのドラマがあったけれど、ようやくその本当の意味が分かった。  7ヶ月になった娘に対する妻の姿がまさにそうだったからだ。睡眠時間を削り、プライベートも捨てて、笑顔で奉仕し続ける。寝かしつけた後も本を広げて遅くまで離乳食の研究をしている。いや、それだけならアイドルとは重ならなかったかもしれない。そんな妻に対する娘の熱狂がアイドルを彷彿とさせるのだ。キッチンに立っていた妻が娘の熱い視線に気づいて笑顔を見せるだけで黄色い声を上げる。そして、片時もそばを離れようとしない。 「今だけだよ」  妻はそう言って笑っているけれど、はいはいができるようになると、赤ん坊は母親の後をついて回る「追っ掛け」になるそうだ。    そんな黄色い声援を僕自身も浴びせて貰うことがある。両手でグーチョキパーとか、箸を使うところを見せてやるだけでまるでスーパーギタリストの超絶テクに熱狂するような歓喜の声を上げる。確かにまだグーパーかスプーンを握るくらいしかできないとはいえ「この程度のことで、バカにしてンだろ?」と思うくらいの熱狂ぶりだ。妻がアイドルなら僕はその...

    2017-05-22

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  • 「面倒なことを面倒がらない」

     たとえば、ゆでたまごは黄身も白身も食べられるのに、目玉焼きは黄身しか食べられないこととか、チーズが嫌いなのにピザは好きだったりとか。「日本は 1951 年に独立しました」と教える先生の声が校庭の上を飛ぶ米軍機の爆音に掻き消されてしまうのが理解できなかったことや、法律そのものと現実の乖離に引っ掛かってしまって法学部の勉強がまるで進まなかったこと。さらには人生において結果的にいつも少数派を支持したり選んだりしているのは確固たる主義主張があるわけではなく、単に集団や行列が嫌いな天の邪鬼だからだということ等々、挙げたらキリがないけれど、とにかく子供の頃から面倒くさい子供だと言われ続けてきた。 大人になった今もそれはあまり変わらない。そして僕のことを嫌いだという人はこうした面倒なところや理屈っぽいところ、社会や政治に対して揚げ足を取ったり皮肉っぽいことを言ったりするのが不快みたいだ。誰もが大人になって見て見ぬフリをして折り合いをつけ、表面上は楽しくやっているのに場の雰囲気を壊すなという無言の圧力を感じたりもする。僕だって他人を不快にさせるのは不本意だけれど、自分に正直であろうとした結果な...

    2017-05-19

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  • 「日曜日のしゃぼん玉」

     母親ってのは本当にすごい。娘の理不尽なぐずりや単なるワガママとも思える行動に対しても「はいはい」と笑顔を絶やすことがない。僕はダメだ。ついつい相手が赤ん坊だということを忘れて「やれやれ」という疲れた顔や仏頂面を見せてしまったりする。いや、妻がすごいのだろうか。「うー ( 怒 ) 」「うー ( 怒 ) 」などと対等に睨み合っている娘と僕を見ても「赤ちゃんが二人いるね」と決して笑顔を絶やさない。  僕も娘ももはや妻なしでは生きられないだろう。  日曜の昼下がり、娘を椅子に座らせ、ベランダでしゃぼん玉をして遊んだ。何十年ぶりだろうと思いながらしゃぼん液につけたストローにゆっくりと息を吹き込む。ゆらゆらと揺れながら膨らんでゆく。透き通った球の向こうに生まれて初めて見るものを凝視している娘の顔が見える。その顔よりも大きくなったところで息を強く短く吹き込む。ひとつの大きなしゃぼん玉とともに小さな子供たちのようなしゃぼん玉が無数に舞い上がる。光を受けて輝きを放ちながら潮風に乗ってふわふわと飛んでゆく。しゃぼん玉ってこんなに幸せな気持ちになれるものだっただろうか。娘はまるで魔法でも見ている...

    2017-05-17

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  • 「誰かと縁を結ぶのか、消費税を25%に上げるのか、それとも別に何か方法があるのか」

    「お父さんがあんたに墓の相談して来いって」  先日、母からそう打ち明けられたのは、叔父の告別式の席上だった。身内の逝去で死というものをいつも以上に身近に感じたらしく、なんだったら今日その場で決めて来いと言わんばかりの焦りようだったという。  父は熊本出身の三男だ。代々長男が受け継ぐ故郷の墓に入ることはない。そこで自分の代で新たに墓を建てなければならないのだ。 「あんたが守ってくんだから予算とか場所とかあんたの意見も聞かなきゃって」  そして、父の代で作る墓を最初に受け継いで守るのが長男である僕の役目らしい。らしい、と書くと笑われるかもしれないけれど、家の墓のことなんて正直言って今まで考えたこともなかった。 部活に就活で卒業と思いきや、婚活に妊活、保活に終活。昔は誰もが当たり前にやっていたことなのにと溜息も出るけれど、両親の周囲でも墓選びやら生前葬といった終活が盛んなのだそうだ。 「うちは何もやってないんだから、だから急いでね。まだまだだと思ってたらいきなり順番が回ってくるんだから」  母に急かされた。とはいえ両親から自分たちが安心して死ぬ準備をしろ、と言...

    2017-05-15

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  • 「ばばばばば」

     表面上は怒濤の、でも心の中はこの上ないくらい穏やかで満たされているのが子供のいる暮らしなのかもしれないと最近感じる。未だに父親という当時者よりも、観察者という意識の方がやや勝っているような気もするけれど。つまりはこの毎日が初めての連続という暮らしを楽しめているという証拠でもあるのだろう。    先日、娘を連れて市の乳児検診に行った。平日の朝の待合所は赤ん坊を抱いたママたちばかりで、男は僕だけだった。普段なかなか接する機会のない赤ん坊に親近感があるのか、娘は隣りで若いママに抱かれていた赤ん坊に向かって身を乗り出して「ばばばばば」と笑った。赤ん坊が不思議そうな顔でママを見上げて「ばばばばば」と笑った。それを受けて笑い返したママが今度は僕を見て笑い「何ヶ月ですか?」と話し掛けてきた。あぁ、こうやってママ友というのは輪を広げていくのかというのを触りだけだけれど体験させて貰ったような気がした。自分のような人間がそこにいることが今も信じられないような、くすぐったい気分だった。  とにかく見るもの聞くもの初めてのことばかりで取材心がくすぐられることばかりなのだれど、中でも驚いたの...

    2017-05-12

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  • 「みどりのゆび〜渋谷の農家と逗子海岸映画祭〜」

     その人の背中を見ているうちに、僕は『みどりのゆび』という児童文学のことを思い出していた。土でも鉄でもコンクリートでも、そして大砲の筒の中にでも、ゆびで触れて思い描くだけで、あくる日にはそこに素晴らしい花を咲かせることのできる力を持つ少年の話だ。  そんな物語にも描かれている通り、種を蒔き、命を育てるという行為はそれだけで世界を変えてしまう力がある。その力を知っている、信じている人たちとこれまでにもたくさん出会って来たけれど、豊かな自然に恵まれた場所ではなく、無機質なコンクリートジャングルで有機物という命を生み、育むという意味においては、やはり彼らこそがもっとも「みどりのゆび」を持っていた少年に近い存在かもしれない。     O-EAST というライヴハウスの屋上で畑を営んでいる「渋谷の農家」こと編集者の小倉崇さんと、渋谷区の限られた蜜源で養蜂をされている KATSU 佐藤さんだ。自然が少なく、食糧自給率もゼロに近い都市にこそ農業が必要だ、という彼らの思いと行動力は、都市は自然が少なく食糧自給率もゼロに近いので嫌だと海辺の里山に移住した僕にとって大きな刺激だった。  それは、カ...

    2017-05-10

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  • 「家族サービス」

     海辺の町の朝は休日も早い。週末はいつもどこかで朝市がやっている。生産者による採れたての野菜や魚はもちろん、手作りのパンやこだわりのコーヒー、地元の食材を生かした世界中の料理やワインが屋台で気軽に楽しめるのも、葉山や横須賀の朝市の特徴かもしれない。    この日は湘南国際村という標高 100 m 以上 ( と言っても海辺の家から車で 5 分だ ) の集落で催された週末朝市に出掛けた。同じ子安の里で農業をされているプロ農家・小菅さんのテントで旬の野菜を物色する。この日のお目当てはせりだ。数年前、仙台で名取市のせり農家・三浦さんが考案した「せり鍋」と出会って以来、新鮮なせりが手に入るときはいつもこれだ。 「漬け物が上手に漬かったのよ、味見てみてよ」  お母さんに勧められ、野菜の漬け物や梅干し、さらには娘さんが朝掘りした筍など、お目当てのもの以外にもついつい手が伸びてしまい、あっと言う間に車のトランクが新鮮野菜でいっぱいになる。 「連休中のおかず、作り置きしなきゃねー」  妻が嬉しそうに笑っていた。ここで暮らすようになってから毎年そうなのだけれど、大型連休だからといって特...

    2017-05-08

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