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ハックルベリーに会いに行く

ブロマガ

  • [Q&A]石油依存の社会から脱却する方法はありますか?(2,963字)

    [質問] ハックルさんは人と会わなくても大丈夫な方でしょうか? 私は人と会っていないと自分が社会から取り残されるのではないかと怯えてしまい、どうにも不安で人と会う予定ばかり入れてしまいます。しかし会ってみると気を遣って別れる頃にはぐったりしていて、寂しさに我慢できないという理由だけで人と会うなどと、自分はなんて愚かしいことをしているのかという後悔に襲われることもしばしばです。 そこで質問なのですが、どうすれば人と会わなくても孤独や寂しさを感じずに済むようになるでしょうか? 解決方法などありましたらご教授ください。 [回答] そう言われてみると、ぼく自身は孤独で寂しがり屋なところがあります。特に離婚したときは寂しさに耐えられず、麻雀に溺れて大きな借金を作るなどひどい目に遭いました。しかしそれでも寂しさが癒やされないばかりか募る一方で、最終的には二度の自殺未遂に至りました。 そんなふう

    4時間前

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  • 建築の学び方:その28(1,838字)

    ぼくは、足裏の感覚というものが実は鈍い。先天的に、方向感覚やそれを土台に構築される空間感覚が、それほど優れているわけではないということには、子供の頃から気づいていた。 それは、弟と育ったということが大きい。ぼくの弟は、足裏の感覚や方向感覚が優れていて、自動車に乗っていても、今自分がどこに向かっているのか、また地球上のどこにいるのか、見ないで分かるのである。意識しないでも、北が分かる。ぼくにはこの感覚が全くなかった。 ぼくにとって車は難敵だった。乗ってしまうと位置感覚や方向感覚が完全に失われ、降りてもそこがどこか分からない。目隠しでどこかに運ばれてきたような感じで、どれだけ外の景色を凝視していても、何度かカーブをくり返すともう位置や方角が分からなくなる。 だから弟が「もうすぐ目的の場所に着く」だとか、「ここは前にも来たことがある」ということを言っているのを見て驚愕した。なぜそんなことが

    1日前

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  • 石原莞爾と東條英機:その134(1,946字)

    開戦前夜、1941年9月6日の御前会議。対英米開戦が決まった後、永野修身は統帥部を代表してこのように発言した。 「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」 面白いことに、そして恐ろしいことに、この永野修身の予言はぴたりと的中することとなる。日本は戦争に負けた。それも、最終的には多くの若者が命を賭して敵に体当たりするという、文字通り「最後の一兵まで戦う」というような負け方だった。 その結果、戦後の日本はどうなったか? 鮮やかに復活した。まさに「

    2日前

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  • 野球道とは負けることと見つけたり:その75(1,695字)

    1979年4月1日、大会5日目の第三試合、池田は一回戦で強豪天理を下した山形県代表・鶴商学園とぶつかった。 この試合は、両校エースの投げ合いが注目された。池田の橋川正人は、秋の県大会、四国大会で際立った勝率あるいは防御率を誇っていたし、一方鶴商学園の君島厚志は、前述のように一回戦で、強打の天理を粘りの投球でわずか2失点に抑えていたからだ。 しかし蓋を開けて見ると、試合は結局池田の完勝に終わった。打線は初回に「まさか」のスクイズで先制点を挙げると、4回に2点、5回と7回にはともにソロホームランで1点ずつ加点し、最終的に君島から5点を奪った。 一方の守りは、橋川のコントロールがなかなか定まらず、9回で140球を投げさせられたものの、とうとう鶴商を完封した。そうして5-0と完勝を遂げたのである。 この試合は、池田の投打にわたる強さが際立った格好となった。またホームランを2本打つという、後

    5日前

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  • 令和の恋愛事情:その10(1,740字)

    ぼくが思春期に入った80年代。恋愛はすでに決まったフォーマットがあるものと思っていた。だからそれに則ってしなければならないと信じ込んでいた。そして実際、そのフォーマットに則って恋愛をした。 しかしながら、実はそのフォーマットが定まったのが1970年代後半なのである。70年代後半、奇しくも恋愛第一世代の松任谷由実と桑田佳祐がデビューし、彼らが体験した生の「恋愛」を流行歌として歌った。それが当時構築されつつあった恋愛フォーマットを爆発的に拡散し、また定着させることの一助となったのである。 『いとしのエリー』が好きな男性は多い。しかし実は、この歌の隠れた女性ファンも多い。 それは、この歌が「男性恋愛の基本は失恋である」という当時の新しい恋愛フォーマットに則ったものだったからだ。このフォーマットをいち早く自ら発明し、構築したのが桑田佳祐だ。そして多くの男性がこれにならって上手くいったので、桑

    6日前

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2014/01/30 11:01

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