九十六年三月に美穂が高校を卒業した。
四月から長野の短大に通うことになり、学校の近くの女性限定アパートで一人暮らしを始めた。父が、
「美穂は短大くらい出しておかないとどうにもならんだろう」
と言い、上田にある私立の女子短大を探してきた。
美穂の希望は「緑がたくさんある街でえ、卒業したら幼稚園の先生になれる女子だけの学校がいい」だった。キャンパス内には、仏教系の附属幼稚園があった。
父は、短大卒業後は美穂をそこの幼稚園に就職させることを考えていたようだった。
美穂は寝坊するに違いないと、大学の目の前にある女子学生専用アパートを父が探し、契約した。五分と歩かず大学に通える環境だった。学校に慣れるまで、父がモーニングコールをした。
幼児教育科と総合文化学科しかない短大に通う学生の多くは、長野か新潟出身の女子で、北海道から入学した学生は美穂が初めてだった。
私がキャンパスを見学に行くと、附属幼稚園の園児が大学の講堂で行事をしたり、園庭や広大な敷地の裏山で遊ぶ園児の姿を学内から見ることができた。非常にのどかな所だった。
美穂には常に彼氏がいたけれど、相手は近くにある長野大学の男子学生ばかりだった。
「どうして長野大の男の子ばかりなのよ」
私は美穂に訊いた。
「だって、近くに長野大しかないから、コンパの相手は長野大の学生だけなんだもん」
「長野には、松本に信州大学があるでしょう。あそこは国立だし、医学部と理学部は偏差値もそこそこ高いわ。合コンするなら信州大学の男の子の方が良いと思うの」
「なんでコンパするのに偏差値が関係あるわけ?」
「美穂、長野大学の偏差値知ってるの? 四十よ。偏差値四十ってなかなか聞かない数字よ。私の数学の偏差値だって、もう少しあったわよ。第一、学部の名前も環境ツーリズムだの企業情報だのよくわからないじゃない。信州大学は教育学部でも六十近いのよ」
「だから何」
「お父さんがね、美穂はきっと就職先も結婚相手も長野で見つけるだろうなって言ってたのよ。だから、私は心配しているの。美穂が長野大学の男の子と結婚することになったら、私、気絶しちゃうわ」
「はあ? 意味がわかんない。あっ美穂ね、いいバイト見つけたんだ。別所温泉のコンパニオン」
「えっ!? 温泉コンパニオン……。どうしましょう。ああ、くらくらしてきたわ……」
「訳わかんないんだけど。宴会の団体客にお酌する仕事だよ」
「その後は?」
「後って何」
「お酒飲んだ後よ」
「カラオケすることもあるよ」
「その後は?」
「それで終わりだけど」
「あっ……そう。それならいいの。ふうん。そういうバイトがあるの。別所温泉の宿と契約しているの?」
「違うよ。コンパニオンの派遣会社に登録して、その日によって違う温泉の宴会場でお酌するの」
「へえ」
「お金もらえて、お酒飲めて、カラオケ歌えて、温泉入れて、楽しいよ。たまにチップ貰えるし」
「勉強もちゃんとするのよ。短大留年なんて恥ずかしいんだからね」
「わかってるよ。お父さんが毎朝起こしてくれるから、学校は遅刻しないでちゃんと行ってる。長野の人ってね、すっごく同窓会好きなの。だから宴会が多いんだよ。小・中・高の同窓会は必ずやるし、同郷会っていうのもあって、他県に出てる人も同窓会や同郷会を開くと、わざわざ長野に帰って来るんだよ。しかもね、長野って昔は信濃っていう国だった時に、長野と松本の2つに分かれてて、今でもそれぞれ文化や気質が違うんだって」
「へえ。青森や愛媛は同じ県内で県民性をひとくくりにできないって聞くけれど、長野もそうなのね」
「長野の人って一日三回お味噌汁飲むんだよ。今は、根曲がり竹が旬だから、味噌汁に根曲がり竹とサバ缶を入れるの」
六月のことだった。
「それは珍しい食べ方ね。それは美味しいの?」
「うん。実家から通ってる友達の家で御馳走になった」
「根曲がり竹って、秋に高知でとれる四方竹みたいな筍? 緑色で細長い?」
「細長いけど色は普通のベージュ」
美穂は私が遊びに行くと、コンパニオンのバイトで知り合ったお客さんから教わった美味しい店に連れて行ってくれた。蕎麦屋が多かった。
ある日美穂が
「長野ってお寿司が美味しいんだよ」と、言った。
「稲荷とか巻き寿司?」
「握りだよお。お刺身が美味しいの」
「えっ、長野は海に面していないのに?」
「えっ、長野って海に面してないの?」
「……最近は、生モノの鮮度を保って流通する技術が高くなっているんでしょうね……」
私は気を取り直して
「コンパニオンってお客さんとどんな話をするの?」と、訊いた。
「昨日は、ラジオの話をしたよ。チャランランってテーマ曲が流れて、自分の好きなパーソナリティの声が聞こえた途端、眠気が吹き飛んだってお客さんたちが話してた。チャランランッ」
美穂はビタースウィートサンバを口ずさんだ。
「オールナイトニッポンでしょ」
「花菜おねえちゃん知ってるの? 深夜放送だよ」
「健ちゃんから聞いたのよ」
「そうだよね。花菜ちゃん、超早寝だったもんね。笑福亭鶴光のええのんか? とかビートたけしの村田先生のコーナーとか、男の人は懐かしいみたい」
妹はバイトでそんな話をしているのかと頭が痛くなった。
「お客さんはどんな職業の人たちなの?」
「それは色々だよ。サラリーマンの人もいるし、自営業の人もいるし、昨日は医師会の集まりだったよ」
「お医者さんになる人もオールナイトニッポン聞くのね」
「美穂がね、子供の頃テレビがなくて、毎日ラジオを聞いてたって話したら、会長さんが、どんな番組聞いてたのって訊くから、日曜喫茶室はよく覚えてるって言ったの。日曜の昼からやってたのみんなで聞いてたでしょ」
「うん。覚えてるわよ」
「そしたら会長さんがはかま満緒のファンで仲良くなっちゃった。常連客の誰が好きとか出演したゲストの話とかしてた」
美穂が結婚するまでこの会長さんはパトロンでいてくれた。私にとっての小沢さんのような存在だった。
冬になると、美穂のアパートまでポリタンクに入った灯油を運び、西川の高級毛布や羽毛布団を買ってくれる人だった。
この医者のおじさんが寿司好きで、美穂をよく寿司屋に連れて行ったものだから、美穂は
「本当に長野はお寿司が美味しいところなんだよ」
と言って、譲らなかった。
「長野って葡萄が美味しいんだよ」とも言っていた。
「上田の巨峰はアラブの富豪も大絶讃してるんだから。アラブの人って宗教上の理由でワインやアルコールが飲めないから葡萄にお金をかけるんだって」
と言って、アラブの富豪が絶讃する巨峰をくれた。確かに旨味の濃い巨峰だった。
美穂が短大に入った年、私も文京区にキャンパスがある四年生私立大学の経営学部に入学した。
入学式は武道館で行われた。健ちゃんがついてきた。
シラバスを見ながら書いた履修届を提出する日は、キャンパスまで雅也君の車で送ってもらった。
高層階にある学生食堂でステーキ定食を食べた。私は安さとメニューの豊富さに驚いたのだが、雅也君は「学食なんてこんなもんだよ」と言った。
六義園の桜を見てから目黒に戻った。
雅也君は、合格祝いに「パリジェンヌ」でカトリーヌドヌーヴが着ていたようなベージュに金ボタンがついたダブルのコートを買ってくれた。私はカジュアルなシーンでもウールのコートを着るのが好きで、暖かみとヴォリュームのあるポロコートやテーラードコート、袖口が広がったベルスリーブのコートを羽織っていた。カシミアのコートは春先や秋口に選んだ。
私はコートの下に着るのはTシャツや半袖セーター、袖なしワンピースが多かった。車での移動が多く、ゴルフ以外では冷暖房がきいた所にしか行かないので、コートを脱ぐと年中薄着でびっくりされた。
外国ブランドのコートは、一重の裏なしが多いので、袖の部分にだけ裏をつけて着易くした。祖母が教えてくれたことだった。
クレジットカードのようなプラスチックの学生証にプリントされた写真は、雅也君に撮ってもらった。学校に行くと、空き時間は図書館で過ごしていた。
高校を卒業してから丸三年、学校の勉強から遠ざかり、受験勉強せずに入試に受かった大学だったが、浪人して入ったという人もいた。
美穂の入学式には北海道から来た母が出席したけれど、私の入学式はいつなのかも聞かれなかった。母は、
「どうしてそんな大学を受験したの?」
と、不機嫌そうに言った。
入学金と授業料を払ってくれた父でさえ
「そんな大学に通って何になる。腰を据えて勉強して、受験し直した方がいい」と、言った。
半年通って、両親から「そんな大学」と言われた意味がわかった。
しかし、私と同じ年齢の現役の学生が来春卒業するという年に、再受験しようとは思えなかった。
この年、七月十五日生まれのオスと九月十三日生まれのメスのシーズー犬を飼い始めた。
本屋でふと目に入った『愛犬の友』という雑誌の表紙に載っていたシーズーの写真にやられた。PとRと名付けた。
秋からは子犬育てに追われた。
板尾さんが車を買い替えた。それまで彼はキャデラックに乗っていたので、アメ車が好きなのかと思っていたら、新しい車はBMWのZ3だった。
その車の助手席に載せてもらい板尾さんと初めてキスをした。初めて彫物をしている人とセックスをした。
板尾さんの体に入れ墨があることは知っていた。素肌に着た白いシャツから刺青が透けて見えたことがあったのだ。いつもとは違うドキドキに興奮した。任侠の男性に惚れる女性の気持ちが何となくわかった。