そもそもの話をすると、僕らがアメリカに行った理由は、翌年のSF大会の取材のためなんですよ。
そして、ディズニーランドを見ていたら、「俺たちが来年やるDAICON3というSF大会は、これに勝たないと意味がない!」って思っちゃったんですよ。
ボストンのSF大会を見た時は、「うーん、これは難敵だ。しかし、予算があれば。SF作家がいっぱい来れば」とか思えたんですけども。
でも、ディズニーランドに勝つのは、メチャメチャ難しいんですよね(笑)。
ガイナックスのアニメが、『オネアミスの翼』から、『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』に至るまで、とにかく世界観に凝っているのはなぜかというと、全てあの夜、たった一度だけ行ったアナハイムのディズニーランドのせいなんですよ。
まあ、“ディズニーランド体験” というよりは、僕にとっては “ディズニーランド・トラウマ” ですよね。
あのトラウマがあったからこそ「これになんとか勝たなければ、俺達エンターテイメント業には明日はないぜ!」って思うようになったんです。
だって、SF大会を主催するにしても、その後、東京に行ってアニメを作るにしても、「世の中の全てのエンターテイメント産業のヤツに勝つ!」というふうに思っているから行くわけで、そういうことを思ってなかったら、大阪で細々と暮らしていりゃいいわけなんですよ(笑)。
俺たちがわざわざ東京まで行ったのはなぜかといったら、本気で「勝つ!」と思っていたからなんです。
ただ、その戦う相手として目の前に立ちはだかったのが、ディズニーランドだったわけですよ。
なので、「何十年も前に造られてるというのに、なんだよ、この完成度! 恐ろしい!」というふうに考えました。
・・・
ということで、「ディズニーに勝ちたい!」と思った僕は、1981年に第20回日本SF大会、DAICON3というのをやりました。
その中で、『DAICON3オープニングアニメ』というアニメを作ったんですけど。
……まあ、そこまでだったんですよね。
ウォルト・ディズニーで例えると、いわば「デビュー作に近い『蒸気船ウィリー』なんとか作りました」と同じ程度。
正直、これではディズニーに勝てないって思ったんですよ。
そして、それから2年後の1983年に “DAICON4” をやると決心した時。
当時、庵野くんや赤井くんたちは『マクロス』を手伝うために、東京に修行に行ってたんですけども。
僕は「売るものは全てオリジナル商品!」というSFショップを、大阪に開いたんですよ。
同時に、映画も作りました。
『愛国戦隊大日本』というのは、とにかく「自分たちだけで実写映画を作れるのか?」ということで集中して作りました。
『帰ってきたウルトラマン』は、「ちゃんとした特撮やセットを使った映画が作れるのか?」というテーマで作りました。
ここまでやった段階で、「これでようやくウォルト・ディズニーの背中が遥か向こうに見えたかな?」というふうに、その時にはチラッと思えたんです。なので、83年のDAICON4の前年の1982年に、フロリダのディズニーワールドに行ってきたんですね。
・・・
(中略)
フロリダのディズニーワールドには “カルーセル・オブ・プログレス”(進歩の回転木馬)というアトラクションがあったんです。
僕は、これを見ようと思って見に行ったんですけど、まあ、目立たないアトラクションなんですよ。
いまだにフロリダのマジックキングダムにあるんですけども。
これを見て、僕はものすごい衝撃を受けたんですよね。
他人に物を伝える時、ある概念を理解させようという時に、このカルーセル・オブ・プログレス以上に面白くて上手い方法を、僕はいまだに思いつかないんです。
僕は今、この “ニコ生ゼミ” というのを毎週毎週やっているんですけども。
僕の中でのテーマは「このカルーセル・オブ・プログレスにどれだけ近づけるか?」ということなんです。
だから、僕の中で「カルーセル・オブ・プログレスのやり方に、ちょっと近づけた」と思った時には、「ああ、今日は上手くやれた。いい感じに話せた」というふうに思っているんですけども。
どんなアトラクションなのかというと、「20世紀に住んでいるジョンさん一家が、電気の力で豊かになる」という、それだけの話なんですよ。
カルーセル・オブ・プログレスというのは、こういう構造で出来ています。
舞台が円形になっていて、それぞれ壁に仕切られた1から4までのステージがあるんです。
お客さんは、その円形の舞台の外側に座るんですよ。
で、1つのステージでの出し物が終わる度に、真ん中の円形ステージではなく、周りの観客席自体が90度周って、ステージ2、ステージ3、ステージ4というふうに移動する。
ステージ1が1901年、20世紀最初の年のバレンタイン。
ステージ2が1920年という、第1次大戦が終わった頃の世界になっています。
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第1幕の幕が開くと、1901年のバレンタインのジョン一家の様子が描かれます。
まだ電気がない世界です。台所には、手押し式の水出しポンプや、石炭式のオーブンがあります。
ジョンはすごく満足そうに、「見てくれ、これを! 20世紀ってすごいよ! とうとう俺の家にも “水道” ができた! もうこれで遠く離れた川まで水を組まなくても、あのポンプをいじるだけで、水がいくらでも出てくるんだ! いやあ、科学っていうのはすごいよな! おまけに、見てくれ! これは最新式の “石炭オーブン” だ! これでおふくろは上手いパイを作ってくれるし、いつでもコーヒーが飲めるぜ!」というようなことを言ってるんですね。
ジョンは、ここで「1901年の世界というのが、いかに満足いく世界なのか」ということを、観客に向かってさんざん訴えかけるんですよ。
「それまでと全く違って、俺達は本当に歴史上でベストの時代を生きている! Now is the time,now is the best time.Now is the best time of your life.~♪」って歌いながら、メリーゴーランドが回転していくんです。
すると、次の第2幕では、1920年の独立記念日のジョン一家の様子が描かれます。
そこでのジョンは、また満足そうにこう言うんです。
「ついに来たよ! “電気” だ! 見てくれよ、スイッチひねっただけ灯りがつくんだ! “ラジオ” って知ってる? ラジオからアメリカの国歌が流れてくるよ! うちの息子もラジオにかじりついてるし、娘なんか髪の毛に電気アイロンを当てはじめたよ! このままじゃ不良になっちまうんじゃないかな?」って。
そうやって、掃除機とか冷蔵庫が冷えてるというようなことを言って、最後にオチとして「全部の電化製品をつけたから、ヒューズが飛んでしまう」ということがあるんですけど(笑)。
ここでも、また「Now is the time,now is the best time.~♪」という歌が掛かって、観客席がグルグルグルっと周るんです。
次の第3幕は1940年のハロウィン。
この世界のジョン一家は、もうマンションみたいなところに住んでるんですけども。
ここでもやっぱり、「おい、見てくれよ! この家では、壁に配管があって、そこにガスも電気も水道も、なんでも通ってるんだ! 外を見てくれよ! “電車” だよ! わかる? 電気の力で列車が走ってるんだ! もう汽車に乗る時みたいに煙に囲まれなくてもいいんだよ! こんな “冷凍食品” みたいなものもできてきたよ? これはオーブンで温めるだけで食えるんだぜ? すごいよ、今が文明の頂点だよ!」ってにジョンが言って、「Now is the time.~♪」って歌うんですよ。
4つのステージを仕切る壁の一部は回転舞台になっていて、ジョンが奥さんとか娘とかを呼ぶと、この回転舞台がくるりと回転して、奥さんが出てきて「今、お風呂で頭を洗ってるの!」とか、「今、アイロンをかけてるの!」とか言うんですけど。
この部分も、時代が進むに連れてどんどん進化して行くんですよね。
そして、第3ステージでの合唱が終わると、最後は第4幕の現代のクリスマス・イブが描かれます。
ここでは、ジョン一家は “電気ストーブ” で七面鳥を焼いていて、「なんて豊かになったんだ!」っていうんですけど「全自動ストーブの使い方を誰もわかってなくて、七面鳥を焦がしてしまう」というオチで終わります。
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この4つの時代でのポイントは、それぞれ「今が一番良い時代に違いない!」というふうに、登場人物たちが思い込んで歌っているところですよね。
この「今の科学って素晴らしい!」というのは、あくまでも、舞台の上で喋って歌うロボットたちのセリフなんですよ。
実は、この回転する客席に乗りながらショーを見ている僕ら観客というのは、そうは思ってないというところが重要なんです。
このセリフを聞いても、それに共感して「確かにこの時代が一番良いな」とは思わない。
そうではなくて「どの時代でも『今が一番良い』と思ってるんだな。ということは、俺達の明日というのも、今よりも、もっと面白いのかもしれないな」というふうに、自然に思えるようになっているんですよ。
繰り返しますが、キャラクターのセリフとしては、そんなことは一切、言ってないんですよ。
セリフでは「この時代が一番良い!」って言ってるわけですから。
ところが、それを見ている僕たちは「その時代に生きている人間というのは、“今” しかわからないから、将来というのが見えないんだ。でも、俺達 観客は違うよね」という事が分かる。
科学の進歩には終わりがなくて、人間が技術に文句を言うというのは決してなくなりはしないんだけど、時代が進めばもっと良い時代に変わっていく、と。
このアトラクションを通じて、観客が受ける印象と、実際にキャラクターが喋るセリフの間にある温度差というのは、高畑勲の演出に近いんですよね。
高畑勲の演出というのは、「キャラクターが言っているセリフに酔ったり浸ったりするんじゃなくて、時に批評的に、上から目線で見て考えて欲しい」というものなんですけど。
このカルーセル・オブ・プログレスというのは、完全にそれと同じ構造になっているんですよ。
舞台上でロボットたちが歌っていることというのを、僕らは「彼らはそういうふうに思ってるけど、実際にはそうじゃなくて、どの時代でも、人というのは同じようなことを思ってしまうんだ」というふうに、俯瞰的に見ることができる。
こういった、高畑勲があんなに一生懸命やろうとした演出を、ディズニーはこのロボット人形劇で軽々とやってるんですよね。
僕はもう、この物創りに対する視点に感動すると同時に、空恐ろしくなりました。
とことん「こんなものに僕は追いつく日が来るのだろうか……」と、すごく恐ろしくなったんですよ。