今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■文系脳の恐怖(メカAG)
毎度文系差別のコーナーです(笑)。理系の思考と文系の思考の違いで最近感じるのは、文系の場合、自分の意見に都合のいい情報を集めようとする傾向がある点。「ほら、こんなに支持する情報があるんだから、俺は正しいでしょ」という思考。
一方理系の場合は、都合の悪い情報に敏感な気がする。つまり「反対意見すべてに反論できれば、自分の主張は正しい」という思考。言ってみれば「間違ってないなら、正しいはずだ」と。
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ある意味理系の思考はひねくれていると思う。だからしばしば文系から見るとネガティブに写る。
STAP細胞騒動の時も、理系の人たちが微に入り細を穿つようなあら探しに熱中していたのに対して、文系の人は「間違いの部分もあるけど、正しい部分を先ずは評価してあげようよ」という意見が多かったように思う。
でもそれは仕方ないと思うんだよね。理系は決してネガティブなのではなく、むしろ科学は常識はずれの発見をたくさんしてきたと思う。「どんなに非常識でも、間違ってないなら正しい」という思考でないと、常識はずれの発見は難しい。
間違いの部分にばかり注目するのは、間違ってないなら正しいのだ、という桁外れのポジティブさの裏返しともいえる。でもなんか文系から見るとそれは他人の意見を批判・否定・攻撃ばかりしているネガティブな行為にみえるようなんだよね。困ったものだ。
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インターネットでの行動スタイルも、自分に都合のいい情報を好んで集めるのは文系人間ではなかろうか。理系人間は自分とは反対の意見を探し、どこが間違っているかを探そうとする。つまり論破しようとする。論破できたことで安心し、自分が正しい証拠がまた一つ増えたと喜ぶ(笑)。万が一間違ってるところが見当たらないと、「え?じゃあ間違ってるのは俺の方?」と、非常に焦るわけだ。
承知のように「正しさ」は多数決では決まらない。だからいくら自分の意見を支持する証拠を集めても安心できない。でも反対の意見が間違っていることを証明し続ければ、最後には「間違っていない」意見として、自分の意見だけが残る…はず。
「俺の味方がこんなにたくさんいる」ではなく、「俺を倒せる敵はもういない」と。集合知はこのように利用するものだと思うんだよね。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年08月31日時点のものです。
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