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岡田斗司夫のニコ生では言えない話
 岡田斗司夫の解決!ズバっと 2016/05/06
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おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。

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「私が大好きなアニメを見れなくなった理由』の漫画をどう思う?」(後編)

 最近ツイッターで話題になっている『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』の漫画について、どう思いますか?
 私は自分自身がメガネの友達と重なってしまい、なんだか申し訳ないような、悔しいような、そうでもないような、モヤモヤした気持ちになってしまいます。
 このモヤモヤは、なんなのでしょう?
 
 
 
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(前号からの続き)

 友人と一緒にアニメを見に行って、その友人から色々と批判を言われて、そのアニメが見れなくなったわけだよね。
 これに対する僕の考え方を言うね。


■批評を聞いて落ち込むタイプと、落ち込まないタイプがいる

 「この場に友人がもう1人いたら、どうなるだろうか?」と考えてみよう。

 主人公のように批評によって落ち込むタイプは、批評なんて聞かないほうがいいことになる。

 でも、もう1人の友人は、好きなアニメを批評されても、あまり好き嫌いに影響されないタイプ。
 なので批評を聞いても大丈夫ということになる。

 だから“批評”は個人の問題という事になりますね。


 あくまで主人公の視点だけで考えてしまうと、「“批評”とは、どうなのか?」という話になっちゃう。
 でも、ここに第三者を導入することによって、この人自身のあり方や物の見方の問題に変わってくるんだ。
 それを含めているから、ネットでこの問題をどう考えるのかが、盛んになってきている。

 多分、このニコ生ゼミを見ている人は僕と同じタイプ。
 作品を見たらあれこれ言いたいタイプだと思う。
 
 そんな人たちが、こういう漫画を見せられると、自分の存在意義を否定された気分になってしまう。
 作品を作ることはえらいけど、それの批評は誰でも出来るからね。

 芸人さんがよく言うよね。

「『面白くない』って言うなら、自分が舞台に来てやってみろ!」

 お笑いのファンの人も同じようなこと言い出す。

「芸人はリスクを背負って喋ってるのに、お前は舞台の外で文句を言ってるだけじゃないか!」

 こういうことをよく言う。


■「代わりにやってみろ」と言うのは三流のクリエイター

 アニメの世界でも、同じような事はある。
 でも僕がアニメを作っていたときは、「代わりにやってみろ!」とは絶対に言わないようにしていた。
 
 変な言い方だけど、それを言うクリエイターは、絶対に三流なんだ。
 漫画家でも、ちゃんと面白い漫画を作ってる人は、こういうことを言わない。
 それがプロの誇りなんだ。

 ファンという立場は確かに気楽だよ。
 アニメはちゃんと作られているから、それを見て語るだけのことは、誰にでも出来る行為。
 だから、「つまらない」とも言えるし、好きなように言ってもいい。

 たとえば、映画のプロなら「だったらお前が撮ってみろよ!」とは言わない。
 批評のプロなら「だったらツイッターじゃなくて、ちゃんと批評として読めるものを書いてみろよ!」とは言わない。

 中途半端なヤツが自分が傷付いたことを、他人のせいにするってのが、僕の知ってるパターンなんだ(笑)


 この漫画を描いた人は、中途半端なポジションから発言して、イッキに注目を浴びてしまって、プロとして覚醒しちゃった。
 ここから見ものだと思うんですね。

 この方法で注目を浴びて漫画作品を出しちゃったから、この人はもう“弱者の立場”を使えなくなる。

 これまでなら、弱者のポジションでピクシブで漫画を描いたり、ツイッターでフォローされていた。
 でも今度は強者の立場になっちゃった。
 
 強者の立場になっちゃうと、弱者の時に言えた楽な事が、通用しなくなってしまう。
 不利なポジションという程でもないけど、追い込まれることになる。
 ここから先は見ものだなと思っています。


【まとめ】
 批評で落ち込む人もいれば、落ち込まない人もいるので、個人の問題だと思います。
 この漫画を描いた人は“弱者の立場”を使えなくなるので、見ものだと思っています。