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  • 「みんな、きがついた。やっと、きがついた。」

     1997年に書いた連続ドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』のキャッチコピーだ。 あえて明言してはいないけれど、昨年20年振りに続編を書かせて頂いたこのドラマの背景には1995年に起きた阪神淡路大震災のことが少なからずある。当時大阪でこの地震に遭遇した僕自身は尚更だ。それを象徴するのが「みんな、きがついた。やっと、きがついた。」という言葉でもある。    当たり前にあると思っていたものが、実はとても脆いものだったということ。本当に大切なものは何なのかということ。この国は平等でも何でもないということ。でもだからこそ、人は助け合わねばならないということ。少なくとも僕自身は阪神淡路大震災を通してそのことに気がついたし、学んだし、自分事として考え始めた。それはその後の生き方にすら大きな影響を与えたと言っていい。土を耕し、自分たちで食べるものを育てるという営みも、この地震を体験していなければおそらくやっていなかっただろう。そしてそれが正しかったことは金はあってもひと粒の米さえ自給できない都会のコンビニから食べ物が消えた東日本大震災の時に強く実感した。  先週、葉山で今年度の棚田に関す...

    11時間前

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  • 「街が嫌いな理由」

     ふいに子供の頃の気持ちが込み上げて来ることが近頃少なくない。毎日子供を見ているせいだろうか。久し振りに両親と会い、子供という立場に身を置いたからだろうか。全くの別人格でありながら、同じ遺伝子を持つ子供は鏡に映した自分自身でもあるのだろうか。  打ち合わせの後、六本木の街を歩いていたときだ。子供の頃、母親と街に行くのが嫌いだったことを思い出した。正確には街そのものが嫌いだった。すべてにおいて金を要求される街というシステムが腹立たしかった。母がとても上等とは言えない財布を開けるたびに、そこからなけなしの金を払わせるたびに罪悪感で胸が痛んだ。父親の収入も知らなかったけれど、母は内職をしていたし、家は借家だったし、車も弟が生まれた頃にはなくなっていた。妹もいた。うちは貧乏だと思っていた。  街は金がないと何もできない。ごはんも食べられないし、家に帰るバスにすら乗れない。金がないと何も楽しむことができない。自分と母親には居場所がないような、何ともいたたまれない気持ちになるのだった ( おかげで金がないと自由にはなれないという意識を必要以上に強く持ってしまった ) 。  働いて収入を...

    2日前

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  • 「やくそく」

     クリスマス前からの娘との約束をようやく果たすことができる。毎朝、朝食を終えた娘が一目散に玄関に行き、背伸びして鍵を開けようとしている背中を見るたびに「ごめんね、これから仕事だから」と申し訳ない気持ちになっていたのも今日で終わりだ。    ニット帽を被り嬉しそうに駆けだしていく娘と手を繋いで、約束の地へと歩いていく。陽射しはあるけど、冷たい潮風が身体の芯に突き刺さるような寒さだ。それでも娘の足取りは軽い。妻と何度か来ているからだろう。そこへの道順も覚えているみたいだ。家から 500 メートルほどのところとはいえ、成長を感じずにはいられなかった。  程なくして小さな公園に辿り着いた。娘が真っ先に駆け寄ったのは、滑り台。二メートルほどの高さがある。段差の大きい木製の階段こそ自分では登れないものの、子供たちが自由に登ったり滑ったりしているのを見て、自分でもやってみたくなったのだろう。抱き抱えて滑り台のスタート地点に坐らせたものの、足が竦んで滑れなかった。それでも自分からやりたいと言った手前プライドがあったのだろうか。そこから頑なに降りようとしない。その時の「パパと来たときに教え...

    5日前

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  • 「身軽であること」

     東京の街をひとり彷徨っている時、マンションやアパートを見上げ「ここにひとりで暮らしていたら」と物思いに耽ることが少なくない。そのとき思うのは、仕事以外の人間関係を断ち切った、孤独な暮らしだ。    おそらく体力を維持する為に日々走り、黙々と仕事に打ち込むだけの毎日になるだろう ( 実際、離婚後に東京でひとり暮らしをしていた時はそうだった ) 。それはそれで幸せだったかもしれない。もともと孤独や淋しさに対する耐性は強い方だと思う。 だからひとりで文章を書いたり(上手い下手はともかく)、走ったりするのが(これも速い遅いはともかく)性に合っているのだろう。自分以外に責任もない。大切な人との別れという我が身を引き裂かれるような痛みや淋しさを味わうリスクもない。言うなれば「身軽」な人生だ。そこには同時に胸の中を風がすーすー音を立てて通り過ぎていくような空虚さもあるのだけれど。  なぜそんなことを考えるのかと言えば、それが今の僕にはないものだからだろう。友達こそ少ないけれど、仕事でつながった中にはもはやそれ以上に大切と言える人たちもいる。何より僕には妻がいる。娘がいる。そして今暮らし...

    2018-01-10

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  • 「ひざこぞう」

     年末、仕事帰りに横浜にある妻の実家を訪れたときのことだ。クリスマス前から帰省している妻と娘の顔を数日ぶりに見ようと胸躍らせて部屋に入った僕の目に飛び込んで来たのは小さなひざこぞうに滲む瘡蓋だった。娘のおむつを替えていた妻に「どうしたの?」と聞いていた。返ってきたのは「昼間、散歩をしていた時に転んで擦り剥いたの」という聞くまでもなかったような答えだった。確かにちょっと考えれば想像がつく。にもかかわらず思わず聞いてしまったのはそれが初めてのことだったからだ。  散歩中に転ぶこと自体は初めてでもなんでもない。ただいつもは砂浜を歩いているので派手に転んでも擦り剥いたりすることがなかったのだ。 「こっちはどこ行ってもアスファルトだからね」と妻がひざこぞうを撫でながら言った。    これも都会の洗礼という奴なのだろうか。僕も妻も膝には子供の頃の傷跡が残っている。たまに膝の綺麗な人を見ると「大事に育てられたんだろうな」と思っていたけれど、ひょっとしたら娘みたいに砂浜や土の上ばかり駆け回っていた田舎育ちなのかもしれないと今は思ったりもする。  ともあれ、女の子なので ( という考え...

    2018-01-08

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  • 「美しい畑」

     去年からの悩みの種は、始めて7年目になる畑だ。プライベートのほとんどを生まれたばかりの娘に向けていたおかげでなかなか手を掛けられなかったこともあるけれど、正直自分の中で飽きてしまいモチベーションを保つことができなかった。同じ農作業で言えば地元の方々と始めた棚田の方が新鮮な発見と感動に満ち溢れていた。  それで収入を得ているわけではないので、飽きたのならばやめてしまえばいいという選択ももちろんある。けれど単なる趣味かと言われればそれも違うような気がしている。走ることと同じで自分が生きていく上で必要不可欠な営みというか、心身ともに元気なうちは土に触れていないといけないという思いがある。    どうして飽きたのか考えているうちに、この環境で育てられるものは大方育てたこと。育てられるようになったことが理由だと分かった。仕事にして売っているのならば顧客の「もっとおいしいものを、もっと売れるものを」という向上心ががモチベーションとなっているのかもしれないけれど、自分で育てた新鮮なものを家族と食卓で、という喜びだけでは続けられなくなってしまったみたいだ。  そんなことを頭の片...

    2018-01-05

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  • 「ンぱい!」

     娘に晩ごはんを食べさせながら晩酌をするのが習慣化したせいだろうか。 ビールを指差して「パパ!」と言ったり、飲みたがったりするようになったので、娘に持たせたお茶とグラスを重ねて「乾杯!」と始めたところ、いたく気に入ったらしい。最近では僕がビールを飲んでいなくても、ましてや朝食でも昼食でも、そして何度もお茶を手に「ンぱい!」と強要されるようになってしまった。しかもテーブルにいる全員とやらないと気が済まないらしい。ついには、 「みんなでンぱい!」という新たな言葉まで発し始めた。  年末年始を過ごしていた妻の実家でも相変わらずで、最初はその成長ぶりを目を細くしながら喜んで何度も杯を重ねてくれていた祖父母もだんだん面倒臭くなっているのが、申し訳ないくらいだった。    まるで飲み会で何度も乾杯を強要するハラスメント上司みたいだね、と妻と苦笑いしながらも、「それだったらまだいいよ」と僕は心の中でもうひとつの妄想していた。それは、将来、娘から夜の水商売をやっているという親としてはやや複雑なことを打ち明けられた後、妻と二人で「そういえば赤ちゃんの時から乾杯ばっかりしてたじゃん」と今を...

    2018-01-03

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  • 「始まりの音」

     「終わりの始まり」という茫漠とした不安とともに幕を明けた一年が終わった。「終わりは始まり」にしたいという願いにも似た決意とともに走り出した一年が終わった。    正直言うと腰を据えて振り返る時間はなかった。12月の声を聞くや否や、一年でもっとも忙しい列車に乗り込む。いつもの顔触れが揃っている。ゆるやかにスピードを上げながら最後は分刻み、秒刻みの大晦日に突入する。有り難いことに今年もそうだった。  振り返る暇がないのがとても有り難い。もともと考え過ぎる方なので、静寂の中で除夜の鐘を聴きながら年を越していたら猛省することばかりだったろう。特に今年は良いことも悪そうなことも、答えが出ないまま、出せないまま持ち越してしまったから尚更だ。  そんなことを頭の片隅に置いたまま、今年も長い長いトンネルを抜けた先にある眩しさにも似た18000人の熱狂と光の渦の中で新しい年を告げる音を聞いた。今年もまだしぶとく生き延びることができていることの喜びを強く実感させてくれるその瞬間は何ものにも代え難い。  誓いはただひとつ。  生き延びてやる、しぶとく。

    2018-01-01

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  • 「靴」

     〈苛立つ〉というのもまた、人間の大事な感情のひとつなのだろう。最近、娘が唸っている姿を多く目にするようになった。思い通りにならないと「ぶー」と唸る。危険を察知してその行動に待ったを掛けると「ぶー」と唸る。はっきり言って、かわいくない。    いつからだろうと振り返ってみて、靴を履いて外に出るようになってからだと気づいた。靴が窮屈なんてしょうもない言葉遊びを子供の頃にしていたことを思い出したけれど、外の世界を自分の足で歩く自由の喜びを知ってしまった娘にとってもはや家の中は窮屈に違いない。その証拠に最近は玄関で背伸びしてドアの鍵を開けようと踏ん張っていることも多い。外に出たい。でも、出られない。連れ出してやりたいのはやまやまだけれど、三浦半島の沿岸部であるこの辺りには強い寒波による強風が吹き荒れているのだ。陽射しこそあれど窓の外の大時化を見ると浜に連れていこうとはどうしても思えない。それでも娘は背伸びして開けられない鍵を掴み「ぶー」と唸り続けている。  いつか七夕の短冊に幼稚園の子供が書いていた「外の世界にいきたい」という願い事を思い出した。  人が〈自由〉と同時...

    2017-12-29

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  • 「僕のスピード」

     自分の仕事の大半が誰かのスピードに合わせて走ろうと努力することで成立していることを改めて感じる。師走に限ったことではなく。    自分以上のスピードで走る誰かに合わせることで自分以上のスピードで走れることもあれば、ペースについていくことができず苦い思いをすることもある。  一方で僕自身のスピードに合わせて貰うこともある。あるのだけれど、気がつけば遅いと思われないようにやっぱりいつも以上のスピードで走っている自分がいるかと思えば、力を抜き過ぎてそのふがいなさに自省したりすることもある。  仕事以外に、畑に植えた野菜の生育スピードもある。これは完全に相手に合わせなければならない。仕事が忙しいときは早すぎると感じるし、発芽のときはなかなか見えない成長を前に足踏みしているだけの時もある。  今年はそれに子育てが加わった。これもまだまだ完全に子供のスピードに合わせなければならない時期なのだろう。朝ごはんに1時間も掛かったり、着替えに30分も掛かったり、靴を履いて出掛けるのに10分も掛かったりするけれど、黙って見守っているしかない。しかもひとりのときもあれば、妻と二人三脚...

    2017-12-27

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