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岡田斗司夫のニコ生では言えない話 第61号 2013/12/2
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【今週のコンテンツ】岡田斗司夫の予想は当たったのか?もう一つの『叛逆の物語』
【今週の書き起こし】「まどか☆マギカ劇場版」を金払って観たから言いたいこと言うよ!(後編)
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◆【今週のコンテンツ】岡田斗司夫の予想は当たったのか?もう一つの『叛逆の物語』
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やあ、また会ったね。僕は無銘のマサフミ。『魔法少女まどか☆マギカ』を観る決心はついたかい?
『岡田斗司夫の「まどか☆マギカ劇場版」を金払って観たから言いたいこと言うよ!』後編をお届けするよ。
劇場版『叛逆の物語』が生まれたことは知っているよね?
この続編について、かつて岡田斗司夫が予想した仮説は興味深いね。あり得たかもしれない可能性の一つといったところかな。
実際の『叛逆の物語』では、岡田斗司夫の願いは叶えられたのか。それは自分の目で確かめてくるといい。
君たちの願いが奇跡を呼んで、さらなる続編が生まれることを期待させてもらうよ。
************************************
じゃあ、なんで僕らはアニメを見ちゃうんだろうか?
なんで僕らは年端もいかない女の子に自分たちを仮託して、同じことをさせるんだろうか?
僕らが見てるものって、基本、同じじゃん。
『まどか☆マギカ』は、すごく出来が良かったんだけど、それ以外の作品もいっぱいあるよね。
僕らはアニメの中の女の子たちに自分たちの夢を乗せて、希望を語らせたり、絶望と戦わせたり、血を流させたりする。
で、それを安全圏で、家でテレビとして見てるわけじゃん。この構造自体は変わらないわけだ。
アニメのキャラが本当に感じる勇気とか感動っていうものを、端から見たら無感動に見える僕らは、「ああ、すげーなあ」と言いながらアニメを見て。
そして、元のアニメのような恋愛や感動のない人生を生きてるわけだよ。
つまり、インキュベーターたちが派遣された宇宙の超文明と魔法少女の世界っていうのは、アニメの中で語られる熱い世界と、僕らが居る寒い世界と対比で出来ていると。
「その対比に踏み込んでくるんじゃないかな?」って思ってんだ。
ここに踏み込んだら、エヴァと全く違う感動の方に持っていけると思ってんだけどね。
なんかその辺が、俺が新作に期待してる所だよな。
『まどか☆マギカ』って、明らかに作り手がさ、「なんでアニメ作るのか?」とか。
「なんで自分たちは嘘の感動や、嘘の魔法や、嘘のこの世のには存在しない美少女を使って、俺たちと同じようなおじさん達・お兄さん達を感動させるんだ?」とか。
「俺たちの感動は、少女の悲劇や犠牲でないと成り立たないのか?」と、考えて作っている作品なんだ。
アニメの中では、まるで「この世界の不条理が~」って言ってるから、俺らは安心して見てるんだけど。
でもそれは、言い換えれば、アニメの作り手からすれば、自分の子供みたいに思って愛しているキャラクターっていうのを使い捨てにして、殺して視聴者の関心を買うことになるわけじゃん。
喜ばせることになるわけじゃん。
見てる人間を感動させることになるわけじゃん。
それは、悪魔との取引とも思えるし、自分たちが“インキュベーター”になった気もしちゃうんだよ。
そんなこと考えてないクリエイターはいないよ。
絶対にあらゆるアニメの作り手は、この問題にいつかたどり着いてしまうんだ。
そして、たどり着いたその時にどんな回答を作るのかで、やっぱ、作り手の“人間の器”みたいのが問われるんだよな。
結局、“富野さん”も、『ガンダム』から『ゼータ』の辺りでそこに行きそうになったから、『ダブルゼータ』で、「いかん、いかん」って大方向転換したわけだ。
「俺は大衆作家で、テレビで夕方5時にやってるアニメやりたいから、ここの方向やっちゃいかんのだ!」ってなるし。
庵野くんは庵野くんで、「エヴァっていうのはそういう作品を書くもんじゃない」と。
たぶんね、最初の劇場版を作った時にやった“観客席を写す”っていうのは、「お前らはなんなんだ?」って問いかけをすることで、そういうことをやろうとしてるんだけど。
でも、今のエヴァはそうじゃないんだよ。
今のエヴァは、やっぱりその、良い作品、後世に残る作品っていうのをやろうとしてる。
でも、『まどか☆マギカ』のスタッフは、まだ後世に良い作品を残さなくていい年齢だから、あともう一息、暴れるんじゃないかと思ってんだけどな。
岡田斗司夫のニコ生では言えない話 第61号 2013/12/2
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【今週のコンテンツ】岡田斗司夫の予想は当たったのか?もう一つの『叛逆の物語』
【今週の書き起こし】「まどか☆マギカ劇場版」を金払って観たから言いたいこと言うよ!(後編)
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◆【今週のコンテンツ】岡田斗司夫の予想は当たったのか?もう一つの『叛逆の物語』
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やあ、また会ったね。僕は無銘のマサフミ。『魔法少女まどか☆マギカ』を観る決心はついたかい?
『岡田斗司夫の「まどか☆マギカ劇場版」を金払って観たから言いたいこと言うよ!』後編をお届けするよ。
劇場版『叛逆の物語』が生まれたことは知っているよね?
この続編について、かつて岡田斗司夫が予想した仮説は興味深いね。あり得たかもしれない可能性の一つといったところかな。
実際の『叛逆の物語』では、岡田斗司夫の願いは叶えられたのか。それは自分の目で確かめてくるといい。
君たちの願いが奇跡を呼んで、さらなる続編が生まれることを期待させてもらうよ。
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じゃあ、なんで僕らはアニメを見ちゃうんだろうか?
なんで僕らは年端もいかない女の子に自分たちを仮託して、同じことをさせるんだろうか?
僕らが見てるものって、基本、同じじゃん。
『まどか☆マギカ』は、すごく出来が良かったんだけど、それ以外の作品もいっぱいあるよね。
僕らはアニメの中の女の子たちに自分たちの夢を乗せて、希望を語らせたり、絶望と戦わせたり、血を流させたりする。
で、それを安全圏で、家でテレビとして見てるわけじゃん。この構造自体は変わらないわけだ。
アニメのキャラが本当に感じる勇気とか感動っていうものを、端から見たら無感動に見える僕らは、「ああ、すげーなあ」と言いながらアニメを見て。
そして、元のアニメのような恋愛や感動のない人生を生きてるわけだよ。
つまり、インキュベーターたちが派遣された宇宙の超文明と魔法少女の世界っていうのは、アニメの中で語られる熱い世界と、僕らが居る寒い世界と対比で出来ていると。
「その対比に踏み込んでくるんじゃないかな?」って思ってんだ。
ここに踏み込んだら、エヴァと全く違う感動の方に持っていけると思ってんだけどね。
なんかその辺が、俺が新作に期待してる所だよな。
『まどか☆マギカ』って、明らかに作り手がさ、「なんでアニメ作るのか?」とか。
「なんで自分たちは嘘の感動や、嘘の魔法や、嘘のこの世のには存在しない美少女を使って、俺たちと同じようなおじさん達・お兄さん達を感動させるんだ?」とか。
「俺たちの感動は、少女の悲劇や犠牲でないと成り立たないのか?」と、考えて作っている作品なんだ。
アニメの中では、まるで「この世界の不条理が~」って言ってるから、俺らは安心して見てるんだけど。
でもそれは、言い換えれば、アニメの作り手からすれば、自分の子供みたいに思って愛しているキャラクターっていうのを使い捨てにして、殺して視聴者の関心を買うことになるわけじゃん。
喜ばせることになるわけじゃん。
見てる人間を感動させることになるわけじゃん。
それは、悪魔との取引とも思えるし、自分たちが“インキュベーター”になった気もしちゃうんだよ。
そんなこと考えてないクリエイターはいないよ。
絶対にあらゆるアニメの作り手は、この問題にいつかたどり着いてしまうんだ。
そして、たどり着いたその時にどんな回答を作るのかで、やっぱ、作り手の“人間の器”みたいのが問われるんだよな。
結局、“富野さん”も、『ガンダム』から『ゼータ』の辺りでそこに行きそうになったから、『ダブルゼータ』で、「いかん、いかん」って大方向転換したわけだ。
「俺は大衆作家で、テレビで夕方5時にやってるアニメやりたいから、ここの方向やっちゃいかんのだ!」ってなるし。
庵野くんは庵野くんで、「エヴァっていうのはそういう作品を書くもんじゃない」と。
たぶんね、最初の劇場版を作った時にやった“観客席を写す”っていうのは、「お前らはなんなんだ?」って問いかけをすることで、そういうことをやろうとしてるんだけど。
でも、今のエヴァはそうじゃないんだよ。
今のエヴァは、やっぱりその、良い作品、後世に残る作品っていうのをやろうとしてる。
でも、『まどか☆マギカ』のスタッフは、まだ後世に良い作品を残さなくていい年齢だから、あともう一息、暴れるんじゃないかと思ってんだけどな。
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