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岡田斗司夫の毎日ブロマガ「【捨てられないTシャツ・シリーズ】アポロ打ち上げで「こちらヒューストン」と言ってるわけ」
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岡田斗司夫の毎日ブロマガ「【捨てられないTシャツ・シリーズ】アポロ打ち上げで「こちらヒューストン」と言ってるわけ」

2017-10-14 06:00
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    岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2017/10/14
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    今回の記事はニコ生ゼミ9/24(#197)よりハイライトでお送りします。


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     「【捨てられないTシャツ・シリーズ】 アポロ打ち上げで「こちらヒューストン」と言ってるわけ」


     今日はNASA特集なので、TシャツもNASA Tシャツです。

     NASAといっても、これジョンソン・スペースセンター・ヒューストン・テキサスって書いてあるTシャツですね。

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     NASAのロゴは、何回か変わってるんですけどね。
     僕は、このボール型と言われている円形のやつが一番好きなんですよ。

     『ヒドゥン・フィギュアズ』(邦題:ドリーム)で描かれている時代っていうのは、ラングレー研究所の最後の輝きでした。

     実はラングレー研究所は、このジョン・グレンの宇宙飛行士あたりを最後に、宇宙飛行の本場ではなくなります。

     中心地は、テキサス州ヒューストンのジョンソン宇宙センターに移りつつありました。正しくは有人宇宙センターと言います。


     宇宙計画とベトナム戦争は、よく「双子」と言われます。


     宇宙計画もベトナム戦争も、ジョン・F・ケネディが種をまいて、リンドン・ジョンソンが育てて、ニクソン大統領がその実を収穫した。

     つまり、スタートさせたのはケネディ。

     でも、実際にそれを育て、良くも悪くも大きくしたのはジョンソン大統領。

     ケネディが暗殺されてジョンソン副大統領が大統領になってからです。


     1969年から大統領になったニクソンが、ベトナム戦争のケツも拭いたし、アポロ計画、アメリカの宇宙計画の最後の栄光もとったと。


     そういうわけで、アポロ計画を育てたのはジョンソン大統領なんですよ。

     日本では、宇宙計画はケネディが「10年以内に人間を……」っていうセリフが有名で、ついついケネディがと思っちゃうんですけどね。


     ケネディが宇宙計画を始めたのは、もちろんスプートニクショックもあったんですけど、それだけじゃないんです。

     同時に国内の問題、様々な黒人の対立問題などから国民の目をそらすための宇宙計画だったのです。

     実はケネディ自身は、宇宙計画に何の興味もなかったんですよ。


     そうじゃなくて、第2次大戦の後から、延々と宇宙計画に関して投資したり、口出ししたり、指揮を執っていたのが、ジョンソン上院議員だったんです。

     リンドン・ジョンソン上院議員は、まあ典型的なテキサス親父です。テンガロンハットを被って、押しも強くて結構イヤなやつだったので、国民の人気がないんですね。

     だから、アメリカのいいことは全部ケネディ大統領のお蔭になっちゃってるんですけどね。


     まかれた種をそのジョンソン大統領がずっと育て続けたおかげで、宇宙計画は大きくなった。

     ケネディが暗殺された時に、ジョンソンは、「よし!俺の手に宇宙計画が戻ってきた」と考えて、テキサス州ヒューストンに宇宙基地を持って来た。

     自分の選挙区です。

     ジョンソン上院議員というのはテキサス州からの議員だから、もう本当に自分の選挙区に最大の宇宙基地を持って来て、それをジョンソン宇宙センターと、自分の名前で呼ばせたんです。


     そのかわり、フロリダにも宇宙センターを作った。

     死んだケネディが始めたものものだから、ケネディ宇宙センター、でもそこは発射するだけの場所です。


     打ち上げで「こちらヒューストン」と言っていますよね。

     なぜヒューストンだったかというと、ジョンソン大統領のおひざ元だったからなんですよ。


     当時、巨大化していたNASAは、小さい部隊ではなくなってきました。

     もうワシントンの近くで便利だからと、ラングレーでやってるような規模ではなくなっちゃった。


     ラングレーでのスペース・タスク・グループは、せいぜい200人か300人程度の部隊でした。

     その組織がNASAに変わって、マーキュリー計画の後、ジェミニ計画のころになると、ものすごい勢いで予算が拡大し、それにつれて宇宙開発の規模も拡大していきました。


     1965年、ジェミニ計画の時に、ジョンソン大統領の指導の下、アメリカ議会はついに「無制限の予算」を承認します。


     無制限の予算なんて、人類の歴史上というか、まあ議会政治の歴史上なかったことなんです。
     
     それを約束してた。

     それくらい当時のアメリカはソ連に追いつき追い越したかったんです。


    ~後略~

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