いい団体でしたよね、キングダム!

……って話とは一切関係なく、映画『ストリート・キングダム』を見て、
リザードになぜそこまでハマれなかったのかをボンヤリ考えてました。

ちょうどボクがパンクに目覚めた頃(85年ぐらい)、モモヨはもう逮捕された後で、
ソロシングル三部作をテレグラフから出したり、
リザードの前身・紅蜥蜴の編集盤をシティロッカーから出したり
(こちらのリリースは80年。どっちも友達のを借りたけど全然ピンとこなかったし、買った友達もピンときてなかった)、
シティロッカーのガールズバンドRAPをプロデュースしたり
(さっきヴォーカルのROUGEさんがTwitterで「正直、私は近い所に居すぎて
『蜥蜴の迷宮』(モモヨ自伝)制作にも関わって深いドロドロも知ってるし、
小学校5年位からモモヨに曲を添削して貰ったり、
RAP 時代はモモヨの実家に5年位住んでたので
当時の辛いことを思い出すかと心配だった」とつぶやいててドキドキした)、
ニコ来日時のインタビューを『DOLL』でやったりしてた(「モモヨは猫の名前!」)
のはよく憶えているけれど、正直もうその時点で過去の人っぽくなってたんですよね。
いわゆるインディーズブームからは完全に外れていて、
まだ伝説のバンド感があったフリクションとか、
別のシーンに移って存在感を発揮していたS-KENとは明らかに違っていたというか。

それでも3rdアルバムのタイトルが
当時好きだったジムノペディアというバンド名の元ネタになってたりとか、
極左パンクバンドREALの吉田シゲオがローディーやってたりとか、
三里塚支援や水俣病モチーフのシングル『SA・KA・NA』を出してたりとか
気になるポイントはあって、
その後、名盤と言われてたリザードの1stアルバムがCD化されて、
かなり期待しながら聴いたら全然パンクじゃなかったわけですよ
(サブスクには音源が存在しないからこちらで)。

https://www.youtube.com/watch?v=uWOKqNKL6IE

音楽的にはテクノポップと初期ストラングラーズの融合というか、
そもそもモモヨがグラムロックを引きずったまま
パンクスとしては長髪だったのもちょっと引っ掛かってた記憶があります。

で、このタイミングで東京ロッカーズのドキュメンタリー映画
『ROCKERS』(79年)を見直すと、
フリクションが明らかに音もヴィジュアルも別格なことと、
いままでになかった全く新しい何かをやろうとしているのが
フリクションとSSとぐらいしかいないことがよくわかるんですよね
(初期8 1/2のピストルズ感は意外と良い)。

https://www.youtube.com/watch?v=YJmIH-sS0xY

ほかは思ったより旧来のロックを引きずっていて、
正直言って音もヴィジュアルも格好悪いバンドだっていくつかあるし、
そんな中でストーンズ的な旧来のロックの良さをあえて捨てずR&Rしている
自殺やSPEEDみたいに後のTHE FOOLSに繋がっていくバンドの人たちは、
それはそれはやっぱり格好いい。
そして、この流れで聴くとリザードは相当ポップなんですよ。

なお、ビデオ化のとき権利の問題でストラングラーズの
出演部分がカットされちゃったんですけど(DVD化のときに復活)、
https://www.youtube.com/watch?v=fv3QOfUaDiI
ストラングラーズ&JJバーネルが当時の日本のシーンに与えた影響は相当デカくて。
リザードの1stをプロデュースしたことも、
東京ロッカーズがオールスタンディングのライブを始めたきっかけみたいに
『ストリート・キングダム』では描写されていたけど、
それもそもそもJJバーネルの意見だったみたいだし、
ストラングラーズ来日公演で席を立つ観客を制圧しようとする警備員と
JJバーネルが揉めたりとか、そういう流れがあってのことだったわけです。

で、リザードの“テクノポップと初期ストラングラーズの融合”な音楽性って、
パンク〜ニューウェーブ系バンドの来日公演の影響が色濃く出た結果
なんじゃないかと思うに至ったんですよね。

ここから、ようやく本題。
70年代に来日したいわゆるロンドンパンクバンドはたったの2つだけで、
ジェネレーションXは演奏のミスもあってかなり評判が悪くて、
それに比べてストラングラーズは短期間に2度も来日するぐらい好評で、
ARBなんかも含めて日本のバンドとも交流を深めたり、
極真道場に行ったり水上はること色々あったりもするぐらい日本にも馴染んで、
東京ロッカーズ周辺も含めてかなりの影響を与えることになった、と。

もしもジェネレーションXの来日公演が大成功していたら…とか、
クラッシュが『ロンドン・コーリング』以前に来ていたら…とか、
ダムドがゴス化する前に来ていたら…とか、
PiLがジャー・ウォブル&キース・レヴィン在籍時に来ていたら…とか、
いろんなIFが頭に浮かぶわけですけど、
そうはならなかったのが当時の日本の音楽シーンを作っているはずなんですね。

さらに70年代にはDEVOとかXTCとかトーキング・ヘッズとかB-52`sの来日もあって、
パンクよりもテクノポップ〜ニューウェーヴ的な影響のほうが
大きくなったんじゃないかと推測されるわけです。
ザ・ジャムが3度も来日していることで
日本のモッズシーンみたいなものが早い段階で出来たんじゃないかとか、
ドクター・フィールグッドとウィルコ・ジョンソンが何度も来日していることがが
めんたいロックに影響を与えたのかもとか、そんなことも考ます。

そんなわけで、
せっかくだからパンク〜ニューウェーヴ関係の来日リストを作ってみました。
ネット上の情報が少ないので抜けもまだあるとは思いますが、
これにフロントアクトだった日本のバンドの情報も加えたら、
もっといろいろ見えてくるんじゃないかと思われます
(ザ・モッズがザ・ジャムのフロントアクトをやったら
盛り上がりすぎて電源を切られたとか、
プラスチックスがB-52`sのフロントアクトをやったのがきっかけで
イギリス進出が実現したりとか)。


1975年8月 ニューヨーク・ドールズ

1977年6月 ランナウェイズ

1978年1月 ブロンディ

1978年9月 グラハム・パーカー&ザ・ルーモア

1978年11月 エルヴィス・コステロ

1978年12月 エリオット・マーフィー

1979年1月 トム・ロビンソン・バンド

1979年2月 ストラングラーズ

1979年3月 ジャパン

1979年5月 DEVO

1979年6月 ジェネレーションX

1979年7月 ドクター・フィールグッド

1979年7月 トーキング・ヘッズ

1979年8月 XTC

1979年11月 B-52`s

1979年12月 ストラングラーズ

1980年2月 ポリス

1980年3月 ジャパン

1980年4月 ブームタウン・ラッツ

1980年5月 DEVO

1980年5月 ゲイリー・ニューマン

1980年6月 スペシャルズ

1980年6月 ラモーンズ

1980年7月 ザ・ジャム

1980年10月 カーズ

1980年11月 ドクター・フィールグッド

1981年2月 ポリス

1981年2月 トーキング・ヘッズ

1981年2月 ジャパン

1981年4月 ブームタウン・ラッツ

1981年5月 マッドネス

1981年5月 ザ・ジャム

1981年7月 フレッド・フリス(元ヘンリー・カウ。北村昌士が招聘)

1981年9月 クラフトワーク

1981年9月 ストレイ・キャッツ

1981年10月 アダム&ジ・アンツ

1981年10月 トム・ロビンソン・バンド

1982年1月 ザ・クラッシュ

1982年2月 ウルトラヴォックス

1982年2月 プリテンダーズ

1982年3月 キャバレー・ヴォルテール

1982年3月 スージー&ザ・バンシーズ

1982年4月 デュラン・デュラン

1982年4月 トーキング・ヘッズ

1982年5月 マッドネス&バウ・ワウ・ワウ

1982年6月 ヒューマン・リーグ

1982年6月 ザ・ジャム

1982年6月 パナッシュ(ポール・ハンプシャー)

1982年6月 Go-Go`s

1982年7月 PIGBAG

1982年6月 クラシックス・ヌーヴォー

1982年10月 ブロンディ

1982年10月 パール・ハーバー(THE MODSとの共演)

1982年11月 ジョーン・ジェット

1982年12月 DAF

1982年12月 ジャパン

1983年1月 ハノイ・ロックス

1983年1月 スージー&ザ・バンシーズ

1983年4月 デペッシュ・モード

1983年4月 ウルトラヴォックス

1983年5月 リーン・ラヴィッチ

1983年5月 バウハウス

1983年6月 PiL

1983年6月 カルチャー・クラブ

1983年6月 イギーポップ

1983年6月 リップリグ&パニック

1983年11月 U2

1984年1月 デュラン・デュラン

1984年1月 エコー&ザ・バニーメン

1984年4月 ドゥルッティ・コラム

1984年4月 スタイル・カウンシル

1984年5月 トンプソン・ツインズ

1984年5月 ビッグ・カントリー

1984年5月 ハノイ・ロックス

1984年5月 デア・プラン

1984年6月 カルチャー・クラブ

1984年6月 エルヴィス・コステロ

1984年6月 ローリー・アンダーソン

1984年7月 カジャ・グーグー

1984年9月 OMD

1984年9月 サイケデリック・ファーズ

1984年9月 シンプル・マインズ

1984年9月 プリテンダーズ

1984年9月 カジャ・グーグー

1984年10月 キュアー

1984年10月 ネーナ

1984年11月 スパンダーバレエ

1984年11月 エコー&ザ・バニーメン

1984年12月 アラーム

1984年12月 ハネムーン・キラーズ

1985年1月 PiL

1985年1月 エイリアン・セックス・フィーンド

1985年1月 ジョニー・サンダース

1985年3月 ニナ・ハーゲン

1985年3月 ローマン・ホリデイ

1985年4月 デペッシュ・モード

1985年4月 アート・リンゼイ、ジョン・ゾーン

1985年4月 ドゥルッティ・コラム

1985年4月 キリング・ジョーク

1985年5月 ブロンスキ・ビート

1985年5月 ニュー・オーダー

1985年5月 アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン

1985年5月 デイブ・エドモンズ

1985年5月 フランク・チキンズ

1985年6月 GBH

1985年6月 フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド

1985年7月 エルヴィス・コステロ

1985年7月 ウィルコ・ジョンソン

1985年7月 ロンドン・カウボーイズ、ドッグス

1985年7月 ティアーズ・フォー・フィアーズ

1985年7月 ジュリアン・コープ

1985年7月 ビリー・ブラッグ

1985年8月 スタイル・カウンシル

1985年9月 カルト

1985年10月 ザ・ロード・オブ・ニューチャーチ

1985年10月 レジデンツ

1985年10月 ニック・ケイヴ&ザ・バッドシーズ

1985年11月 ニューモデルアーミー

1985年11月 カオスUK

1985年11月 ネーナ

1985年11月 ジム・フィータス、リディア・ランチ1985年12月 ミッジ・ユーロ

1985年12月 XMAL DEUTSCHLAND

1985年12月 キング・カート(来日リストに名前が入っているけど情報が見つからない)


1986年1月 トイ・ドールズ

1986年1月 サイキックTV

1986年1月 ナショナル・パスタイム

1986年1月 シスターズ・オブ・マーシー

1986年1月 ラウンジ・リザース

1986年2月 マーク・アーモンド(85年9月の来日は中止)

1986年2月 ストロベリー・スウィッチブレイド

1986年4月 ダムド

1986年4月 ローリー・アンダーソン

1986年4月 アイシクル・ワークス

1986年4月 ニコ

1986年4月 アディクツ

1986年4月 アラーム

1986年7月 プリファブ・スプラウト

1986年7月 ジョニー・サンダース

1986年7月 フィッシュボーン

1986年7月 デペッシュ・モード

1986年7月 ウィルコ・ジョンソン

1986年8月 ビリー・ブラッグ

1986年8月 チャーリー・セクストン

1986年9月 ピーター・マーフィー

1986年9月 ティル・チューズデイ

1986年9月 ブロウ・モンキーズ

1986年10月 シンプル・マインズ

1986年10月 ジグ・ジグ・スパトニック

1986年10月 ラウンジ・リザース

以上。きりがないからこの辺りにしておきますけど、
85年ぐらいから明らかに流れが変わってきて、
いわゆる呼び屋の世界とは別枠の、
ツバキハウス規模での来日公演が増えてきたり、
『フールズメイト』とかがバンドを招聘したりを経て、
ヴィニール・ジャパンとかがマニアックなギターポップバンドとか
サイコビリーとかガレージパンクとかハードコアを呼ぶようになり
(後にバーンホームズとかもその流れに合流)、
1991年のPUNK ROCK 1991(変わり果てたディスチャージやSHAM69を呼んだり、
変わらぬ格好良さだったSTIFF LITTLE FINGERSを呼んだりしたイベント)に
繋がっていくわけですね。

しかし、844月のディスチャージ初来日が中止になった
(フロントアクトはギズム!)のは痛いですが、
そういうライブを目の当たりにしたりの直接的な影響がなかったからこそ
日本のハードコアが独自のものになったんじゃないかって気もしてきました。