キャラ投票というと、「ポピュリズムだ!」と反論する人も多いんですね。
“ポピュリズム”とは何かと言うと「大衆ってのはバカだから、人気で判断しちゃう」って考え方。
今回のアメリカのトランプでも、「大衆はバカだから、ヒラリーが言ってる難しい政策がわからない。だからトランプが言ってる『アメリカ・グレイト・アゲイン』とか『移民を排除する』ってアジテーションにのっかって、投票したんだ」という浅い分析をする人が、かなりいたんですよね。
でも実際は違う。
トランプの当選っていうのは、従来の選挙や政治のあり方に、ワシントン主導のという言い方もできるんですけど「政治家の、政治家による、政治家のための選挙」という仕組み自体に、「NO(ノー)」が出たんじゃないかなと思います。
これまでの政治家に必要だったのは、政策と人格だったんですよね。
それは専門バカの視点なんですよ。
それにプラスして派閥とか、支持層っていう考え方があります。
たしかにそれも大事なんですけど、大統領選で必要なのは、政策と人格だけじゃ十分じゃないんです。
これからの選挙に必要なのは、「キャラクター」です。
たとえばトランプだったら、暴言王というキャラクター。
本音を話すというキャラクターなんですね。
ヒラリーはおそらく、キャラクターとして、「自分の夫はホワイトハウスで女子大生に○○させて大統領クビになっちゃった。そんなろくでなし。でも支えるわ!」というキャラクターの方が良かったんですよ。
「だって悔しいじゃない、ちくしょう!」
「絶対にアメリカの大統領になってやる!」
「そのあとで、あの、ビル・クリントン野郎と離婚してやるわ!」
その方が、キャラが立ったんですね。
「それだったら大統領に当選できた」と、言ってるわけじゃないですよ。
ただ、「キャラクターを立て」るという意味では、そちらのほうが、正しいんです。
実はトランプというのは、その「キャラクター立て」をやってるんですね。
「4回も破産して、立ち直った」っていうのを「不屈の男」みたいに言ってるんですけど、それは弱点を、ちゃんとキャラとして出してるからなんです。
普通は、そんな離婚してたり、軍隊に行った事もないっていうのは、「大統領選には不利だ」と思って、隠すんですよ。
それはワシントン的な考え方なんです。
それよりは、自分のキャラクター。
あの変な髪型にしても、暴言にしても、キャラクターとして守るんですよ。
トランプの大統領になるまでの演説も、二転三転してます。
あるときは、本当にスピーチ・ライターが書いた、まともな、共和という候補としてふさわしい、ふつうの演説をするときもあった。
でも「メキシコ人は全部、追い出す」とか、「イスラム教野郎はアメリカに入れない」とか暴言も吐く。
政治評論家の人は、これを評して「スピーチ・ライターが書いている通りに言えばいいのに、トランプは、ときどき本音が出てしまう。」と言うんですけど、そうじゃないんですね。
キャラクター付けとして、本人はちゃんと考えてやってる。
後の調査で分かったように、ヒラリーよりも、そういうキャラ付けをしたトランプの方が、ツイッターとかの発言数の引用が圧倒的に多い。
その分みんなの印象に残った。
つまり、キャラクターがついた。
そういう「キャラクター選挙」というのを読み違えたのが、ヒラリーの敗因ではないかと僕は考えています。