• このエントリーをはてなブックマークに追加
【ドラマ中盤レビュー】藤原竜也主演『そして、誰もいなくなった』が視聴者に与える「本当の恐怖」
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

【ドラマ中盤レビュー】藤原竜也主演『そして、誰もいなくなった』が視聴者に与える「本当の恐怖」

2016-08-15 12:00

    藤原竜也主演の人気ドラマ『そして、誰もいなくなった』(日本テレビ/日曜22時)。タイトルを聞くとすぐさまアガサ・クリスティ作の長編推理小説「そして誰もいなくなった」を真っ先に思い浮かべてしまうかもしれないが、これらの作品に直接的な関連性はない。とはいえ、本当の意味での首謀者が誰なのかもわからない中、主人公が理不尽な災難に見舞われ、周囲の人々が次々と死んでいくという点においては、小説とどこか共通した部分もあるこのドラマであるが、やはりというかまず注目すべきは情報化社会ならではの身近な恐怖感である。


    そもそも、事件は、勤務先でも一目置かれ、私生活においても恋人との結婚を目前に控えるなど、順風満帆の生活を送る主人公・藤堂新一(藤原竜也)が、何の因果か別の刑事事件で逮捕された犯人(遠藤要)に「なりすまされる」ことで、「自分が自分である」という当たり前の証明すらままならない状態に追い込まれてしまうという異常事態に端を発する。たかだか身分証明用の番号を失っただけで、それがあたかも自分自身の人生を失ってしまったかのような深刻な被害を生み、挙げ句、あらぬ濡れ衣まで着せられて、「追われる身」になるという展開は、マイナンバー制度を彷彿とさせる作中の「パーソナルナンバー」システムとの絡みもあって、多くの視聴者に対して、情報化社会ならではのリアルな恐怖を与えることに成功している。

    第4話では、バー「KING」のオーナー兼バーテンダー・日下(伊野尾慧)のもとに転がり込んだ主人公・藤堂が、不幸な事故としてではあるものの、学生時代からの"元友人"斉藤(今野浩喜)を刺殺してしまい、被疑者として追われる身となった。その際、藤堂が暗い部屋の中で血まみれの衣服を脱ぎ捨て、裸でさめざめと泣いていると、日下が藤堂の背中を優しく抱きしめ、落ち着かせるという、BL漫画さながらの"名場面"も登場。結果として、本筋とは別の部分で、多くの女性視聴者のハートを鷲づかみにすることとなった。

    第5話では、藤堂に対してそんな無条件の優しさを見せる日下もまた、実は藤堂と同様に、パーソナルナンバーを持たない人間であることが判明。さらには、本格的に登場することとなった謎の少女・砂央里(桜井日奈子)の存在や、藤堂が突如として"脱出ゲーム"を現実化させたような環境に放り込まれたあげくに、本当の意味で「孤独」な存在であることを悟らされるなど、これまでとはまたひと味違った展開を迎えた。

    そうした中、ここまで見続けてきた多くの視聴者にとって、回を追うごとに、素朴に、かつ明確な疑問として浮上してくるのが、このドラマにおける"最大の謎"とも言うべき「そもそもなぜ藤堂がこんな目に遭わないといけないのか」という点と、それを仕掛ける首謀者の存在だ。無論、その答えは、最終話まで観ないとわからないだろうし、もしかすると観続けたところでわからないままなのかもしれないが、少なくとも現時点において登場している場面で、その鍵となりそうなのが、「藤堂と周囲の温度差」であり「認識の違い」だ。

    たとえば、普段はそれほど気にもとめていなかった学生時代の元恋人・はるか(ミムラ)が、今なおストーカーじみた狂おしいほどの想いを藤堂に対して抱え続けていたり、当初は気の置けない友人であるかのように思われていた斉藤が、はるかと藤堂の間に起きた"ある悲劇"をキッカケに、その内に秘めた怒りを爆発させたり、さらには従順な後輩社員と思っていた五木(志尊淳)の本性が、実際にはプライドの高い「オレ様キャラ」であったりと、主人公である藤堂にとって「寝耳に水」といった事象ばかりが起きている。それだけ藤堂が「今まで鈍感すぎただけ」という見方もできるが、人間というのは、誰しも、こうした形で知らず知らずのうちに多くの人から恨みや反感を買っていたり、善行と信じて疑わぬ行動ですらも、別の誰かにとっての悪行や被害であったりと、自分にとっての「普通」が必ずしも別の人にとっての「普通」であるとは限らないというメッセージが伝わるのだ。

    そうした意味で言えば、表層的な恐怖としてまっ先に目に入ってくる「パーソナルナンバー」の消失や乗っ取り被害よりも、時流に関係なく、普遍的な問題として存在する、人間関係に関するトラブルのようなある種、アナログ的な問題の方が、実際には多くの被害を生んでしまうという恐怖をこのドラマは観る者に対して与えるのではないか。

    たしかに、そもそもの被害を生むこととなった藤堂の「パーソナルナンバー」の消失は、現在の日本に存在するマイナンバー制度が、将来的に引き起こしかねない未知の危険性を想起させるものであり、それはある程度リアリティのある恐怖を与えるものだ。しかし、「自分のアイデンティティとは何か?」「アイデンティティの証明とは?」という意味で言えば、このドラマはやはりそうした数字や文字列だけではない、"別の何か"が持つ価値と、その大きさについて、改めて考えさせられる作品であると言えるかもしれない。

    文・鹿葉青娘

    https://youtu.be/dQ9fgyvv2oA


    ■『そして、誰もいなくなった』公式サイト(日曜よる10時30分から日本テレビ系列にて放送)
    ntv.co.jp/soshitedaremo/

    ■今月のAOL特集
    元人気子役たちの今&昔【フォト集】
    RSSブログ情報:http://news.aol.jp/2016/08/14/soshitedaremo/
    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。