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会員無料 66:58
詳細<セーブアース>100頭のヤマネコが問いかける「共存」の本質/戸川久美氏(認定NPO法人トラ・ゾウ保護基金理事長)
4月15日は「イリオモテヤマネコの日」だ。 イリオモテヤマネコは1965年、今回の番組ゲストの戸川久美氏の父で動物作家の戸川幸夫氏らによってその存在が公にされた。世界的にも極めて珍しい新種のヤマネコとして学術的な注目を集めた当時から、すでに60年が経過している。 だが、その生息数は現在も約100頭前後にとどまり、絶滅危惧種の中でも最も危機度の高いランクに位置付けられたままだ。60年間、われわれは何をしてきたのか。この希少動物をきちんと守ってきたと言えるのか。それとも、ただ見てきただけなのか。まずはそこから考える必要がある。 イリオモテヤマネコは見た目は家猫と大きく変わらない。しかし耳の後ろに浮かぶ白い斑紋、そして獲物を見据える鋭い目つきには、飼い慣らされることを拒む野生が宿っている。 興味深いのはその食性の幅広さだ。ネズミだけではない。カニ、カエル、鳥類まで捕食する。西表島という限られた環境の中で生き延びてきた背景には、この「何でも食べる」したたかさがある。裏を返せば、島の生態系全体が健全でなければ、このヤマネコは生きていけないということだ。ヤマネコの存否は、そのまま島の自然環境の健全性を映す鏡なのだ。 イリオモテヤマネコの生息を脅かす最大の要因のひとつが、交通事故、いわゆるロードキルだ。 道路が整備され、観光客が増え、車両の通行量が増える。その帰結として毎年数頭のヤマネコが犠牲になる。これは偶発的な事故ではなく、開発と観光というシステムが生み出す当然の帰結だった。これは単なる「不幸な事故」では済まされない。 この問題に対して戸川氏らが長年取り組んできた「やまねこパトロール」は、夜間に低速走行を呼びかけ、路上の動物を排除するという地道な活動だ。華やかさはないが、その結果として車両速度の低下や事故件数の減少という具体的な成果が出ている。派手な政策やテクノロジーではなく、現場で人が動き続けることでしか解決できない問題がある。そのことをこの活動は示している。 もうひとつ見過ごせないのが外来種の問題だ。とりわけ野生化したヤギの増加は深刻だ。 ヤギは多種多様な植物を食べ尽くす。その結果、植生が破壊され、そこに依存していた昆虫や小動物が減り、最終的にヤマネコの餌が失われる。ヤギが直接ヤマネコを襲うわけではないが、食物連鎖の土台を崩すことで、生態系全体を静かに、しかし確実に蝕んでいく。 現在はモニタリングの段階にあるというが、こうした問題は「様子を見ている」うちに手遅れになるケースが少なくない。判断の遅れが取り返しのつかない結果を招くことは、環境問題の歴史が繰り返し証明している。 西表島を含む地域が世界自然遺産に登録されたことで、観光客の流入が加速した。エコツーリズムという名のもとに人が押し寄せる。しかし、ここに本質的な矛盾がある。 「自然を守るために知ってもらう」ことと、「知ってもらうために人を入れる」ことは同じではない。ナイトツアーの増加は野生動物の行動パターンを撹乱しかねず、無秩序な利用は保全の前提そのものを掘り崩す。 戸川氏の言葉は明快だ。「野生動物は人に慣れてはいけない。」 これは動物の問題ではない。人間の側の問題だ。野生動物を「見たい」「撮りたい」「触れたい」という欲望を、われわれ自身がどこまで制御できるのか。エコツーリズムの成否は、結局のところ、人間の成熟度にかかっている。 かつて西表島には「人かヤマネコか」という対立の構図が存在した。道路整備や生活向上を求める住民と、自然保護を訴える側とが正面から衝突した時代がある。しかし、この二項対立はいま少しずつ溶解しつつある。地域住民が主体となった保全活動が広がり、とりわけ子どもたちへの環境教育が地域全体の意識を変えつつあるという。「人もヤマネコも」という共存の思想が、外から押し付けられたものではなく、島の内側から育ちつつある。これは希望の持てる変化だ。 戸川氏は「野生の存在を理解し、そのままの姿を尊重することが大切だ」と訴える。 われわれはしばしば、野生動物を「かわいい」という感情で消費する。SNSで拡散し、グッズを買い、観光地で写真を撮る。それ自体が悪いわけではない。しかし、その感情が「生きる環境ごと守る」という行動につながらなければ、それは単なる消費でしかない。 100頭のヤマネコが暮らす島は、人と自然の関係を考えるうえで、極めて先鋭的なケーススタディだ。イリオモテヤマネコを守ることは、一種の保全にとどまらない。人間が野生とどう向き合い、どこまで自らの欲望を律することができるのか。その問いに対する、われわれ自身の答えが試されている。 今回のセーブアースでは、トラ・ゾウ保護基金理事長の戸川久美氏を迎え、この希少な野生動物の現状と、その保全が私たちに突きつけている本質的な問いについて、環境ジャーナリストの井田徹治、キャスターの新井麻希とともに議論した。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/04/17(金) 12:00
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会員無料 56:21
詳細<マル激・後半>イラン攻撃に見るAI兵器を使った戦争の新しい形とは/佐藤丙午氏(拓殖大学国際学部教授)
これがAI時代の戦争の新しい形なのか? アメリカとイスラエルによるイランへの攻撃は、史上初の本格的なAI戦争として歴史に刻まれることになりそうだ。ロシアによるウクライナ侵攻でもAIは軍事利用されてきたが、その後、ここ数年のAIの目覚ましい進歩を受けて、イラン攻撃では情報分析から標的特定までAIが一体的に活用されたとみられている。そして、その結果として、戦争の形が大きく変わろうとしているというのだ。 AI兵器は、火薬や核兵器に次ぐ「第3の軍事革命」ともいわれるが、その一方で、その非人道性や制御不能リスクはかねてから懸念されてきた。しかし、技術の急速な進歩に法整備が追いついておらず、国際的な規制の枠組みが全くないのが現状だ。 AIの軍事利用に関する国際的な動向に詳しい拓殖大学の佐藤丙午教授は、今回のイラン攻撃では人物の特定や移動経路の予測などにAIが広く使われた可能性が高いと指摘する。実際に複数のイラン政府の幹部、とりわけ革命防衛隊幹部や宗教指導者だけがピンポイントで次々と殺害されたことから、アメリカとイスラエルがイラン内部の情報をかなり緻密に把握した上で攻撃を実行していたとみられている。そして、殺害すべき標的特定の正確性とその所在や行動を詳細に把握するスピードが、これまでのヒューマンインテリジェンスでは到底有り得ないほど迅速だったことから、標的やその所在の特定にAIが使われた可能性が高いと考えられているのだ。 これまで標的を特定したり、その所在を把握したりするためには、地上で活動する情報部員が集めた情報にスパイからもたらされる情報などを加え、更にその上に衛星画像や膨大な量の通信記録や傍受された通信内容などを加えたインテリジェンスを、最後は人間が分析しなければならなかった。しかし、それをAIに行わせれば、人間では何日も、あるいは何カ月もかかる分析が一瞬でできてしまう可能性がある。今回アメリカとイスラエルが開戦直後から宗教指導者と革命防衛隊の幹部だけを根こそぎピンポイントで攻撃し殺害できたのは、このためだと考えられているのだ。 その一方で、AIは人の命を救う側面も持つ。AIを使って標的を特定した上で精密誘導弾などによりピンポイントで標的を攻撃することで、これまでのような無差別な攻撃と比べると、一般市民の犠牲は遥かに小さくて済むのもまた事実だからだ。しかし、そのような形でAIを使った攻撃を認めてしまえば今後、戦争のハードルが下がる懸念もある。これまで、民間人を巻き込み、大勢の兵士が犠牲になるからこそ、戦争は許されないと考えられてきた。しかし、AIによって被害を限定できるのであれば、ある程度戦争は許容されるという話になりかねないからだ。AI兵器は戦争をめぐる倫理の前提そのものを問い直している。 AI兵器をめぐっては、国連で議論が続いている。特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の枠組みのもと、LAWS(自律型致死無人兵器システム)の規制について検討が進められているが、明確な国際ルールは確立されていない。そもそもLAWSには決まった定義すらまだないのだが、国際赤十字は「人間の介在なしに、敵を探し、判断して攻撃する兵器システム」としており、こうした理解が主流となっているが、国際的なルールづくりが難航し明確なルールがないまま各国がAI兵器をめぐる競争を進めているのが現状だ。 AI兵器は戦争をどう変えるのか、国際的な規制の議論はどこまで進んでいるのか、日本の役割は何かなどについて、LAWSに関する国連専門家会合にも参加している拓殖大学国際学部教授の佐藤丙午氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so46155257(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/04/13(月) 12:00
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会員無料 45:00
詳細<マル激・前半>イラン攻撃に見るAI兵器を使った戦争の新しい形とは/佐藤丙午氏(拓殖大学国際学部教授)
これがAI時代の戦争の新しい形なのか? アメリカとイスラエルによるイランへの攻撃は、史上初の本格的なAI戦争として歴史に刻まれることになりそうだ。ロシアによるウクライナ侵攻でもAIは軍事利用されてきたが、その後、ここ数年のAIの目覚ましい進歩を受けて、イラン攻撃では情報分析から標的特定までAIが一体的に活用されたとみられている。そして、その結果として、戦争の形が大きく変わろうとしているというのだ。 AI兵器は、火薬や核兵器に次ぐ「第3の軍事革命」ともいわれるが、その一方で、その非人道性や制御不能リスクはかねてから懸念されてきた。しかし、技術の急速な進歩に法整備が追いついておらず、国際的な規制の枠組みが全くないのが現状だ。 AIの軍事利用に関する国際的な動向に詳しい拓殖大学の佐藤丙午教授は、今回のイラン攻撃では人物の特定や移動経路の予測などにAIが広く使われた可能性が高いと指摘する。実際に複数のイラン政府の幹部、とりわけ革命防衛隊幹部や宗教指導者だけがピンポイントで次々と殺害されたことから、アメリカとイスラエルがイラン内部の情報をかなり緻密に把握した上で攻撃を実行していたとみられている。そして、殺害すべき標的特定の正確性とその所在や行動を詳細に把握するスピードが、これまでのヒューマンインテリジェンスでは到底有り得ないほど迅速だったことから、標的やその所在の特定にAIが使われた可能性が高いと考えられているのだ。 これまで標的を特定したり、その所在を把握したりするためには、地上で活動する情報部員が集めた情報にスパイからもたらされる情報などを加え、更にその上に衛星画像や膨大な量の通信記録や傍受された通信内容などを加えたインテリジェンスを、最後は人間が分析しなければならなかった。しかし、それをAIに行わせれば、人間では何日も、あるいは何カ月もかかる分析が一瞬でできてしまう可能性がある。今回アメリカとイスラエルが開戦直後から宗教指導者と革命防衛隊の幹部だけを根こそぎピンポイントで攻撃し殺害できたのは、このためだと考えられているのだ。 その一方で、AIは人の命を救う側面も持つ。AIを使って標的を特定した上で精密誘導弾などによりピンポイントで標的を攻撃することで、これまでのような無差別な攻撃と比べると、一般市民の犠牲は遥かに小さくて済むのもまた事実だからだ。しかし、そのような形でAIを使った攻撃を認めてしまえば今後、戦争のハードルが下がる懸念もある。これまで、民間人を巻き込み、大勢の兵士が犠牲になるからこそ、戦争は許されないと考えられてきた。しかし、AIによって被害を限定できるのであれば、ある程度戦争は許容されるという話になりかねないからだ。AI兵器は戦争をめぐる倫理の前提そのものを問い直している。 AI兵器をめぐっては、国連で議論が続いている。特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の枠組みのもと、LAWS(自律型致死無人兵器システム)の規制について検討が進められているが、明確な国際ルールは確立されていない。そもそもLAWSには決まった定義すらまだないのだが、国際赤十字は「人間の介在なしに、敵を探し、判断して攻撃する兵器システム」としており、こうした理解が主流となっているが、国際的なルールづくりが難航し明確なルールがないまま各国がAI兵器をめぐる競争を進めているのが現状だ。 AI兵器は戦争をどう変えるのか、国際的な規制の議論はどこまで進んでいるのか、日本の役割は何かなどについて、LAWSに関する国連専門家会合にも参加している拓殖大学国際学部教授の佐藤丙午氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so46155481(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/04/13(月) 12:00
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会員無料 67:33
詳細<ディスクロージャー&ディスカバリー>福岡県議会海外視察1億円超に見る情報公開と住民監査請求とメディアの連携の重要性
今回のディスクロージャー&ディスカバリーでは、地方議会による観光旅行まがいの海外視察の実態と、それを監視し正していくために情報公開に加えて何が必要になるかを考えた。 番組が取り上げたのは、福岡県議会の2023年度の海外視察問題だ。 この年、福岡県議会の議員らによるハワイ、スイス、ベトナムなどへの海外視察が11回実施され、総額は約1億4100万円にのぼった。そしてその契約の多くが公開入札ではない随意契約で行われていた。一つひとつの視察では、契約時にはルール上認められている1回100万円以下の契約となっていたが、その後の契約変更によって、最終的には支出額が10倍にも膨らむケースが相次いでいた。 さらに、驚かされたのは福岡県議会の場合、海外視察の成果を示す報告書の作成が義務づけられていないことだった。これでは税金を使って海外に観光旅行をしておいて、それが住民に何をもたらしたのかが住民からはまったく見えないなどということが許されてしまう。議員特権を悪用した単なる観光旅行だったのではないかとの疑いが拭えないのは当然だ。 こうした問題に対して、情報公開制度はどこまで機能しているのか。結論から言えば、情報公開は問題の尻尾を掴むための「入口」にはなるが、それだけでは不十分だ。 確かに、契約書や支出記録は情報公開請求によって入手できる。しかし、今回問題になったような契約変更の経緯や実質的な意思決定プロセス、視察の政策的成果などの核心部分は、情報公開だけでは断片的にしか見えてこない。 つまり、形式的な透明性はあるが、実質的な説明責任は果たされていないという、ある意味で制度の穴を突いた悪意のある事例に対しては、情報公開だけでは行政の実態に迫ることが難しい。 情報公開で尻尾を掴んだ後、重要な役割を担うのが住民監査請求だ。地方自治法に基づき、住民は公金支出の違法性を監査にかけることができる。今回の福岡県のケースでも、この制度が実際に活用された。 しかし、そのハードルも低くはない。この制度の下で監査請求を行えるのは当該自治体の住民に限られるし、請求期限が原則1年と厳格に定められている上、請求者の氏名が公にされる可能性がある。こうした制約のため、制度は存在しても、実際に使われるケースは限られる。 さらに、監査の結果としては「違法性なし」と判断されるケースも多く、制度としての限界も指摘されている。 今回の海外視察問題では、成果報告義務がなく、契約変更のチェックが働かず、監査の実効性も限定的だったために、議会や行政の自己規律が働きにくくなっていた。その結果、公金の使途が不透明なままでも問題化しにくく、見えない特権としての支出が温存されてきた。 これを地元メディアが大きく取り上げたために、今回は地元では大騒ぎになった。 今回のような問題に対しては、情報公開も住民監査請求も、制度としては非常に有効だが、それだけでは不十分だった。なぜならば、それは使われ、そしてその結果をメディアが報じることで住民の間に周知された時、初めて機能する制度だからだ。 そこには情報公開請求を行う市民と監査請求に踏み出す住民、そしてその問題を報じるメディアが必要だ。それらが連動して初めて、行政へのチェックが実効性を持つ。民主主義は制度だけで自動的に維持されるものではない。市民の関与によって初めて動く仕組みなのだ。 一見ローカルな問題に見えるが、その本質は極めて普遍的な民主主義の本質を問う「地方議会の海外視察問題」を通じて、権力の濫用を監視するためにはどのようなツールが存在するのか、それは誰がどのように利用すべきものなのか、そしてメディアの役割は何か、などについて、情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子とジャーナリストの神保哲生が議論した。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/04/11(土) 12:00
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会員無料 35:04
詳細<マル激・後半>すべてが石油でできている世界で石油が足りなくなると起きること/岩間剛一氏(和光大学経済経営学部教授)
世界は石油でできている。 そう言っても過言ではないほど、われわれの身の回りは石油由来製品で溢れ返っている。プラスチックの生活用品は言うに及ばず、洋服も洗剤やシャンプーも、さらに医薬品から農業用品にいたるまで、今やわれわれは石油を着て、石油を食べて、石油に囲まれて暮らしていると言っても誇張ではないほど、石油に頼って生きている。 そんな世界で石油の主要な生産地である中東で戦争が始まってしまったのだから、世界中が影響を受けないはずがない。特に原油の95%を中東に依存する日本にとって、それは死活問題となるのは当然だ。 世界が一刻も早い停戦を期待する中で注目された4月2日のトランプ大統領の声明が、単なる攻撃継続の表明に終わったことに世界中が落胆し、原油市場も他の金融市場も敏感に反応している。株価は依然全面安でガソリン価格の上昇はとどまるところを知らず、生産現場でも医療現場でも、様々な製品価格の高騰や品不足を引き起こしている。 石油不足についてはメディアがガソリン価格のことばかり大きく報じる中、高市政権は市民を動揺させないために、また政権の支持率を落とさないためにも、多額の補助金を入れることでガソリン価格がリッターあたり200円を大きく超える事態を何とか回避しようとしている。現在1リットルあたり約48円の補助金が注ぎ込まれることで、ガソリン価格は辛うじて170円前後を保っているが、これは単にガソリン代を税金で補填しているだけであり、財政負担を考えるといつまでも人為的に価格をコントロールし続けることはできない。 誰の目にもわかりやすいガソリン価格が「危機」の1つの指標となるのは避けられないとして、実はより深刻なのは「素材」としての石油不足の影響だ。 私たちの身の回りを見渡せば、プラスチック、ゴム、合成繊維、洗剤から化粧品に至るまで、ほとんどが石油由来の製品だ。実際、木材や鉱物、皮革、綿などの天然素材でできたもの以外は、ほぼすべてが石油由来製品と言っていいだろう。これらの多くは原油を精製して得られるナフサを原料としている。つまり、石油不足とは単なる燃料価格の問題ではなく、社会の物質基盤そのものが揺らいでいるのだ。中でも医療分野への影響は深刻だ。 手術用マスク、注射器、カテーテル、医療用グローブ、人工呼吸器、点滴バッグ等々。これらはすべて使い捨てのプラスチック製品であり、石油からできている。また、それを輸送するためにも石油が必要だ。すでに一部の医療現場では、供給不安の兆しが出始めている。さらに、麻酔薬や医薬品の多くは、原料や製造過程で石油化学製品に依存している。これはいずれも人命に関わる重大な問題となる。 ガソリン価格は原油価格にほぼ即時に反応する。しかし、ナフサ由来の製品はそうではない。むしろ問題は、数カ月単位で遅れてやってくる。最初は価格上昇という形で現れ、やがて供給不足に変わる。そして気づいたときには、日用品や医療資材、食品包装などが手に入らなくなる。 石油問題に詳しい和光大学経済経営学部の岩間剛一教授は、日本では1970年代のオイルショックの教訓から戦略物資でもある石油は254日分(国家備蓄が約146日分、民間備蓄が約101日分、産油国共同備蓄が約7日分)が備蓄されているが、ナフサは民間依存のためせいぜい20日分ほどしか備蓄がないと指摘する。税金を投入して一時的にガソリン価格の高騰を抑え込んでも、時間の問題で石油由来製品に依存する現場では危機が訪れることが避けられない。また254日というのは、これまで通りのペースで石油を消費した場合、約8カ月ということにすぎない。考えたくないことだが、それまでに中東情勢が安定しホルズ海峡の封鎖が解かれなければ、日本では石油の供給自体が完全に止まってしまう可能性すらある。 岩間氏は、今回の状況は1973年の第1次オイルショックよりもずっと深刻だと語る。その理由は、オイルョック当時は産油国が政治的判断で輸出制限をしたために石油価格が暴騰し、日本経済は大きな打撃を受けたが、実は日本向けの石油の供給そのものは維持されていた。石油の値段は上がったがモノ自体は入っていたのだ。しかし、今回の石油危機はホルムズ海峡という物理的な輸送路が遮断されることで起きている。つまり今回は、「価格の問題」ではなく「そもそも届かない」という問題になりつつあると岩間氏は言う。しかも石油に対する日本の中東依存度はオイルショック当時の約78%から、現在は約95%にまで高まっている。 70年代のオイルショックは、日本社会に省エネという強烈な教訓を残した。しかしその後、原油価格が安定し、供給が拡大すると、その記憶は急速に風化した。 石油は極めて効率がよく、扱いやすいエネルギーであり素材でもある。石油が果たしている役割をそれ以外の代替品に置き換えようとすると、莫大な手間とコストがかかる。石油の手軽さと便利さのおかげで、われわれは大量生産、大量消費、大量廃棄という文化をとことん享受するようになった。しかし、その一方で、石油は地球温暖化やマイクロプラスチックといった深刻な環境問題も引き起こしている。また、何よりも地政学的なリスクが大きい。つまり私たちは、持続可能性を犠牲にしながら、石油が提供する便利さに飼い慣らされてきたということだ。 今は歴史上の出来事のように語られることが多い、1970年代のオイルショックを超えるほどの深刻な石油危機に直面した今、われわれは果たしてこれまで通りエネルギーや食料を海外に依存し続けていて本当にいいのか、いくら便利で安いからといって、これまで通り石油由来製品に依存した生活を送り続けていていいのかを、自問すべき時に来ているのではないか。今のわれわれの生活がどれだけ石油に依存しているのか、そのリスクは何なのかなどについて、石油の専門家の岩間氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so46130985(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/04/06(月) 12:00
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会員無料 47:14
詳細<マル激・前半>すべてが石油でできている世界で石油が足りなくなると起きること/岩間剛一氏(和光大学経済経営学部教授)
世界は石油でできている。 そう言っても過言ではないほど、われわれの身の回りは石油由来製品で溢れ返っている。プラスチックの生活用品は言うに及ばず、洋服も洗剤やシャンプーも、さらに医薬品から農業用品にいたるまで、今やわれわれは石油を着て、石油を食べて、石油に囲まれて暮らしていると言っても誇張ではないほど、石油に頼って生きている。 そんな世界で石油の主要な生産地である中東で戦争が始まってしまったのだから、世界中が影響を受けないはずがない。特に原油の95%を中東に依存する日本にとって、それは死活問題となるのは当然だ。 世界が一刻も早い停戦を期待する中で注目された4月2日のトランプ大統領の声明が、単なる攻撃継続の表明に終わったことに世界中が落胆し、原油市場も他の金融市場も敏感に反応している。株価は依然全面安でガソリン価格の上昇はとどまるところを知らず、生産現場でも医療現場でも、様々な製品価格の高騰や品不足を引き起こしている。 石油不足についてはメディアがガソリン価格のことばかり大きく報じる中、高市政権は市民を動揺させないために、また政権の支持率を落とさないためにも、多額の補助金を入れることでガソリン価格がリッターあたり200円を大きく超える事態を何とか回避しようとしている。現在1リットルあたり約48円の補助金が注ぎ込まれることで、ガソリン価格は辛うじて170円前後を保っているが、これは単にガソリン代を税金で補填しているだけであり、財政負担を考えるといつまでも人為的に価格をコントロールし続けることはできない。 誰の目にもわかりやすいガソリン価格が「危機」の1つの指標となるのは避けられないとして、実はより深刻なのは「素材」としての石油不足の影響だ。 私たちの身の回りを見渡せば、プラスチック、ゴム、合成繊維、洗剤から化粧品に至るまで、ほとんどが石油由来の製品だ。実際、木材や鉱物、皮革、綿などの天然素材でできたもの以外は、ほぼすべてが石油由来製品と言っていいだろう。これらの多くは原油を精製して得られるナフサを原料としている。つまり、石油不足とは単なる燃料価格の問題ではなく、社会の物質基盤そのものが揺らいでいるのだ。中でも医療分野への影響は深刻だ。 手術用マスク、注射器、カテーテル、医療用グローブ、人工呼吸器、点滴バッグ等々。これらはすべて使い捨てのプラスチック製品であり、石油からできている。また、それを輸送するためにも石油が必要だ。すでに一部の医療現場では、供給不安の兆しが出始めている。さらに、麻酔薬や医薬品の多くは、原料や製造過程で石油化学製品に依存している。これはいずれも人命に関わる重大な問題となる。 ガソリン価格は原油価格にほぼ即時に反応する。しかし、ナフサ由来の製品はそうではない。むしろ問題は、数カ月単位で遅れてやってくる。最初は価格上昇という形で現れ、やがて供給不足に変わる。そして気づいたときには、日用品や医療資材、食品包装などが手に入らなくなる。 石油問題に詳しい和光大学経済経営学部の岩間剛一教授は、日本では1970年代のオイルショックの教訓から戦略物資でもある石油は254日分(国家備蓄が約146日分、民間備蓄が約101日分、産油国共同備蓄が約7日分)が備蓄されているが、ナフサは民間依存のためせいぜい20日分ほどしか備蓄がないと指摘する。税金を投入して一時的にガソリン価格の高騰を抑え込んでも、時間の問題で石油由来製品に依存する現場では危機が訪れることが避けられない。また254日というのは、これまで通りのペースで石油を消費した場合、約8カ月ということにすぎない。考えたくないことだが、それまでに中東情勢が安定しホルズ海峡の封鎖が解かれなければ、日本では石油の供給自体が完全に止まってしまう可能性すらある。 岩間氏は、今回の状況は1973年の第1次オイルショックよりもずっと深刻だと語る。その理由は、オイルョック当時は産油国が政治的判断で輸出制限をしたために石油価格が暴騰し、日本経済は大きな打撃を受けたが、実は日本向けの石油の供給そのものは維持されていた。石油の値段は上がったがモノ自体は入っていたのだ。しかし、今回の石油危機はホルムズ海峡という物理的な輸送路が遮断されることで起きている。つまり今回は、「価格の問題」ではなく「そもそも届かない」という問題になりつつあると岩間氏は言う。しかも石油に対する日本の中東依存度はオイルショック当時の約78%から、現在は約95%にまで高まっている。 70年代のオイルショックは、日本社会に省エネという強烈な教訓を残した。しかしその後、原油価格が安定し、供給が拡大すると、その記憶は急速に風化した。 石油は極めて効率がよく、扱いやすいエネルギーであり素材でもある。石油が果たしている役割をそれ以外の代替品に置き換えようとすると、莫大な手間とコストがかかる。石油の手軽さと便利さのおかげで、われわれは大量生産、大量消費、大量廃棄という文化をとことん享受するようになった。しかし、その一方で、石油は地球温暖化やマイクロプラスチックといった深刻な環境問題も引き起こしている。また、何よりも地政学的なリスクが大きい。つまり私たちは、持続可能性を犠牲にしながら、石油が提供する便利さに飼い慣らされてきたということだ。 今は歴史上の出来事のように語られることが多い、1970年代のオイルショックを超えるほどの深刻な石油危機に直面した今、われわれは果たしてこれまで通りエネルギーや食料を海外に依存し続けていて本当にいいのか、いくら便利で安いからといって、これまで通り石油由来製品に依存した生活を送り続けていていいのかを、自問すべき時に来ているのではないか。今のわれわれの生活がどれだけ石油に依存しているのか、そのリスクは何なのかなどについて、石油の専門家の岩間氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so46130986(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/04/06(月) 12:00
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詳細<マル激・後半>法秩序が崩壊した世界を日本はどう生き抜くか/柳原正治氏(九州大学名誉教授)
ウクライナ、ガザ、ベネズエラ、そしてイラン。いま世界で起きているのは単なる地域紛争の連鎖ではない。20世紀の2度の世界大戦という惨禍の反省の上に80年かけて積み上げてきた国際法秩序そのものが、根底から揺らいでいるのだ。 本来、国家による武力行使は国際法上、原則として禁止されている。例外は基本的に2つしかない。国連安全保障理事会の決議に基づくものか、自国が攻撃を受けた場合の自衛権の行使だ。これはいわば、戦争を法で縛るための最低限のルールだった。 しかし現実には、そのルールがもはや機能していない。ロシアによるウクライナ侵攻。イスラエルによる軍事行動。そしてアメリカによるベネズエラ侵攻とイラン攻撃。いずれも、あからさまな国際法違反と見るべき事案だが、決定的なのは、今の世界ではそれを止める仕組みも、裁く仕組みも機能していないことだ。言い換えれば、国際社会はすでに「無法状態」と化しているのだ。 今回のイラン攻撃についてアメリカは「自衛権の行使」を主張している。しかしここで問題になるのが、国連憲章第51条の解釈だ。自衛権も無制限ではない。一般的な国際法解釈では、「差し迫った武力攻撃」に対してのみ認められるとされている。 では、今回のケースはどうか。アメリカに対する「差し迫った脅威」が具体的に存在したのか。この点については、アメリカ国内からも疑義が出ている。アメリカの対テロ対策の責任者を務めていたジョー・ケント氏は、イラン攻撃の正当性に疑問を突きつけて職を辞している。米国際法学会も、明確な根拠が示されていない以上、国際法違反の可能性が高いとの見解を示している。つまりここで起きているのは、「違法かもしれない」という問題ではなく、違法であっても止められない世界が現実化しているということなのだ。 一方、ヨーロッパでは明確な変化が起きている。EUのウルズラ・フォンデアライエン欧州委員長は、ヨーロッパの戦略的自立の必要性を訴え、防衛力強化に舵を切った。いわば、アメリカ一極に依存してきた安全保障体制からの離脱を模索し始めている。 これは極めて重要なシグナルだ。同盟国であっても無条件に追随する時代ではなくなっているのだ。 では、翻って日本はどうか。 政府は、今回のイラン攻撃についての法的評価を避けている。同盟国アメリカへの配慮があることは理解できなくもないが、問われているのは、日本が「法の支配」を守る側に立つのか、それともその破壊者側に付くのかという、国としての根本的な立ち位置だ。同盟とは従属ではない。むしろ、同盟国だからこそ、誤りがあれば指摘する責任があるのではないか。 これから国際秩序はどのように変わっていくのか。国際法の権威として知られる柳原正治・九州大学名誉教授は、歴史的に見て、秩序の大転換は常に大戦争の後に起きてきたと指摘する。確かに人類は大きな戦争がなければ新しい秩序を築くことができていない。しかし、だとすれば、今起きている秩序の崩壊は、次の大きな戦争への序章ということになってしまうではないか。 国際法が機能しない世界で、日本は何を拠り所にすべきか。何があってもアメリカに抱きついていくだけで本当にいいのか。同盟と自立のバランスをどう取るのか。国際法の第一人者である柳原正治氏を迎え、崩壊しつつある国際秩序の現実と、その中で日本が取るべき選択について、神保哲生、宮台真司が徹底的に議論した。前半はこちら→so46105979(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/30(月) 12:00
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会員無料 76:49
詳細<マル激・前半>法秩序が崩壊した世界を日本はどう生き抜くか/柳原正治氏(九州大学名誉教授)
ウクライナ、ガザ、ベネズエラ、そしてイラン。いま世界で起きているのは単なる地域紛争の連鎖ではない。20世紀の2度の世界大戦という惨禍の反省の上に80年かけて積み上げてきた国際法秩序そのものが、根底から揺らいでいるのだ。 本来、国家による武力行使は国際法上、原則として禁止されている。例外は基本的に2つしかない。国連安全保障理事会の決議に基づくものか、自国が攻撃を受けた場合の自衛権の行使だ。これはいわば、戦争を法で縛るための最低限のルールだった。 しかし現実には、そのルールがもはや機能していない。ロシアによるウクライナ侵攻。イスラエルによる軍事行動。そしてアメリカによるベネズエラ侵攻とイラン攻撃。いずれも、あからさまな国際法違反と見るべき事案だが、決定的なのは、今の世界ではそれを止める仕組みも、裁く仕組みも機能していないことだ。言い換えれば、国際社会はすでに「無法状態」と化しているのだ。 今回のイラン攻撃についてアメリカは「自衛権の行使」を主張している。しかしここで問題になるのが、国連憲章第51条の解釈だ。自衛権も無制限ではない。一般的な国際法解釈では、「差し迫った武力攻撃」に対してのみ認められるとされている。 では、今回のケースはどうか。アメリカに対する「差し迫った脅威」が具体的に存在したのか。この点については、アメリカ国内からも疑義が出ている。アメリカの対テロ対策の責任者を務めていたジョー・ケント氏は、イラン攻撃の正当性に疑問を突きつけて職を辞している。米国際法学会も、明確な根拠が示されていない以上、国際法違反の可能性が高いとの見解を示している。つまりここで起きているのは、「違法かもしれない」という問題ではなく、違法であっても止められない世界が現実化しているということなのだ。 一方、ヨーロッパでは明確な変化が起きている。EUのウルズラ・フォンデアライエン欧州委員長は、ヨーロッパの戦略的自立の必要性を訴え、防衛力強化に舵を切った。いわば、アメリカ一極に依存してきた安全保障体制からの離脱を模索し始めている。 これは極めて重要なシグナルだ。同盟国であっても無条件に追随する時代ではなくなっているのだ。 では、翻って日本はどうか。 政府は、今回のイラン攻撃についての法的評価を避けている。同盟国アメリカへの配慮があることは理解できなくもないが、問われているのは、日本が「法の支配」を守る側に立つのか、それともその破壊者側に付くのかという、国としての根本的な立ち位置だ。同盟とは従属ではない。むしろ、同盟国だからこそ、誤りがあれば指摘する責任があるのではないか。 これから国際秩序はどのように変わっていくのか。国際法の権威として知られる柳原正治・九州大学名誉教授は、歴史的に見て、秩序の大転換は常に大戦争の後に起きてきたと指摘する。確かに人類は大きな戦争がなければ新しい秩序を築くことができていない。しかし、だとすれば、今起きている秩序の崩壊は、次の大きな戦争への序章ということになってしまうではないか。 国際法が機能しない世界で、日本は何を拠り所にすべきか。何があってもアメリカに抱きついていくだけで本当にいいのか。同盟と自立のバランスをどう取るのか。国際法の第一人者である柳原正治氏を迎え、崩壊しつつある国際秩序の現実と、その中で日本が取るべき選択について、神保哲生、宮台真司が徹底的に議論した。後半はこちら→so46106755(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/30(月) 12:00
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詳細<マル激・後半>日本はどこでポスト福島のエネルギー政策を間違えたのか/飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)
70年代のオイルショックの教訓も、15年前の福島原発事故の教訓も、日本はまったく活かせていないようだ。 アメリカとイスラエルによるイラン攻撃と、それに対するイランの報復がエスカレートする中、エネルギーをめぐる国際情勢は再び緊張の度を高めている。原油価格の上昇は燃料費にとどまらず輸送費や食料価格を通じて日本経済全体に波及し、エネルギーと食料の双方で自給率の低い日本の脆弱性を改めて浮き彫りにしている。日本は世界の中でも中東からの石油に最も大きく依存している国だからだ。 しかし、問題は外部環境だけではない。福島第一原発事故から15年を経た現在、日本の再生可能エネルギー比率は依然として約25%にとどまり、世界的なエネルギー転換の潮流から完全に取り残されつつある。再生可能エネルギーに関連した様々な技術でも、日本は取り残されつつある。なぜ日本は、ポスト福島のエネルギー政策に失敗したのか。 飯田氏がまず問題視するのは、ポスト福島の日本の電力システム改革が、実際には「既得権益を守ることを優先した自由化」に終始している点だ。発送電分離は形式上は実施されたものの、実際には送電会社に対する大手電力会社の影響力が依然として強く残っている。その結果、電力市場における意思決定は既存の発電事業者に有利に働きやすく、再生可能エネルギーの導入が優先されにくい構造が温存された。そもそも電力会社にとって、自分たちの利益に直接つながる原子力や火力発電を減らしてまで、事実上誰もが参入できる再生可能エネルギーのシェアを増やしていく動機は働きにくい。この制度的バイアスが、日本の再エネ導入の重たい足かせになっていると飯田氏は言う。 再エネ普及の柱として導入された固定価格買取制度(FIT)にも、根本部分で構造的な問題があった。日本のFITは「認定時に買取価格が決まる」仕組みを採用したため、事業者は設備コストの低下を待ってから稼働させた方が利益を得やすい。その結果、認定容量は増えても実際の稼働は遅れ、普及のスピードが鈍化するという逆転現象が起きた。本来、技術革新によってコストが低下する局面では、導入が加速するはずだが、日本では制度設計の不備がその流れを阻害してしまった。しかもそれは再エネ賦課金という形で必要以上に一般の消費者の負担を増やす結果となっている。 ところが、海外では状況が大きく異なる。太陽光や風力は多くの地域で最も低コストの電源となり、導入は急速に拡大している。二酸化炭素を排出せず、燃料輸入にも依存しない再エネは、安全保障と経済合理性の両面から選好されるようになっている。 議論の核心は、エネルギー問題が単なる技術やコストの問題ではなく、「社会の統治構造」に関わるテーマであるという点にある。従来の大規模集中型エネルギーは、中央集権的な統治と親和性が高い。一方、再生可能エネルギーは地域分散型であり、電力の生産と消費の関係を根本から変える可能性を持つ。この転換は、既存の利害構造や制度の再編を伴うため、必然的に抵抗が生じる。日本で再エネ導入に対する風当たりが強い背景には、こうした構造的要因があると飯田氏は指摘する。 福島事故後、日本は一時的にエネルギー転換への機運を高めた。しかし、その後の制度設計と政策運営の中で、既存システムとの折り合いを優先し、結果として抜本的な転換の機会を逸した。世界が再エネを軸にエネルギー安全保障と経済競争力の再構築を進める中、日本は依然として過渡的な状態にとどまっている。問われているのは、単なる電源構成の見直しではない。エネルギーを誰が、どのようにコントロールするのかという、より根源的な問いである。 アメリカとイスラエルのイラン攻撃により、対外依存度が高い日本のエネルギー政策がにわかに危機を迎えているが、そのリスクは15年前に致命的な原発事故を引き起こしておきながら、その後、再エネへの転換に失敗し、以前としてエネルギーの対外依存度を引き下げることができていない日本の政策的な失敗という面が大きい。そして、それはまた日本が再エネとデジタルを融合させた新しいエネルギー技術の面で世界から大きく後れを取る原因となっている。 太古の時代から人類の統治形態はその時々のエネルギーのあり方と表裏一体の関係にあった。人類の歴史は、社会の統治形態をその時々のエネルギー利用の方法に適応させることに成功した国や社会が、より多くの繁栄を享受してきたと言っても過言ではないだろう。その意味でも今の日本の状況は危機的だ。 今からでも遅くはない。日本はポスト福島の教訓を活かし、エネルギーの対外依存度を減らすと同時に、世界の技術革新の潮流から落ちこぼれないようにしなければ、短期的にも長期的にも大きく国益を損なうことになる。環境エネルギー政策研究所所長でエネルギー政策、とりわけ再生エネルギー分野の第一人者の飯田哲也氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so46082037(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/23(月) 12:00
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詳細<マル激・前半>日本はどこでポスト福島のエネルギー政策を間違えたのか/飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)
70年代のオイルショックの教訓も、15年前の福島原発事故の教訓も、日本はまったく活かせていないようだ。 アメリカとイスラエルによるイラン攻撃と、それに対するイランの報復がエスカレートする中、エネルギーをめぐる国際情勢は再び緊張の度を高めている。原油価格の上昇は燃料費にとどまらず輸送費や食料価格を通じて日本経済全体に波及し、エネルギーと食料の双方で自給率の低い日本の脆弱性を改めて浮き彫りにしている。日本は世界の中でも中東からの石油に最も大きく依存している国だからだ。 しかし、問題は外部環境だけではない。福島第一原発事故から15年を経た現在、日本の再生可能エネルギー比率は依然として約25%にとどまり、世界的なエネルギー転換の潮流から完全に取り残されつつある。再生可能エネルギーに関連した様々な技術でも、日本は取り残されつつある。なぜ日本は、ポスト福島のエネルギー政策に失敗したのか。 飯田氏がまず問題視するのは、ポスト福島の日本の電力システム改革が、実際には「既得権益を守ることを優先した自由化」に終始している点だ。発送電分離は形式上は実施されたものの、実際には送電会社に対する大手電力会社の影響力が依然として強く残っている。その結果、電力市場における意思決定は既存の発電事業者に有利に働きやすく、再生可能エネルギーの導入が優先されにくい構造が温存された。そもそも電力会社にとって、自分たちの利益に直接つながる原子力や火力発電を減らしてまで、事実上誰もが参入できる再生可能エネルギーのシェアを増やしていく動機は働きにくい。この制度的バイアスが、日本の再エネ導入の重たい足かせになっていると飯田氏は言う。 再エネ普及の柱として導入された固定価格買取制度(FIT)にも、根本部分で構造的な問題があった。日本のFITは「認定時に買取価格が決まる」仕組みを採用したため、事業者は設備コストの低下を待ってから稼働させた方が利益を得やすい。その結果、認定容量は増えても実際の稼働は遅れ、普及のスピードが鈍化するという逆転現象が起きた。本来、技術革新によってコストが低下する局面では、導入が加速するはずだが、日本では制度設計の不備がその流れを阻害してしまった。しかもそれは再エネ賦課金という形で必要以上に一般の消費者の負担を増やす結果となっている。 ところが、海外では状況が大きく異なる。太陽光や風力は多くの地域で最も低コストの電源となり、導入は急速に拡大している。二酸化炭素を排出せず、燃料輸入にも依存しない再エネは、安全保障と経済合理性の両面から選好されるようになっている。 議論の核心は、エネルギー問題が単なる技術やコストの問題ではなく、「社会の統治構造」に関わるテーマであるという点にある。従来の大規模集中型エネルギーは、中央集権的な統治と親和性が高い。一方、再生可能エネルギーは地域分散型であり、電力の生産と消費の関係を根本から変える可能性を持つ。この転換は、既存の利害構造や制度の再編を伴うため、必然的に抵抗が生じる。日本で再エネ導入に対する風当たりが強い背景には、こうした構造的要因があると飯田氏は指摘する。 福島事故後、日本は一時的にエネルギー転換への機運を高めた。しかし、その後の制度設計と政策運営の中で、既存システムとの折り合いを優先し、結果として抜本的な転換の機会を逸した。世界が再エネを軸にエネルギー安全保障と経済競争力の再構築を進める中、日本は依然として過渡的な状態にとどまっている。問われているのは、単なる電源構成の見直しではない。エネルギーを誰が、どのようにコントロールするのかという、より根源的な問いである。 アメリカとイスラエルのイラン攻撃により、対外依存度が高い日本のエネルギー政策がにわかに危機を迎えているが、そのリスクは15年前に致命的な原発事故を引き起こしておきながら、その後、再エネへの転換に失敗し、以前としてエネルギーの対外依存度を引き下げることができていない日本の政策的な失敗という面が大きい。そして、それはまた日本が再エネとデジタルを融合させた新しいエネルギー技術の面で世界から大きく後れを取る原因となっている。 太古の時代から人類の統治形態はその時々のエネルギーのあり方と表裏一体の関係にあった。人類の歴史は、社会の統治形態をその時々のエネルギー利用の方法に適応させることに成功した国や社会が、より多くの繁栄を享受してきたと言っても過言ではないだろう。その意味でも今の日本の状況は危機的だ。 今からでも遅くはない。日本はポスト福島の教訓を活かし、エネルギーの対外依存度を減らすと同時に、世界の技術革新の潮流から落ちこぼれないようにしなければ、短期的にも長期的にも大きく国益を損なうことになる。環境エネルギー政策研究所所長でエネルギー政策、とりわけ再生エネルギー分野の第一人者の飯田哲也氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so46082101(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/23(月) 12:00
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詳細<ディスクロージャー&ディスカバリー>旧優生保護法下の強制不妊手術をめぐり問われる「情報公開は誰のための制度か」
旧優生保護法のもとで行われた強制不妊手術をめぐり、行政が持つ個人情報の公開のあり方が問われる事態となっている。 情報公開制度は誰が請求者であっても同じ条件で情報が開示されることが前提となっているが、旧優生保護法下での強制不妊手術のように高度に機微に触れる個人情報をどう扱うかについては、情報公開制度だけではカバーしきれないところがあるからだ。 京都新聞の記者が2017年、滋賀県に対し、強制不妊手術に関する文書を情報公開請求した。県は大半を不開示とし、審議会が開示範囲の拡大を答申した後も、県がその決定に従わなかったため、記者は2020年に提訴に踏み切った。大阪高裁は2024年、一定の範囲で開示を認めつつも、極めて秘匿性の高い個人情報については非開示とする地裁判決を支持、2025年2月に最高裁が双方の上告を不受理としたことで、高裁判決が確定判決となった。 この訴訟では情報公開制度の根幹にある原則が問われる。情報公開法は「請求者や請求目的にかかわらず、同一の情報を開示する」ことを建前とする。行政が恣意的に「この人には見せるが、この人には見せない」と判断することを防ぐための仕組みであり、いわばユニバーサルな制度である。 しかし、この原則はときに深刻なジレンマを生む。今回のように、強制不妊手術に関する記録には、出生歴、病歴、知能の程度、家族の状況、さらには異性関係など、極めて機微性の高い個人情報が含まれる。仮に氏名を伏せたとしても、それを公にすること自体が人格的利益を侵害する可能性がある。そしてその機微性を理由に公開が行われないとすれば、それは強制的に不妊手術を受けさせられた被害者が開示請求をしても同じ結果となることを意味している。 また、こうした情報の開示は、国家による重大な人権侵害の実態を解明し、再発防止や被害者救済を進めるためにも不可欠だ。実際、旧優生保護法問題では、被害者自身が長年声を上げられず、記録の存在すら確認できないケースも多かった。報道機関による情報公開請求が、社会的関心を喚起し、それが救済制度の創設につながった。 問題は、被害者本人の「自分の情報を知る権利」と、社会全体の「知る権利」をどう両立させるかにある。本来、本人開示請求は、自らに関する情報を取得するための制度として位置づけられている。しかし情報公開制度は、あくまで「誰に対しても同じ情報を開示する」仕組みであり、本人にだけ特別に開示するという運用は想定されていない。 その結果、「本人にだけは見せたいが、誰にでも見せることになるなら出せない」という逆説的な状況が生まれる。実際、強制不妊手術の記録をめぐっては、本人であっても開示が認められないケースが出てきている。 滋賀県の事案では県の情報公開制度審議会が、公益性を重視し、個人が特定されない限り広範な開示を認めるべきだとする決定を下したが、その一方で、裁判所は、たとえ特定されなくても人格に深く関わる情報は保護されるべきだとして、開示範囲を限定した。ここには、公益とプライバシーのどちらをより重く見るかという価値判断の違いが明確に表れている。 この番組の司会で情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子氏は、この問題の核心として、「情報公開は常に“誰のための制度か”を問い返す必要がある」と指摘する。社会的関心の高さを理由に被害者のプライバシーを制約することは、人権侵害を受けた人の権利をさらに損なう危険性をはらむ。一方で、開示がなければ、歴史的事実の検証も再発防止も進まない。 強制不妊手術という極めて特殊で深刻な人権侵害を前に、情報公開制度の「誰にでも同じ情報を」という原則は、その強みであると同時に限界も露呈した。被害者の尊厳を守りながら、社会の知る権利をいかに担保するのかを情報公開クリアリングハウスの三木由希子とジャーナリストの神保哲生が議論した。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/20(金) 12:00
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詳細<マル激・後半>誰のための何のためのイラン攻撃なのか/山岸智子氏(明治大学政治経済学部教授)、前嶋和弘氏(上智大学総合グローバル学部教授)
そもそも何のためのイラン攻撃なのかが、さっぱりわからなくなってきた。2月28日に始まったアメリカとイスラエルによるイランへの軍事攻撃について、トランプ大統領の説明は二転三転し、作戦の最終目的がわからないが故に、終わりも見えなくなっている。 トランプ大統領が当初目指していたはずのイランの体制転換には今のところ失敗しているし、トランプ大統領によると「殲滅させた」はずのイラン軍からの報復攻撃も続いている。しかも、イランがホルムズ海峡の封鎖に出たことで、世界のエネルギー市場に激震が走っている。世界各地の株価相場は軒並み暴落し、為替相場もいよいよ1ドルが160円に届きそうだ。国際原油価格の指標となるWTI原油先物は再び1バレル100ドルに迫っている。エネルギー価格の高騰が長期化すれば、中東からの石油に依存する日本はもとより、世界経済への深刻な影響は避けられない。 それにしても、それだけ大きなリスクを犯してまで断行に踏み切った今回のイラン攻撃の目的が何なのかが誰にもわからないというのは、異常事態としか言いようがないではないか。 とは言え、アメリカ、イスラエルという2つの軍事大国から容赦のないミサイル攻撃や空爆を受けたイランが甚大な被害を受け、現体制が大混乱に陥っていることは間違いなさそうだ。政府による厳しい検閲の下でインターネット接続も不安定な状態が続き、国外からの情報アクセスは大きく制限されているため、現在のイラン国内の状況は外からは極めて見えにくい。ただ、イラン国内にも取材源を持つカタールの衛星テレビ局アルジャジーラによれば、今回の戦闘による死者は3月12日時点でイラン側が1,444人、レバノンで687人に上り、その中には多くの民間人も含まれているとみられる。実際にはその数値を遥かに上回る数の犠牲者や被害者が出ているとの観測もある。 また、今回の攻撃でイランは最高指導者のアリ・ハメネイ師を殺害された。イスラム革命以来、体制の頂点に立つ最高指導者が外部勢力によって殺害されたのは初めてのことであり、イランの政治体制が重大な局面を迎えていることも間違いないだろう。 その後、イランでは宗教指導者らで構成される「専門家会議」が開かれ、ハメネイ師の後継者に次男のモジタバ・ハメネイ師が選出された。しかしモジタバ師はこれまで公職に就いた経験がなく、政治的実績も乏しい人物とされる。イラン地域研究を専門とする明治大学の山岸智子教授は、「モジタバ師にはイスラム法学の権威も政治経験も不足している」と語り、今回の後継者選びが異例の対応となった点を強調する。その上で、「それでもなお彼を3代目の最高指導者に選ばざるを得なかったこと自体が、現在のイランが政治的に追い詰められた状況を示している」と山岸氏は語る。 一方で、今回の軍事行動について、アメリカ側に明確な戦略が存在しているのかについての疑問も浮上している。ルビオ国務長官は3月2日の記者会見で、イスラエルがイランを攻撃する可能性を事前に把握していたことを示唆したうえで、その場合には中東に展開する米軍が攻撃を受ける可能性があったと発言した。この発言は、アメリカが主体的に戦争を計画したというよりも、イスラエルの軍事行動に結果として巻き込まれる形で参戦した可能性を示唆するものとして受け止められている。 さらに、この軍事行動の背景にはアメリカ国内政治の事情も指摘されている。トランプ大統領は、エプスタイン文書をめぐる問題などで支持率の低下に直面しており、対外的な軍事行動によって国内支持の回復を図ろうとしているのではないかという見方だ。 アメリカ政治を専門とする上智大学の前嶋和弘教授は、「今回のイラン攻撃はアメリカ全体の国益というよりも、トランプ大統領が自らの支持基盤である共和党支持者を満足させるために仕掛けた可能性がある」と指摘する。その意味で今回の軍事行動は、アメリカの圧倒的な軍事力を背景にした帝国主義的な行動と見ることもできるという。 イスラエルのネタニヤフ首相も連立を組む対イラン強硬派の保守勢力からの強い圧力に晒されており、今回のイラン攻撃がアメリカやイスラエルの国内政局の産物であるとの見方もある。より厳しい言い方をすれば、トランプ、ネタニヤフという2人の政治家の個人的利益から行われているとの疑いが拭えないのだ。 アメリカとイスラエルはなぜイラン攻撃に踏み切ったのか。イランの現体制はこの攻撃を持ち堪えることができるのか。そして、この戦闘が終結に向かう道筋は見えているのか。イランの地域研究を専門とする明治大学政治経済学部の山岸智子教授と、アメリカ政治を専門とする上智大学総合グローバル学部の前嶋和弘教授にジャーナリストの神保哲生が聞いた。前半はこちら→so46058498(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/16(月) 12:00
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会員無料 78:15
詳細<マル激・前半>誰のための何のためのイラン攻撃なのか/山岸智子氏(明治大学政治経済学部教授)、前嶋和弘氏(上智大学総合グローバル学部教授)
そもそも何のためのイラン攻撃なのかが、さっぱりわからなくなってきた。2月28日に始まったアメリカとイスラエルによるイランへの軍事攻撃について、トランプ大統領の説明は二転三転し、作戦の最終目的がわからないが故に、終わりも見えなくなっている。 トランプ大統領が当初目指していたはずのイランの体制転換には今のところ失敗しているし、トランプ大統領によると「殲滅させた」はずのイラン軍からの報復攻撃も続いている。しかも、イランがホルムズ海峡の封鎖に出たことで、世界のエネルギー市場に激震が走っている。世界各地の株価相場は軒並み暴落し、為替相場もいよいよ1ドルが160円に届きそうだ。国際原油価格の指標となるWTI原油先物は再び1バレル100ドルに迫っている。エネルギー価格の高騰が長期化すれば、中東からの石油に依存する日本はもとより、世界経済への深刻な影響は避けられない。 それにしても、それだけ大きなリスクを犯してまで断行に踏み切った今回のイラン攻撃の目的が何なのかが誰にもわからないというのは、異常事態としか言いようがないではないか。 とは言え、アメリカ、イスラエルという2つの軍事大国から容赦のないミサイル攻撃や空爆を受けたイランが甚大な被害を受け、現体制が大混乱に陥っていることは間違いなさそうだ。政府による厳しい検閲の下でインターネット接続も不安定な状態が続き、国外からの情報アクセスは大きく制限されているため、現在のイラン国内の状況は外からは極めて見えにくい。ただ、イラン国内にも取材源を持つカタールの衛星テレビ局アルジャジーラによれば、今回の戦闘による死者は3月12日時点でイラン側が1,444人、レバノンで687人に上り、その中には多くの民間人も含まれているとみられる。実際にはその数値を遥かに上回る数の犠牲者や被害者が出ているとの観測もある。 また、今回の攻撃でイランは最高指導者のアリ・ハメネイ師を殺害された。イスラム革命以来、体制の頂点に立つ最高指導者が外部勢力によって殺害されたのは初めてのことであり、イランの政治体制が重大な局面を迎えていることも間違いないだろう。 その後、イランでは宗教指導者らで構成される「専門家会議」が開かれ、ハメネイ師の後継者に次男のモジタバ・ハメネイ師が選出された。しかしモジタバ師はこれまで公職に就いた経験がなく、政治的実績も乏しい人物とされる。イラン地域研究を専門とする明治大学の山岸智子教授は、「モジタバ師にはイスラム法学の権威も政治経験も不足している」と語り、今回の後継者選びが異例の対応となった点を強調する。その上で、「それでもなお彼を3代目の最高指導者に選ばざるを得なかったこと自体が、現在のイランが政治的に追い詰められた状況を示している」と山岸氏は語る。 一方で、今回の軍事行動について、アメリカ側に明確な戦略が存在しているのかについての疑問も浮上している。ルビオ国務長官は3月2日の記者会見で、イスラエルがイランを攻撃する可能性を事前に把握していたことを示唆したうえで、その場合には中東に展開する米軍が攻撃を受ける可能性があったと発言した。この発言は、アメリカが主体的に戦争を計画したというよりも、イスラエルの軍事行動に結果として巻き込まれる形で参戦した可能性を示唆するものとして受け止められている。 さらに、この軍事行動の背景にはアメリカ国内政治の事情も指摘されている。トランプ大統領は、エプスタイン文書をめぐる問題などで支持率の低下に直面しており、対外的な軍事行動によって国内支持の回復を図ろうとしているのではないかという見方だ。 アメリカ政治を専門とする上智大学の前嶋和弘教授は、「今回のイラン攻撃はアメリカ全体の国益というよりも、トランプ大統領が自らの支持基盤である共和党支持者を満足させるために仕掛けた可能性がある」と指摘する。その意味で今回の軍事行動は、アメリカの圧倒的な軍事力を背景にした帝国主義的な行動と見ることもできるという。 イスラエルのネタニヤフ首相も連立を組む対イラン強硬派の保守勢力からの強い圧力に晒されており、今回のイラン攻撃がアメリカやイスラエルの国内政局の産物であるとの見方もある。より厳しい言い方をすれば、トランプ、ネタニヤフという2人の政治家の個人的利益から行われているとの疑いが拭えないのだ。 アメリカとイスラエルはなぜイラン攻撃に踏み切ったのか。イランの現体制はこの攻撃を持ち堪えることができるのか。そして、この戦闘が終結に向かう道筋は見えているのか。イランの地域研究を専門とする明治大学政治経済学部の山岸智子教授と、アメリカ政治を専門とする上智大学総合グローバル学部の前嶋和弘教授にジャーナリストの神保哲生が聞いた。後半はこちら→so46058511(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/16(月) 12:00
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詳細<セーブアース>原発事故から15年 廃炉も廃棄物も未解決のまま原発回帰で本当にいいのか/松久保肇氏(原子力資料情報室事務局長)
2011年の東日本大震災と福島第一原発事故から15年が経った。事故の影響は今なお続いているが、日本のエネルギー政策は再び原発活用へと大きく舵を切り始めている。政府は原発を「最大限に活用する」とする方針を打ち出し、今年1月には東京電力柏崎刈羽原発6号機が約14年ぶりに再稼働した。しかし、事故直後に発令された「原子力緊急事態宣言」は現在も解除されておらず、福島第一原発の事故対応は終わっていない。あの原発事故は今もまだ続いているのだ。 最大の課題は廃炉だ。福島第一原発には約880トンの燃料デブリが存在すると推定されているが、これまでに取り出されたのはわずか0.9グラムにすぎない。溶け落ちた燃料は炉内の構造物と混ざり合って固まり、強烈な放射線を放つため人が近づくこともできない。ロボットによる調査も放射線による故障が相次ぎ、内部の状況すら完全には把握できていないのが実情だ。政府と東京電力は2051年までの廃炉完了を掲げているが、その実現性には疑問の声も多い。 さらに、廃炉に伴って発生すると見込まれる放射性廃棄物は約780万トン。その処分場所は決まっていない。加えて、除染で発生した約1400万立方メートルの土壌も福島県内の中間貯蔵施設に保管されたままで、政府は2045年までに県外で最終処分するとしているものの、受け入れ先は見つかっていない。 事故から時間が経つにつれ、社会の記憶は薄れつつある。しかし今も2万人以上が避難生活を続けており、事故の後始末は終わっていない。一方で世界のエネルギー情勢を見ると、原子力の割合が低下する一方、太陽光や風力など再生可能エネルギーが急速に拡大している。こうした状況のなかで、日本はなぜ原発回帰へと向かおうとしているのか。 今月のセーブアースでは、福島第一原発の廃炉の現状と課題、膨大な放射性廃棄物の行き先、そして原発再稼働を進める日本のエネルギー政策の問題点について、原子力資料情報室事務局長の松久保肇氏と、環境ジャーナリストの井田徹治、キャスターの新井麻希が議論した。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/16(月) 12:00
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会員無料 56:29
詳細<マル激・前半>原発事故から15年が過ぎても放射線測定が被災地対策の基本だ/小豆川勝見氏(東京大学大学院総合文化研究科助教)
東京電力福島第一原発事故から15年が経過したが、事故の影響は依然として被災地に暗い影を残している。東日本大震災に伴う地震と津波により福島第一原発がメルトダウンを起こし、大量の放射性物質が放出された結果、住民の帰還が認められていない「帰還困難区域」が今も広範囲に広がっているからだ。 その面積は約300平方キロメートル。東京23区の半分に匹敵する広さで、そこはまるで2011年3月11日の時点で時間が止まったかのようだ。 こうした地域で現在も放射線量の測定を続けている研究者がいる。東京大学大学院総合文化研究科環境分析化学研究室助教の小豆川勝見氏だ。小豆川氏は平均して月に2回、帰還困難区域に足を運び、現地の線量を測定して記録を残している。 もともと小豆川氏は、放射線を科学研究の有用なツールとして扱う研究者だった。東海村で研究に携わっていた当時、原子炉は「絶対に壊れない」と考えていたという。しかし福島第一原発事故を目の当たりにし、被災地の放射線量を測定し記録に残すことが研究者としての使命だと考えるようになった。事故から間もない2011年4月に調査を開始し、現在まで活動を続けている。 事故当初、大きな問題となった放射性ヨウ素は半減期が8日と短いため、現在はほとんど影響を考慮する必要がない。しかし大量に放出された放射性セシウム137は半減期が約30年のため、事故から15年が経過した現在でも大量の放射線を放出し続けている。 特に除染が行われていない帰還困難区域では、今も空間線量の高い場所が存在する。一方、復興拠点として指定された地域では除染が繰り返され、新しい土で覆われるなどの対策によって線量は低下している。ただし、そのすぐ近くでも手つかずの場所では、依然として基準値を大きく上回る線量が測定されるという。 さらに小豆川氏は、放射性セシウムが「移動する」という性質にも注意が必要だと指摘する。セシウムは土壌に吸着しやすいため、土ぼこりとともに風で運ばれたり、大雨の際に土砂とともに谷や川へ流れ込んだりする。泥がたまりやすい溝などで線量が高くなるのはそのためだ。 農産物については、産地の特定や検査体制が整備され、多くのデータが蓄積されてきた。一方、海や川を移動する魚類などについては、依然として分からないことも多いという。小豆川氏は、こうした点についても実際の測定データを基に説明する。 事故から15年という年月は、多くの人々の関心が薄れるには十分な時間かもしれない。当時は放射線に関する情報を積極的に集めていた人々も多かったが、現在では線量測定の結果が社会で共有される機会が減っているのではないかと、小豆川氏は懸念する。 「放射線は目に見えない。測定しなければ状況は分からない」と語る小豆川氏は、客観的なデータがあってこそ、復興のあり方を議論できると主張する。 放射線は自然界にも存在するものであり、必要以上に恐れるべきものではない。しかし事実を知り、理解を深めることは、今後の廃炉作業や原子力政策を考えるうえでも重要だと小豆川氏は語り、福島通いを今も続けている。 事故から15年を迎えた原発被災地の現状と今後の課題について、放射線測定機器の実演も交えながら、小豆川氏に社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が話を聞いた。後半はこちら→so46032383(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/09(月) 12:00
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会員無料 31:51
詳細<マル激・後半>原発事故から15年が過ぎても放射線測定が被災地対策の基本だ/小豆川勝見氏(東京大学大学院総合文化研究科助教)
東京電力福島第一原発事故から15年が経過したが、事故の影響は依然として被災地に暗い影を残している。東日本大震災に伴う地震と津波により福島第一原発がメルトダウンを起こし、大量の放射性物質が放出された結果、住民の帰還が認められていない「帰還困難区域」が今も広範囲に広がっているからだ。 その面積は約300平方キロメートル。東京23区の半分に匹敵する広さで、そこはまるで2011年3月11日の時点で時間が止まったかのようだ。 こうした地域で現在も放射線量の測定を続けている研究者がいる。東京大学大学院総合文化研究科環境分析化学研究室助教の小豆川勝見氏だ。小豆川氏は平均して月に2回、帰還困難区域に足を運び、現地の線量を測定して記録を残している。 もともと小豆川氏は、放射線を科学研究の有用なツールとして扱う研究者だった。東海村で研究に携わっていた当時、原子炉は「絶対に壊れない」と考えていたという。しかし福島第一原発事故を目の当たりにし、被災地の放射線量を測定し記録に残すことが研究者としての使命だと考えるようになった。事故から間もない2011年4月に調査を開始し、現在まで活動を続けている。 事故当初、大きな問題となった放射性ヨウ素は半減期が8日と短いため、現在はほとんど影響を考慮する必要がない。しかし大量に放出された放射性セシウム137は半減期が約30年のため、事故から15年が経過した現在でも大量の放射線を放出し続けている。 特に除染が行われていない帰還困難区域では、今も空間線量の高い場所が存在する。一方、復興拠点として指定された地域では除染が繰り返され、新しい土で覆われるなどの対策によって線量は低下している。ただし、そのすぐ近くでも手つかずの場所では、依然として基準値を大きく上回る線量が測定されるという。 さらに小豆川氏は、放射性セシウムが「移動する」という性質にも注意が必要だと指摘する。セシウムは土壌に吸着しやすいため、土ぼこりとともに風で運ばれたり、大雨の際に土砂とともに谷や川へ流れ込んだりする。泥がたまりやすい溝などで線量が高くなるのはそのためだ。 農産物については、産地の特定や検査体制が整備され、多くのデータが蓄積されてきた。一方、海や川を移動する魚類などについては、依然として分からないことも多いという。小豆川氏は、こうした点についても実際の測定データを基に説明する。 事故から15年という年月は、多くの人々の関心が薄れるには十分な時間かもしれない。当時は放射線に関する情報を積極的に集めていた人々も多かったが、現在では線量測定の結果が社会で共有される機会が減っているのではないかと、小豆川氏は懸念する。 「放射線は目に見えない。測定しなければ状況は分からない」と語る小豆川氏は、客観的なデータがあってこそ、復興のあり方を議論できると主張する。 放射線は自然界にも存在するものであり、必要以上に恐れるべきものではない。しかし事実を知り、理解を深めることは、今後の廃炉作業や原子力政策を考えるうえでも重要だと小豆川氏は語り、福島通いを今も続けている。 事故から15年を迎えた原発被災地の現状と今後の課題について、放射線測定機器の実演も交えながら、小豆川氏に社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が話を聞いた。前半はこちら→so46033076(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/09(月) 12:00
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詳細<マル激・後半>消費減税の国民生活への効果と影響を検証する/熊野英生氏(第一生命経済研究所首席エコノミスト)
減税は誰もが歓迎するものだろう。しかし、現在高市政権が進めている食料品の消費税をゼロにすることが、どの程度物価高対策として有効なのか。また、そのリスクとしてわれわれは何を知っておく必要があるのか。 消費税減税をめぐっては、先の衆院選では各党が一斉に公約「消費減税」を掲げたが、自民党が歴史的な大勝を収めたことから、当面は自民党の公約である「食料品の消費税の2年間ゼロ」が優先的に実現される可能性が高い。 日本では比率の高い順に消費税、所得税、法人税が税収の柱で、その3つで全税収の9割近くを占めているが、その中でも消費税は最大の税収源となっている。しかも、日本ではほとんどの人は所得税が「源泉」されているし、法人税は経営者や個人事業主以外は直接関係してこないので、何かを購入するたびに徴収される消費税は、圧倒的に痛税感が強い。だからこそ、選挙公約でその減税を謳うことはとりわけ集票効果が大きい。 ところで物価高対策として食品の消費税をゼロにした場合、国民生活はどれほど潤うのだろうか。第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生氏の試算では、仮に食料品の消費税率が現在の8%(軽減税率)から0%になった場合、世帯あたり平均して年間約6万8,000円の負担軽減効果が見込まれるという。これは2人以上世帯を対象にした試算なので、2人世帯の場合、一人あたりだと年間3万4,000円、毎月2,833円が浮く計算になる。 この数字をどう見るかはそれぞれだろうが、日頃買い物をする際に感じている痛税感の割には小さいと感じられるかもしれない。過度な期待は禁物と考えておいた方がよさそうだ。 消費税減税は、そこで潤った分のおカネの一部が消費に回ることで経済活動が活発になり経済成長を促すというのも、期待される効果の一つだ。しかし、食品の消費税をゼロにした場合の経済への影響は意外と小さく、減税によって5兆円の税収が消える一方で、それが個人消費に回る割合はその1割の約5,000億円、そのGDP押し上げ効果は3,000億円分と見積もられているため、現在約590兆円の実質GDPに与える影響はプラス0.05%程度にとどまると見込まれている。 このようにメリットが限定的であるのに対し、食料品消費税ゼロによるマイナスの影響はかなり大きい。 まず、消費税はもともとその逆進性、つまり所得が低い人ほど税負担の割合が大きくなる点が問題視されてきたが、消費減税にもその欠点が反映されてしまう。つまり、所得が大きい人ほど消費減税の恩恵が大きくなってしまうのだ。格差が広がる中で、消費減税には所得再分配の観点からも疑問が残る。 しかも、食品の消費税がゼロになっても、われわれ消費者が購入する食品の価格が消費税の8%分丸ごと安くなるとは限らないことも知っておく必要があるだろう。消費税はもともと事業者に納税義務が課されているため、消費減税の恩恵を直接受けるのは事業者だけだ。消費者は、事業者がその減税分を小売価格に反映してくれたときに初めてそのメリットを享受できる。しかし、原材料費や人件費の高騰を価格転嫁できなかったことにあえぐ中小事業者が価格を据え置く可能性もあり、仮に値下げをしても消費減税分の8%を丸ごと引いてくれるとは限らない。食品の消費税がゼロになったはずなのに、小売価格はそれほど下がらない可能性が高いということだ。 その一方で、税収の柱である消費税の減税が財政に与えるダメージは計り知れない。食品の消費税をゼロにした場合、国と地方を合わせて年間約5兆円の税収減が見込まれている。国の税収約80兆円の3分の1を占める約26兆円の消費税は全額が社会保障に使われることが法律で定められているが、実は年間の社会保障関係費はすでに約38兆円に達しており、消費税だけでは賄えていないのが実情だ。今回の食品ゼロによってそこからさらに5兆円が消えた場合、その穴をどう埋めるのかは容易なことではない。 さらに深刻なのが地方財政へのしわ寄せだ。消費税はもともと、国と地方自治体の間でおおむね8対2の割合で分配されることが定められている。今回食品の消費税がゼロになることによって減少する5兆円については国が約3.2兆円、地方が約1.8兆円分を被ることになる。しかし、地方自治体の行政サービスの多くは国が定めたルールの下で担われているものが多く、財源が減ったからといって簡単に削ることはできない義務的なものが多い。熊野氏は、地方自治体の減収のしわ寄せが上下水道やごみ処理といった住民生活に直結する行政サービスの低下を招く可能性が懸念されると指摘する。 失われる5兆円の穴を埋めるために、高市首相は赤字国債には頼らないと明言しているが、具体的な財源は示されていない。熊野氏は、外為特会(外国為替資金特別会計)や年金積立金の活用には無理があり、現実的には「2年に限って赤字国債を発行するしかないのではないか」と指摘する。しかし、赤字国債の増発はインフレ圧力をさらに強めることになる。また消費減税によって財政赤字が拡大すれば、市場からの信認低下によりさらに円安が進行する可能性が高い。円安によって輸入物価が上昇すれば、食料自給率の低い日本では直ちに食品価格の上昇を招くことが避けられない。せっかくの消費減税の効果が一気に吹き飛んでしまう恐れが十分あるのだ。 物価高に苦しむ国民生活への支援は急務だ。しかし、その手段として消費減税が本当に適切なのか。私たちは減税というポピュリズムの罠に陥っていないか。もし消費減税の5兆円を捻出する手段が本当にあるのなら、それはどう使われるべきなのかなどについて、熊野氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。前半はこちら→so46004720(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/02(月) 12:00
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詳細<マル激・前半>消費減税の国民生活への効果と影響を検証する/熊野英生氏(第一生命経済研究所首席エコノミスト)
減税は誰もが歓迎するものだろう。しかし、現在高市政権が進めている食料品の消費税をゼロにすることが、どの程度物価高対策として有効なのか。また、そのリスクとしてわれわれは何を知っておく必要があるのか。 消費税減税をめぐっては、先の衆院選では各党が一斉に公約「消費減税」を掲げたが、自民党が歴史的な大勝を収めたことから、当面は自民党の公約である「食料品の消費税の2年間ゼロ」が優先的に実現される可能性が高い。 日本では比率の高い順に消費税、所得税、法人税が税収の柱で、その3つで全税収の9割近くを占めているが、その中でも消費税は最大の税収源となっている。しかも、日本ではほとんどの人は所得税が「源泉」されているし、法人税は経営者や個人事業主以外は直接関係してこないので、何かを購入するたびに徴収される消費税は、圧倒的に痛税感が強い。だからこそ、選挙公約でその減税を謳うことはとりわけ集票効果が大きい。 ところで物価高対策として食品の消費税をゼロにした場合、国民生活はどれほど潤うのだろうか。第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生氏の試算では、仮に食料品の消費税率が現在の8%(軽減税率)から0%になった場合、世帯あたり平均して年間約6万8,000円の負担軽減効果が見込まれるという。これは2人以上世帯を対象にした試算なので、2人世帯の場合、一人あたりだと年間3万4,000円、毎月2,833円が浮く計算になる。 この数字をどう見るかはそれぞれだろうが、日頃買い物をする際に感じている痛税感の割には小さいと感じられるかもしれない。過度な期待は禁物と考えておいた方がよさそうだ。 消費税減税は、そこで潤った分のおカネの一部が消費に回ることで経済活動が活発になり経済成長を促すというのも、期待される効果の一つだ。しかし、食品の消費税をゼロにした場合の経済への影響は意外と小さく、減税によって5兆円の税収が消える一方で、それが個人消費に回る割合はその1割の約5,000億円、そのGDP押し上げ効果は3,000億円分と見積もられているため、現在約590兆円の実質GDPに与える影響はプラス0.05%程度にとどまると見込まれている。 このようにメリットが限定的であるのに対し、食料品消費税ゼロによるマイナスの影響はかなり大きい。 まず、消費税はもともとその逆進性、つまり所得が低い人ほど税負担の割合が大きくなる点が問題視されてきたが、消費減税にもその欠点が反映されてしまう。つまり、所得が大きい人ほど消費減税の恩恵が大きくなってしまうのだ。格差が広がる中で、消費減税には所得再分配の観点からも疑問が残る。 しかも、食品の消費税がゼロになっても、われわれ消費者が購入する食品の価格が消費税の8%分丸ごと安くなるとは限らないことも知っておく必要があるだろう。消費税はもともと事業者に納税義務が課されているため、消費減税の恩恵を直接受けるのは事業者だけだ。消費者は、事業者がその減税分を小売価格に反映してくれたときに初めてそのメリットを享受できる。しかし、原材料費や人件費の高騰を価格転嫁できなかったことにあえぐ中小事業者が価格を据え置く可能性もあり、仮に値下げをしても消費減税分の8%を丸ごと引いてくれるとは限らない。食品の消費税がゼロになったはずなのに、小売価格はそれほど下がらない可能性が高いということだ。 その一方で、税収の柱である消費税の減税が財政に与えるダメージは計り知れない。食品の消費税をゼロにした場合、国と地方を合わせて年間約5兆円の税収減が見込まれている。国の税収約80兆円の3分の1を占める約26兆円の消費税は全額が社会保障に使われることが法律で定められているが、実は年間の社会保障関係費はすでに約38兆円に達しており、消費税だけでは賄えていないのが実情だ。今回の食品ゼロによってそこからさらに5兆円が消えた場合、その穴をどう埋めるのかは容易なことではない。 さらに深刻なのが地方財政へのしわ寄せだ。消費税はもともと、国と地方自治体の間でおおむね8対2の割合で分配されることが定められている。今回食品の消費税がゼロになることによって減少する5兆円については国が約3.2兆円、地方が約1.8兆円分を被ることになる。しかし、地方自治体の行政サービスの多くは国が定めたルールの下で担われているものが多く、財源が減ったからといって簡単に削ることはできない義務的なものが多い。熊野氏は、地方自治体の減収のしわ寄せが上下水道やごみ処理といった住民生活に直結する行政サービスの低下を招く可能性が懸念されると指摘する。 失われる5兆円の穴を埋めるために、高市首相は赤字国債には頼らないと明言しているが、具体的な財源は示されていない。熊野氏は、外為特会(外国為替資金特別会計)や年金積立金の活用には無理があり、現実的には「2年に限って赤字国債を発行するしかないのではないか」と指摘する。しかし、赤字国債の増発はインフレ圧力をさらに強めることになる。また消費減税によって財政赤字が拡大すれば、市場からの信認低下によりさらに円安が進行する可能性が高い。円安によって輸入物価が上昇すれば、食料自給率の低い日本では直ちに食品価格の上昇を招くことが避けられない。せっかくの消費減税の効果が一気に吹き飛んでしまう恐れが十分あるのだ。 物価高に苦しむ国民生活への支援は急務だ。しかし、その手段として消費減税が本当に適切なのか。私たちは減税というポピュリズムの罠に陥っていないか。もし消費減税の5兆円を捻出する手段が本当にあるのなら、それはどう使われるべきなのかなどについて、熊野氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。後半はこちら→so46004722(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/03/02(月) 12:00
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詳細<マル激・前半>「社会保障は重すぎる」は本当か/権丈善一氏(慶應義塾大学商学部教授)
2月20日の施政方針演説で高市首相は、「社会保障と税」をテーマに国民会議を立ち上げ、国民的議論を行う考えを示した。制度の持続可能性が問われる中での議論の場づくりは一見、前向きに映る。しかし、そこでどのような前提や認識が共有されるのかによって、議論の方向性は大きく左右される。結論ありきの会議にならないかは、十分に注視する必要があるだろう。 近年の選挙戦や政策論争では、「手取りを増やす」「年収の壁を壊す」といった、わかりやすく拡散力の高い言葉が躍り、やたらと社会保障の負担感が強調されてきた。しかし、果たして日本の社会保障は本当に過重なのだろうか。 社会保障を専門とする慶應義塾大学商学部教授の権丈善一氏は、現在広く流布している社会保障をめぐる言説の多くが、「事実というより通念」だと指摘する。つまり、事実とは異なるということだ。 象徴的なのが、高齢者を支える現役世代の負担を説明する際によく使われる比喩だ。かつては6人で1人の高齢者を支える「おみこし型」、次に3人で1人を支える「騎馬戦型」、将来は1人で1人を支える「肩車型」になると説明されてきた。しかし権丈氏によれば、実際に「就業者1人が何人の非就業者を支えているか」を示す就業者ベースの比率は、過去も現在もおおむね1対1であり、将来も大きく変わらないという。背景には、女性の就業拡大や高齢者の就労増加がある。 税と社会保険料を合わせた国民負担率、あるいは社会保障給付の対GDP比で見ても、日本はOECD諸国の中で中位に位置している。決して日本だけが突出して社会保障負担が大きいわけではない。それにもかかわらず、国内では社会保障が若者を苦しめているというイメージが独り歩きしている。 権丈氏は、「広く受け入れられているもっともらしい話が、必ずしも正しいとは限らない」と警鐘を鳴らす。特に懸念するのが、通念が若い世代にもたらす年金不信だ。 一般には「今の若者は将来、年金をほとんどもらえない」と語られがちだ。しかし社会保障審議会年金部会の分布推計によれば、現在20歳の人が65歳になったときの給付額は、現在65歳の人が受け取っている平均年金額よりも大きくなる可能性が高い。厚生年金への加入期間が長くなる人が増えれば、給付水準も相応に高まるからだ。 それでも「年金は破綻する」「若者は損をする」という事実とは異なる誤った通念が広がり続ければ、制度への信頼は損なわれ、結果として制度そのものを弱体化させる政治的圧力につながりかねない。また、その不安が年金不払いなどを引き起こせば、それが原因で年金制度が本当に破綻してしまいかねない。 権丈氏は、経済学者ジョン・K・ガルブレイスが指摘した「通念(conventional wisdom)」の概念を引きながら、社会で広く受け入れられている「常識」の危うさを説く。通念は、人気を集め、聴衆の賛同を得ることで強化される。しかし、それが事実と乖離していれば、誤った認識に基づく政策決定が行われ、長期的に社会に深刻な影響を及ぼす。 社会保障をコストとしてのみ捉え、負担削減の対象とみなす議論が強まれば、再分配や生活保障といった本来の機能が見失われる。その結果、かえって格差が拡大し社会的分断が進んでしまう。 4月から徴収が始まる子ども・子育て支援制度、今後検討される給付付き税額控除など、社会保障をめぐる制度設計は大きな転換点を迎えている。私たちは、それらを「負担増」としてのみ捉えてはいないか。政治やメディアの言説によって、事実が単純化・歪曲されてはいないか。 社会保障の機能と現実、通念に支配された政治の危うさなどについて、権丈善一氏と社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。 また番組冒頭では、捜査機関が証拠を捏造することは考えられないとの理由から、冤罪の疑いが濃厚となっている飯塚事件の再審請求を福岡高裁が却下したことの問題点を取り上げた。後半はこちら→so45978262(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/02/23(月) 12:00
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会員無料 54:21
詳細<マル激・後半>「社会保障は重すぎる」は本当か/権丈善一氏(慶應義塾大学商学部教授)
2月20日の施政方針演説で高市首相は、「社会保障と税」をテーマに国民会議を立ち上げ、国民的議論を行う考えを示した。制度の持続可能性が問われる中での議論の場づくりは一見、前向きに映る。しかし、そこでどのような前提や認識が共有されるのかによって、議論の方向性は大きく左右される。結論ありきの会議にならないかは、十分に注視する必要があるだろう。 近年の選挙戦や政策論争では、「手取りを増やす」「年収の壁を壊す」といった、わかりやすく拡散力の高い言葉が躍り、やたらと社会保障の負担感が強調されてきた。しかし、果たして日本の社会保障は本当に過重なのだろうか。 社会保障を専門とする慶應義塾大学商学部教授の権丈善一氏は、現在広く流布している社会保障をめぐる言説の多くが、「事実というより通念」だと指摘する。つまり、事実とは異なるということだ。 象徴的なのが、高齢者を支える現役世代の負担を説明する際によく使われる比喩だ。かつては6人で1人の高齢者を支える「おみこし型」、次に3人で1人を支える「騎馬戦型」、将来は1人で1人を支える「肩車型」になると説明されてきた。しかし権丈氏によれば、実際に「就業者1人が何人の非就業者を支えているか」を示す就業者ベースの比率は、過去も現在もおおむね1対1であり、将来も大きく変わらないという。背景には、女性の就業拡大や高齢者の就労増加がある。 税と社会保険料を合わせた国民負担率、あるいは社会保障給付の対GDP比で見ても、日本はOECD諸国の中で中位に位置している。決して日本だけが突出して社会保障負担が大きいわけではない。それにもかかわらず、国内では社会保障が若者を苦しめているというイメージが独り歩きしている。 権丈氏は、「広く受け入れられているもっともらしい話が、必ずしも正しいとは限らない」と警鐘を鳴らす。特に懸念するのが、通念が若い世代にもたらす年金不信だ。 一般には「今の若者は将来、年金をほとんどもらえない」と語られがちだ。しかし社会保障審議会年金部会の分布推計によれば、現在20歳の人が65歳になったときの給付額は、現在65歳の人が受け取っている平均年金額よりも大きくなる可能性が高い。厚生年金への加入期間が長くなる人が増えれば、給付水準も相応に高まるからだ。 それでも「年金は破綻する」「若者は損をする」という事実とは異なる誤った通念が広がり続ければ、制度への信頼は損なわれ、結果として制度そのものを弱体化させる政治的圧力につながりかねない。また、その不安が年金不払いなどを引き起こせば、それが原因で年金制度が本当に破綻してしまいかねない。 権丈氏は、経済学者ジョン・K・ガルブレイスが指摘した「通念(conventional wisdom)」の概念を引きながら、社会で広く受け入れられている「常識」の危うさを説く。通念は、人気を集め、聴衆の賛同を得ることで強化される。しかし、それが事実と乖離していれば、誤った認識に基づく政策決定が行われ、長期的に社会に深刻な影響を及ぼす。 社会保障をコストとしてのみ捉え、負担削減の対象とみなす議論が強まれば、再分配や生活保障といった本来の機能が見失われる。その結果、かえって格差が拡大し社会的分断が進んでしまう。 4月から徴収が始まる子ども・子育て支援制度、今後検討される給付付き税額控除など、社会保障をめぐる制度設計は大きな転換点を迎えている。私たちは、それらを「負担増」としてのみ捉えてはいないか。政治やメディアの言説によって、事実が単純化・歪曲されてはいないか。 社会保障の機能と現実、通念に支配された政治の危うさなどについて、権丈善一氏と社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。 また番組冒頭では、捜査機関が証拠を捏造することは考えられないとの理由から、冤罪の疑いが濃厚となっている飯塚事件の再審請求を福岡高裁が却下したことの問題点を取り上げた。前半はこちら→so45978310(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
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2026/02/23(月) 12:00