眠くてポエむ王。ぶうです。

ツアーファイナルでの発表ごとを、
会場で流した映像の「ポエんでる文章」を流用、
加筆修正し、改めてお知らせします。


まずは、




年越しがワンマン決定しました!!




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もうすぐ宣言通りに、
「新しい時代」がやって来る。

鎖に繋がれた「戌(犬)」は夜を越え、
まず夜明けを走る「猪(亥)」と成る。

飼い慣らされた家畜の生活を終え、
信じるならば必ず笑い合える、
そんな新時代へ突き進む為に!



えんそく平成最後の年越しワンマン
「犬々GO!!GO!!→猪突盲信!!」

2018.12.31-2019.1.1
HOLIDAY SHINJUKU

開場23:00 開演23:30

先行前売り券は、
えんそくの年賀状付き!
2018円!

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タイトルの、

「犬々GO!!GO!!→猪突盲信!!」

これは
「けんけんごーごーちょとつもうしん」
と読みます。

元の四字熟語の意味はそれぞれ自分で調べよう!

戌年から亥年へ。

平成時代、最後の大晦日は、
えんそくと共に過ごそう!





さてさて、
次の元号、どんなものになるんですかね?


昭和生まれのボクは三時代を生きれることになります。

「平成」って時代はなんとなく、
その名前とは裏腹に、
流動、過渡期、
そんな言葉が似合う時代だったんじゃないかと思っています。

ボクの生きた平成の世(昭和の世は物心つく前なので記憶にありません)を振り返ってみれば、
大きな波の浮き沈み、
衝撃的な事件、
悲しいこと、
いっぱい思い浮かんできます。

豊かさや便利さを手にいれながらも、
いまだに人々はそれを飼い慣らせないでいるように感じます。

でも、
たぶん戦争があって復興して、
とにかく大人達が一丸となって作り上げた平和があって、
その上にたくさん繁栄を積み上げていった時代だったんでしょうね。

個人的に何よりも大きいのはやっぱり「インターネットの普及」だと思います。

平成の始め頃、つまりボクの子供の頃と、
平成も終わりにさしかかった今とでは、
生きていく上での情報の取捨選択の在り方が様変わりしました。

情報を得るために必要な時間や労力はインターネットによって極々小さくなり、
誰もが膨大な量の共有財産(データベース)から容易に好きなだけ情報を得ることができるようになり、
生まれた環境や出会いの偶然なんかによる差異をなくし、
平等に選択肢を増やすことのできる時代が来たように思います。

でもそれは同時に、

無知ゆえに生まれ、疑わないゆえに強かった「多数派」の存在を衰退させて、
「個性の時代」なんて言いつつも、
身の程を知り過ぎ小さくまとまった弱々しい少数派ばかりの世界を作り出してしまったんじゃないかなと、
インターネットを恨みたい部分もあります。

人と違うことをするのが今よりもっともっとハードルが高かった昔に輝いて見えた、強力な視野の狭さからくる個性、
切り捨てることで特化し尖らせまくった自我。

そうゆうのがボクは楽しかったし、憧れたし、好きだったのに、
今は成立しにくくなってきているのかなと。

インターネットによって人生と言うゲームのレベル上げの難易度か下がり過ぎたことで、
みんなが平均的に強いパラメーターを得て、
結果「誰も強くない」。
みたいな現象が起きているのを感じ憂いています。


でも、きっとそれらの現象は今の一時的なものでしかなくて、
全ての情報をえられることが当然となって、ありがたくもなんともなくなってからしばらく経った新時代には、
個々が自分でいるものいらないものを選択して、
自分は何を信じるのか、
何を指標にしていくのか、
ある種、意図的な盲目さでもって個性や充実を得るようになっていくのかなと。


鼻も耳も良くて、飼い主がなんでも教えてくれて、
物分かりが良くて、芸もなんでも覚えて、
でもそれゆえに牙も剥かず吠えもせず、
どいつも同じようどこか冷めて大人しい。

そんな柵の中、
小屋の中の飼い慣らされた裕福な犬の時代から、

あえて耳をふさぎ目をふさぎ、
これと決めて柵を越えて突っ走る。
無駄に熱い猪の時代へ。


半分願望もこめて、
そんなことを考えてみました。


冷静さは時に楽しさを阻害し、
興奮状態の果てにだけ闇を裂いて光に届く未来がある。
バカになれ!
そうゆうことですね。





とりあえず!
まず、なんでも録画できるからってとりあえず録っておくのなめよう!!

そんなに好きでも無いのに簡単に手に入るからなんとなく手元に置いておくとか、
そうゆうのは熱くねぇよな。
つまんねぇことはやめて。
自分を楽しい毎日に連れていってくれる純化した「好きなこと」を見つけよう!!