Wミノルさん のコメント
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今週のお題…………『 徹底検証「3・25巌流島、私はこう見た!」』
文◎山田英司(『BUDO-RA BOOKS』編集長)……………水曜日担当
今回の巌流島は、伝統武術の再発見、というテーマが良く見えた大会だったと思う。未知の格闘技が、その強さと魅力を発揮する場を提供する、という目的は想像以上に成功していたのではないか。
これまで、異種の格闘技が闘う場として、何でもありルールや、総合ルールがその場としてふさわしいと考えられていた。
しかし、実は寝技で決着のつく総合ルールは、極めて特殊な環境下における測定であり、しばしば、実際の実戦性とは異なる測定結果が出る。寝技同士の測定には適していても、異種の格闘技が競う場としては極めてふさわしくない、と私は主張してきた。
その理論的背景はここでは繰り返さないが、簡単に言えば、世界の伝統武術には寝技はほとんどない。実際の戦闘をリアルに念頭に置いた武術ほど、寝技は軽視されている。寝技が唯一発達したと言われる我が国でさえ、実はその歴史は浅い。講道館が柔道のスポーツルールを浸透させた為、体力のない学生達が勝つ為に、ルールの穴を狙うように寝技の技術を特化していったのが高専柔道だ。
決して戦国期から、我が国にこのような技術が伝えられていた訳ではない。
図らずも、今回、巌流島では、横山雅始先生のガチ甲冑合戦と、林悦道先生の喧嘩術の演武が行われた。横山先生が実際に武器を持って戦国期の集団の合戦を再現したら、倒されたとたん、多数の相手から串刺しにされる。寝技は自殺行為であることを証明された。こうした合戦で有効な技を磨こうとした時に、寝技など練習する訳がない。
また、林先生の喧嘩術にも寝技はない。複数や、武器を持った相手に寝技を仕掛ければ、現代では合戦のように串刺しにされることはなくとも、やはり袋だたきにされるので、寝技が自殺行為であることは今日でも変わりはない。必要なのは相手を倒す技術と、自分が倒されない技術であり、仮に倒されたら、すぐに立つ技術である。
これほど、歴史の中でも、今日の達人たちからも寝技の危険性を指摘されているのに、テレビで総合ルールが流され続けた為に多くの人が寝技の実戦性を過大評価し続けた。
これはグレイシー柔術の罪の部分である。
もし、巌流島が新しい実戦像を提示したいならば、その障壁となるのが、寝技の最強幻想である。むろん、総合の世界でトップを目指すなら寝技の習得は不可欠だ。しかし、それはボクサーがその世界でトップを目指すならボクシングに熟達しなければいけないのと同様で、それ以上でも以下でもない。
仮に、世界の伝統武術を一同に集めて天下一武道会を開きたい、と思ったら、その時のルールはボクシングにはしないだろう。ボクシングは実戦的だが、それと公平性は別次元の問題だ。同じく、寝技で決着のつく総合ルールは、より公平性に問題がある。世界の伝統武術の多くはパンチがあっても、寝技がないからである。
巌流島の寝技は15秒でパウンド有り。これが長いか短いかは意見が分かれるが、少なくとも関節技が無くなった分だけ、総合よりも実戦の様相には近づいた。また、相撲の様に押し出しがあり、という点も喧嘩術のように環境を利用する事を念頭に置いた伝統武術の技術が発揮しやすくなった。
その結果どうなったか。勝利したのは、カポエイラ、ムエタイ、蟷螂拳、シラット、セネガル相撲、大相撲、クラブマガ。寝技で関節ありの特別ルール以外では、実は世界の伝統武術は力を発揮しやすいことが分かった。
今回の巌流島の試合で負けた総合出身選手が、試合後、対戦者の控え室に行き、「総合ルールならあそこから関節技をかけて俺が勝っていた」とクレームをつけにいったハプニングがあったようだ。
激怒したセコンドに怒鳴られ、追い返されたようだが、まさに彼の実戦観は本末転倒なのである。しかし、武術に理解が浅く、固定観念に縛られていると、なかなか総合最強幻想から抜け出せないのが実状だろう。
やがて、「総合ルールでは負けたが、巌流島ルールでは俺のが強い」とクレームをつけにいく選手が現れた時、武術的な実戦観は相当一般ファンにも浸透していることになる。
その端緒を今回の大会が開いたとしたら、これは歴史的な事件である。
[お知らせ] 『巌流島』のオフィシャルサイトをリニューアル致しました。アドレスが変わりましたので、ご確認ください。→ ganryujima.jp
今後は「立ち技護身術系」(クラヴマガ、システマ、シラット、ジークンドー、戸隠流忍術等)の対決路線にシフトするのが巌流島成功の近道だと思います。
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