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ゲストさん のコメント

なるほど、分かりやすい体験レポートですね。
こう言うレポートは進化過程では必ず必要ですね。
主催者の顔色を伺いながら意見を述べないより数段いいです。
さらに谷川さんがNo編集で出した思いは伝わりますね。
No.4
105ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
今週のお題…………「3・25巌流島! 私はこう見た!」 文◎岩倉豪(小川柔術・ファイター) まず最初に、巌流島関係者、瀬戸選手と瀬戸選手のセコンドにお詫びをしなければなりません。試合後の挨拶をしに行った際に、敗者であるにもかかわらず、ついつい「関節技があれば勝てる」などと言い、失言で怒らせてしまいました。騒ぎを起こし、失礼な発言をしたことを深くお詫び致します。   2016年3月25日、飯田橋駅の「うしごめばし」を渡りながら少し寒さが残る中、初桜を横目に、東京ドームシティーホールで行われる巌流島で闘うために足を進めた。   =二ッポン格闘技・巌流島、道着を着た新たなる打撃相撲=   対戦後の今だから話すが、自分岩倉はトラブルでギックリ腰になり3週間まともに練習していなく、足腰に問題を抱えたまま、弱点をさらすわけにいかず、前日の記者会見で螳螂拳・瀬戸選手を「優秀な打撃選手であるが、経歴詐称」と罵倒し揺さぶりました。怪我をして戦場にいく時点で自分の負け。だがそんな体でも巌流島のルールの盲点を突いた柔術の秘策は、1回なら使える。「巌流島、勝率20%」それにかけて闘うしかない。   前日の記者会見で言葉巧みに暴れ、ネット記事を見ると「螳螂拳・経歴詐称」と話題になっていましたが、これは自分がわざと揺さぶるために騒ぎをおこしたことですが、世間一般の格闘技記者の武術に対する認識の浅さもはかりとれました。   元来中国拳法とは「功夫」という二文字に表記される通り「練習・鍛錬・訓練の蓄積」の意味であり、世間で言われている神秘の拳法ではなく、螳螂拳もまた合理性の集大成の武術のひとつです。元をただせば螳螂拳の開祖・王郎も「セミを捕まえるカマキリの動作」から技術を編み出し、秦の時代の中国拳法・北派18門派の集大成の一つとなりました。それが時代を追って螳螂拳の使い手によって様々な工夫が凝らしはじめ、硬派として梅花・七星・秘門、軟派として六合と、使い手によってそれぞれの置かれた状況で独自に発展していったのです。そして巌流島のルールで闘う瀬戸選手は、「空手・キックボクシング・総合格闘技・螳螂拳」を取り入れた現代格闘技・瀬戸螳螂拳という打撃強者と、自分は理解して闘うことにしていました。   合戦のフィールドは雲海広がる八卦の形をした土俵『巌流島』。前の2試合が早く決着がつき、自分の試合の順番が来る。自分のセコンドとして駆け付けた総合格闘技団体Gladiator代表・櫻井裕一郎から「会場の雰囲気に飲まれるな!」と指示を受けての入場。   試合開始、瀬戸選手が中央で手を合わせて始まる。キックボクシングの作法に開始時は「奇襲をかけようか?」「スポーツマンシップを取ろうか?」悩んだが、武道の精神を取り拳を合わせ挨拶をしました。   開始早々に一度、瀬戸選手を組み制し、マウントポジションにってパウンドを落としましたが、瀬戸選手が背をむけバックマウントになった瞬間、首を絞めれると思いました。なぜ戦場・実戦を謳う巌流島が、相手に背を向け首を取られるバックマウントのポジションなのに、寝技15秒すぎればブレイクとするのか疑問に感じました。   マウントポジション・バックマウントから逃げられないのに、15秒でブレイクするなら、そこに武道性はないと思います。寝技膠着、または相手を拘束できないなら15秒でブレイクはあり得ますが、相手に打撃でとどめを刺せる状態で殴り続けているのにブレイクさせられるのは実戦としてはおかしいと思います。   このルールでは武道性と言うより、どこかのアウトローがやっている素人の喧嘩系格闘技と遜色ない。巌流島が武道を掲げるなら、マウント・バックマウントポジションで相手を組み伏せてパンチを打ち続けている限り、ラウンド終了までブレイクすべきではないと思いました。   自分は寝技の時間が限られているなら、15秒経つ前に引きずり起こし道着をもって殴り、そして寝技に引きずり込もうとしましたが、痛めた腰では瀬戸選手を再び寝技に引き込む余力はなく、場外に投げられるが、雲海の演出の為に場外の足場の深さとマットの位置が確認できず目測を誤り不用意な受け身、左足の付け根を亜脱臼してしまいました。巌流島は演出も自分の敵なのかと認識させられた瞬間でした。   急きょ立ち上がり関節をはめるが、そこには闘うために踏ん張れる足腰はない。 そこからは瀬戸選手の猛攻に耐え切れずマットに横たわり、殴られ続け、試合を止められKO負け。瀬戸選手の見事な勝利。足を痛めてセコンドに抱えながらマットを後にしました。   現在は左足の亜脱臼は良くなっていますが、左拳の骨折で螳螂拳の構えのように石膏で固められ、まさに瀬戸螳螂拳の呪いのようです。   =瀬戸螳螂拳に岩倉が負ける=   闘い終えた者として、巌流島ルールについて先にあげた問題以外に考察させていただくと、まず同体問題について。1ラウンド3回の転落・同体は、落ちた時に相撲のように先に手がついたほうがマイナスポイントにしたほうが良いと思います。そのためにはリングの外の雲海はなしのほうが判定しやすいですし、田村選手のように照明で怪我をすることもなくなるのではないかと思います。   また「転落」の定義は、3分3ラウンドの間に3回落ちたら負けにしないと、1ラウンド3回なら別に選手が落ちることを気にしなくてもよい展開になり、実際に打撃を捨て、柔道、レスリング、相撲で闘わない限り、転落負けは難しいと思います。選手も転落について考えず、転落に対する危機感がファイターから薄れ、相撲の特色が巌流島ルールから消えてしまうのではないでしょうか。   オープンフィンガーで道着の襟が非常につかみにくく、道着を使った技を生かしきれないとも思いました。現行のオープンフィンガーを使うなら、道着の襟をブラジリアン柔術着並みに厚くしなければ、分厚いTシャツを着て闘っていると同じなので武道の技が使いにくく、立ちで首を絞めることは不可能だと思いました。武道家にとって道着は武器です。   また、巌流島はコンセプトに相撲の要素を取り入れています。1560年の桶狭間の合戦の勝利を祝って、織田信長が現在の土俵の形をした奉納相撲を熱田神宮で行いました。これが現在の相撲の始まりです。では当時の合戦でサムライが使った戦場の相撲は、現代の総合格闘技のように打撃・投げ技・極め技となんでもあり、土俵の枠もなく、場外もありませんでした。槍、大刀がなくなり相手と同体で組み倒れた時に、小太刀を持っていた場合は相手の手を拘束(関節を抑え身動き取れないようにする)するため、袈裟固めで抑え込み、相手の首を切る形をとりました。柔道の「抑え込み一本」はこの発想の名残りで、寝技で相手の首を取るまでの時間だと言われています。   武器を持たないで同体で倒れた時は、相手の手を関節を極めて腕を折り、小太刀を抜かせぬようにして、相手の小太刀を奪い相手を刺し殺します。相手が小太刀を持たない場合は腕を折り、首を絞めるのが実戦だと言われています。   自分が沖縄の北谷(普天間基地の前にあります)にある天下一道場でアフガニスタンの帰還兵にブラジリアン柔術を指導した時のことです。相手が寝ていたり、座っている相手の手を極める関節技を重点に教えてくれと帰還兵に言われ、「なぜか?」と尋ねると、「敵の兵隊の拘束に向かうときは、ピストル及びナイフを手にもって反撃してくることを一番気を付けなければならないからだ」と言うのです。もし手に不審な動きがあれば、「手を関節技で決め拘束するのが現代の戦場だ」と彼は言っていました。現代の戦場で倒れた相手の手の動きを確認しないで、柔術の試合のように首をいきなり締めに行ったりすれば、ピストルで撃たれたり、ナイフで刺されて死亡するケースが多々あるそうです。この話を聞いて、実戦はそうなのかと感心しました。   アメリカの警察もピストルを犯人に向け、いつでも撃てる構えをとりながら「膝を地面について手を上に見せろ」とピストルをもって反撃するかどいうかを確認してから、犯人拘束に向かいます。この点からも、現代の実戦でグラウンドの関節技は必須だと思います。巌流島はいかに実戦をルールに生かすや?   江戸時代の武道家は戦国時代が終わり、天下泰平の世になったことで、武道を鎧甲冑武道から、着物を着て闘う素肌武道に変え、かけ試しという試合に変えて武道を競技化していきました。巌流島が公開検証を続けるなら、MMAとどう差別するかではなく、「日本の道着文化」と「武道」と世界で行われている「実戦」を主軸に構築するかが肝要かと自分は思います。差別ではなく実戦を構築し直し競技化する。それこそが巌流島にふさわしい姿だと考える次第です。   巌流島ルール公開検証ファイターの一つの提案として、ルール変更を実際に行い、検証する必要があるのではないかとあえて進言致します。   巌流島の更なる発展と進化を望み、今回はこれで筆をおきたいと思います。 [お知らせ] 『巌流島』のオフィシャルサイトをリニューアル致しました。アドレスが変わりましたので、ご確認ください。→   ganryujima.jp
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