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今回は、ニコ生ゼミ03月24日(#274)から、ハイライトをお届けいたします。
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「【コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史 3 】 黒人奴隷とコカ・コーラ」
タオルくん:
よっしゃ、朗らかな写真を見てもらおうか。
これは、ジョージア州アトランタにあるコカ・コーラ博物館のど真ん中にある巨大金庫です。
金庫のど真ん中にコカ・コーラのマーク入ってるんだけど。
この中には「代々コカ・コーラ社の社長とごく一部の幹部、世界でも数人しか知らないコカ・コーラのレシピが入っている」と言われているんだ。
「それって本当でしょうか?」という話ですね。
なんか、アメリカの大統領と副大統領みたいだよね。
彼はコカ・コーラ以外にも、実は何十もの漢方薬を調合して売っていた、アトランタでは知らない人がいないくらい名士だったんです。
たとえば、「木から落ちて背中が痛い」と言ったら「ペンバートン博士のところに行って、塗り薬を貰ってこい」とか、「子供がひきつけを起こした」って言ったら「ペンバートン博士のところに行って飲み薬を貰ってこい」とか。
いっぱい薬を作っていた人なんだよね。
いわゆる興奮作用があって、疲れとかが吹っ飛んでしまう、アッパー系のドラッグだったわけだな。
後に、「なぜコカ・コーラという名前なのか?」という問いに対して、1959年コカ・コーラ社の社長は「我がコカ・コーラは、コカインとかコーラの実の両方から名前を取ったという噂があるが、それは根も葉もない悪質デマです! コカ・コーラという名前を付けたのは、単に語呂が良いからというだけの理由です!」と、証言台でそんな大嘘までついてしまうんですけど(笑)。
まあ、1959年には、そこまで言わないとどうにもならないという状態まで追い詰められてたんだけど。
この証言が真っ赤な嘘だというのは、これまでの講義の通りです。
なんといっても、初期のコカ・コーラは「スカッと爽やかな飲み物」ではなくて、「頭痛や神経痛を直して、リウマチの痛みを一瞬で止める薬」だったから。
……いや、コカインだからね。
そりゃ、リウマチの痛みを一瞬で止めるんだけど。
こういうのをウリ文句にしてたんだ。
「コカ・コーラはもともと薬だった」くらいが限度で、「昔はコカインが入っていたことがある」という話は、テレビで流せる限界をギリギリ超えてるかもわからないんだよね。
今、言ったような話をテレビで流すと、そのテレビ局からコカ・コーラ社のCMを全部引き上げられてしまうので(笑)。
ここら辺は、ネットでしか言えないことだよね。
それは “19世紀” という時代だったからです。
それは産業と貿易の発展が人々の思想と生活を変えた時代だッ!
依然! 食料不足や貧富の差が激しいにもかかわらず大人も子供も「自分もいつか金持ちと同じようなくらしができるッ!」このような幻想をいだいていたッ!
それは嵐のようなすさまじい渇きだったッ!!
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コカ・コーラに含まれる、コカインも、コーラの実のカフェインも、誰もがもう本当に欲しがっていた。寝ずに働けるように。
「白人を選んだ」っていうことは、じゃあ、黒人にはコカインは不要と思われていたかというと、とんでもない!
奴隷解放宣言の後も、南部の農場には、いたるところに黒人の奴隷農園がありました。
そして、そこで働く黒人奴隷たちには、食事の代わりに1日1回コカの葉が与えられていたんです。
つまり、3食ご飯が出るんじゃなくて、そのうちの1食はコカの葉なんだよね。
「コカの葉で元気が出て悩みがなくなった黒人奴隷達は、自分達がどれほど疲れているかもわからずに、倒れるまで笑いながら働いた」って言われてるんだ。
それくらい、南部の農園でも、徐々に徐々に「コカの葉を使って人を働かせる」ということが当たり前になっていたんです。
だから、「頭脳労働をする白人こそ、コカインを必要としている。そこでコカ・コーラなんだ!」というキャンペーンを張ったんだよね。
また、「それに怒った黒人たちが反撃した!」という噂が流れたおかげで、そのリンチはさらに酷くなったという、歴史上有名な “アトランタ人種暴動” というのが発生したんですね。
どんな尾ひれがついたのかというと。
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事実上、発売中止の訴訟を起こされたりもしたんだけども。
その時に出てきたのが「ソーダ・ファウンテンのオヤジ達が数倍の濃度で売っていたそうだけど、それはコカ・コーラ社の指示ではないのか?」という話だったんですね。
要するに「薄めて飲んだら安全って言うけども、どれくらい薄めるのかは現場の判断で、金を出したヤツにいくらでも濃いものを出すことを許しているから、黒人達がコカイン中毒になるんじゃないか?」というふうに言われたわけです。
まず「成分からコカインを排除すること」を受け入れてて、次に「ソーダ・ファウンテンで売ることをやめて、ボトリングして、正しい比率の炭酸水で割ったコカ・コーラを売る」という事業を始めた。
これを、初代のペンバートン博士も、2代目のキャンドラー社長も、すごく嫌がったんだよね。
なぜかというと、原液で売って店先でソーダで割っている限りは、薬局のソーダ・ファウンテンで売ることになる。つまり、コカ・コーラは “薬品” なんだよ。
ガソリンスタンドや雑貨店、新聞スタンドでも売ることが出来るわけだよね?
すると、コカ・コーラは、薬品ではなくて、ただの “ドリンク” になってしまう。
一番最初は、このストンとしていた円柱状の普通のボトルで売ってたんだけど、これのおかげで、コカ・コーラの偽物がアメリカ中に溢れることになりました。
1900年には、真ん中にひし形マークをつけて「このマークがついているのがコカ・コーラですよ!」と言ったんだけど、そう言ったら言ったで、偽物も全部ひし形のマークを付けだしたんだよね(笑)。
そして、「どうやって差別化させればいいか?」ということで生まれたのが、この右端にあるコカ・コーラの特徴的な瓶の形。
これが、1916年にやっと完成した、と。
この形になった理由は、瓶の形を変えようにも、使用済みの空き瓶を自動的に洗う機械に掛けるために、太さを変えられなかったからなんだ。
太く出来ないので、真ん中をちょっとくびって、洗浄機にかけれるようにした、と。
おまけに、真ん中をへこませると、これまで売っていたものと比べて、3分の1にまでコストを下げれる。
容量を10オンスから6オンスに減らせるということで、この形になったそうです。
まあ、「中身を減らしてもバレない」と。
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レシピ自体、どんな香料が入っているのかは、大したことのない秘密なんだけど、コカ・コーラというブランドを守るために「レシピは謎です! 世界でも数人しか知りません!」という伝説を、自分たちで一生懸命作ったわけなんだ。
こんな伝説を自分たちで作ったおかげで、コカ・コーラ社は1985年…
…もう、ついこの間だね。
自分の首を締める大スキャンダルに襲われます。
その話は、また後半で、ちょっと話そうと思います。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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