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v流石兄弟vさん のコメント

いつまでも、童心に帰る時間を大切にしてください。その動画を見聞きするこちら側も、そんな気持ちを共有できてるような気がします。
No.33
110ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 皆さんこんにちは、幕末志士の西郷です。今回、幕末志士の活動を振り返るというテーマでブロマガを書かせていただきます ( なお、私は文章が上手くないため、細かな表現などは坂本さんに直してもらっています ) 。 第一回『「幕末志士」のルーツについて』  よく、「なぜ幕末志士というキャラ付けで実況しようと思ったのか」「どうして坂本と西郷なのか」と聞かれるのでお答えしようと思います。そのルーツは実は私達の小学生時代まで遡ります。 1.貧乏な小学生時代  坂本さんとは小学校からの親友であり、家も近いため、毎日のように一緒に遊んでいました。一方で、どちらの家も裕福とはいえなかったため、お互いにお小遣いはほとんど貰えていませんでした。余談ですが、私たちにとっては 10 円でも大金でしたので、よく学校帰りに自動販売機の下やつり銭口を覗いて、お金が落ちていないか探していました。そこで 10 円でも見つかればこれ幸いと駄菓子屋さんに行き、ガムや飴を買って二人で分けて食べていました。今思うと惨めな姿だったでしょうが、その当時の僕らは宝探しのような気分でそれを行っていました。  そのくらい貧乏でしたので、当然ゲームを買うこともできませんでした。そのため、友達の家に行ってプレイさせてもらったり、貸してもらったりが殆どでした。一本一本のゲームが貴重品と同じ扱いですから、それこそコントローラーが擦り切れるほど 2 人でプレイしたものです。くにおくん、マリオ64、スマブラ、マリカは、この当時に死ぬほどやり込んだゲームです。  しかし、いつもゲームを借りるわけにはいきません。そのため、ゲーム無しで遊ぶ手段を 2 人で色々と編み出しました。その一つに、テープレコーダーを使って即席のラジオを撮るという遊びがありました。ここから生まれたのが「幕末志士」です。 2.当時は坂本龍馬と西郷隆盛しか知らなかった  テープに吹き込むラジオも、初めはお粗末なトークや下手くそな歌などを入れて自分らで満足しているだけでした。ですが、回を重ねるにつれ、「視聴者からのお手紙を読むコーナー」や「算数の勉強コーナ―」など企画が練られるようになっていきます。そして、「坂本龍馬と西郷隆盛になりきって時代劇風のラジオドラマを演じるコーナー」が生まれました。  坂本龍馬と西郷隆盛なのは、頭が悪い私たちが知っていた歴史上の人物がその2人しかいなかったためです。また、幕末の渦中に生きている人達が、自分らを「幕末」志士と称するわけがないということも、その当時の私達では気づけませんでした。 3.幕末志士の実況は全て子供時代のリバイバル  ここまで読んでくれた皆様ならお気づきでしょうが、「幕末志士」は全て小学生の自分達が企画したものをリバイバルしているに過ぎません。くにおくんも、奴が来るも、スマブラも、笑い袋も全て小学生の自分らが作り出したものです。私たちの幕末志士のキャラ付けが弱いのも、内容に子供っぽさが多く含まれるのもこれが原因です。なお、当時から坂本さんは饒舌であり、私は道傍に転がっている石を見ただけで笑うほどの笑い上戸でした。  いつも思うのは、あの時代が人生で最も楽しかった時期だっただろうということです。お金もなく、衣食住にすら困っていたはずなのに、毎日が楽しくて仕方がありませんでした。あの頃の私達は遊びに関しては無敵でした。大人になってから当時をリバイバルした動画を作っているのも、やはり、当時の私達が最も面白かったという思いがどこかにあるのでしょう。  今でもゲーム実況をしているときには、当時に戻ったような感覚に陥ります。いい年した大人が一瞬、小学生に戻るのです。それが堪らなく懐かしく嬉しく、私はなんとなく、それが目当てでゲーム実況をしているような気がします。 ( 西郷 )
幕末志士
幕末志士チャンネルよりブロマガをお届けします