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2017年3月17日号
編集長:東浩紀 発行:ゲンロン
目次
- 観(光)客公共論 #13 東浩紀
- アートと生の力――新芸術校 金賞受賞者対談 磯村暖(第2期金賞)×弓指寛治(第1期金賞)
- ポスト・シネマ・クリティーク #15 小森はるか監督『息の跡』 渡邉大輔
- 「ポスト」モダニズムのハード・コア――「貧しい平面」のゆくえ #17 黒瀬陽平
- 浜通り通信 #48 ハリボテの城が指し示す未来 小松理虔
- 人文的、あまりに人文的 #11 山本貴光×吉川浩満
- SF創作講座レポート〈秋〉 家族・文学・宇宙・神 溝口力丸
- 批評再生塾定点観測記 #8 哲学・思想 横山宏介
- メディア掲載情報
- ゲンロンカフェイベント紹介
- 編集部からのお知らせ
- 編集後記
- 読者アンケート&プレゼント
- 次号予告
表紙:弓指寛治《十字路》部分。2015年度の新芸術校成果展で金賞を獲得した弓指は、2016度も同講座の上級コースに通っている。《十字路》は彼が成果展に向けて制作した2枚の作品のうちのひとつで、作家の母が遭遇した交通事故現場から想像を膨らませて描かれたもの。五反田アトリエでの成果展、および大塚のフォトスタジオDUST BUNNYで開催された連動企画「Death Line」展に出品された。
撮影=編集部
観(光)客公共論 #13
東浩紀
@hazuma
『ゲンロン0』を書き終えた。分量は原稿用紙500枚に及ぶ。すべてぼくが書き記した。3月末に会員(第4期および第5期)と直販サイトでの購入者のみなさんに発送し、4月はじめからは書店にも並ぶ。来月のいまごろには感想が出そろっていることだろう。
『ゲンロン0』は『ゲンロン』の創刊準備号である。しかし同時にぼくの書き下ろしの単行本でもある(雑誌か単行本かの区分は流通上の形式の問題なので、弊社ではあまり気にしていない)。単行本としては「観光客の哲学」という題名をもつ。内容には自信がある。政治思想の本でもあれば文芸批評の本でもあり、また両方が切り離せないことを主張した本でもある。同書の議論には、『存在論的、郵便的』以来、この19年間ぼくが行ってきた試行錯誤の成果が詰まっている。だから、『存在論的、郵便的』の読者も『動物化するポストモダン』の読者も『一般意志2.0』の読者も、きっと満足してくれるはずである。そして、ぼくのいままでの仕事を知らない読者も、批評とはこのようなスタイルの思考なのか、政治と文芸はこのようにつながるのかと驚いてくれるはずである。とにかく読んでほしい。
ところでこの『ゲンロン0』は『ゲンロン』の創刊準備号なので、本来は1年以上前に出版されねばならなかった。現実にはそれは『ゲンロン4』のあとの出版となった。基本的にはぼくの無計画のせいだが、それを棚上げして言えば、結果としてこの順序は正しかったように思う。
『ゲンロン0』は哲学書である。しかし学者が書く哲学書ではない。批評家が書く哲学書である。かつて日本にはそのような書物がたくさんあった。柄谷行人はその有力な書き手のひとりだった。批評家が書く哲学書には、研究書にはない自由で開かれた空気が漂っており、ぼくはその空気に憧れて物書きになった。けれども、自分の名前で文章を発表できるようになったときには、批評家による哲学書はほとんど出版されなくなっていた。批評はもっと具体的で社会的で「役立つ」ものになり、哲学は大学のなかに閉じ込められ始めていた。そして、それから19年、ぼくはずっと、自分は書きたい本を書けない環境にいると感じ続けてきた。『ゲンロン1』から『ゲンロン4』まで続いた大型企画「現代日本の批評」は、まさにその理由、すなわち「批評家による哲学書」がなくなった理由を探る企画だった。だから『ゲンロン0』は、まさに『ゲンロン4』のあとに出版されてよかったのだと思う。「現代日本の批評」という長い前置きがなければ、『ゲンロン0』は単なる時代錯誤の企てに見えたかもしれない。
批評家が書く哲学書を、20年以上の空白ののちにふたたび復活させること。ぼくはそれを夢見るが、その夢が実現するかどうかはわからない。現実にはむずかしいだろう。『ゲンロン0』は2017年の基準では、哲学というにはアカデミックではないし、批評というにはアクチュアリティに欠けている。だからもしかしたら、いまの読者には評判が悪いのかもしれない。
しかしぼくはそれでも、この本の企てには絶対の自信がある。『ゲンロン0』は、ぼくがはじめて書いた、ぼく自身が読者として読みたいと思った本である。学部生時代、柄谷の『探究』に衝撃を受けたぼくならば、必ず同じような衝撃を受けたはずの本である。だからそれは、もしかしていまの読者には受け入れられないかもしれないが、未来のもうひとりのぼくには届くはずだと信じている。そして彼あるいは彼女がまた次世代の『ゲンロン0』を書くはずだと信じている。
ぼくはさきほど、自分は長いあいだ、書きたい本を書けない環境にいると感じ続けてきたと記した。それは具体的には、読者がぼくに求めるものと、ぼくが書きたいものとの落差を感じ続けてきたということである。ぼくは『探究』を書きたいのに、人々がぼくに求めるのはつねに時事評論や若者分析であり、そうでなければ手堅い哲学研究だった。でもぼくはそのどちらもやりたくなかったのだ。ぼくは、自分の会社(ゲンロン)を作り、自分の活動の場(ゲンロンカフェ)をもつことで、はじめて雑音を断ち切り、ほんとうの欲望に立ち返ることができた。
ぼくはいまではマスコミに出ていない。政治参加にも否定的だ。そのようなぼくに対して、公共性を失ったとの批判があることは承知している。ただ、世のなかには、ひきこもらないとできないことがある。
『ゲンロン0』は、内容だけを取り出せば、ぼくの著書のなかでもっとも公共的な、政治的な示唆が多い書物である。しかしその公共性は、ぼく自身が非公共的になることでしか生まれなかった。非公共性が生み出す公共性、それ自身が『ゲンロン0』の主題でもある。
東浩紀(あずま・ひろき)
1971年生まれ。作家。ゲンロン代表取締役。主著に『動物化するポストモダン』(講談社)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、三島由紀夫賞受賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『弱いつながり』(幻冬舎)等。東京五反田で「ゲンロンカフェ」を営業中。
東浩紀2年半ぶりの単著
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いよいよ発売が近づく東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』、ゲンロンショップではただいま「サイン本キャンペーン」を実施中です。3月29日[水]までのご注文で、東浩紀直筆サイン入りの『ゲンロン0』を送料無料、書店発売より幾分お早めにお届けいたします! とくに第6期以降に入会された友の会会員の方で、『ゲンロン0』は配布対象外……という方におすすめ! ぜひこちらからどうぞ。
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東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』
本体価格 2,300 円 + 税
ISBN: 978-4-907188-20-7
A5判 326頁
<第1部 観光客の哲学>
第1章 観光
付論 二次創作
第2章 政治とその外部
第3章 二層構造
第4章 郵便的マルチチュードへ
<第2部 家族の哲学(序論)>
第5章 家族
第6章 不気味なもの
第7章 ドストエフスキーの最後の主体
アートと生の力
新芸術校 金賞受賞者対談
磯村暖(第2期金賞) @OhayouDog
×
弓指寛治(第1期金賞) @KanjiYumisashi
司会 上田洋子 @yuvmsk
(編集部より)
ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校標準コース第2期最終講評会でみごと金賞を受賞した磯村暖さんと、同じく第1期の金賞受賞者弓指寛治さん。2月25日、上級コース成果展の最中の五反田アトリエにて、おふたりに対談していただきました。新芸術校の運営を担当するゲンロンの上田洋子の司会のもと、制作に対する考え、美術を始めたきっかけ、今後の活動方針などを存分に語り合っていただきました。
左から弓指寛治さん、磯村暖さん
パーティーピープルとサッカー部
──磯村暖くん、最終講評会金賞おめでとうございます。暖くんは秋学期からの受講生でしたが、東京藝術大学を卒業し、すでにアーティストとしても活躍している、いわばエリートなわけです。にもかかわらず新芸術校に来たのは、最初から金賞を、具体的には副賞のワタリウム美術館地下のギャラリー、onSundaysでの展示を視野においていたのでしょうか。
磯村暖(以下、磯村) それはちょっと違います。
弓指寛治(以下、弓指) え、違うの(笑)?
磯村 違いますよ(笑)。藝大での4年間は絵画をメインに制作していました。新芸術校に入学してからの作品は絵画ではなく、新しい試みとして制作したものばかりなので、もともと持っていたスキルで金賞を狙おうというような、なまぬるい気持ちはありませんでした。金賞はもちろん嬉しいですが、成果としてあの作品を出せたということのほうがぼくとしては大きいですね。
弓指 でも、やっぱり狙いにはいったんちゃう? onSundaysでの展示の存在はものすごく大きい。それがないと新芸術校の金賞って、なにもないようなもんやから。
磯村 受賞する前から勝手にonSundaysを見学したりとかはしていました(笑)
弓指 それはとる気やん(笑)
──逆に、弓指くんは絶対に金賞をとるんだ、という意気込みを持って新芸術校に入学した。
弓指 はい、そうです。
──暖くん、受賞作品について、簡単に説明してもらえますか。
磯村 受賞作の《homeparty》は、ぼくの自宅でのホームパーティーにネパール人移民を招き入れ、東京に住むパーティーピープルたちとネパールの祭事「ティハール」を再現するプロジェクトと、それと並行して作られた映像、インスタレーション、ハプニングから構成されています。ティハールはもとはヒンドゥ教のものですが、文化の融和が進んだネパールでは、仏教徒をはじめ、ほかの宗教の信者も一緒に祝う大規模な祭です。この祭では、ヤマ王(閻魔大王)の遣いとして、ネパールの人々が悪事を働いていないかを日々監視しているとされる犬やカラスを、ご馳走を与え、ティカ(額に塗ることで神や死者と通じることのできる色粉)をほどこし、マリーゴールドの花輪を首にかけるなどして崇め奉ります。そして、ヤマ王に悪いことを伝えないようにお祈りするのです。
ネパール人の友人は、ティハールを日本で実行するのが難しいと言っていました。「そもそも自分達の家を持っていないし、犬も飼えない」「コミュニティドッグ(地域一帯で世話をしている野良犬)もいなければ日本人との交流もなく、飼い犬に触れ合うこともない」「文化的にカラスに餌をやることはできない」などがその理由です。作品では犬やカラスの着ぐるみを被った日本人のパーティーピープルたちに代行してもらって、ティハールの儀式を実行しました。