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先月 7月18日、敬愛する 聖路加国際病院 名誉院長の
日野原重明先生が逝去されました。
100歳を超えても 現役医師として活躍し、高齢者が
活躍できる 社会の在り方や 命の尊さについて積極的に
発言するなど 幅広く活動していらした 日野原先生、
105歳という 素晴らしい生涯でした。
私は 先生と 何度もお会いしましたが、 29日に
青山葬儀所で行われたご葬儀には 南アフリカへ行って
いたため、 残念ながら 出席できませんでした。
皇后陛下も弔問に訪れ、 白衣姿で 優しく微笑む
日野原先生の遺影と 対面されました。
ご葬儀には 親交のあった文化人や 医療関係者、
一般の方々 約4000人が参列されて お別れを
惜しんだそうです。 私も 長年親交がありましたので、
最後のお別れが出来ず、 悲しい気持ちでいっぱいです。
105歳のお誕生日会にて 石井苗子さんと
先生を語るうえで 特出した出来事がたくさんあります。
1940年代、 聖路加国際病院で 医師として人生を
スタートしてほどなく、東京大空襲で 大勢の治療に携わり、
1951年には 民間の病院で初めて 人間ドックを導入し、
早くから 予防医学の重要性を強調して 「成人病」と
呼ばれていた 一群の病気の名称を「生活習慣病」に改め、
日々の 習慣を変えることの大切さを訴えました。
1970年(当時58歳)には 赤軍派が日航機を乗っ取った
「よど号ハイジャック事件」に遭遇、 4日間拘束されて
その経験から〝これからの人生は 命を人のために
使おう〟と 考えるようになったそうです。
また、1995年(当時83歳)に起きた オウム真理教による
大規模テロ 「地下鉄サリン事件」の際には、路加国際病院を
開放し、 被害者6300人のうち、 約640人を受け入れて
迅速に 対応の陣頭を執っています。 東京大空襲の被害の
教訓を生かし、 大災害に耐えられる病院を目指して 完成した
新病棟の広いロビーや 礼拝堂が 緊急応急処置場として
役割を担ったそうです。
活動的な先生は 88歳の時、童話「葉っぱのフレディ」という
ミュージカル用の脚本を書き、ニューヨーク公演も実現させて
います。 幾つになっても 常に新しいことに挑戦する大切さを
説き、 自身も 践するというのが 先生のすごいところです。
87年から 全国の小中学校で続ける「いのちの授業」では、
200校以上訪れ、子供たちに 「命は 生きている時間そのもの。
大人になったら、自分の時間を 誰かのために使ってほしい」
と語り掛けていました。
先生は 常に10年先を見据えて 手帳に予定を書き込み、
2020年の 東京オリンピックへの参加を 楽しみにしていた
そうです。 これこそ 生き甲斐をもって 目標をもって生きる
ことの大切さの証です。
昨年、 「文化人・芸能人の多彩な美術展」にて
篠田桃紅さんとご一緒に (2015年)
青木恵子さん主催の 動物愛護 チャリティオークションパーティにて
先生、楽しそうに歌っています (2014年)
日野原先生は 唯一無二、稀有な存在でしたが、皆さんに
元気で 生涯現役、幸せに生きる〝生き方〟というものを、
身をもって呈した方と 言えるのではないでしょうか。
先生の教えを胸に、 私も 生涯現役で 心身ともに
健やかに 生きたいと思います。
日野原先生との出会いに 心から感謝いたします。
合掌
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では 皆さま 次号をお楽しみに。