パート1は僕が作家の友人に書いた手紙のリプリントだ。
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元気にしてる? 僕はニューヨークでソーホーハウスの屋上のプールサイドに座ってる。天気はいいし、物事はうまくいってるし、いい人生を送ってると思う。
嬉しいし誇りに思ってる報告がある。僕の初めての詩集が売れたんだ。ほとんどは僕がウォレン・ウィルソン・カレッジで詩のローレジデンシー・プログラムを受講していた三年間で書いたものだ。そこにいる間、アラン・シャピロとアラン・ウィリアムソンが原稿の再形成に手を貸してくれて、僕がニューヨークに帰ってからはトニー・ホーグランドとフランク・ビダーがかなり編集してくれた。出版するのは興奮したけど、同時にあやふやな気分になった。自分がいろんなことをしていることは、分かってる。できれば全部真剣に取り組みたいけど、少なくとも僕にとって大事なことには努力しようとしてる。でもやっぱり僕は役者として一番知られているから、まあ今では何でも手を出す人として知られているところもあるかもしれないけど、僕が受ける批評は必ず僕の演技に結びついてるように思えるんだ。年がたつにつれて僕が執筆とか他のものをするようになれば、自分の目からも他の人の目からも、キャリアの重点が除々に演技から離れていくんじゃないかと思ってる。でも今はまだ理解しようとしている段階だ。
そしてその詩集を見る時、今は僕の初めての詩集なんだから面白い体験だ。とても現実的で決定的で。20代半ばか30代前半の人が人生を振り返って今までしてきたことの全てが現在の人生を作り出したんだと気づくような感じだ。子供の頃の大きくなったら何になるのかとか、このお話はどう終わるのだろうとか想像している時期を過ぎて、様々な決断をして、人生とキャリアのテーマやモチーフを決めた。つまり僕が言ってるのは、僕がこれまで作ったり書いたりしてきたものを見るのは、それらが芸術家としての自分を特徴づける要素だから面白い体験だということかな。若い芸術家はたいてい好きな芸術家たちを尊敬して、「こんな芸術家になりたいな」と思うけど、後で本当の芸術家というのは他の芸術家に影響されるかもしれないけど、必ず自分の何かを加えるということに気づくんだ。必ず。何かをまるごと真似たとしても、選択することとコンテクストを変えることでオリジナルと違った作品ができる。つまり僕が言ってるのは、今の自分を見て「ああ、僕はあの芸術家だ。それが僕の仕事なんだ」と気づくのが面白いってことだ。
ちょっと難しいのは、僕は全部の仕事に投資していたいけど、同時に演技以外のもので生計を立てる必要がないことが好きってことなんだ。必ずしも作家として好かれる必要はないってこと、少なくとも俳優として好かれるみたいにはそれほど依存していないってことだ。演技はもう16年以上している。俳優として尊敬されるまでは少なくも10年はかかったけど、今は高い給料を要求できるし、僕が関わることで芸術的な映画を実現させることができる。これらの多くは商業と芸術的な独自の特徴両方のミックスに依存している。今は友人の映画にちょっと出演する以外は、本当にしたい映画だけをしてるんだ。それでもオズの魔法使いを演じるおかげで、ハーモニー・コリンの暗い自主映画『Spring Breakers』で腹黒い麻薬売人のラッパーにずっとなりやすいってことは、うすうす気づいてる。それにオズのおかげで殺人犯のネクロフィリアックについての映画も監督できた(マッカーシーの『Child of God』、僕が制作費を全部出してね)。それに出版から80年以上経ってまだ映画化されてなかった、ある家族が女家長を埋葬するフォークナーの渦巻く物語、『As I lay Dying(死の床に横たわりて)』にも支持を得ることができた。
つまり、用心深くいけばピュアな作品を作り出すことができるって意味だ。もちろんいつも他の人にコミュニケートしたいけど、それが作品を出すことの主な理由の一つだし、でもどれくらい大勢の人が僕の作品を買ったか、何枚チケットが売れたかどうかを成功の基準にしなくてもいいんだ。別に認めてもらうために作っている訳でもないから批評家が何を言うかも心配しなくていい。僕は映画界で色々な成功をおさめてきた。大ヒット映画に出たし、アカデミー賞を受賞した映画にも出演した。映画によっては、特にオズみたいに何億ドルも費やした映画は商業的にも批評的にも成功するのは大切だと思うけどね。オズが商業的に大成功しないなら「失敗」として思われても間違いないと思う。製作にかかるお金がリスクを上げるからね。
でもハート・クレーンについての本や映画は、スパイダーマンのように最初から大衆の興味を惹くちょっとした可能性があるんだ。それにこのような物はまるで「良い」本や映画は規定の一様な形があるかのように、異常があれば批評家たちが飛びつくし、どんな逸脱でも基準の門番としての役を正当化しようとしている批評家たちのネタになる。僕はとにかく批評は好きだ。学校ですることと言えば批評と分析くらいだ。でもうわべだけの批評家は嫌いなんだけど、それがよく僕の作品に集まるんだ。僕がスパイダーマンに出たからかな。
全部同意してくれると思うけど、僕の詩集について考えていた時に頭にあったのはこういうことなんだ。
(原文:Search for the Real: Part 1)
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ジェームズ・フランコ
映画俳優、作家
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