THE NAMPA BOYS |
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プロフィールVo&Gt 小林聡里(1993.2.28)、Ba 田中悠貴(1993.1.29)、Gt澤柳昌孝(1993.1.1)、Dr 後藤駿(1993.3.14)の4ピースバンド、全員が長野県松本市出身、弱冠19歳。
2005年、中学1年の時に、小学3年の頃から兄の影響でNumber GirlなどのJ-Rockを聴きまくり、家にあったアコギを弾き倒していた小林と、「姉貴がベースを持っている」という理由だけで小林から半ば強引にバンドをやらされた田中を中心に結成。 学園祭でライブ初披露する予定だったが、本番直前でドラムが来ず、苦肉の策でリズムマシンを使ったライブをするという屈辱をいきなり味わう。 中学2年でおこづかいをやりくりしながら頻繁にライブハウスで対バンするようになり、当時地元では、「洋楽ROCKをカバーする中学生バンド」として名を馳せていた。小林は、ライブ映像などをニコ動などにも動画をアップし、そこで少し好評を受けたことで『やはり俺は並の漢とは違う』と、有頂天になる。 そして高校生となり、街角で10代限定の夏フェス、2008年「閃光ライオット」のポスターを見つけ、応募してみると、15歳最年少のファイナリストとして、本戦出場まで果たしてしまう。 それで『やはり俺は天才だ』とますます有頂天となった小林の横暴に耐えられなくなったメンバーが、バンド活動ボイコット。小林はフロントマンでありながらクビを告げられ、一度は別々で活動してみるもしっくり来ず、結局このメンバーが一番良いと再結成。 そこへレコード会社より育成契約の話が舞い込み、早速レコーディング、そして意気揚々と東京でのライブを行おうとしたが、ドラムが『◆.#$○&’o&;=(‘&▼¥“/$』により急遽ライブに来れず、人生2度目、屈辱のリズムマシン使用のライブ(小林曰く「人生史上最悪のライブ」)をまたしても経験。当然、契約の話は破談となり、メンバーも散り散りに・・・。 そして世の中を憂いて、クダを巻いてみるも虚しいばかり。 それでもバンド活動を諦めなかった小林と田中は、小林がヘルプで参加したバンドで出会った金髪ロン毛で「NAMPA BOYS」のNAも知らない澤柳と、それとは正反対に、「NAMPA BOYS」を地元で超有名先輩バンドとして畏怖していた真面目キャラの後藤を、またも半ば強引に引き入れ、現在のTHE NAMPA BOYSが誕生! 有頂天や裏切り、そして屈辱もここに至る為の軌跡である。 澤柳の家にドラムまで持ち込んで、毎日近所迷惑なセッションを繰り返し、絆を強くしたメンバーは、小林が東京の大学進学を期に2011年4月上京。 これまでも御世話になっていた新宿LOFTの樋口さん(ブッキングマネージャー)の紹介で、日本テレビ「音龍門」に出演、そして自主制作盤「到来」を制作。そのCDをたまたま聴く機会があったA-Sketchの社長が、THE NAMPA BOYSは、まだ若いということで「青田買い」する。そんな経緯できわめて異例、2社目の育成契約が結ばれた。 そんな折、テレビ東京 ドラマ24「クローバー」のテーマ曲の選考会議を行っていた入江悠監督が、数ある楽曲の中から、『こいつらが一番泥臭そう』と選んだのが「THE NAMPA BOYS」。そして急遽ドラマのオープニングテーマを歌うことに! バンドの右肩上がりのレールを何度も踏み外し乗り越え、今も育成契約中のため、バイト片手に日々の活動を続けるハングリーな19歳の悪ガキ4人。 今回の件も、「俺達の才能をもってすれば当然のこと」と息巻いているが・・・。 思いがけず到来したチャンスをものにすべく猛然と突き進む!{まあこれで売れるとは誰しも思ってないが。。。(笑)} |
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