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「ネットテロの本質は『イワシ化』」
日常生活の中で、まったく無関係な人間を無意味に撃てる人はそうそういないでしょう。
自分を正当化するためのロジックが必要ですから、銃を使った大規模な事件は強力な動機、何らかの思想が背景にあるのが普通です。
コロンバイン高校の銃乱射事件にしても、犯人に対する日常的ないじめが背景にあったと言われています。
一方、ネットテロは自分の身を危険にさらすことなく匿名で、どこにいても簡単に実行することができます。
だからでしょう、ネットテロには思想もなければ、中心となる主犯もいません。あるのは一過性の盛り上がり、平たくいえば「ノリ」だけです。
炎上のきっかけとなる話題、「ネタ」を誰かがネットに書き込み、それが面白そうならまた別の誰かがネタを投下します。
まとめサイトができたりして炎上が大きく広がってくると、次々に人が集まってきて、さらにネタを探しては投下するという、サイクルができあがっていきます。
なぜ炎上させるのかという目的は存在しません。
「何となく気に入らない」だけで彼らにとっては十分。
あえていうなら、炎上を大きくして、世の中を騒がせること自体が目的ということになるでしょう。
最初のうちネタを投下するのはパソコンを使いこなしているネット民ですが、やがてスマフォしか使えない情報弱者もこの騒ぎに荷担するようになります。
情報弱者は、情報の裏を取るスキルもありませんし、本当かどうかわかるまで態度を保留するという精神的な強さもありませんから、ネタを次々とシェアして炎上を広げて行くことになります。
先にスマフォとパソコンの違いを説明しましたが、スマフォしか持っていないと、リンクをたどって元情報を検証したり、複数の情報源に当たるのがとても面倒なのです。
そのため情報リテラシーの低いスマフォユーザーは、真しん偽ぎ不明の情報をリツイートしたり、イイネを押したりして、安易に情報拡散する傾向があります。
ネタを投下して騒ぎをコントロールしているつもりのネット民も、やがて自分たちが作り出した盛り上がりに飲み込まれ、さらに燃え広がるネタを探す作業に没頭するようになります。
以前、思想家の内田樹氏と対談した時、私は現代の社会が「イワシ化」していると主張しました。
海の中でイワシは群れてぐるぐる回っていますが、中心にリーダーのイワシがいたりするわけではありません。
私たちの住んでいる今の社会も同じで、どこにも中心がないんです。
イワシの群れが突然分裂することがありますが、特別な理由があるわけでなくて、分かれた群れはまたグルグル回り出す。
一生懸命泳いでいるイワシたちは、回っていることに意味があるに違いないと信じて、できるだけ内側へ行こうとしているだけです。
ネット社会も同じ構造になっています。
「この情報を拡散しなければいけない!」と思い込んで、リツイートを周りに頼み込んでいる人を時々見かけますけど、そういう人も後で冷静になるとなぜ自分があんなに熱くなっていたのか理由がわからない。
「今、こいつを叩くのは社会正義だ!」、
「今、この人を助けないといけない」、そういう一時の盛り上がりに巻き込まれて行動する人が増えてきています。
これは何らかの思想に感化されたとか、共鳴したということではありません。
ネットの中で大きな流れがあったら、その流れに乗っかってグルグル回らなければダメだと思い込んでいるだけ。
それが私の考えるイワシ化であり、ネットテロの本質だと思います。
カリスマ論
岡田斗司夫のニコ生では言えない話
岡田斗司夫の解決!ズバっと 2016/02/20
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「ネットテロの本質は『イワシ化』」
銃とネット、どちらも危険な武器ですが、それらによって起こる事件の構造はちょっと違います。
銃というのは相手を直接、物理的に傷つけるものですから、使うためにはそれなりに心理的な敷居を乗り越えなければなりません。日常生活の中で、まったく無関係な人間を無意味に撃てる人はそうそういないでしょう。
自分を正当化するためのロジックが必要ですから、銃を使った大規模な事件は強力な動機、何らかの思想が背景にあるのが普通です。
コロンバイン高校の銃乱射事件にしても、犯人に対する日常的ないじめが背景にあったと言われています。
一方、ネットテロは自分の身を危険にさらすことなく匿名で、どこにいても簡単に実行することができます。
だからでしょう、ネットテロには思想もなければ、中心となる主犯もいません。あるのは一過性の盛り上がり、平たくいえば「ノリ」だけです。
炎上のきっかけとなる話題、「ネタ」を誰かがネットに書き込み、それが面白そうならまた別の誰かがネタを投下します。
まとめサイトができたりして炎上が大きく広がってくると、次々に人が集まってきて、さらにネタを探しては投下するという、サイクルができあがっていきます。
なぜ炎上させるのかという目的は存在しません。
「何となく気に入らない」だけで彼らにとっては十分。
あえていうなら、炎上を大きくして、世の中を騒がせること自体が目的ということになるでしょう。
最初のうちネタを投下するのはパソコンを使いこなしているネット民ですが、やがてスマフォしか使えない情報弱者もこの騒ぎに荷担するようになります。
情報弱者は、情報の裏を取るスキルもありませんし、本当かどうかわかるまで態度を保留するという精神的な強さもありませんから、ネタを次々とシェアして炎上を広げて行くことになります。
先にスマフォとパソコンの違いを説明しましたが、スマフォしか持っていないと、リンクをたどって元情報を検証したり、複数の情報源に当たるのがとても面倒なのです。
そのため情報リテラシーの低いスマフォユーザーは、真しん偽ぎ不明の情報をリツイートしたり、イイネを押したりして、安易に情報拡散する傾向があります。
ネタを投下して騒ぎをコントロールしているつもりのネット民も、やがて自分たちが作り出した盛り上がりに飲み込まれ、さらに燃え広がるネタを探す作業に没頭するようになります。
以前、思想家の内田樹氏と対談した時、私は現代の社会が「イワシ化」していると主張しました。
海の中でイワシは群れてぐるぐる回っていますが、中心にリーダーのイワシがいたりするわけではありません。
私たちの住んでいる今の社会も同じで、どこにも中心がないんです。
イワシの群れが突然分裂することがありますが、特別な理由があるわけでなくて、分かれた群れはまたグルグル回り出す。
一生懸命泳いでいるイワシたちは、回っていることに意味があるに違いないと信じて、できるだけ内側へ行こうとしているだけです。
ネット社会も同じ構造になっています。
「この情報を拡散しなければいけない!」と思い込んで、リツイートを周りに頼み込んでいる人を時々見かけますけど、そういう人も後で冷静になるとなぜ自分があんなに熱くなっていたのか理由がわからない。
「今、こいつを叩くのは社会正義だ!」、
「今、この人を助けないといけない」、そういう一時の盛り上がりに巻き込まれて行動する人が増えてきています。
これは何らかの思想に感化されたとか、共鳴したということではありません。
ネットの中で大きな流れがあったら、その流れに乗っかってグルグル回らなければダメだと思い込んでいるだけ。
それが私の考えるイワシ化であり、ネットテロの本質だと思います。
カリスマ論
――いまもっとも幸せな生き方は「小さなカリスマ」になること
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