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「『ラピュタ』『ガンダム』を題材に“アニメの読み方”を教えます!<後編>」
前号からの続きです。
これは、『機動戦士ガンダム』の第12話「ジオンの脅威」での、ランバ・ラルとハモンの初登場シーンですね。
入ってきたハモンは、自分が開けたドアの横に立つ。すると、ランバ・ラルが後ろからゆっくりと入ってきて、その後、ハモンはドアを閉めてから彼の後ろについていくんですね。
これもですね、なぜこんなシーンを入れるのかというと、「このハモンという女性が、いかにクレバーか」を表現するためなんですよ。
2人の関係を傍から見ると「戦場に恋人を連れてきている」ということになります。
この場合、連れてきているランバ・ラルはいいんですよ。
しかし、連れられているハモンが周りからどのように見られるかは、彼女自身の一つ一つの行動で変わってきます。
もし、ここで、偉そうに自分が先に入って行ったりすると、それを見ていた部下たちは「嫌な女!」と思うでしょう。
「俺達が忠誠を誓い、俺達が信頼を寄せ、俺達が一番信じているのは、あくまでランバ・ラル様であって、その彼女のお前じゃないよ!」って思われるんですね。
なので、ハモンは、思いっきり、極端なほどに「ランバ・ラル様!」と彼を立てることによって、部下たちのそういう気持ちを和らげてあげているんです。
生まれて初めて地球に下りたジオンの兵隊が、雷を見て「きっと連邦軍の新兵器だ!」って慌てるシーンがあるんですね。
ランバ・ラルは、「そんなことで、うろたえるな!」って怒るんですけども。ハモンは、最初に驚いた部下 以上に怖がって見せるんですね。
彼女がランバ・ラルの背中に手を当てて、「あなた……」みたいなことを言うと、ランバ・ラルは「安心しろ」と言うんですけども。
この1クッションを入れることによって、地球の雷というものを知らなかった部下に対して、ランバ・ラルはそれ以上、怒らなくて済むんですよね。
ただ、「うぉー! カッコいい!」とか「大人っぽいじゃん!」って思っただけだったんですけども。
いざ大人になってきてから見たら、「ああ、この辺の演技って、こういう意味があるんだ」ってわかったんですね。
『ラピュタ』についても、同じように「自分で動いてみたらわかるシーン」というのがいっぱいあるので、「もう10回も見たから、ラピュタは見なくていいや」なんて思わずに、見てみてください。
すべてが完全にコントロールされているし、作画にも全部、意味がある。
…いや、まあ、あれは、明らかに“やり過ぎ”なんですけど(笑)。
「この鉱山からは、なんにも出ない!」って言ってるし。
「なので、“純金の金貨”なんてものを与えられた時に、パズーというのは、それを地面に投げ捨てられるような子じゃないんです」と。
宮崎さんは、これを言いたいために、パズーに「感情のままに放り投げようと腕を振り上げるんだけど……できない!」みたいな動きを派手に取らせているんですね。
まあ、これが、宮崎駿の演技であり、さっき言った安彦さんの演技とは違うところなんですね。
安彦さんの演技っていうのは“ためる演技”なんです。ランバ・ラルが見せたような「指を組んでじっとためる」という演技なんです。
それに対して、宮崎さんは、「チクショー! シータ、俺は金のためじゃねえ! こんなもの!」ってやりかけてから、グーッとこらえるという極端な演技を、まだ『ラピュタ』の頃はやってたんですけど。
これが、『風立ちぬ』くらいからは、自然な演技になってくるんですね。
「なんか演劇っぽい」(コメント)
その通り!
今、コメントで流れた通り、宮﨑駿の付ける演技は演劇っぽいんです。
いわゆる「思っていることは全部、身体全体で表現しなければいけない」と思いこんでいる“ドイツ表現主義”なんですね。
やはり、あの世代の先生方は、みんなこれを身に着けているので、ラピュタにもそういうシーンがいっぱいあります。
でも、だからこそ、ガンダムに比べれば読み取りやすい作品でもあるんですね。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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