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第2章 チームだもんでよ
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第2章 チームだもんでよ

2018-11-16 11:00
    ついに来た。このときが。
     十分な準備はしてきたし、脳内で何度もシミュレーションしてきた。それでも、いざとなるとやっぱり緊張する。
     いよいよ始まるのだ。年魚市(あゆち)すずにとって夢への第一歩、未来への試金石(しきんせき)。後の世に伝説の始まりと謳われる……予定の、ガールズラジオ第一回放送が。
     舞台は、静岡県富士市。駿河湾に注ぐ富士川と、東名高速道路が十字に交わる地点に位置するサービスエリア『EXPASA富士川』。二階にあるオープンカフェは、名物の大観覧車と、晴れた日には遠く富士山を望む絶景が自慢だ。その片隅に、立派な機材に囲まれた放送ブースが特設されている。
     マイクの前に座ったまま、虚空を睨み付けているすずに、ふと声を掛けてくる者があった。
    「年魚市。顔が怖いよ? もうちょっとリラックスしたら?」
     ビジネススーツを着込んだ、メガネの似合う知的な風貌の美女だ。ガルラジチーム富士川の参謀役、金明凪紗(きんめい なぎさ)。放送系の大学を卒業し、放送業界に就職を希望する二十三歳。その豊富な知識と経験を活かすため、プロデューサーとしてガルラジに応募したという。姉御肌でさばけた性格が、なんとなく業界人っぽさを醸し出している。
    「してますよ。家でくつろいでいるときも、大体いつもこんな顔ですし」
     すずは淡々と返す。
    「そりゃまた、随分落ち着かない家だね」
     凪紗は軽口を返しながら、すずの隣の椅子に浅く腰を下ろした。
    「でも、プロだって緊張するんだぞ? むしろ大舞台の前で、緊張感がない方が問題だよ」
     すずは食い気味に、
    「してます、緊張。してますしてます」
    「あははは!」
     凪紗はひとしきり笑うと、椅子の背もたれに肘を乗せるようにして振り向いた。
    「白糸(しらいと)! 年魚市が緊張してるんだって。何かアドバイスはない?」
     そう呼び掛ける先、ブースの隅っこには、椅子に座って背中を丸め、まるでそのまま消えてしまいたいとでも言いたげなほどに小さくなっている少女がいた。ブレザーの制服姿で、手元の紙の束──構成台本に目を落としていたが、びくっと顔を上げた。
    「えっ!? え、あ、アドバイス? わたしが、アユチさんにですか? え、えっと、そんな、急に言われても……!」
    「物書きだったらそれくらい、サッと出ないもんか?」
    「出ませんよぉ! カウンセラーじゃないんですから……無茶ぶりやめてくださいっ!」
     彼女は白糸結(しらいと ゆい)。すずよりひとつ下の高校一年生で、ウェブでは有名な生配信者らしい。参加はライター枠だが、凪紗に「お前のツッコミ、追いつめられた小動物みたいで面白いから、採用!」と言われ、サブパーソナリティーも兼任することになった。それで必死に台本を読み直していたようだ。
     凪紗は軽く肩を竦めると、すずに向き直った。
    「年魚市。別にな、失敗してもいいんだ。ほら、よく言うだろ? 失敗は成功の母、って」
     すずはいまいち感情が薄めな顔面に、怪訝(けげん)の色を浮かべた。
    「失敗するつもりでやる人はいません」
    「まあね……いや、年魚市のプロ意識を邪魔したいワケじゃないんだけどさ。緊張してるってことは、大体の場合、気負ってるってことだろ?」
    「金明さんの話、回りくどいですよ」
    「あはは! ゴメンゴメン……で、ウチっちは元々グループで応募したわけじゃないから、まだ出会ってそんな時間経ってないじゃん? 年魚市が気負ってる理由は、アタシにはわからないわけ」
    「そうでしょうね」
     わかったらエスパーかストーカーだ。
    「だもんでさー、どうしても普遍的って言うか、ありきたりな話し方になっちゃって、悪いんだけど……」
     凪紗は真っすぐにすずを見た。
    「失敗を怖がらないで、自由にやりなさい。まだ第一回目だから。もし失敗しても、必ず次に活かす。アタシと白糸が活かしてみせる……な、白糸?」
    「えっ? いや……それは、まあ、できるだけ……」
     いきなり話を振られ、挙動不審になる結。
    「この三人ならイケるって、アタシは信じてるよ。だから、思いっきり出し切ってくれ。頼んだぞ、年魚市!」
     凪紗はそう言って、すずの肩をパンと叩いた。
     すずは叩かれた肩を押さえ、
    「いたたた、骨が折れました。これって保険利きます?」
    「そんなに強く叩いてないでしょ!」
    「暴力はよくありません」
     そうして、軽口でワンクッション置いてから、凪紗を真っすぐ見返した。
    「……言われなくても、思いっきりやります。後悔はしたくないので」
     すずは相変わらず飄々(ひょうひょう)としていたが、その眼の奥に強い光がちらつくのが見えて、凪紗は口の端を上げて笑った。
    「わかった。じゃあ、そろそろ準備しよう。みなさん、お待ちかねだ」
     凪紗が顎をしゃくる先、ガラスを隔てた向こうのカフェテリアには、無数の観覧客たちがひしめいていた。すずが落ち着き払って一礼して見せると、凪紗は満足げに自分の席へと戻り、PA機器をいじり始めた。
     すずは、小さく息を吐いた。
     凪紗が元気付けようとしてくれたのは、わかっている。実際に緊張もほぐれたし、勇気が出た。助かったのは確かだ。でも、失敗してもいいとは、やっぱり思えない。プロとして、そんな風に思いたくない。
     十分な準備はしてきたし、脳内でシミュレーションも繰り返してきた。
     それに……
    (……覚悟なら、とっくにキメてあるもん。中学生のときから)


     放送が無事終わり番組が公開されたのが、金曜日の夜。それから一日半が経ち、今は日曜の午前十一時。その間中ずっと、チーム富士川の番組はアプリ内ランキングのトップに君臨し続けていた。
     いきなりすずに電話してきた結(ゆい)は、これがどれほどの快挙であるか、熱っぽい口調で語り続けた。
    「アユチさんは興味ないかもしれませんけど、これは本当にスゴイことなんです! さすが、宣伝力が違いますよね。一般の放送なんて、二桁いかないこともあるくらいで……一度落ちると、再浮上って難しいんですよ……あはは」
     なにやら口調が暗くなってきた。
    「白糸(しらいと)さん、ストップ」
     いよいよすずは、直接的な言葉で制止をかけた。
    「え?」
    「先に要件を言ってください」
     すずは自宅の自室でベッドに腰を下ろしており、別段今日の予定もないが、かといって時間を無駄にするつもりはなかった。
    「あ……す、すみません! 迷惑でしたよね……っていうか、気持ち悪かったですよね? ごめんなさい……!」
    「別に迷惑でもないし、気持ち悪いとも思いません。自虐してないで要件を」
     辛抱強く聞き出したところ、結は凪紗(なぎさ)に呼び出されており、これから彼女のウチまで行くのだが、ついでにすずを誘っておいてと言われたとのこと。
     すずは電波の向こうに聞こえるように、ため息を吐いた。
    「……ついでですか? 私」
    「えっ! いえ、あの……そうじゃなくて、ええと……あの」
    (おっといけない)
     元から皮肉屋なところは自覚しているが、結に対してはいつにも増してイタズラ心が湧いてしまう。困らせたいわけではないのに、ついからかいたくなってしまう。
    「いいですよ、ついででも。じゃあ向かいますね」
    「本当ですか? よかった……あ、じゃあまた後で!」
     うれしそうなと言うよりは、安堵したような声を最後に、通話は切れた。
     凪紗の家までは、歩いて三〇分ほどの距離だ。陽気もいいのでぶらぶら向かおうと決めて、外着に着替えて部屋を出た。
     すずの家はメゾネットタイプの分譲マンションで、二階が家族の自室、一階がリビングダイニングになっている。清潔感と高級感がある半面、生活感と温かみに乏しい。階段を下りていくと、リビングのテーブルで父が新聞を読んでいた。母親は婦人会の集まりがあるとかで、朝から出かけている。
     そのまま通り過ぎて玄関に向かおうとしたとき、ふと呼び止められた。
    「すず。どこに行く?」
     足を止めて振り向いた。
    「人と会ってきます」
    「例のラジオの関係者か」
    「はい」
     父は目を細めた。その一挙手一投足には、社会的に責任のある者がしばしば身に着ける、攻撃的な威厳がにじんでいる。
    「学生の頃は、見分を広げるのもいいだろう。好きにしていいとは私も言った。だが、テレビ業界というものは信用できない」
    「ラジオですけど」
    「同じことだ。うさん臭い連中だ。そういうエンターテイメントが世の中に必要なのはわかるし、一定の価値があるのもわかる。だが、娘が関わるとなると話は違う。お前にはもっと堅実な生き方をしてもらいたい」
    「すみません、約束の時間があるので、帰ってからにしてください」
     父はため息を吐いた。
    「……まあいい、わかった。気を付けてな」
    「はい、行ってきます」
     すずは軽く会釈をすると、父を残して家を出た。
     静岡の町を渡る冬の風の冷たさはいっそすがすがしく、今しがたの心ない会話で胸の奥によどんだ、泥のような感情を洗い流してくれるようだった。
     父のあんな態度は、今に始まったことではない。母親は大らかな人で、すずの自由を尊重してくれるが、正面切って父に逆らうことはない。すずは今まで一度も、父親に自分の夢を応援してもらったことがないのだ。
     さっきのような会話は慣れっこだったし、父の気持ちもわからなくはないが、そう思えるようになったのは最近のことだった。中学生の頃のすずは、夢を見ることは罪深いことで、口に出すことすらはばかられ、応援してもらえるようなものではないと感じていた。ちっぽけな中学生の少女にとって、学校と家だけが価値観で、世界の全てだったからだ。

    「──すごいね! 応援する!」

     いつでも不意に、その言葉は、すずの胸の奥に蘇(よみがえ)ってきて木霊(こだま)する。今にして思えば、ただの社交辞令だったはずだ。それでもすずは衝撃を受けた。夢にまつわる泥のような青春の記憶に、いきなり光が差したように。
     二兎春花(にと はるか)
     中学校時代、ただひとりすずの夢を知り、全肯定してくれた女の子。彼女がガルラジに参加していたことは、ライバルたちの番組をチェックしていたとき初めて知った。ビックリしすぎて、思わず担当者に連絡先を聞いてしまったのは、早まったかもしれない。
    (……春花ちゃん、変わらないなぁ)
     闇雲な朗らかさと、理由のわからない楽しさと、根拠の見えない明るさ。すずとは違う宇宙からやってきたかのような女の子。
     今の自分が会ったら、何を話すのだろう? 想像もつかない。
     中学生時代の思い出に囚われながら歩いていく。富士市は工場が多く、天を突いて伸びる煙突の隙間に田んぼがあるような、どこか煤(すす)けた街並みだ。とぼけたような、のんびりした風情は、今のすずには居心地がよかった。
     やがて、待ち合わせの交差点に辿(たど)り着いた。
    「あ……アユチさん、こっちだに~」
     先に来ていた結が、小さく手を振ってきた。山の奥から都会に迷い出してきた、地味な花の妖精といった風情の、ゆるふわ系のファッションだ。ちなみにすずは、休日OLっぽい大人系のコーデ。どうしても背伸びをしている感が出てしまっており、早く大人になりたいと思っている。
    「どうも、こんにちは」
     すずは軽く会釈をした。
    「あ、こ、こんにちは、あの……わたしたちの番組、すごいですね!」
    「壊れたジュークボックスかお前」
    「えっ?」
    「いえ、なんでもありません」
     放っておくと何時間でも語り出しそうだし、それを聞いていると厳しめのツッコミをしてしまいそうになるので、早めに向かうことにした。
     凪紗の家は田んぼの横にある、二階建てアパートの二階だ。レンガ造りで、イメージだけで言えばフランスの郊外にありそうな、洒落た外観をしている。何台か車の停まった駐車場を横切って、外付けの階段を上がった。
     インターホンを押すと、ドタドタと足音が聞こえてから、ガチャリとドアが開いた。
    「やあ、呼びつけて悪かったね」
     顔を出した凪紗は、シンプルで細身な、知性を感じさせるコーデに身を包んでいた。やっぱりどことなく業界人っぽいが、年上の女性らしい落ち着きもある。
    「こんにちは。何の用事ですか?」
     すずが尋ねると、凪紗は靴を履いて外に出てきた。どうやら外出するらしい。
    「親睦会をしよう」
    「「え?」」
     そろって聞き返すふたりをよそに、凪紗はカギをかけると、先に立って歩き出した。手を振ってふたりを促し、
    「昼飯、まだだろ? 行きつけの洋食屋があるから行こう。おごるよ」
    「待ってください。親睦会って?」
     すずが質問を重ねる。
    「一昨日、言ったじゃんか。ウチっちはもう少し、お互いのことを知っておく必要があると思うからね」
    「え、えっと……つまり、何をするんですか?」
     結が不安げに尋ねるのに、凪紗はキラリと笑った。
    「仲良くなるには、遊ぶのが一番だろ? 今日はアタシに付き合ってくれ」


     くだんの洋食屋には、凪紗の車で向かうとのことで、すずと結は後部座席に乗り込んだ。ふたりとも進んで助手席に座るような性格はしていない。丸っこい感じの軽自動車で、乗るのは初めてではなかった。チームの足として重宝している。
    「──白糸。来週分の台本はどうだ?」
     走り出した車の中、バックミラー越しに後部座席を見ながら凪紗が問い掛けてくるのに、結は小さく息を吐いた。
    「今日書くつもりだったんですけどぉ……」
     呼び出されたせいで書けないじゃないか、と、暗に言っているのだ。じっとり恨みがましい視線を返されても、凪紗はまるで悪びれない。
    「昨日はどうしたんだ? 一日で終わるだろ。大体の流れはできてるんだし」
     放送が始まるまでの準備期間に、大まかな流れとネタは、三人で話し合って決めてある。取り敢えず半年分。半年で終わるつもりはないが。
     結は両手の指をモジモジさせ、
    「む、無理ですよお、学校もあるし……それに、あんなに人気が出ちゃったんですよ? もっと頑張らないと……」
    「なんだ? プレッシャー感じてるのか?」
    「当たり前じゃないですかぁ! だってあんな順位、初めてだし……もっと面白くしないとって思うじゃないですか」
    「いやいや。変に気張ったりしないで、普通に書いてくれたらいいよ。白糸の台本って、何て言うか……そんなに大したもんじゃないから」
    「ええっ!?」
     すずもしみじみと頷(うなず)く。
    「確かに」
    「アユチさんまで、そんな……ひどい……!」
     結は涙目になっている。
    「いや、違うんですよ。つまり、白糸さんの台本って、頑張って面白くなるようなものじゃないと思うんです」
     すずが冷静に返すのに、凪紗も頷いた。
    「そうだな。白糸の台本は、普通なんだよ。ものすごく普通」
    「フォローになっとらんだらーっ!」
     結は恐慌を起こしている。
    「まあまあ、落ち着きなって……普通ってのはさ、クセがないって意味なんだ。そこが魅力なんだよ」
     そう語る凪紗の口調に、からかいの響きはなかった。
    「白糸さん。ほら、よく言うじゃないですか。普通が一番って」
     すずも言い募ったが、結はまだ泣きそう。
    「うぅ……ほめられてるのか、けなされてるのか、これもうわかんないよぉ……」
    「あはは! でも実際、その台本で一位取ってるんだから、自信持ちなって。ウチっち三人だからできたことだよ」
    「あ、はい……ふふ、一位……そうですよね、ふふっ」
     その言葉で、結は途端に笑顔になった。一位を取っているという事実は、結のテンションに対して、特効薬のように作用するらしい。すずはどこまで効き目があるのか試してみたい衝動に駆られたが、自重した。
     凪紗が言葉を続ける。
    「ま、他の四組も頑張ってるから、油断はできないけどな。二位の双葉はなかなか強敵っぽいしさ」
     すずは頷いた。
    「私も聴きました。ちゃんと音楽番組してましたね」
    「うん。それでいて、パーソナリティーのトークも面白い。一定数のリピーターを獲得しつつ、新規にもちゃんとアピールできる作りだ。有能な仕掛け人がいるな」
     真剣に話す凪紗のハスキーな声を聞きながら、
    (いつもこういう態度だったら、もっと尊敬できるんだけど……)
     すずは益体のないことを考える。
    「三位の岡崎は、まあ堅実だね。その分、爆発力のなさが課題かな。四位の御在所は、初耳バイバイ上等の、コアなファン層向け。徳光は、パーソナリティーの子のキャラでもってるタイプだな」
    「そんな感じでした」
     凪紗の言葉に頷くすずに、結が目を丸くして言った。 
    「え、おふたりとも、もう全部聴いたんですか? すごい……」
    「まあ、ライバルの動向は気になるからね。どこも十分、ウチっちに追いつくポテンシャルはあると思う。本当に油断できないよ……っと、ああそうだ。岡崎と言えば」
     バックミラー越しの意味ありげな視線が、すずを捉えた。
    「年魚市(あゆち)。二兎(にと)さんには、もう連絡したの?」
     すずの動悸(どうき)が心持ち早くなった。
    「なんで、金明(きんめい)さんが、それ……根上(ねがみ)さんから聞いたんですか?」
    「うん。中学の同級生だってね」
    「あ、はい、あの……わたしも聞きました」
     結が胸の前で小さく挙手して言う。
     根上というのが、チーム富士川の担当者だ。人のいいお兄ちゃんといった雰囲気だが、裏を返せば頼りないところがあって、凪紗によくツッコまれている。そのヘラリとした笑顔を思い出して、すずは文句のひとつも言ってやりたくなった。
     別にやましい気持ちはない。個人的なことだから言わなかっただけ。でも、同じチームとはいえ個人情報を勝手に漏らすのは、まずいんじゃないのか? 最近そういうコンプライアンスとかって、結構厳しいんじゃ?
     すずは苛立ちを吐息にして排気した。問題になったりしたら困るから、騒ぎにするつもりはない。
    「……まだ連絡はしてないです。って言うか、今のところする予定もないです。なんとなく懐かしくなって、聞いてしまっただけですから」
     いつも以上に淡々と返す。
    「そうなんだ? アタシはてっきり、中学校時代の親友とか、そういうのかと思った。なんとなくだけど」
     凪紗の言葉に、すずは大げさに引いて見せた。
    「金明さん、面倒な彼氏みたいで、気持ち悪いですよ」
    「あははは! なんだそりゃ。昔のオンナが気になるんだ、って?」
    「そんな感じ」
    「ふふっ……まあ、そんな気持ちも、少しはあるかな」
    「そうなんですか?」
    「ああ。ただの友達とかなら、別に気にならなかったかもしれないけどね。向こうも同じガルラジの参加者だから、やっぱり友達とやりたいんじゃないかってさ。勘ぐってしまうよ」
    「えっ? 年魚市さん、わたしたちを捨てるんですかぁ……?」
     結が心配そうな顔を向けてくる。
    「人聞きの悪い言い方しないでください。そんなつもりありませんよ」
     すずはきっぱりと言い切った。
    「むしろ、あの子にだけは負けられないんです」
    「へえぇ……そっか、ふたりはライバルだったわけか」
     凪紗の声には、面白がるような響きがあった。
    「ええ、そういうことです」
     それもまたすずの、偽らざる本心だった。
     二兎春花。
     自分とは違う宇宙からやってきた女の子。かつての自分が憧れた女の子。でも憧れというのは、いつか乗り越えるための感情だ。
     だからこそ、負けるわけにはいかない。


     凪紗(なぎさ)オススメの洋食店は、言うだけあって美味しかった。商店街の一角にある大衆的な店だった。すずは凪紗に都会的なイメージを持っていたから、もっと小洒落た店に行くものだと勝手に思っていたが、これはこれで凪紗らしいとも思える。
    「「ごちそうさまでした」」
     店から出たところで、すずと結(ゆい)が言えば、凪紗は笑顔で片手を振った。
    「付き合ってもらってるんだから、いいって。それより、この辺ちょっと見て回らない?」
    「えっと……わたしは、いいですけど……それも親睦会の一環ですか?」
     結の言葉に、凪紗は笑って頷(うなず)いた。
     三人でぶらぶらと、商店街を歩く。はたから見たら自分たちはどう見えるのかと、すずは疑問に思った。友達にしてはひとり年が離れているし、家族にしては距離感がある。不思議な三人組なのは確かだろう。
    「白糸(しらいと)ってさ、動画配信してたんだろ? 結構有名な配信者だったらしいじゃん」
     凪紗に不意に話を振られ、結はビクッとした。
    「え? あ、えっと……はい。あの……それがなにか?」
    「ちょっと興味あるんだ。見られないの?」
    「あ、私も見たいです。白糸さん、URL教えてくれませんか?」
     すずも尻馬に乗ってそう尋ねれば、結は水浴びしたばかりの小動物に似た仕草で、プルプルと首を振った。
    「だ、ダメですっ! それはあの、黒歴史ってやつなので……」
    「黒歴史、ねぇ……あ、ひょっとしてエロいやつ?」
     凪紗がエロオヤジの顔で言った。
    「そんなわけないでしょっ! と、とにかく……絶対、ダメですから」
     結の反応はかたくなだ。
    「わかった、わかった……そんでさ、白糸がガルラジに応募した理由って、やっぱり、配信者だから? もっと有名になりたかったとか、収入が欲しかったとか……白糸の動機が聞いてみたいね」
    「ど、動機ですか……それは、まあ……そうですね。凪紗さんが今言ったような感じ、です。有名になりたいし、お金も欲しいし」
     その受け答えには、ボンヤリとお茶を濁す感じがあったが、凪紗はそれ以上は踏み込まなかった。すずへと視線を移して、
    「なら、年魚市(あゆち)は? 動機」
    「私は一昨日の放送でも言いましたし、応募書類にも書いてますよ」
    「ラジオパーソナリティーになりたいからだろ? それはわかってるよ。なんでパーソナリティーになりたいって思ったのか、理由はあるの?」
     すずは少し悩んだ。
    「……特にはありません。ただ、憧れたんです」
    「そっか。まあ一般的にはどうか知らないけど、アタシもカッコイイと思うよ。その気持ちはわかるな」
     そんな会話を交わしながら、ふと八百屋の前を通りかかったとき、店番をしていたオジさんが声を掛けてきた。
    「おーい、ナギサちゃん! 放送聴いたっけ、ばっか面白かったよ」
    「お、ありがとっ、おっちゃん!」
    「来週も楽しみにしとるだらー、頑張ってなぁ!」
     オジさんはそう言って、すずと結にも手を振ってきた。すずは軽く会釈を返し、結は慌てて頭を下げた。
     その後も歩いているうちに、商店街の人たちが次々に集まってきた。加速度的に人数が増え、やがて取り囲まれて進めなくなった。「ラジオ、楽しかったっけ!」「面白かった!」「一位なんて、すごいねぇ!」「期待しとるだら!」……ちょっとしたお祭り騒ぎだ。次々に寄せられる生の声に、すずは面食らってしまった。
     自分がただの高校二年生女子ではなくなってしまったという実感が、不意にやってきた。これが、すずがこれから生きていく世界。
     結もすずと同じような表情をしていて、半ば茫然(ぼうぜん)と呟(つぶや)く。
    「こんなにたくさんの人が、聞いてくれてたんだ……?」
     集まった人込みの中から、飲食店らしきロゴの入ったエプロン姿のおばあちゃんが、すずへとニコニコ笑顔で言った。
    「年魚市すずさん、だっけね? あたし、ファンになっただら! あたしの若い頃に、ソックリだもんでよ~!」
     すずは相変わらず澄ました表情をしていたが、頬がうっすらと紅くなった。応援なんて、してもらえないのが当たり前。そう思っていたのに。
    「……ありがとうございます。お婆さんも、美人ですもんね」
    「それに、声もキレイだしねぇ?」
    「へっへっへ」
    「えっへっへ」
     ふたりでひとしきり笑い合ってから、すずはキリッと表情を引き締めた。庇下(ひさし)に覆われた歩道に集まった面々に向き直り、息を吸った。
    「みなさん! 応援してくれて、ありがとうございます!」
     商店街に響き渡った声に、一斉に視線が集まった。人込みの向こう、凪紗が腰に手を当て、愉快そうに笑っている。馬鹿にされているように感じないのは、人徳というものだろう。
    「私たちはこれから毎週、みなさんに楽しんでもらえる放送をしていくことを約束します。でもみなさん、きっとそれじゃ、満足できませんよね?」
     すずは堂々としていて、その声には誰もが耳を傾けたくなるような張りがあった。冬の張りつめた空気の中では、より鮮烈に響く。
    「満足してもらっちゃ、困ります。だって私の方が、楽しませるだけじゃ全然足りないから。だって私は、みなさんを応援したいんです。夢を持ってる人や、家族を守る人や、頑張ってる人の背中を押したいんです!」
     熱の入ったすずの語り口に、集まった商店街の人たちから。歓声や拍手が巻き起こった。その熱気に気圧されて、結は少し離れたところまで退避した。
    「──ひえー、すごいな、年魚市は……」
     気が付くと、隣に凪紗がいた。
    「あ、はい……本当、すごいですよね」
     人々に囲まれたすずは、堂々としていた。
    「年魚市すず清き一票を! 清き一票をお願いします!」
     笑い声が起こるのに、凪紗も一緒に笑う。
    「あはは! 選挙かっての……まあ、才能もあると思うけどね。あの子のすごさは、それだけじゃないな」
    「そうなんですか?」
    「ああ。プロ意識がすごいんだ。ファンやリスナーのために、どこまで妥協しないで、真剣になれるかってこと。それがなきゃ、どんな才能も意味がないからね……って、同じチームだから、ちょっとひいき目かな? あはは」
     結は目を伏せると、ほとんど独り言のように言った。
    「……凪紗さんだって、すごいじゃないですか」
    「ん、アタシ?」
    「はい。頼りがいのある、大人の女性って感じで……」
     結の言葉に、凪紗は一瞬呆気にとられた顔をしてから、頬を赤らめた。右手で頬を押さえ、左手をパタパタと振る。ちょっとオバちゃんっぽい仕草。
    「そんな風に思ってくれてたの? あはは……ばか照れるだらー!」
    「ええっ、意外な反応……」
    「不意打ちは弱いんだよ、もう……すぐ顔赤くなっちゃうんだから。って言うか、アタシはそこまでじゃないよ? ふたりより経験があるだけ。白糸だって、才能あると思う」
     照れ隠しか謙遜する凪紗に、結はいつもの気弱げな微笑みを見せると、もう一度人込みの向こうのすずへと目を向けた。真夏の太陽を、直視するかのような表情で。
     ……そして、その翌日から。
     すずも凪紗も……結と連絡がつかなくなった。


    『──アタシの電話にも出なくてさ。いや~、まいったまいった』
     電波の向こうで、凪紗(なぎさ)はため息を吐いた。態度はおどけていたが、その言葉の奥には憤りが感じられた。
    「そうですか」
     水曜日のお昼休み。すずは制服姿で、学校の廊下でスマホを耳に当てていた。居ても立ってもいられず、凪紗に連絡したのだ。
     月曜から結は、すずの電話にも出なくなっていた。
    『根上(ねがみ)君には連絡あったって。辞めたいって相談されたって。根上君、引き留めたらしいけど、どうしてもって……水臭いよな? ウチっちに一言もないなんて』
    「ですね」
    『まあ、本人に続ける意思がないなら、しょんないけど……あ~、この三人ならイケると思ったんだけどなぁ』
    「……私は今でも、そう思ってますよ」
    『うん?』
     すずの眉毛が、キッと鋭く結ばれた。
    「直接、白糸(しらいと)さんと話をしてみます」
    『え、どうやって?』
    「白糸さんの学校に行きます」
     すずは通話を切ると、職員室に向かい、担任に体調が悪いから早退すると告げた。品行方正な優等生をやっていると、こういうとき便利だ。
     結(ゆい)が通っている高校のことは、本人から聞いている。最初は早足で、だんだんと駆け足になりながら、すずは結の学校へと向かった。
    (このまま終わりなんて、いや)
     校門前に辿り着いたとき、すずは初めて悩んだ。どうやって会うかとか、何を話すとか、明確な考えがあったわけではない。大ごとになってしまうと、ガルラジに迷惑が掛かってしまうかもしれないから、極力学校側には知られない方がいいだろう。結局二時間あまり、その辺をぶらついて待っていた。さすがに寒い。
     やがて下校時刻になって、通り過ぎていく生徒たちに目を光らせていると、バッチリと目が合った。
    「……あ」
    「あ、あぁっ!?」
     結は驚愕(きょうがく)の表情を浮かべたかと思うと、脱兎(だっと)の如く逃げ出した。
    「ご、ごめんなさいっ! ごめんなさい、ごめんなさいぃ~!」
     謝罪しながら全力疾走していく。
    「うわ、待ってください! なんで逃げるんですか!」
     結の後を追いながら、すずも叫ぶ。
    「だ、だって、アユチさん、すっごく怒ってますよね!?」
    「怒ってないですって!」
    「うそ! 怒った顔してるもん!」
    「大体いつもこんな顔ですよ!」
     300mほど走り、田んぼの畔(あぜ)に入り込んだところで、すずは結を追い抜いた。すずも運動神経には自信がない方だが、結は輪をかけて体力がないようで、既にふらついてしまっている。反転して両腕を広げ、とおせんぼした。
    「お願いだから、聞いてくださいって!」
    「ひ、ひいぃ……!」
    「お、怒って、ませんから……はぁ、はぁ、ただ……納得できないだけです。白糸さん、私たちとの活動が、いやになったんですか?」
    「ハァ、ハァ……うぅん、そんな……ハァ、違いますよ……」
     ふたりして、白い息を吐き続けることしばし。息が整った頃、結は観念した様子で語り出した。
    「……ガルラジは、本当に楽しかったです。三人でひとつの番組を作るのって、すっごく楽しくて、やりがいもあって……本当ですよ」
    「それなら、どうして?」
     つらそうな間があった。
    「……つらくなっちゃったんです。嘘をつくのが」
    「嘘って?」
     結が俯(うつむ)いて、いよいよ口をつぐんでしまったので、すずは辛抱強く待った。ふたりの周囲には、うら寂しい冬の田園風景が広がっている。
     やがて結は、意を決したように顔を上げた。
    「わたし……有名でも、なんでもないんです。生配信の再生数は、最高でも百いかないくらいの、弱小配信主だったんです。最初ちょっと見栄を張ったら、合格しちゃって……言い出せなくて」
     なるほど、そう聞けば、そっちの方がしっくりくる気がした。結が有名配信者という方が、今にして思えば違和感がある。
    「え……それ、逃げるようなことなんですか?」
     すずの言葉に、結は気弱げに笑った。
    「わたしがガルラジに応募した理由は、高校の単位がもらえるからなんです。ただ、それだけ……わたしはアユチさんや凪紗さんとは違って、才能も、プロ意識もなくて。それどころか、ちゃんとした動機もないんですよ……?」
     結は笑っているくせに、今にも泣きそうに見えた。
    「ふたりを見てると、まぶしくて……申し訳なくて。いたたまれなくて……日曜日、わたしの台本、普通って言われたでしょ? 見抜かれたって思いました」
    「そうだったんですか」
     結は微笑み続けている。
    「おふたりは、すごいです! 何の取り柄もないわたしなんかとは違って。だから、もっといい人を見付けてください。その方が、絶対にいいですから」
     結の言葉と態度には、諦念(ていねん)だけがあった。衝動的なものではない、泥のように静かな絶望。何を言えばいい? どう伝えたらいい? すずはしばらく考えて……考えないことを決めた。ただ気持ちを語るだけだ。
    「……いやです」
    「えっ」
    「今、白糸さんが話してくれた内容は、白糸さんがガルラジを諦める理由です。でも、私が白糸さんを諦める理由にはなりません」
     自分でも勝手なことを言っているとは思う。でも、結も勝手に辞めようとしたんだから、このくらいは許して欲しい。
    「私は、白糸さんと一緒にやりたいんです」
     真っすぐな言葉に、結は唖然(あぜん)とした様子だった。
    「なんで、そこまで……?」
    「白糸さんの台本が好きだからです」
    「……嘘ですよ、そんなの」
    「本当です」
    「嘘。自分でもつまらないって、わかってるのに……チームが解散されるの、そんなに心配ですか? 大丈夫ですよ、根上さんに、補充するようにお願いしましたから。ふたりは本当にすごいコンビだから、やめるのはわたしの一存だからって」
     結は卑屈になりきっていた。どう言えば彼女に伝わってくれるのか、まるで見えてこなくて、すずは声を荒らげた。
    「違いますって! チームがどうとかじゃなくて、私は──!」
    「──やりやすいんだよ、白糸の台本」
     結の背後、公道の方から割り込んできたその声には、いつもの涼やかさはなかった。余裕なくかすれており、荒い吐息が混じっていた。
     結がビクッとして半身に振り向いたので、すずの視界にもその姿が見えた。
    「……凪紗さん」
     凪紗は両手を腰に当て、荒くなった息を整えていた。すずたちと同じように、懸命に走ってきたようだった。いつもはビシッと決めていたはずの服も、少し乱れている。
    「ふぅ……置いてくなよ~、年魚市(あゆち)! 探したじゃんか」
    「あうぅっ……!」
     また泣きそうになっている結を宥(なだ)めるように、凪紗は堂々と両手を動かした。
    「落ち着け、白糸。大丈夫だ、別に怒ったりしてない……いや。むしろアタシが悪かった、ごめんな」
    「えっ……な、なにがですか……?」
    「白糸の台本について、説明不足だったこと。あと……アンタ一緒にやることを、諦めようとしたことよ。白糸の意思を尊重してあげないとな~、とか考えてさ。それがアンタの本心かどうか、想像もしなかった」
     凪紗はすずに、真剣な瞳を向けた。
    「年魚市、ありがと。白糸を追いかけてくれて」
    「無我夢中だっただけです」
    「はは、そうか……白糸、説明させて欲しい。あのな、普通は台本を書くってなったら、素人でもプロでも、ちょっとは自分を出したくなるもんなんだ」
     凪紗のおふざけ0パーセントの声。
    「芸術性とか哲学とか、どうしても入っちゃうもんでさ。でも白糸の台本には、それが全然ない。これって演者からすれば、すごくアドリブが入れやすいんだ」
    「そうなんです。すごくやりやすいんです」
     すずも口を挟む。黙ってやり過ごすのは、もうおしまい。
    「アンタには普通の台本が書けるっていう、普通じゃない才能があるんだよ、白糸」
     凪紗の言葉を受けて、結は腰のあたりで両手の指をモジモジさせた。
    「よ、よく、わかんないです……」
     すずは、おもむろに結の両手を取った。スキンシップは得意ではなかったのに、思わずやってしまった。そうしてから、自分の今の行動は、いかにも春花(はるか)がやりそうなことだと、チラリと考えた。
     結は一瞬身を強張らせたが、振りほどくことはしなかった。
    「白糸さんと一緒にやりたいんです」
    「う、うぅ……」
     結の目は泳いでいる。
    「ダメでしょうか? 白糸さん」
     すずの目は真っすぐだ。
    「で、でも……もう根上さんに、辞めるって言っちゃいましたよ……?」
     凪紗はその言葉に、すかさず言った。
    「それは大丈夫。アタシが報告すんなって言っといたから」
    「か、勝手に逃げ道をふさがれたぁ……!」
     結はまたしばらく呻(うめ)いていたが、やがてひとつ息を吐くと、すずの強い眼差しを、おっかなびっくり見返してきた。
    「……わたし、無責任なことをしましたけど……それでも、いいんですか?」
    「いや、それは許せませんが」
    「ええっ!?」
    「でも、白糸さんじゃないとダメなんです」
    「……また逃げちゃいますよ?」
    「逃がしませんよ。追いかけます」
     すずの言葉に、結はとうとう観念したらしかった。気弱げに微笑むと、すずの手をきゅっと握り返して、息を吸った。
    「……わかりました。よ、よろしく、お願いします」
     凪紗が大股で歩いてくると、ふたりの間に結ばれた手の上に、自分の手をそっと重ねた。気恥ずかしそうな笑みを浮かべながら。農閑期のさびれた農道で、三人はこのときようやく、チームになれたかのようだった。
     その週は、接戦だったものの、富士川が一位を防衛した。


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    原作・多宇部貞人氏による小説「ガールズ ラジオ デイズ」
    ガルラジのネットラジオ番組だけではわからない、彼女たちの日常が明らかになる!?

    多宇部貞人 @taubesadato

    <代表作>
    シロクロネクロ(電撃文庫、全4巻) / 断罪のレガリア(電撃文庫、全2巻) / 封神裁判(電撃文庫、全2巻) 他

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