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ハックルベリーに会いに行く

ブロマガ

  • 野球道とは負けることと見つけたり:その27(1,764字)

    蔦文也は「同志社で野球をやる」という、戦時中の日本でアメリカと戦争をすることから最も遠い場所にいた。 同志社大学は新島襄が1875年に作った。新島はまだ江戸時代だった1864年に密出国してアメリカに渡り、そこでキリスト教の洗礼を受け、キリスト教の学校に通い、最後には宣教使になった。だからアメリカとの親和性がとても高いのだ。 その上、野球はアメリカ由来のスポーツである。文也の中には、そういういわば「アメリカの血」が戦前から流れていた。それでアメリカと戦争をしなければならないのだから、その引き裂かれはけっして小さくなかっただろう。 しかし文也のあらゆるインタビューを見ても、そうした引き裂かれについての言及はない。文也自身、自分の引き裂かれとは距離を取っている。 その気持ちはよく分かる。なにしろ子供の頃から引き裂かれた環境にあったから、正視しないことが習い性になったのだ。それが生きる術として骨の髄まで染みついたのである。 そうして文也は表面的、意識的には引き裂かれにコミットしなかった。しかし逆に、そのことで内面に引き裂かれを温存することとなった。文也は矛盾を抱えたまま大人になり、生...

    12時間前

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  • 1994:その52(1,652字)

    1994年1月1日、時計の針が0時を回るその瞬間は、秋元さん、察男さん、吉野さん、Oくんの5人でカジノで迎えた。そこでルーレット卓を囲みながら、店のスタッフと周囲の客とが発するアメリカ式のカウントダウンを聞いた。 そうしてぼくはいよいよこの連載の主題である「1994」年に突入した。そんなふうに、ぼくは1994年をバハマで迎えたのだった。この連載を長らく書いてきたが、今の今まで忘れていた。 そのバハマのカジノで迎える1994年は、まるでアメリカ映画の一シーンのようだった。体育館くらいの広さはあるが、天井が低いカジノのホール。室内全体は薄暗いが、各卓は目映い光に照らされた独特の雰囲気を醸し出すその空間に、皆が唱和する「スリー・ツー・ワン・ハッピーニューイヤー」の声が響き渡る。 ぼくら5人もそれに追随し、下手くそな英語でもこのときだけは恥ずかしがらずに大きな声を出した。そうして新年を迎えた瞬間、その部屋を拍手が包み込んだが、それで終わりだった。ほんの30秒後には、皆またそれぞれの卓でそれぞれのギャンブルへと戻っていった。 ぼくはその光景を眺めながら、その一部に自分がなっていることに感動を味わったもの...

    1日前

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  • [Q&A]組織を乱す社員には辞めてもらった方がいいのか?(1,897字)

    [質問] 生きるというのがつらすぎるときがしばしばあります。ときにぼんやりとときにはっきりと希死念慮にも襲われるのですが、ハックルさんも二度の自殺未遂をしたことがあるとのことでした。そうしたピンチに陥ったとき、今のハックルさんならどのように乗り越えますか? [回答] 重要なのは「自分は自分であっても自分ではない」ということをいつ何時も忘れてはならないということです。つらいときというのはえてして主観的に陥っているときです。そういうときこそ自分を客観的に見つめ、今このつらい状況に陥っている自分は自分ではなく他者なのだと、あらためて意識、認識することが大事かと思います。 そして「つらい状況」というのはたいていの場合で悪いことではありません。それは体が発するなんらかのシグナルで、逆にいうと「体がつらい」ということを「つらい気持ち」を通して自分という他人が自分の意識に伝えようとしている生理現象とも受け取れます。 そこですべきことは、「体がつらい」という状況からひとまず逃げることです。逃げるにはご飯を食べて、お風呂に入って、寝るのがいいでしょう。寝られないのなら、入眠剤代わりにお酒を飲...

    2日前

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  • 本質的に生きる方法:その30(1,706字)

    本質的に生きるということにおいて、最も重要なものの一つは「死を受け入れること」である。そしてこれからの大淘汰時代に「ハックして生きる」ということは、すなわち「死をハックする」ということになる。つまり死を利用して生きるのだ。そうする以外に、生きる道はない。 死を利用して生きるとはどういうことか? ぼくはヨットに詳しくないのだが、前に聞いて面白かった話がある。ヨットにとって一番つらいのは無風であることだ。無風だとピクリとも動けないらしい。 だからもちろん順風が一番ありがたいのだが、面白いことに逆風でもかまわないのだそうである。前から風が吹いてくると後ろに吹き流されそうに思えるが、実は逆風を利用して前に進む航法というのがちゃんと確立されているのだそうだ。 ぼくはこの話を聞いたとき、とても面白いと思った。これは世の中の本質ではないかと思ったからだ。つまり逆境は悪くない。失敗も悪くない。悪いのは無風であることだ。何も起こらないことなのである。 それはぼくの人生哲学にも当てはまるし、マザー・テレサの言葉「愛の反対は無関心」にもつながるものである。マザー・テレサは、「憎しみ」はまだ...

    3日前

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  • 石原莞爾と東條英機:その84(1,779字)

    石原莞爾は1938年12月に舞鶴要塞の司令官に就任する。この頃の日本国内にはいくつかの要塞があったが、それらは名目上作られただけで、誰も本当に使われるとは思っていなかった。日本が戦争をするにしても、日本が戦場になることはないと思っていたからだ。 実際、日本は沖縄以外で地上戦は行われなかった。日本は本土そのものが海に囲われた天然の要塞のようなものなので、もしここで陸戦が行われるようなことがあるとしたら、それこそもう日本人が絶滅するか否かの瀬戸際である。誰もそんなことは想像できなかったので、要塞はあくまでも建前で作られただけだった。 おかげで要塞司令官は「用ない司令官」と呼ばれてみんなからバカにされていた。しかし病気をしている石原莞爾にはぴったりだった。この頃は頻尿に加え血尿も患うようになっていた。文字通りの満身創痍だった。 それで石原はこの「用ない司令官」を楽しんだ。彼は遠方から訪問してくる客に仕事の内容を問われると、「観光客に天橋立の撮影許可を下ろすことだ」と嘯いた。舞鶴要塞の近くには観光名所である天橋立があったが、そこは一応要塞の付近なので、撮影が原則禁止されていた。おかげで...

    4日前

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2014/01/30 11:01

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