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岡田斗司夫のニコ生では言えない話 第48号 2013/9/2
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【今週のコンテンツ】『風立ちぬ』いざもう一度観に行きめやも
【今週の書き起こし】毎日新聞『風立ちぬ』インタビュー
【岡田斗司夫なう。】ブラック企業VSバカバイト、どっちが悪い?ニコ生ゼミで岡田が語る!
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◆【今週のコンテンツ】『風立ちぬ』いざもう一度観に行きめやも
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岡田斗司夫の批評を読む前と後と、『風立ちぬ』を2回観に行きました無銘のマサフミです。
8月21日毎日新聞に一部掲載されたインタビューを全文書き起こしでお届けします。内容は既に公式ブログで公開されたものですが、こちらは整文し岡田斗司夫自身が加筆しています。音声と聞き比べてお楽しみ下さい。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」
字義通りに意味をとるなら、「やも」に反語の意味があるので「生きよう、いや生きるのをやめよう」と、ヴァレリーの原詩とは反対の意味になってしまうそうですね。
美しいものは失われ、創造的時間は終わり、風が止んでしまったら。
それでも生きようと試みなければならないのか、生きるのをやめるのか。
2回目は二郎の背中にそんなことを考えながら観ていました。
実際の堀越二郎は、国産旅客機YS−11の設計に携わっていくんですけどね。
さて、岡田斗司夫のインタビューを読み終わったら、『風立ちぬ』いざ3回目観に行きめやも。 DVDを待ちめやも。
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記者
(『風立ちぬ』には)賛否両論ありますよね。
賛否というより、僕自身がよく分からないので、いろんな先生方のお話を伺いながら、自分なりの映画の見方、この映画から何を受け取るかという答えを見つけたい。
記事の趣旨としては、そういう仕立てにしようかと。その通りきれいになるかは分かりませんが。
岡田斗司夫先生ご自身は、この映画のメッセージとして、何を訴えかけられましたか。
岡田
子供向けアニメをつくっていた人なんですね、宮崎駿は。
その人が大人向けに作ると「すごく作家性の強い作家だ」というのがよくわかった。
うーん、どう言えばいいのか。子供向け、大人向けというのは本人の中で切り替えているつもりなんでしょうけど。子供向け作品の時から作家性というのがダダ漏れに漏れてはいたんですよね。
記者
先生の言う作家性とは?
岡田
どうしても本音が出てしまう。それが作家性です。
例えば『アルプスの少女ハイジ』は高畑勲さんの作品です。でも僕はそこに「高畑勲の作家性」みたいなものを別に感じない。
子供向けアニメを作るということに関しての強い意志みたいなのを感じはします。子供向け作品の範囲を守ろという点では作家性を感じるんですけど、高畑勲自身のメッセージがあまり強く出ていない。
ところが宮崎駿が作ると『風の谷のナウシカ』にしても『となりのトトロ』にしても、作家性みたいなものが漏れてくると。
でも作家性の話をするとややこしくなりますよね。何を受け取ったのかということですよね。
記者
失礼な聞き方で本当に申し訳ないんですが。
岡田
最初に感じたのは周りで泣いている人の多さなんですよ。しくしく、すごく泣いている。
そこに違和感を感じて。これ泣くような話か?と。
素直に感動して泣くような、きれいな恋愛の話じゃないぞと思ったんです。 すごくわがままな男女の話なんです。男も女もわがままなんです。女のわがままはかわいんですけど、男はかなり身勝手なんです。でも、そういう生き方しかできない。
飛行機が好きで、きれいなモノが好き。きれいなモノだけが好きな男の話ですよね。きれいじゃないモノには徹底的に冷たい。例えば自分の妹に対しても平気で約束は破るし。
記者
確かに(妹は)きれいな女の子としては描かれていない。
岡田
例えば醜いモノに対して・・・中学生時代かなあ、同い年くらいのヤツが小さい子をいじめているシーン。そいつらを一本背負いで投げ飛ばす時に、「うわー」って怒鳴ってくるじゃないですか。あれが何を言っているか分からないんですよ。それは彼にとって完全に興味がない世界なんですよね。
記者
しかも顔が悪そうというか醜い。
岡田
はいはい。そのほか、軍とか会社のお偉いさんがわーっと言っている時も、何を言っているか分からない。あれは二郎の主観的映像で、下々の者に興味がないんです、はっきり言って。
記者
がーん
岡田
はい。下々の者に興味がない。映画館にくる大多数の人に宮崎駿は興味がないですよ。
記者
我々も下々でございますが。
岡田
はい。興味がないんです。教養がなかったり美しいモノを作るのをジャマする人に興味がないんです。だからひどい人なんです。それなのにみんな感動しているから、「本当にみんなこれでいいの?」と。
「たぶん(みんなは)アニメだからバカにして見ている」「映画として見ていないんじゃないの?」というのが、僕の中にあるんです。
映画として見ると明らかにこれって「アマデウス」とすごくよく似ているんです。「アマデウス」という映画はモーツァルトという天才を描いた映画で、天才なんだけど人格的にはひどい人間なんです。ただ天才が時代の中で生きる生きづらさを描いている訳ですね。
記者
凡人サリエリの目を通して。
岡田
はいはい。歴史上のモーツァルトという人間に新たな光をあてるから、ああいう描き方になるんですよ。つまり、人格的に破綻者だったということを描かなければいけなかった。
でも今回の場合は、そこを宮崎駿は描きたい訳じゃない。堀越二郎のことを語っているんじゃなくて、自分のことを語っているんです。だから作家性と言ったんです。
作家性が強い作家は、どんな作品を作っても「おれってこんなやつなんだけどさ」というお話しか作れないんです。
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