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竹田恒泰ブロマガ第七号「教育勅語はなぜ世界で認められたか?」その7
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竹田恒泰ブロマガ第七号「教育勅語はなぜ世界で認められたか?」その7

2012-12-20 13:30
    竹田恒泰
        ブロマガ「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」   ▼第七号 
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                           平成24年12月20日                         
    お題「教育勅語はなぜ世界で認められたか?」
                                    その7
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    教育勅語は儒教の教えに似ているいう人がいますね。
    でも全然違います。「忠」や「孝」という言葉が出てくると、
    一見、似てるような雰囲気はありますね。
    でも全く似て非なるものであります。
     
    それは何故なのか。
     
    教育勅語は、他にも水戸の国学に似ているという人がいます。
    確かに似ているところもあります、同じような言葉を使っていますし、
    水戸の国学風のところもありますよね。
    ですが、水戸の国学とは全然違う。
     
    例えば、よく言われるのは、会沢正志斎の『新論』に似ているという話です。
    『新論』は明治維新の原動力となったともいわれる書物です。
    しかし、決定的に違う点は、水戸の国学は神話から始まるという点です。
    天孫降臨が軸になっているんです。
     
    ところが教育勅語には天孫降臨は出てきません。
    とにかく神武天皇からの話しか出てこないのです。
    教育勅語の神話が登場しないのは、ある意図がありました。

     
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