今回は映画『ファースト・マン』を語ってみようと思います。
『ファースト・マン』で描かれた事件を、映画とは違う方向から語ってみようかと。
まぁ、いわば『ファースト・マン 番外編』なんですけども、かなり中身を喋っちゃう。
というか、もうほとんど “浜村淳” 状態というのかな。
浜村淳といっても分からないですよね。
昔、関西で有名だった映画評論家なんですけども。
“映画評論家” といいながら、ほとんどそのまんま映画のストーリーをしゃべっちゃうオジサンでですね、関西人に支持されてたんですよ。
まぁ、支持されていた理由が「映画館に行かんでも、中身が全部分かるわ」という物凄い理由で支持されていたんです。
さすがケチの関西人ですね(笑)。
という事で、ほとんど中身を喋ってしまおうと思います。
その理由がですね、『ファースト・マン』の興行成績がメチャクチャ悪いんですよ。
第一週でもう8位なんです。
それで、もうアイマックスで見れる劇場はどんどん減っているし、あと数日で消えてしまうからですね。
もう今から見るべきポイントを説明しようと思います。
それで、この映画はアポロや月着陸を描いた映画ではなくてですね、ファースト・マンになってしまった二ール・アームストロングという一人の男の人生の8年間を切り取って描いた世界なんですね。
1961年に最愛の娘・2歳のカレンを亡くしてですね、その後1969年に人類初の月着陸を果たした。
この1962年から1969年までの8年間を描いた映画です。
それで全部見たら、初めて、最初の方にある “娘の死” という出来事と、“月着陸” というのが繋がっている事が分かるというですね。
かなり文学性が強いというのかな、ちょっと考えながら見ないと分かり難い映画になっているんですね。
たとえば “考えながら見る” という事のヒントで、映画の中でしょっちゅう “月” が出てくるんですけども。
その “月” っていうのは何かっていうと、たとえばこれはエヴェンゲリオンでよくあるワンシーン。
なんで綾波が月を背負っているのかっていうと、月が死の象徴だからですね。
太陽が生命の象徴であり、月は死の象徴であると。
これはもう西洋文学に関わらず、東洋でもわりとスタンダードな考え方なんですね。
なので、月を背負って現れたキャラといえば、たとえば『機動戦士ガンダム』ではマチルダさんとか。
そして、この綾波もそうですね。
たとえば出てきた時に「あ、このキャラは死ぬな」というふうに、綾波だったらオープニングで分かるんですけども。
この『ファースト・マン』という映画の中でも、同じく “月” っていうのは、“死” の象徴として現れるんですね。
たとえば一番最初に映画の方で、2歳の娘と二人で月を見上げるシーンがあるんですけども、その後で娘が死んだ後も、月だけが二ール・アームストロングを照らしてるんですね。
それで何度も二ールが死にかける度に、月が見えるんです。
月を見上げるシーンが出てくる。
その月が「早くこっちへ来いよ」っていうふうに呼んでいるように見えている。
そんなふうに撮っているんですけども。
だから画面に月が現れるたびに二ールの死が近づいて、やっと死から逃げて思わず空を見上げると、月が恨めしそうにじーっと見ていると。
そういうふうな構造になっています。
そんな “死の象徴” である “月” に、最後は自分から向かっていってしまうんですね。
それで自分から向かっていってしまって、着陸して、その上を歩く事になってしまったという男の不思議な話なんですよね。