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  • 「充電切れ」

     愛情ってスマホみたいに充電するものだったんだと気づかされた。例によって、娘という生き物を観察していての話だ。    週に5日、朝の八時から夕方五時までの九時間、僕らの手を離れて保育園で過ごす娘は、機嫌の良い時と悪い時。元気のある時とない時。淋しくて泣いてしまう時と笑って手を振る時の差が激しい。その原因が親の愛情の充電状況にあると娘の表情を見ているうちになんとなく気がついた。理屈なんか何もないのだけれど。  週末に3人でたっぷり遊んだ週は愛情の充電ができているのだろう。保育園の送り迎えもスムーズだし、家にいる時も機嫌が良い。よく笑うし、よく喋る。妻の出勤日で朝晩が僕と2人きりでもママを思い出して泣いたりすることなく楽しそうにしている。    先週はそうじゃなかった。僕が自宅にはいるにもかかわらず脚本の締め切りで丸3日間、肉体的にも精神的にも籠もっていたこと。その間、妻はひとりで家事をこなしながら娘を見ていたのでしっかり向き合えなかったこと。そこに娘の夏風邪という事態まで重なってしまい、3人で笑って過ごす時間がほとんどなかった。3人とも余裕がなかった。  そんな週末を経...

    7時間前

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  • 「たまには自分を褒めてやろう」

     以前は走れていたスピードで走れ なくなった。以前は走れていた距離を走れなくなった。まだまだずっと後ろにいると思っていたランナーたちが次々と追い抜いていく。焦っても、悔しさで叫び出しそうでも、泣きたくても、周囲の目を気にしてただ苦笑いしている自分がいる。  箸を使ってごはんを食べるだけで、歯磨きが出来ただけで、はたまた新しい歌を覚えただけで、みんなに褒められる1歳の娘と違って、もうすぐ50歳の僕は何もかもできて当たり前としか思われない年齢だ。だからこそできないことばかりが目につく。自分でもそうなのだから他者から見ればもっとなのだろう。この人こんな年にもなってまだこれができないの? まだこれが分かっていないの? そんな風に思われているのが手に取るように分かる。しかもそこに以前はできたけどだんだんできなくなっていたという退化も加わっている。    そんな中での子育てという未知なる取り組み。最初から何もかもできるはずがないのに、できて当たり前という過信の中、できない自分を目の当たりにして自己嫌悪に陥る。やがて娘にもこう思われる日が来るのだろう。この人、親なのになんで ちゃんとし...

    3日前

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  • 「盆休み」

     海に続く小径に日焼けした子供たちの笑顔が溢れている。供花を手にしたお年寄りがそれを嬉しそうに見守っている。沖には伊豆半島側から出航したと思しき何艘ものヨットが見える。何より平日の昼間は人よりも猫の方が多い海辺の町が賑やかだ。134号線を走る車列もいつもより多い。そうか、世間的にはお盆休みなのか、と月曜になってようやく気づいた。  一年中宿題を抱えた夏休みの小学生みたいな僕はともかく、春に職場復帰した妻も今年は休んでいない。夏休みは今僕が抱えている大きな案件が終わった9月に家族揃って取る予定だ。なので、その朝も娘を保育園へ送って行った。夏休みもお盆休みも関係なく子供を預かってくれる保育園というのは本当に有り難い。 何があっても笑って対応してくれる保育士さんたちがいなければ僕も妻も仕事なんかしていられないといつも思う。本当に感謝しかない。しかしこの時期は両親が休みを取っている家庭も多いのだろう。登園している子供の数もいつもより大幅に少なかった。「そうか、お盆休みなのに遊べなくてごめんね」と申し訳ない気持ちで自宅に戻り仕事に取り掛かろうとした矢先に電話が鳴った。 「鼻水がすご...

    5日前

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  • 「模倣の神様」

     1歳8ヶ月の娘、最近「お買い物」に興味と憧れを抱いている。今朝も図鑑に乗っている青い歯ブラシを差して「あおいはぶらし」、黄色い歯ブラシを差して「きいろいはぶらし」と知識を確認した後「かいにいく」と言い出した。  子は親を見て育つ。と言うけれど、そもそも僕らはそれほど買い物をしない。その姿を娘に見せた回数になるともっと少ない。今週で言うと二回。養鶏場に卵を買いに行った時と 浜で夕焼けを見るついでに馴染みの老夫婦が営む近所のよろづ屋 ( 本当になんでもある ) で娘のバナナと僕のビールと魚肉ソーセージを買ったときくらい。妻に至ってはゼロだ。  少ないからこそもっとしてみたいと思っているのだろうか。そもそも娘は親が買い物の多くをネットショッピングで済ませているという事実をまだ知らない。娘が自分で買い物をするようになる頃にはもっとネットショッピングが進んでいるだろうからそっちを見せた方がいいのかなと妻に相談したら、「ネットショッピングが進むからこそこれからは小規模な実店舗での買い物が重要になるんだよ」とシンクタンク勤めらしいことを言われてしまった。  娘のお買い物は専らご...

    2018-08-13

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  • 「夏の想い出」

     ひと夏の恋なんて話が昔からあるけれど、本物の恋は短いと言われるように、 本物の夏も短い。本物というか、旬と言うべきか。今年は梅雨明けが早かったから長いように思っている人も多いかもしれないけれど、海辺の町でいう夏はただ暑ければ夏というわけではないらしい。夏の海こそ夏なのだ。そして夏の海はとても短い。7月はまだ水が冷たいし、陽射しで海水が暖められた8月の海もあっという間にクラゲのシーズンに入ってしまう。いわゆる夏の海は長くても三週間、短い年だと二週間という印象だ。    週末は2日とも家族で海水浴をした。初めてのライフジャケットを着て浮き輪をつけた娘はとても誇らしげに浜に続く小径を歩いていく。見慣れた海に出る。子供たちが浮き輪をつけて波にちゃぷちゃぷ揺られている様子を興味深そうに見つめている。  淋しくもなく、騒がしくもない程良い人出だった。比較的波が高くないエリアにテントを張ったら僕だけ一足先に灼けた砂の上を飛び跳ねるように走って海に飛び込む。どれだけ冷たいか、どこから深いかを妻と娘の代わりに見に行くというのは単なる口実で、本当は家族の誰よりも僕自身が海に入りたかった...

    2018-08-10

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  • 「生きる力」

     横断歩道を渡るときに手を挙げること。熱中症にならないよう水を飲むこと。箸の持ち方。歯を磨くこと。トイレでのうんち。また朝が来たことの喜び。海の広さ。夕焼けが美しいこと。ありがとう。いただきます。ごちそうさま。一緒にいられないときも君のことを想っていること。    娘に日々伝えていること。僕らにとっては当たり前のあれこれが、すべて「ひとりで生きていく力」になるんだとある日突然気がついて、その責任の重さに少しだけ頭がクラクラした。 この地球上に存在していなかった 人間をひとり預かっている、というのは今までの人生の中で背負ったことのない重責だ。  だけど僕自身はお世辞にもそんな重責を負えるような人間じゃない。今朝だってそうだった。睡眠不足。煮詰まったままの原稿。それらすべてが誰のせいでもない自分自身の力の無さだと頭を叩き割りたいくらい分かっているからこそなお煮詰まる。ふて寝してしまいたいと思いながらも、出勤する妻を泣き喚いて見送る娘をあやし、朝食を食べさせなければならない。着替えさせ、歯を磨かせ、検温し、日焼け止めを塗って、連絡帳を書いて保育園に送らねばならない。頭を切り替え...

    2018-08-08

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  • 「割れた玉子で作った卵料理と割った玉子で作った卵料理」

     玉子はいつも近所の養鶏場で買う。その日の朝、産み落とされたばかりの卵だ。新鮮だけどスーパーの玉子みたいに頑丈なパックには入っていない。ビニール袋に十七個ごろんごろんと詰めてある。だから割れないように注意して持って帰るのにいつも神経を使う。  その玉子を妻に託し、洗面所で手を洗っていた時だ。耳馴染みのある悲鳴が聞こえた。やっちゃったな、と思った通り、台所に行くと買って来たばかりの玉子が床に落ちていた。幸いビニール袋に入ったままだったので洩れることはなかったが、袋の中は黄色い玉子液でいっぱいになっていた。 「落としたのが娘じゃなくて良かった」と僕は引き攣った顔で笑うしかなかった。 「何個無事かなあ?」と落ち込んだ妻が袋の中身を笊で濾して殻と玉子液に分ける。5個が無事で12個が割れていた。 「ミスは誰にでもあるよ」  そう言って妻を慰めた1時間後。僕自身に仕事上のミスが発覚した。息が詰まって、生きた心地がしなかった。すぐに妻にも話した。玉子の一件で落ち込んでいた妻が今度は「大丈夫だから、何があっても味方だからね」とやや大袈裟に励ましてくれた。  リカバリーすべく、午後の電車...

    2018-08-06

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  • 「広がり続ける宇宙のことなんて僕は何も分かっていない」

     分かることが増えると、分かっていないことも明確になってくる。    自分の写真を見て「つむちゃん、ごはん食べてる」などと自分が何をしている時のことかを答えるようになった娘に赤ん坊の頃の写真を見せたときのことだ。「誰?」と訊いたら「赤ちゃん」と答えた。「君だよ」と言っても「違う」「赤ちゃん」と首を振る。どうやら保育園にいる赤ちゃんを妻が抱いていると思ったようだ。自分は「おねえさん」だと思っている娘は自分がほんの少し前まで赤ちゃんだったことを理解していない。そもそもそのほんの少し前という概念が分かっていない。考えていない。過去を振り返らない。未来に思いを馳せたりもしない。あるのは今この瞬間だけだ。2、3ヶ月前のことなら体験として記憶しているが、決して時間軸の中で思い出したり、懐かしんだりはしない。あれが好きとか、またやりたいという今の欲望とともに過去を引っ張り出して来る。  人はいつから「時間」という概念を知り、それに縛られて生きるようになるのだろう。この命がいつか必ず消えてなくなること。すなわち死ぬことを理解した時だろうか。だとしたら人はそこでら死に向かっての時計が動き出...

    2018-08-03

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  • 「今年の蝉は」

     保育園の園庭に楡の木がある。7月の終わりの朝、いつものように娘を送っていくと蝉が大合唱を始めていた。    陽射しはずっと強かったし、海の冷たさのおかげで暑さを乗り切れるという日々だったけれど、これでようやく夏本番という気持ちがした。夏というジグソーパズルの最後の1ピースが揃ったみたいに。  蝉が鳴かない夏は、なんて迷信や言い伝えが昔からあるけれど、蝉の合唱が聞こえない夏はやっぱりなんだか物足りない。夏の海も、畑のある里山も、夏の甲子園も、誰もいない夏の校舎も、そこに蝉の鳴き声が聞こえないと、笑い声が足されていないバラエティ番組みたいに味気ない。今年東京では蝉の声を聴いていないなんて話しも訊くけれど本当のところはどうなんだろう。  同時に蝉の声を聴くと、夏の終わりの予感もして、心の中に秋風が吹き抜ける。木の根元などで見る空蝉のせいだろうか。もののあわれの象徴とも言われる彼らの刹那がそう思わせるのだろうか。蝉は7年間サナギとして地中で過ごし、地上に出て鳴き始めてから一週間でその命を終えると子供の頃に訊いた。実際には1ヶ月くらい生きているそうだけれど、それでも短い。 ...

    2018-08-01

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  • 「いま、なにしてるの?」

    「いま、なにしてるの?」と娘が訊く。  PCのキーボードを叩きながら「お仕事だよ」と僕は答える。   「いま、なにしてるの?」と娘が台所にいる妻に訊く。 「ごはん作ってるのよ」とカボチャのスープを味見しながら妻が答える。 「いま、なにしてるの?」と娘が訊く。 「ニュース見てるんだよ」とテレビの台風中継を見つめながら僕は答える。   「いま、なにしてるの?」と娘に訊いてみた。 「ヨーグルト食べてるの」と娘は答えた。その目は僕が見ていた台風中継を見つめていた。激しい風雨。高波に揺れる漁船。転がっていく傘。ここではないどこかのいま。  娘は今、自分が生きてるこの世界の現実を少しずつ理解している時なのだと育児書に書いてあった。理解していないからぬいぐるみのクマともお話していたりする。 「いま、なにしてるの?」という言葉はその欠片を手繰り寄せる為の呪文なのかもしれない。  台風のニュースを見つめながら、ここではないどこかの誰かを思う僕らの気持ちが、こんなに小さな頃から芽を出し始めていたことを知った。 「いま、なにしてるの?」

    2018-07-30

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