<イスラム国に想う>
さらし首まで実践する厳しい戒律、どれをとってもその行為は平和な先進国の人々にとって
はあまりにもセンセイショナルである。
だろう。“一緒に新しいイスラム国家を建設しよう”と言うが、イスラム教を信仰したとしても
はたしてそれが理想的な国家になり得るどうかは疑問だ。
する事だけは可能である。これは共産主義ゲリラやマフィア・ファミリー、やくざ一家に
おいても同様である。他人からパラミリタール呼ばわりされたが、私の持っていたエメラルド
一家も似たようなものであった。大いに鉱山近隣の若者を魅了した。さほど厳しくはなかった
が戒律と利益の共有享受の点では類似していた。
呈しているが、少々過酷な現実の方が絵に描いた理想よりはマシだというところか。
からかけ離れたものだ。
思想、主義を同じくする仲間と理想のユートピアを築こうと言うのなら、それがイスラム国や
ファークあるいはアフガニスタンタリバンの望みであるが、少なくとも地域の大衆の支持を
うけなければならない。それが無ければ革命政権としての正義の大義名分がともなわず
国際社会から独立国としてはとても容認されまい。
それを力ずくでも押しきろうとすれば、かってのタリバンやファークのごとく米軍の介入を
招き粉砕、弱体化させられる。逆に現政権の悪政に抗して立ち上がった革命政権となると
国際社会は拍手喝采で歓迎する。かってなものである。
敵に陥る。一般大衆の支持をうけ国際社会の世論をかちとろうとするならば、絶対にやっては
いけない事は一般市民を自分らに不利な批評をしたからと言って拷問虐殺したり、
いくら敵国の人間だからといっても現地の難民援助をしている一般職員を虐殺したりしては
いけない。
悲惨きわまりのないケースで罪の無い一般市民を爆撃で百人まとめて殺したような悪い
インパクトを国際世論に与えた。
と、痛烈に批判したらその後のリアクションが凄かった。
爆破するとラジオ放送で通達してきた。ボゴタの街のあっちこっちが爆破されてた時で
これが単なる脅しではない事は百も承知していた。新聞社の連中は誰からか聞いて、
“この街でいまどきナルコ・ゲリラを公に批判できる者など誰もいない、エスメラルデーロの
ハヤタぐらいだろう”
と、それでわざわざインタービューしにやって来たとあっては私も断れなかった。
あしくもコロンビアのナルコ闘争史を通じ何百人ものジャーナリストがコケロに殺されて
きた。
と感激した社主が私と直接対談インタビューしたいと申し込んできたので承諾した。
しかし、その対談を二日後に控えてその新聞社は爆破され社主も爆死してしまった。
何ともやるせない気持ちであった。
守りを固めていた。日常戦闘にあけくれるこういう組織の兵隊たちの心理状態は非常に
デリケートで些細な事にも過敏に反応し、そのリアクションは過激でエクセントリックだ。
内輪の仲間同士のときはファミリー的で闊達としているが、ひとたび外部の嫌いなものに
であったら皆一緒にキバをむく。
彼らのキャンパスに滞在する私によく言って聞かせた、
“ハヤタ、お前がここに居る間兵隊どもはあんたを家族としてもてなすが、彼らの彼女に
チョッカイをだすのだけはやめておけ、とてもヤッカイな事になる。チーフの俺でさえ
介入できない。みんな過剰反応するのだ、戦闘みたいに”
女性の兵士は実に魅力的でゲリラ戦闘員の中に可愛い女の子がたくさんいた。
何百人ものゲリラ兵としばし生活を共にしたが、彼らは仲間内和気あいあいとしている
反面ものごとに激しやすく反応は過剰だ。それは付き合いがよくあったパラミリタールの
一家やマフィア組織でも言える。
時にして執拗で残酷だ。それはイスラム社会の犯罪人に対する処罰の慣習からきている
ところが大きい。徹底過剰処罰だ。
接触したタリバン・エスメラルデーロの粗暴にして不可解な所作はとても信用できるような
ものではなく取引を断念したが、もし彼らに連れ添って鉱山まで行っていたら間違いなく
身ぐるみはがされ殺されていただろう。出来れば今一度アフガンの原野でエスメラルデーロ
一家を立ち上げて人生もうひと暴れ、などと安易に期待していたがとてもそんなロマン
ティックなアドベンチャーフィールドなどはどこにも無かった。