6月11日、5人組アイドルグループの℃-uteが初の横浜アリーナ公演を開催。ちょうど10年前の2005年6月11日に結成された彼女たちは、10年間の活動で培ったパフォーマンス力を堂々と見せつけ、集まった1万2000人のファンは熱狂。この日までにグループを去っていった有原栞菜、梅田えりか、村上愛という3人の元メンバー、そして現在療養中のプロデューサー、つんく♂の思いも背負い、自分たちの10年間に見事に落とし前をつけたのだった。
2005年の結成当時、最年少メンバーである萩原舞はわずか9歳。それから10年にわたる活動の全てがこの日のステージのためにあったと言えるほどの、まさに集大成的なコンサート。オープニング映像では最新のシングル曲から過去へと戻っていき、ステージでの1曲目であるインディーズデビューシングル『まっさらブルージーンズ』に繋がるという構成にファンは大歓声を送る。10年間の℃-uteの意地と決意が発揮されたステージとなった。
10年間、とひとことで言ってしまえばそれまでだが、その時間はあまりにも長い。2005年の流行語大賞は「小泉劇場」「想定内」であり、「ジャンガジャンガ」や「武勇伝」あるいは「電車男」が流行したのもこの年だ。ちょっと懐かしい気分に浸ってしまうほどの昔である。それから10年、℃-uteはずっと℃-uteでい続けた。まさに歴史的なアイドルグループと言っていいのではないだろうか。
というわけで本日は、℃-uteが結成された2005年の出来事を、℃-uteの5人のメンバーの活動や個性とともに振り返っていきたい。ああ、そんなこともあったなあ、と懐かしみながら、℃-uteの魅力が伝わってもらえれば幸いである。
<首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線が開通>
東京・秋葉原駅と茨城・つくば駅の間につくばエクスプレス線が開通したのがこの2005年である。これにより東京と茨城が高速で繋がることになったわけだが、ハロー!プロジェクトで断トツのエクスプレス能力を持っているのが℃-uteのリーダー、矢島舞美だ。その身体能力が尋常ではなく、かつて開催されていたハロー!プロジェクトのスポーツフェスティバルでは徒競走系の種目で空気を一切読まない圧勝につぐ圧勝。「スポフェス荒らし」の異名を我が者にした。
ちなみに先日の2015年6月11日の横浜アリーナ公演では、エクスプレス伝説が若きハロプロ研修生に継承。「DANCEでバコーン!」が始まるやいなやハロプロ研修生が横浜アリーナの通路を全力で駆けて行くという演出は、かつての矢島舞美のエクスプレスに対するオマージュだと言えるだろう。こうしてエクスプレス伝説は、次世代へと引き継がれていくのであった。
<青色発光ダイオード訴訟で発明者に対し8億円を支払うことで和解>
化学メーカーに勤務していた中村修二氏が訴訟を起こしたいわゆる「青色発光ダイオード訴訟」が、最高裁で2005年に和解。第一審の604億円という金額から大幅に減じる形での結末となった。後に中村修二氏は、ノーベル物理学賞を受賞することになる。
この中村修二氏による青色発光ダイオードの発明と製品化がなければ、現在の℃-uteメンバー、中島早貴は存在しなかったと言ってもいい。なぜならば中島早貴のメンバーカラーが、青(正確に言えばスカイブルー)だからだ。もしも青色発光ダイオードが発明されていなければ、現在アイドル現場での主流であるLED使用ペンライトは存在していない。そうなれば中島早貴のソロ曲やMCで青いペンライトを振ることが出来ないということになるわけで、そんなのは悲しすぎる。中村修二氏の努力によって、我々のアイドル現場が輝いているということに、改めて感謝したい次第だ。
<長州力、新日本プロレスの現場監督として復帰>
2002年に現場監督の任を剥奪され新日本プロレスを退団、その後WJプロレスを旗揚げするも頓挫した長州力が、突然現場監督として古巣に復帰したのが2005年である。2015年現在、再びプロレスブームが叫ばれているわけだが、それから考えると当時のプロレス界のすったもんだが懐かしく思えてならない。
最近になって滑舌の悪さで脚光を浴びることの多い長州力だが、アイドル界で最も滑舌がよろしくない一人と言えば、℃-uteの鈴木愛理だ。特にMCの際にはほぼ何を言っているか聞き取れないことで有名だが、ひとたびマイクを握れば抜群の歌唱力で見るものを圧倒する。思えば順風満帆とは言えない日々も過ごした℃-ute。イベントにお客さんが2人しか来なかったという時代もあった。だがそれでも長州力と同じく、反逆の精神を心に抱いて10年ものあいだ鍛えてきたからこそ、いまの℃-uteのパフォーマンスがあると言って過言ではないだろう。
<山一証券が破産手続きを完了>
2005年、山一証券が最後の債権者集会を行い、1111億円を返済不能としたまま破産手続きを完了した。「社員は悪くありませんから」と泣きながら社長が会見を行ったのが、この年である。それから10年後の横浜アリーナで、℃-uteの岡井千聖はこれまでの活動を振り返り「破産しそうだった」と衝撃的な事実を述べることになる。
結成当時、MDプレイヤーを購入することを事務所から命じられ、さらにはレッスンの様子を録画するビデオテープも自腹だったため、破産寸前であったということをよりにもよって10周年の記念すべきコンサートで告白。彼女が破産していなくて良かった、と全てのファンが胸をなで下ろしたという。さらに岡井は最後のMCでも、弟たちが夜勤のバイトで大変そうという話をしながら、ファンがチケットを買ってくれていることに感謝。日常とステージ上が地続きとなっている岡井千聖らしいやり方で、ファンに対しての思いを告げた。
<マンションなどの耐震強度偽装事件が発覚>
国土交通省により、千葉県の一級建築士(当時)がマンションなどの構造計算書を偽造、震度5強の地震で倒壊の恐れがあるという公表があったのも2005年。住民からの不安が広がった。この事件、一級建築士(当時)が髪型を偽装しているのではないかという点でも話題となったわけだが、℃-uteの結成当時、見た目を無理矢理偽装させられていたのが最年少メンバーの萩原舞である。意味がまったく理解できない、フィンガー5風のサングラスをかけさせられるという理不尽な目にあっていたのだった。
アイドルである。しかも9歳だ。なぜそんなサングラスをかけさせられなくてはいけないのか理解できなかっただろうし、実際に当時はあまり良い気分ではなかったと本人も証言している。だが10年後、横浜アリーナコンサートの1曲目で、そのサングラスをかけて登場してきた萩原舞に対してファンは大歓声を送る。10年間、色んな出来事があった。つらいことや悲しいこともあっただろう。その象徴が萩原舞のサングラスだ。しかし彼女は、それを武器に変え、堂々とサングラス姿で歌う。それはとても、℃-uteらしかった。あらゆる涙を笑いに変えて、彼女たちは歌い踊る。そしてそれは、10年で終わりを告げるものではなく、これからも続いていくものである。
<結論>
なお℃-uteは6月11日の横浜アリーナのステージ上で「次はさいたまスーパーアリーナ」とファンの前で宣言した。ファンに対して嘘をつくことのない彼女たちのことだから、さいたまスーパーアリーナ公演はきっと近い将来、現実のものとなるだろう。長かった10年間が終わったわけではない。いまようやく、℃-uteの、11年目が始まったのだ。
文・相沢直
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