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岡田斗司夫のニコ生では言えない話 第45号 2013/8/12
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【今週のコンテンツ】僕の中の11歳のSF少年が「小野不由美ダメでしょ!」と叫ぶ
【今週の書き起こし】岡田斗司夫のSFの読み方「ドラッカーよりもハインラインを読め!」パート4
【岡田斗司夫なう。】【悩みのるつぼ】母が浮気しています 回答編
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◆【今週のコンテンツ】僕の中の11歳のSF少年が「小野不由美ダメでしょ!」と叫ぶ
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はーい。ついてきてくれましたかあ~? 「岡田斗司夫のSFの読み方」いよいよ最終回です。
会場からの質問に答える岡田の舌鋒ますます冴え渡ります。
“歩くTED”岡田がついに明かす、プレゼンテーションの技法! 面白い本を勧めたいときに、「これはやっちゃいけない!」のは何? そして、“これからのSF”とは? 岡田が「全力で止める」こととは?
SFの読み方だけでなく語り方までしっかりお持ち帰りください。“読書のミホ”でした。
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<質問者>
岡田さんの中で「これはダメだ!」というSFの見分け方、ありますでしょうか?<岡田>
ダメなSFですか。
あのねぇ、“SFの黄金期”の定義を、さっき僕は「1950年代です」って言ったんですけども。
こういう、時期で定義する方法と、もう一つあって。
「SFの黄金期は“11歳”」
つまり、その人が11歳の時に読んだ本が一番面白いって考え方なんですね。
自分の人生で11歳の頃の、自分の目をひらくようなSF。SFファンは、“センス・オブ・ワンダー”って言ってるんですけども。
僕、小学校の時に、林間学校で高野山に行って。星空観測ってのがあったんですよ。
理科が得意な先生が、「あの一つ一つの星は実は太陽と同じで、周りに惑星が回っていて、そこの上に人間みたいのがいて、そいつらがまたやっぱり山ん中で合宿しながらこっちを見てるかも知れない。それが無限にあるのが宇宙だ」って。
なんかゾッとするような、いきなり自分の世界が「うわぁっ!」と広がるような感覚があったんですね。
その“センス・オブ・ワンダー”を感じられるのは、11歳から13歳ぐらいの時が一番強いと思うので、その時代に読んだSFはやっぱいいSFだと思います。
逆に言えば…… 人から勧められて、「これいいよ!」って言われても、面白くないものはいっぱいあるんで、どうしようもないです。
たとえば僕、小野不由美の『屍鬼』が嫌いで嫌いでしょうがないんですよ。(会場笑)
僕はもう、『屍鬼』という小説一本で小野不由美という作者を評価してて、「お前はスティーブン・キングの『呪われた町』をパクった人だね?」っていうふうに決めちゃってるんです。
たぶん、小野不由美のファンが聞いたら全員反論すると思うんですけども、僕は2冊並べて1ページ目から比較しながら、「ほら、小野不由美ダメでしょ」って言えるんですよ。
これは、僕が11歳の頃に小野不由美を先に読んでたら、全く逆だと思うんですよ。
それくらい、この自分の「うわぁっ!」っていう感覚をひらいたのは、スティーブン・キングが先で。二十歳くらいの時だったから、ものすごいびっくりしたんですね。それと似たようなものを見たら全部“偽物”に見えちゃう。
だから、ダメなSFっていうのは、たぶん自分にとって“近親憎悪”なんですね。
「ギリギリ近くまで来てるのに、なんでそこ外すの?」とか、そういうのが……
小野不由美さんごめんなさい(笑)
<質問者>
私が何かを勧めると、絶対それを誰も読んでくれないって現象が起こるんです。でも、先生のお話を聞くと全部読んでみたいと思うんですね。
この、なにかを語るときの、人に紹介するときの、こう……なんて言うんですかね?
<岡田>
プレゼンテーションの技法?
(質問者、頷く)
それを、“歩くTED”と呼ばれる僕に説明しろと?(笑)
なんでしょうね? 「一カ所しか説明しちゃダメ」なんですよ。
『百億の昼と千億の夜』でいったら、冒頭部分のプラトン、ブッダ、キリストが一番面白いんですよ。
ここを重点的にやって、あとは後半にある面白そうな部分をパンパンとやったら、聞いてる人が頭ん中で勝手に想像しますよね?
この“勝手に想像する部分”を作るんですよ。
自分が「ここまで言おう」と思ったら、その一つ手前で止めるとか。あと、ある風景だけを想像させて、それ以上説明しないとか。
さっきの『スターキング』という話だったら、やっぱり僕が語りたい部分ってのはすごい単純で。
「会計士がニューヨークに帰って星空を見た時にどう思ったか?」の瞬間。そこだけ説明すれば、この感覚がわかる人は読んでくれるだろう、なんですよ。
やっちゃいけないのが全部説明することだったり、面白さそのものを言おうとすること、だと思います。
<質問者>
「これからのSFはこんなんじゃないのか?」とか、「これからSF作るんだったら、こんなの作る」というのが、もしあれば、お伺いしたいです。
<岡田>
SFというのは、“時代の要請”で生まれるんです。
メジャーな文芸ジャンルというのは、所詮、時代の要求で生まれるんですね。
戦争があって、テクノロジーで自分たちの生活は変わるということになると急にSFがガーッと進化する。
しかし、そういう要請がなかったら、スペースオペラとか、『ハリー・ポッター』みたいな形で、日常的なお話の中にまみれていってしまうんですね。
今の僕らの世界というのは、ネット社会があるから、SFとしてはネタが出しやすいかというと、すごく“出しにくい”んですね。
1950年代以前の時代だったら、「次はロケットだ! ロボットだ! 電子計算機だ! ヘリコプターだ! 空飛ぶ車だ!」というふうに、単純に予想しやすいんですけども。
アイデアを思いついても、それを商品化することができないぐらい技術的な障壁が高かったわけです。
そこにはSF小説が生まれる余地があるんですけど。
ネット社会の場合は、誰かが思いついたら、商品化とかツール化することができてしまう。
これが一番大きな差です。
つまり、現実の商品企画そのものがSFになってしまった。
だから僕は、iPhoneとかiPadみたいなものが現代のSF作品だと思っているんです。
便利さを買ってるんではなくて、そこにあるストーリー性とか、「それによって僕らの生活がどういうふうに変わっていくのか?」という“可能性込み”で買ってるんだと思うので。
SFというのは、今、お話ではなく、映画でもなく。
1950年代までのSFというのは小説だったんですけども、60年代からテレビドラマになり、80年代から映画になった。
2000年代、特に2010年から以降は、SFというのは商品となって僕らの中に入ってくる。
こうなると、“SF小説”というのはなかなか生きていけないので、もう僕は、「これからのSFはどうなっていくのか?」ではなくて、今回僕が勧めたように、あえて古いのを読むのが一番楽しくて、いいSFの楽しみ方だと思います。
だから、これからSF作家になろうと思うという人がいたら、僕は止めますね、全力で。
「それは無理!」というふうに。
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