<1/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
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テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。