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  • 「親孝行」

     孫を抱かせることが親孝行だなんて思ったことは一度もない。親の為に家を建てたり、海外旅行に連れて行ったりという経済的な恩返しこそが親孝行だと刷り込まれて育った世代だからかもしれない。だから上記の3つのうち孫を抱かせるくらいしかできていないのはふがいないことだと今でもどこかで思っているし、後ろめたい気まずさもあった。  妻と娘を初めて実家 ( というより両親が暮らす家だ ) に連れて行った。僕自身、足を運ぶのは7年ぶり。と言っても遠方の離島に住んでいるわけではない。同じ神奈川県内にある車で一時間ほどの借家だ。一番下の妹は何年か一緒に暮らしていたらしいが、18歳で親元を離れた僕にとっては何の想い出もない町であり、家だ。    僕はともかく、結婚から5年以上経っても妻を実家に連れて行かなかったのには理解され難い理由がある。ひとつは家族を他人に見せるのは自分の裸を見られること以上に恥ずかしいと子供の頃から思い続けていた僕のちっぽけなプライド。そして同じようにふがいない自分を見られるのを好まない父の世帯主としてのプライドだ。だから結婚の挨拶の時も、妻と両親を引き合わせたのは実家近...

    22時間前

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  • 「本という種を蒔く」

     実を言うと他人に本や音楽を薦めることに抵抗があった。ひとつには自分を曝け出すのが恥ずかしいという思いが。もうひとつ自分には気がつけばベストセラーやヒット曲といった多くの人が好んでいるものとは違うものに強い共感を抱く傾向があると知った時点で、どうせ分かって貰えないだろうという諦めがあった。   そこにマスメディアで仕事をしている自分自身の限界も感じていた。たとえばハリウッド映画的な大ヒット作品をともすると同調圧力のように感じてしまう自分にヒットするものが生み出せるはずがないだろうと。  そんな人間が夫婦出版社アタシ社が主催する「逗子ブックフェア」に参加させて頂いた。テーマは「10代の自分へ」。15人のセレクターが10代だった頃の自分に読んで貰いたい十冊を選書し、それを5冊ずつ手売りするという一日限定の青空書店だ。  早朝の嵐が嘘のような秋の陽光の下、湘南蔦谷書店のダンボールに詰められて届いた五十冊の本を屋台のような店頭に並べる。10代だった頃に出合い、足下を揺るがすような衝撃を受け、心に染み込み、やがて僕自身を形成する血肉となっていった本ばかりだ。まさかこういう形で人に...

    3日前

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  • 「ねんね」

     乳児は「ミルクが飲みたい」という根源的な生の欲求をどのような身体表現、そして言葉で親に伝えるのだろう。  生まれたばかりの頃は泣くこと。ベビーサインなるものを知ってからは手をグーパー握ったり開いたりすること。    娘は今「ねんね」という言葉でそれを伝える。寝るときに「ねんねしようね」と妻がベッドに連れていっていたのだけど、授乳しながら眠るうちに「母乳を飲むこと」がイコール「ねんね」という言葉だと誤ってインプットされてしまったみたいだ。今更、それは間違いだよ。「ねんねは眠ることでミルクを飲むことじゃないんだよ」と訂正したところでまったく通じない。  おかげで夜じゃなくても、家じゃなくても、母乳を欲しがるたびに「ねんね」を連発する。「眠いのに連れ出されてかわいそうね」という周囲の視線を感じることもある。いやいや、そうじゃないんです。さっき昼寝したばかりだし眠いわけじゃないんです。母乳が飲みたいだけなんですという言いたくても言えない思いが澱のように溜まっていく。  一方で助かることもある。大声で「おっぱい」と泣き叫ばれたら恥ずかしい気持ちになるような場でも「ねんね」...

    5日前

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  • 「僕がまだ上手にできないこと」

     他人との関わり方は自分を写す鏡だと思う。反応が正直で素直な子供だと尚更そう感じる。    朝食の後のことだ。洗い物と掃除を済ませて、早く仕事に取りかからねばと焦る気持ちで食器を洗っていた僕のところに、娘が満面の笑みを浮かべて歩み寄って来た。よちよち歩きというより酔っ払いの千鳥足だ。手には折り詰めの代わりに絵本を手にしている。「読んで」のサインだ。しかし、焦っていた僕は「忙しいから後でね」とぞんざいに追いやってしまった。  その場に坐り込み、淋しそうにひとりで本をめくる小さな背中を見て、罪悪感に駆られた。自分の心の余裕の無さに溜め息をついた。  実はこれが初めてではなかったのだ。娘に朝食を食べさせた後、残っていた自分の朝食を食べていた僕はこの時も嬉しそうに絵本を持って来た娘に告げていたのだ。「ごはん食べてるから後でね」。だから彼女にとってはこの時が約束の「後でね」だったに違いない。  別の部屋を掃除したりベッドメイクをしていた 妻にそのことを話したら「可哀想だけど、仕方ないよ」と笑ってくれたのがせめてもの救いだった。  が、その日、仕事先で娘が珍しく熱を出した...

    2017-11-10

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  • 「盛者必衰」

        三連休は神社の境内から聞こえるお囃子が町内に鳴り響いていた。七五三の大祭だ。宵宮には町内会の模擬店も出て、賑わっていた。境内ではしゃぎ回る子供たちをビールに焼き鳥を手にした大人たちが微笑んで見守っている。ここで暮らし始めたばかりの頃は七五三の大祭に直接関係する子供と家族以外の住民が集まって賑わっていることの意味が正直良く分かっていなかった。だけど今は分かる。子供は集落のみんなで育てるものというのが昔からの常識として根強く生き続けているからだ。  そんなこの集落も含めて三浦半島では人口が減少し続けている。自治体は子育てしやすい町を売り文句に子育て世帯の移住を画策しているけれど、それだけじゃダメなんじゃないかというのがここ数年思っていることだ。    その根拠が近い将来、日本の人口の半分が単身者になるという予測だ。これは人口の4割に相当する高齢者よりも多い。日本は「高齢化社会」というよりも「単身者社会」なのだ。地方の人口が減少しているのは単身者が利便性が高い都会に集中しているからに他ならない。そして地方が単身者にとって居心地の悪い場所だからに他ならない。  単身者...

    2017-11-08

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  • 「ぎゅっ」

     娘がフランス語を喋るようになった。正確にはフランス語に近い発音の幼児語だ。ブとかビとかバなどを鼻から抜けるような発音で繰り返されると日本人の僕らの耳にはそんな風に聞こえてしまう。僕らの言葉は相当理解できるようになっているので ( 都合の悪いことは聞こえないフリをして無視することも覚えた ) 、何かを伝えようとしているのかもしれないけれど、今のところ意味は分からない。  もちろん、通じる言葉もある。ママ、パパ、マンマ、ねんね、いた、タッチ、クツ・・・自分の口から発せられた新しい言葉が僕らに通じることを確認して、嬉しそうに脳内の引き出しに仕舞い込む姿は日々当たり前のように使っている言葉の素晴らしさを再認識させてくれる。    中でも感動したのは「ぎゅっ」という言葉だ。娘に読み聞かせるようになって知ったのだけれど、絵本には「ぎゅっ」とか「ぎゅっぎゅっ」とか「ぎゅうぎゅうぎゅう」というタイトルのものが数多くある。娘の絵本棚にも頂いたものだけで三冊並んでいる。どの作品にも「ぎゅっ」という3文字の言葉と絵で次の2つがシンプルに表現されている。 「抱きしめられることは愛されていると...

    2017-11-06

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  • 「釣瓶落とし」

     海に夕陽が傾き始めた頃、山側の神社からは七五三の祭礼に向けた太鼓の音が聞こえて来た。もう十一月なんだなと独り言ちる。そういえば二度目の台風が過ぎた日の午後には最初の木枯らしも吹いていたっけ。 「散歩行こうか」  原稿の手を休め厚手のジャンパーを羽織ってから、絵本を読んでいた娘を抱き上げた。ずいぶん重くなった。これからの季節は気をつけないと腰を痛めてしまうかもしれない。 「なら靴も履かせてあげてね」  台所でふろふき大根を煮ながら妻が言った。収穫が始まったばかりの三浦大根だ。出汁が芯まで染みこんでも煮崩れない。  靴下、そして靴を履かせる。頭を冷やさないようにとニット帽もかぶせたが、こちらは嫌がって脱いでしまう。やれやれ。    娘を抱いたまま134号沿いを海に向かって歩く。家々の庭で柿の実が熟している。おそらく半分以上は鳥たちが食べるのだろう。ここ数日、僕らも夜のデザートは頂き物の完熟柿だ。人間も動物も同じ季節の恵みを頂いて生きていると思うなんだかより親近感が沸く。言葉が分かるようになったら鳥に向かって手を振っている娘にも教えてあげようと思った。  浜に...

    2017-11-03

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  • 「教わることばかりだ」

    「母乳原理主義」という言葉があるそうだ。やっぱり母乳じゃなきゃ。とか粉ミルクなんて邪道だ。母乳じゃないと母子間の愛情が育たない。などという〈完全であること〉を求める言葉で他人を追い詰めて縛り付ける現代の風潮のひとつだ。「おっぱい右翼」などとも言うらしい。  うちは初期段階で粉ミルクと母乳を併用し始めた時からこれでいく、と話し合っていた。粉ミルクなら僕もあげられるし、今日は粉ミルクと決めたら妻とお酒を飲むこともできる。母乳もいつまで出るか分からないしね、と妻も賛成していた。    ところが、だ。肝心の娘が粉ミルクを飲みたがらなかった。あらゆるメーカー、あらゆる哺乳瓶の吸い口を試したけれど、ほとんど飲まない。もしも母乳が摂取できていなければ諦めて飲んだのかもしれないけれど、そういう状況にはならなかった。やがて哺乳瓶と粉ミルクは非常持ち出し袋に仕舞い込まれた。娘は母乳だけで育ち、離乳食を始め、1歳になった。  そして娘は「母乳原理主義者」になった。  離乳食を始めてからの方が母乳の頻度が増えた。以前はきっちり三時間おきだったものが、口寂しくなったら、転んだら、眠くなった...

    2017-11-01

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  • 「女らしさ、男らしさ」

     女だったから「鉄の天井」にぶつかった、と都知事は今回の選挙を振り返っていた。女性議員の割合は10%を僅かに越えただけだったと新聞は報じていた。 2020 年までに ( 猫も杓子も 2020 年までにという目標設定はどうなんだろうと思うのだけれど ) 指導的地位にある女性を3割にするという政府目標を大きく下回ったという評価とともに。  昨年4月に施行された「女性活躍推進法」という10年間の時限立法 ( 10年間で結果を出すことが求められているということだ ) を履行する為に、全国の自治体で有識者と市民代表による「男女共同参画会議」というのが定期的に行われている。「子育てや介護で働きたくても働けなかった女性に社会に出て貰うことで減少している労働力を確保すること」が主な目的だ。僕も委員をさせて貰っているのだけれど、今ひとつ腑に落ちていないのはこの法律を履行するにあたって行政が設定した「数字的な指標」だ。  国会議員で言えば、果たして女性議員を3割にすることに本質があるのだろうか。女性議員を増やしたことで政治にどんな変化があるかの方が大事なんじゃないかと考えてしまいがちなのだけれど違うんだろう...

    2017-10-30

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  • 「佐島産か、モーリタニア産か。」

     選挙報道の影に隠れ、全国ネットのニュース等であまり報じられることはなかったけれど、台風21号による高潮で太平洋側の漁港などでは大きな被害を受けたところが少なくない。  僕の住む町でも事前避難により人的被害こそなかったものの、漁船が転覆したり、漁具が流出したり、港や浜に大量のゴミや漂着物が溢れるなどの爪痕が残された。しかも停電と重なって清掃作業が迅速に進まなかったりしている。    農漁村で暮らしていて強く感じるのはこういう時に国や自治体は何もしてくれないという当事者たちの諦めにも似た空気だ。選挙なんて関係ないと言われても仕方がないような空気だ。これが第一次産業しかない町の現実なのだろうか。10年ほど前こそ食糧自給率を上げることが国の大きな目標にされていたこともあったけれど、今の政党にそれを声高に叫ぶ政治家は僕が知る限りいない。もはや公的資金を投入してまで第一次産業を成長させようという考えは消えつつあるのだろうか。それよりは大きな税収が見込める観光などのサービス業や自動車やAIなどの工業に投資していくのだろうか。日本も食料はおろか飲み水さえも外国からの輸入に頼っているシン...

    2017-10-27

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