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ハックルベリーに会いに行く

ブロマガ

  • 野球道とは負けることと見つけたり:その76(2,159字)

    一般の人々にとって、池田高校監督・蔦文也のイメージというものは、ベンチにどっかと座って何事にも動じない、豪快な人物であるというものだ。 それは主にベンチでの落ち着いた姿からそうなったが、試合後のインタビューでも同様だった。勝っても負けても淡々としている。ウェットにならないのはもちろん、ほとばしる情熱のようなものさえ見せない。ただただ結果をあるがままに受け入れる一種の仙人といった雰囲気であった。 しかしこのイメージは、文也の近くにいる者とは大きな乖離があった。近くにいる者にとって、文也はまず短気だった。すぐに怒るし、また何にでも怒る。さらに臆病だった。おかげで采配では、間違うこともしょっちゅうだった。 そんな文也をよく知る者にとって、彼が甲子園に来ると見せる人が変わったように落ち着き払った姿は極めて異例のものだった。普通の人は逆である。普通の人は、普段は落ち着き払っていても、甲子園のよ

    23時間前

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  • 令和の恋愛事情:その11(1,577字)

    『赤毛のアン』は村岡花子が1958年に翻訳した際につけた邦題だ。原題は『Anne of Green Gables』である。この花岡役が売れたため、『赤毛のアン』という名前は一般化した。おかげで以降は他の翻訳でも日本では『赤毛のアン』の名前で出されることになった。 ただし、花岡訳の『赤毛のアン』は数奇な運命を辿る。それは、翻訳出版直後から数多くの批判にさらされたことだ。特に、誤訳と省略の多さを批判する人が多かった。 そのため、すぐに他の翻訳が出るのである。これは極めて異例のことであった。5年後の1957年に早くも中村佐喜子訳が出る。 以降も1969年に岸田衿子訳、1973年に神山妙子訳。1975年猪熊葉子訳と、20年間で5バージョンもの翻訳が出る。これは以降も続き、今では10以上になっている。 なぜこれほど別バーションが出たのか? それは読者の評判が悪かったからではない。読者はそもそも

    2日前

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  • [Q&A]石油依存の社会から脱却する方法はありますか?(2,963字)

    [質問] ハックルさんは人と会わなくても大丈夫な方でしょうか? 私は人と会っていないと自分が社会から取り残されるのではないかと怯えてしまい、どうにも不安で人と会う予定ばかり入れてしまいます。しかし会ってみると気を遣って別れる頃にはぐったりしていて、寂しさに我慢できないという理由だけで人と会うなどと、自分はなんて愚かしいことをしているのかという後悔に襲われることもしばしばです。 そこで質問なのですが、どうすれば人と会わなくても孤独や寂しさを感じずに済むようになるでしょうか? 解決方法などありましたらご教授ください。 [回答] そう言われてみると、ぼく自身は孤独で寂しがり屋なところがあります。特に離婚したときは寂しさに耐えられず、麻雀に溺れて大きな借金を作るなどひどい目に遭いました。しかしそれでも寂しさが癒やされないばかりか募る一方で、最終的には二度の自殺未遂に至りました。 そんなふう

    3日前

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  • 建築の学び方:その28(1,838字)

    ぼくは、足裏の感覚というものが実は鈍い。先天的に、方向感覚やそれを土台に構築される空間感覚が、それほど優れているわけではないということには、子供の頃から気づいていた。 それは、弟と育ったということが大きい。ぼくの弟は、足裏の感覚や方向感覚が優れていて、自動車に乗っていても、今自分がどこに向かっているのか、また地球上のどこにいるのか、見ないで分かるのである。意識しないでも、北が分かる。ぼくにはこの感覚が全くなかった。 ぼくにとって車は難敵だった。乗ってしまうと位置感覚や方向感覚が完全に失われ、降りてもそこがどこか分からない。目隠しでどこかに運ばれてきたような感じで、どれだけ外の景色を凝視していても、何度かカーブをくり返すともう位置や方角が分からなくなる。 だから弟が「もうすぐ目的の場所に着く」だとか、「ここは前にも来たことがある」ということを言っているのを見て驚愕した。なぜそんなことが

    4日前

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  • 石原莞爾と東條英機:その134(1,946字)

    開戦前夜、1941年9月6日の御前会議。対英米開戦が決まった後、永野修身は統帥部を代表してこのように発言した。 「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」 面白いことに、そして恐ろしいことに、この永野修身の予言はぴたりと的中することとなる。日本は戦争に負けた。それも、最終的には多くの若者が命を賭して敵に体当たりするという、文字通り「最後の一兵まで戦う」というような負け方だった。 その結果、戦後の日本はどうなったか? 鮮やかに復活した。まさに「

    5日前

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2014/01/30 11:01

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