今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
※この記事は2014年06月28日に書かれたものです。
■「女性議員にセクハラ野次を飛ばしてはいけない」という同調圧力(メカAG)
今回の女性議員へのセクハラ野次騒動でひとつはっきりしたことがある。ネットの自称「先進的・革新的」なジャーナリストは、実は非常に保守的だということ。
セクハラ野次の是非は置いておくとして、数を頼みにして世論を形成し、社会を一つの方向に動かそうという考えそのものに、ムラ社会の同調圧力と同じものを感じるのだよね。他人の言動を制限しようとする。とにかく不愉快と感じるものは社会から排除したい、と。
* * *
最近ネットでは企業や行政を当てにせず、草の根的なコミュニティを形成しようという主張をする人が少なくない。それこそが新時代のトレンドなのだと。
しかしそれってムラ社会そのものなんじゃないの?という懸念を以前述べた。
「ゲゼルシャフトとゲマインシャフト」 2012年05月27日 『メカAG』
http://mechag.asks.jp/474047.html
現代社会はゲゼルシャフト(機能体社会)であり、基本的にお金を払えば価値観の違う人間でも物を買えるしさまざまなサービスを受けられる。反面人と人との結びつきが弱くなり、良くも悪くも社会の自浄作用は低下する。よくいえば多様性が尊重される社会、悪く言えば自浄作用のない社会。
一方ムラ社会はゲマインシャフト(共同体社会)であり、人と人との結びつきによって社会が構成されている。異質な価値観を持つ人間は暮らしていけない。村八分。そのかわり自浄作用は強くなる(あくまでその共同体の価値観にもとづく自浄作用だが)。
* * *
社会の多様性と自浄作用というのは相反するものであり両立できない。自浄作用を優先すれば多様性は制限されるし、逆なら逆だ。現代社会は結局のところ多様性の方を優先している社会(ゲゼルシャフト)。
そのため人と人とのつながりが強い昔ながらのムラ社会(ゲマインシャフト)を懐かしむ人が出てくる。「金儲けをやめて自然に帰ろう」というムーブメントが周期的に起こるのも、そのためだろう。無味乾燥で杓子定規の行政サービスや企業の儲け主義から脱却し、人間同士の善意に依存する部分を増やしていこう、そうすれば人は人間性を取り戻し、心豊かに平穏に暮らせる…と。
たしかに単一の価値観に塗り潰してしまえば(今回の件なら「女性議員にセクハラ野次を飛ばしてはいけない」)、自分と違う考え方の人間は社会からいなくなるわけで、心安らかに過ごせるだろう。「社会はこうあるべきだ」とみんなで決めて、そうでないものを社会から排除する。
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でも当然そういうことを際限なく押し進めていけば、どんどん制限が多くなり多様性は失われ窮屈な社会となる。文化は保守的なものになり、文明も停滞するだろう。
ところがネットで草の根共同体を呼びかけている人たちは、そういう部分から目を背けていて、誰もこの問題に正面から切り込む人はいない。と言うか切り込んでも解決不可能なんだよね。それは過去数千年の人間の歴史が証明しているし、身近なところでも新興宗教とかがその限界を体現してくれている。
新興宗教(に限らずあらゆる宗教)は、多様性と共存することができない。なにしろ「我々の神の教えこそ唯一正しい」というのだから、それに反するものとは共存できない。そしてその「唯一絶対の神」に頼る以上は、人間の知恵では解決できないさまざまな矛盾にも、神は答えを出さなければならない。
結果としてどんどん「神」の仕事が増えていく。文化や文明というのはそもそも「矛盾」から生まれるものだ。矛盾をなんとか解消したいという苦悩が文化や文明を生み出す。その苦悩から逃れたいと願う人も当然いるだろう。そういう人が「誰かに正しいことを決めてもらう」社会を求めるわけだ。
* * *
しかし不思議なことにこうした同調圧力の強い共同体を求める人たちは、しばしば「自分の頭で考えることが大切」という。まったく矛盾しているとしか思えない。これが矛盾しないとするなら、自分の判断で「神(共同体共通の価値観)」に服従することを自主的に選択すべき、ということなのだろう。自主的に自主性を放棄せよ、と(苦笑)。
確かにこれなら矛盾はないかもしれない。ただそれで満足している間はいい。なにしろ自主的に選択してるのだから、いつでも違う選択をする自由がある。理屈の上では。
でも、現実的にはそんなことできない。日常生活がすでに共同体に依存している以上は、そこから抜けだして別な価値観を持つ生き方などできない。外部に多様性を尊重した社会があるならいいけどね。
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つまり現代においてムラ社会(ゲマインシャフト)を支持する人々というのは、あくまで外部にゲゼルシャフトが存在することを前提にしている気がする。ゲマインシャフトが嫌になったらいつでもゲゼルシャフトに戻れるんだよ、という同好会(娯楽)感覚。
オウム真理教事件とか見ていると、俺にはとても「嫌になったらやめられる」とは思えないんだけどね…。生活基盤をゲマインシャフトに移してしまった以上は、そこから抜け出すというのは再び生活基盤をゲゼルシャフト側にゼロから構築しなければならない。このハードルは精神的にも金銭的にも極めて高いだろう。
ま、そんなに因習に囚われた平穏だけど多様性のないムラ社会が恋しいんですかね、という話。ムラ社会の方がいいって、保守以上の保守だよね…。
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人間にとって自由や多様性は重荷だ。だから人間はそれを放棄したい。エーリヒ・フロムが「自由からの逃走」でそう語ったのは第二次世界大戦の1941年だ。ある意味ムラ社会への回帰願望がナチズムを育て、第二次世界大戦を引き起こしたともいえるのではあるまいか。
前に進むしかないと思うんだけどねぇ。ムラ社会への回帰ではなく、さらなる高度な機能体社会へ。多様性を制限して平穏を得るのではなく、多様性の痛みに慣れ、そのメリットの方を優先すべき。それが人類の時代の流れだ。逆転させようとする試みは、これまですべて悲惨な結末に失敗に終わった。
ということでネットで草の根コミュニティ(ムラ社会)への回帰を掲げてる人たちの言うとおりにすると、その社会はどんどん窮屈なものになっていくだろうな、という持論を今回再確認したのであった。「あれをやってはいけない」「こうあるべきです」と。
俺が「社会を良くしていこう」という人たちが嫌いなのは、そういう人たちって他人の行動を制限することにばっか熱心な人たちだからなんだよね。制限することでしか良い社会が生み出せないんなら、そんな「良い社会」はいらない。保守(ムラ社会)への回帰はやめよう。それがどんなに郷愁を誘っても。
執筆:この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年07月03日時点のものです。
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