この記事はちょこ猫さんのブログ『ちょこ猫は見た!』からご寄稿いただきました。
■モバゲーとグリーは欧米では流行らないと思う理由
モバゲーとグリーなどソーシャルゲームは非常に成功しました。
ところがここ最近は勢いに陰りがでてきたようです。
「グリーやDeNA、国内での成長余地は乏しく海外に主眼・・・朝刊チェック(9/6)」 2012年09月06日 『インサイド』
http://www.inside-games.jp/article/2012/09/06/59496.html
国内の売り上げの伸び悩みから海外進出を強化して、経費が増えたのが原因のようです。
海外での成功を目論む両社、はたしてうまくいくのでしょうか。
僕は、今までのやり方のまま外国(特にヨーロッパ)で成功するのはとても厳しいと思います。
それはどうしてか、述べていきます。
ソーシャルゲームが流行るのと同時に、若者の○○離れと言われる現象が起きています。
車を買わなくなったり、スキーに行かなくなったり、高級ブランドに興味をなくしたりしています。
僕はソーシャルゲームの流行と若者の消費の減退には密接な関係があると思います。
密接な関係といっても、単に消費の対象が形のあるモノから、画面の向こうにしかないデータに置き換わっただけのことです。
というか、ソーシャルゲームなどの物質のないものの消費というのは、消費そのものの進化ととらえます。
そもそも消費とは何かというと、消費社会論のボードリヤール曰く
大量消費時代における「モノの価値」とは、モノそのものの使用価値、あるいは生産に利用された労働の集約度にあるのではなく、商品に付与された記号にあるとされる。例えばブランド品が高価であるのは、その商品を生産するのにコストがかかっているからでも、他の商品に比べ特別な機能が有るからでもなく、その商品そのもの持つ特別なコードによるのであり、商品としての価値は、他の商品の持つコードとの差異によって生まれるとされる。現代の高度消費社会とは、そういった商品のもつコードの構造的な差異の体系である。ここで注意しなければいけないのは、ヴェブレンの言う「顕示的消費」と違い、単なるブランドの見せびらかしではないと言うことである。例えば高級車には高級車の、コンパクトカーにはコンパクトカーのもつ記号がそれぞれ有り、それらを自ら個性として消費するのである。
出典:「wikipedia」
高級ブランドのバッグを買うのも、そのモノとしての価値が高い(丈夫・使いやすい)から買うのではなく、他人との関係において、自分の立ち位置を表明するために買うわけですね。
(例えば109で買った服を着ることで、渋谷のギャルのコミュニティーに属していますよということ)
現代ではモノを買うという行為のほとんどが記号を消費しているということです。
しかし近年、若い世代を中心にモノを買わない人たちが増えてきています。
では若いひとたちは記号の消費をやめたのでしょうか。
たしかに「さとり世代」などと言われて、押し付けられる消費にうんざりしているひとたちもいるみたいです。
あと単純に生活に不必要なモノを買うお金がないひとたちが増えてもいます。
でも私は、記号の消費は相変わらず続けられていて、むしろ更に進化していると思います。
では車に乗らなくなったりスキーに行かなくなったひとたちは何を消費しているかといえば、ソーシャルゲームのアイテムを消費しているのではないでしょうか。(もちろんそれだけではないがバーチャルな記号を消費するという意味では最も象徴的)
今までは一応物質として形のあるモノを記号として消費していたのですが、もはや記号を消費するだけならモノなんてなくていいじゃんという感じで。
インターネットがかなり普及してきた現代は人々がネット上で過ごす時間も長くなっています。
それにつれて記号の消費も現実のモノからネット上のアイコン・ステータスへと変わっただけということではないでしょうか。
年配の方を中心に、ソーシャルゲームで架空のアイテムに本物のお金をつぎ込むという行為に批判的な人もたくさんいます。
しかし実は架空の価値に大金を払うなんていうことはもうすでにみんな普通に昔からやってきたことなんです。
ただ記号の消費がより純粋になって、邪魔な物質が省略されたに過ぎないのです。
そして記号の消費はなくなるどころかどんどん進んでいます。
それではこの話をふまえて、日本で流行っているソーシャルゲームが海外(ヨーロッパ)で流行るかどうか考えてみます。
なぜヨーロッパかというと、記号の消費が日本と違うからです。
ヨーロッパ人は、はたしてネットの中だけのアイテムに何万円も課金するのかどうか。
これは例えば高級ブランドの消費の仕方を比べることで予想できそうです。
日本人が世界でも特に高級ブランドが好きなのは誰もが認めるところです。
そして高級ブランドの本質は記号ですね。
言い換えると、日本人は承認欲求を記号で武装して満たすということになります。
個人としてではなく、どこかのコミュニティーの一因として受け入れられるためにブランド品を身に着けます。
身に着けるものが良いものであるほど、その人の価値が上がります。
日本では、他人との関係性や立ち位置でその人間の値打ちが決まるからです。
それに比べてヨーロッパでは一般的に、庶民が高級ブランドで武装することは少ないということです。
「日本人のブランド志向―ヨーロッパにおけるブランドとの比較から見るその問題点―」 2008年07月02日 『宇都宮大学国際学部 行政学(中村祐司)研究室へようこそ!』
http://gyosei.mine.utsunomiya-u.ac.jp/since2001koki/yoka08/080702sakayoris.htm
階級(今もヨーロッパ人の意識に残っている)によって着るものは違いますが、個人の人格というものを互いに尊重している分、服装でその人の価値を決めることは少ないようです。
僕の親戚が北欧にいますが、北欧人は本当に無駄なものを消費しないということです。
モノを買う場合は、必要かつ自分がそのデザインを気に入った時です。
日本に比べるとヨーロッパは記号消費がとても少ないといえます。
そしてこれがネットの中に場所を移したとしても、現状ではヨーロッパ人はソーシャルゲームのアイテムにバンバンお金をつぎ込むとは考えにくいです。
日本人のようにアイテムで武装して、他人との関係を作り上げるとは思えません。
なので、DeNAとグリーは欧米、特にヨーロッパではソーシャルゲームの形を変えた方がいいと思います。
今現在、両社は世界に進出しはじめていますが、まだ受け入れられるまでは至っていないようです。
記号消費が盛んなアメリカでも苦戦しているみたいです。
「「ソシャゲ」の未来 グリーとDeNA、海外進出に明暗」 2013年01月20日 『BLOGOS』
http://blogos.com/article/54364/
さて、これによりわかった北米市場の傾向は、まず予想した通り「課金カードバトルは流行らない」ということです。「進撃のバハムート」は当たりましたが、失速具合を考えると、やはり「課金カードバトル」は北米市場の志向から、はずれてると結論できるでしょう。
しかしこの論理で言えば、中国、韓国などアジア諸国ならばはソーシャルゲーム課金も成功するのではないかと思えます。
日本以外のアジア諸国でも、高級ブランド志向は強く、良い記号を手に入れるために大金を使っているからです。
消費者の記号の消費の仕方が似ているのでほぼそのままのやりかたで日本と同じ結果を得られると思います。
各国の消費の仕方を調べて比べてみるのもなかなか楽しそうですね。
お国柄がまた違った角度でみられそうです。
こうしてソーシャルゲームの海外展開について書いてきましたが、僕が一番言いたかったのは、架空のアイテムを本物のお金で売買することは異常なことではないということだったみたいです。
書いていてそこの部分に一番力が入っていました。
ソーシャルゲームの批判をする人たちにとても違和感を感じていたからです。
自分たちは正常だと思い込んでいるけれど、実は同じなんだよと。
そこが一番ひっかかってました。
それでは今日はこんなところで。
執筆: この記事はちょこ猫さんのブログ『ちょこ猫は見た!』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年03月14日時点のものです。
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