閉じる
閉じる
×
嗜好品とはおしなべて、こちらの都合良く消費されるべきものである。
それがたばこなのかビンロウなのか葉っぱなのかは知らん。
あっ、いきなり関係ない話がしたくなった。
ワシはシーシャを洒落込むガキが嫌いだ。
あいつら多分足の爪に食い込んでる”灰色の何か”を葉に入れ込んでようがぜってー何の違和感もなく鼻から蒸気を吹かすに決まっているからだ。
いやそういう話がしたいのではない。
ワシは音楽というものに触れたり携わったり溺れたりして、時に救われたり悩まされたりして過ごしてきた。
それは時に仕事であったり娯楽であったり自己顕示であったりと、その時々で色々なものに様変わりするのだが、こと聴くという行為においては常に嗜好品であると思っている。
だからこそ上質なものを好むし、自分が聴き楽しむ以上とことん自分に都合が良いものを探す。
ワシが音楽に求めるものは上質とか完成度とか心地よさとかラグジュアリーとかです。(丁寧語)
そういうエッセンスが入ってたり感じれたりするものしか聞かなくて、例え曲は良くてもそういうのが一つも入ってなかったり、他の部分でマイナスに振れてしまう場合は全く琴線には触れないといったスタンスだ。
だからボカロって今までもこれからも何が良いかなんて全く理解ができないし、ボカロ楽曲を仕事で聞かねばならない状況になった場合は人間が歌っているものを耳に入れる事にしている。
キーが違っても無理やりそれで曲を覚えたり練習をしたりする。
でないとマジで聞いてられへん。
なんでアレを違和感なく耳に入れて頭で理解納得出来るのか本当に謎である。
これは別にディスじゃなくて、もし小学生の頃から学校で一番のトレンドがボカロだったりした時代に生きていたのなら、もしかしたら変わったのかな?とも思ったりする。
あとはあれだ、実はどんなに曲が良くても女性ボーカルの曲しか基本的には聞かない。
この辺りがいかに音楽を都合の良い嗜好品として捉えているかがわかりやすい拘りなのかもしれない。
ワシが中高生の頃はパンクロックが全盛期であり、そりゃもう熱い歌声で反体制的な歌詞や汗だくなメロディーを身体にぶち込んでいたのだが、やっぱ頭のどっかでは「なんで暑苦しいおっさんの声聞かなあかんねん」と思っていたのである。
世の男よろしくワシも女が堪らなく好きなので「どうせ耳に入れるなら女の声やろ」という結論が当然そそり立ち、同年代がパンクロックにどんどん傾倒していく中でワシは林檎ちゃんにどっぷりハマっていった。
話は端折るが、そのおかげで現在のベースというパートナー楽器が生まれたのである。
そして今も変わらず女の声を好き好み、常に耳に入れる楽曲は嗜好品としての条件が入った作品のみである。
ええやん、嗜好品なんやし。
そう、嗜好品である限りどこまでもワシの都合良く消費されるべきなのである。
だがしかし、近頃音楽という連中が急に精神の隙間へとゴリ押しで、それはもうズケズケと上がりこんでくるような事が増えている。
最近は特に様々な事が目まぐるしく起こり、脳がつんつるてんになったかと思えば急に梅干しの種の様にギュンとシワだらけになるほどの弛緩と緊張を繰り返していた。
それがたばこなのかビンロウなのか葉っぱなのかは知らん。
あっ、いきなり関係ない話がしたくなった。
ワシはシーシャを洒落込むガキが嫌いだ。
あいつら多分足の爪に食い込んでる”灰色の何か”を葉に入れ込んでようがぜってー何の違和感もなく鼻から蒸気を吹かすに決まっているからだ。
いやそういう話がしたいのではない。
ワシは音楽というものに触れたり携わったり溺れたりして、時に救われたり悩まされたりして過ごしてきた。
それは時に仕事であったり娯楽であったり自己顕示であったりと、その時々で色々なものに様変わりするのだが、こと聴くという行為においては常に嗜好品であると思っている。
だからこそ上質なものを好むし、自分が聴き楽しむ以上とことん自分に都合が良いものを探す。
ワシが音楽に求めるものは上質とか完成度とか心地よさとかラグジュアリーとかです。(丁寧語)
そういうエッセンスが入ってたり感じれたりするものしか聞かなくて、例え曲は良くてもそういうのが一つも入ってなかったり、他の部分でマイナスに振れてしまう場合は全く琴線には触れないといったスタンスだ。
だからボカロって今までもこれからも何が良いかなんて全く理解ができないし、ボカロ楽曲を仕事で聞かねばならない状況になった場合は人間が歌っているものを耳に入れる事にしている。
キーが違っても無理やりそれで曲を覚えたり練習をしたりする。
でないとマジで聞いてられへん。
なんでアレを違和感なく耳に入れて頭で理解納得出来るのか本当に謎である。
これは別にディスじゃなくて、もし小学生の頃から学校で一番のトレンドがボカロだったりした時代に生きていたのなら、もしかしたら変わったのかな?とも思ったりする。
あとはあれだ、実はどんなに曲が良くても女性ボーカルの曲しか基本的には聞かない。
この辺りがいかに音楽を都合の良い嗜好品として捉えているかがわかりやすい拘りなのかもしれない。
ワシが中高生の頃はパンクロックが全盛期であり、そりゃもう熱い歌声で反体制的な歌詞や汗だくなメロディーを身体にぶち込んでいたのだが、やっぱ頭のどっかでは「なんで暑苦しいおっさんの声聞かなあかんねん」と思っていたのである。
世の男よろしくワシも女が堪らなく好きなので「どうせ耳に入れるなら女の声やろ」という結論が当然そそり立ち、同年代がパンクロックにどんどん傾倒していく中でワシは林檎ちゃんにどっぷりハマっていった。
話は端折るが、そのおかげで現在のベースというパートナー楽器が生まれたのである。
そして今も変わらず女の声を好き好み、常に耳に入れる楽曲は嗜好品としての条件が入った作品のみである。
ええやん、嗜好品なんやし。
そう、嗜好品である限りどこまでもワシの都合良く消費されるべきなのである。
だがしかし、近頃音楽という連中が急に精神の隙間へとゴリ押しで、それはもうズケズケと上がりこんでくるような事が増えている。
最近は特に様々な事が目まぐるしく起こり、脳がつんつるてんになったかと思えば急に梅干しの種の様にギュンとシワだらけになるほどの弛緩と緊張を繰り返していた。
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。