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  • 「僕が生きる世界、彼女が生きる世界」

     僕の目に映っているもの。それが僕の世界だ ( 少なくとも僕はそう定義している ) 。だから僕の世界とあなたの世界は違う。たとえば同じ音楽をかっこいいと感じる人もいれば、うるさいと感じる人もいるのと同じように。同じ時代に同じ環境で生きていても、右に傾く人と左に傾く人が生まれるのはそのせいだろうし、それは健全なことだと僕は思う。  学校に馴染めなかったのは、本来ひとり一人違うものであるはずの世界を、国家が決めたひとつの世界に閉じ込めようとするところだった。もちろんそう思わない人もたくさんいるだろうが、少なくとも僕の目にはそういう風に映っていた。その価値観は今も僕の世界の一部になっている。    僕が生きる世界は物心ついた時から「不自由さ」に満ち溢れたものだった。吃音のおかげで自由に喋ることができなかったこともそうだし、団地暮らしで自分の部屋がなかったことも、毎月やり繰りに苦労している母を見ていて「うちには金がない」と感じていたこともその原因だろう。そして、頭の上を昼夜問わず米軍の訓練機が爆音を轟かせて飛んでいたことも。ちなみに同じ環境で育った弟や妹は世界が少しも不自由だなんて...

    1日前

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  • 「鏡の中のもうひとりの私」

     イラストレーターの五島夕夏さんに『つきのぼうや』というロシアの絵本を紹介して貰った。海に映った月をもうひとりの自分とは気づかぬまま「友達になりたい」という願いを抱いた、孤独なお月様の話だった。 そういえば子供の頃に読んだ『かがみのなかのぼうや』というイギリスの児童書も鏡に映ったもうひとりの自分とは気づかぬまま話をしている男の子の物語だった。 僕らはいつ鏡の中の人間が自分自身であると認識したのだろう。そもそも「鏡」というものが前に立った者の姿を映し出すものだという真実をいつどのように知るのだろう。  もうじき六ヶ月になる娘はどうやらまだ鏡の真実に気づいていない。僕や妻に抱かれた赤ん坊が鏡に映ってもそれが自分であると言うことを認識していない。していないから鏡の中の赤ん坊に向かって楽しそうに笑い掛けたり、話し掛けたりしている。何度も手を伸ばして触れようとする。でも、指先に触れるのはいつも冷たい壁だ。決してその向こう側に入り込むことはできない。閉じ込められて可哀想だと同情したりするのだろうか。向こうから見ればこちら側が出ていけない可哀想な存在なんじゃないかなんて考えたりするのだ...

    3日前

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  • 「捨てられる男たち」

     明治維新とともに、それまでの価値観を全否定された武士たちがいた。  敗戦とともに、それまでの正義を全否定された軍人たちがいた。  原発事故とともに、それまでの信頼を失った企業戦士たちがいた。  そして今、女性活躍推進法により、それまでの常識が全否定されていることにまだ気づけていない男たちがいる。      市の男女共同参画会議に委員のひとりとして出席したときのことだ。 「若い娘にお茶を煎れて貰った」などの問題発言に対する女性からの告発事例やセクハラやパワハラ、男女共同参画社会について座学で研修を受けさせられている管理職世代の男性の話を聞いた。  哀しいな、と思った。変化し続ける時代の空気が読めないばかりに「人が嫌がることをしない」とか「その人が何を嫌がるか想像しましょう」「生き方も働き方も人それぞれ」というたわずか三つの文章の確認で済んでしまうような、そして幼稚園や小学校でも教わったようなことを、成熟した大人がひとつ一つ事例を挙げられながら学んでいる姿を想像したからだ。貴重な時間やお金まで掛けて。    彼らはかつて社内でも家の中でも、あるいは電車の中で...

    6日前

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  • 「本を読む人」

     ひとりで本を読むようになったのはいくつの時だっただろう。赤ん坊の頃には読み聞かせもして貰ったと思うけれど、記憶の底に沈殿してしまっていて今となっては掘り起こすことはできない。その後3歳のときには弟が、6歳のときには妹がそれぞれ生まれていたから割と早いうちにひとりで本のページを捲り、想像の向こうに広がる無限の世界を旅する習慣がついていたのかもしれない。  それは40年以上たった今も変わらない。ひとりで暮らしていたときはもちろん、結婚して二人暮らしになった後も ( 妻も本を読む人だった ) 、子供が生まれて三人暮らしになった今も、気がつくと部屋の片隅で本を広げ、何もかも忘れて読み耽っていることがたびたびある。    そんな僕らの姿を見ているからだろうか。娘に絵本を読み聞かせていると、次第に自ら本に手を伸ばしてくるようになった。  先日、渋谷のラジオに出演して頂いた絵本作家のごとうゆうかさんに頂いた『よんでみよう』(娘はこの本がかなりのお気に入りだ)を読んでいた時もそうだった。「自分で持ちたいんじゃないの?」と妻に言われ、まだちょっと重たいんじゃないの、と思いながらページを広げたま...

    2017-03-22

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  • 「まんをじして」

     生きることは食べることだ。僕らは誰もが食べて、生きる。うれしいときも悲しいときも、死にたいくらい落ち込んだときも、最後はやっぱり食べている。すると血の巡りが良くなって、生きる力が湧いてくる。心が泣いていても、顔で笑っていれば楽しいと勘違いした脳が幸せを感じる物質をバーゲンセールみたいに放出してくれるように。すべての動物にとって食べることが生きること。すなわち生命を維持する唯一の方法だからだ。    この地球で生きとし生ける誰もが毎日当たり前のようにやっている「食べる」という行為を人が初めて行う瞬間に立ち合った。   娘だ。生まれた瞬間に呼吸することを憶え、臍の緒を切った数分後には助産師さんの腕に抱かれ、哺乳瓶でミルクを飲んでいた。誰に教わるでもなく本能的に。お腹が空いたら泣き、母乳を飲む。その繰り返しだけで五ヶ月以上生きている上に、どんどん成長している。考えたらすごいことだと思う。「明日から牛乳だけで五ヶ月生きてみてよ」と言われても、精神面だけでなく身体面から言って不可能な話なのではないだろうか。  なんて話はさておき、娘だ。母乳を別にすれば、彼女には最近まで食欲がなかった。...

    2017-03-20

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  • 「地獄からの使者」

     久し振りの畑だった。  秋からの五ヶ月は正直娘に掛かりきりで、ほとんど畑に手が回っていなかった。ようやく時間を見つけて夏野菜の種採りと冬野菜のちょっとした収穫、そして春の畑の準備をすることにした。  誰もいない里山の畑はいつもながら静けさに包まれ、頭上の空をゆっくりと漂う雲が切れるぷつんという音さえ耳に届く。菜の花の上を嬉しそうに飛び回る虫たち ( ファーブル的に言えば忙しいのかもしれない ) 。周囲を囲む山の深い緑の間には桃色の春花が顔を覗かせている。  ポットに詰めてきた熱いお茶を一杯飲みながら 頭の中で作業工程をイメージする。畑仕事は絵画や彫刻ととてもよく似ていて、細部と全体を交互に見ていなければならないということを、ベテラン農家さんたちの背中から僕は学んだ。今年は畑にどんな絵を描こう。つまりはどこにどんな畝を作り、どんな野菜を育てるのかを、食べる人の笑顔をイメージして、そして土の状態を見て決めてゆく。  ラジオのチューニングを合わせて、ヘッドフォンで聴きながら作業を始める。原稿を書いているときには不向きだけれど、トークラジオは畑仕事に向いていると思う。畑で身体...

    2017-03-17

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  • 「ひっかき傷」

     猫が爪を立てるのは、狩猟動物であるからだそうだ。共に暮らす人間から安定的に食事を貰えるようになっても、壁や襖などにひっかき傷を作り続けるのはその名残りであり、予期せぬ事態が起きた時に向けての彼らなりの日々の備えなのかもしれない。  ならば、赤ん坊が爪を立てるのは、何の為なのだろう。    最近、生後 5 ヶ月の娘と二人きりで過ごす時間を作るようになった。きっかけは一日に一度は束の間でも妻を育児から完全解放してあげたかったこと。そして母親の顔が見えないと分かると泣き出してしまう娘がせめて僕と二人ならば留守番できるように少しずつでも練習していかなければならないと思ったからだ。このままでは妻の仕事復帰どころか保育園に預けることすら危ういだろう。母乳だけで育っているせいか、娘は母親の顔が30分以上見えないと気づくと命の危険を訴えるように泣き叫ぶ。親戚に母親の母乳と父親が与える人工乳で育っている子がいるのだけれど、父親と二人きりでも生きていくことができるからかそういうことはないという。まあ、それだけが理由だと言い切る根拠も自信もないのだけれど。  まずは、妻を海辺のランニング...

    2017-03-15

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  • 「3.11を知らない子供たち」

     ちょうど1年前の3月 11 日午後2時 46 分、僕は産婦人科にいた。妻が初めての診察を受けているとき、待合室の小さなテレビで追悼式典の中継を見ながら亡くなられた尊い命に手を合わせてから、宿ったばかりの新しい命に逢いにいった。命の連鎖というものを強く感じた瞬間でもあった。  去年の秋に生まれたばかりの娘は 3.11 をまだ知らない。いつも見ている海が大勢のかけがえのない命を奪ったことをまだ知らない。自分が大人になっても尚、収束しない原発事故が起きたことをまだ知らない。そして、このままでは僕らが作ってしまった「負の遺産」まで背負わされてしまうことを、まだ知らない。    娘が生まれてから、「あの日のことを伝えていく」とか「次の世代に何を残せるか」ということがより具体的で現実的な命題となった。親である僕の責任であり義務でもある。どう伝えるか。そして何を残せるかで、彼女が「負の遺産」を背負ってでも、紡がれて来た歴史や自然を受け継ぎたいと思うか思わないかが決まるような気がした。  子供の頃、小学校で『戦争を知らない子供たち』という歌を何度も歌った。弾き語りの得意なフォーク全盛期に...

    2017-03-13

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  • 「歴史と伝統のある町で」

     海沿いの国道を数分歩いたところにある浄楽寺という寺社に五体の仏像が鎮座している。東大寺南大門の金剛力士像を代表作とする鎌倉時代の仏師運慶の作だ。もちろん五体とも国から重要文化財に指定されている。  この仏像が年に二日だけ一般公開される。先日の春の拝観日も平日にもかかわらず全国からたくさんの方が訪れていた。僕も妻もこの町に住んで5年以上になるけれど、見るのは初めてだった。写真撮影こそ禁止されているものの、奈良や鎌倉などの仏像と違って手で触れられるような至近距離で拝める(もちろん触れるのも禁止だけれど)のにも感動した。おかげでこうした仏像が寄せ木造りであることがありありと分かった。瞳に入れられた玉石の輝きも堪能することができた。欧米でも「東洋のミケランジェロ」と評価されているだけあって900年以上経った今もそこには時空を越える圧倒的な凄みが息づいていた。  改めてこの海辺の農漁村の長い歴史を思い知らされた。  僕が育った町には何の歴史もなかった。そもそもの成り立ちが都市部の人口増加に合わせて山を切り崩してコンクリートで造成してできたニュータウンだったからだ。誰もがどこかから移り住...

    2017-03-10

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  • 「女子の「みんなで一緒にゴールしようね」が今ひとつ理解できない僕が抱く男としての危機感」

     ある女優さんが「家庭を大事にしたい」という理由で引退を表明した。驚いたのはそのことよりも「よくぞ言ってくれた」と賞賛する専業主婦の声が少なからずあったことだ。彼女たちによると「働く女性ばかりが輝いている」という風潮 ( そんな風潮が本当にあるのかどうかは分からないけれど ) の中で肩身の狭い思いをしていたのだという。   では「輝いているとされる働く女性」は肩身の狭い思いをしていないのかというとそうでもない。こっちはこっちで結婚していないとか出産していないということで肩身の狭い思いをしていると聞く。  ならば結婚も子育てもし、なおかつ働いている女性は肩身の狭い思いをしていないのかというと、こちらはこちらで職場や社会で肩身の狭い思いをしているとも聞く。ちなみに今週号の「AERA」によるとこの春には史上最多の女性が育児休業から職場復帰すると言われているそうだ。  選択肢が多数あるからこそ「女性の生き方」は近代の日本において物語になり易いテーマでもある。そして選択肢があるからこそ悩んだり、それぞれがそれぞれの目を気にして肩身の狭い思いをしているのかもしれない。一方で男性が悩まずに...

    2017-03-08

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