- 挫折した時にこそ自分の本当の実力が試される
- 失敗は成功へ近づく為ののプロセス
- 失敗をなるべく早く経験し、成功に繋げるべきだ
- 投資家は失敗経験の無い起業家には投資したく無い
- 壮大なる失敗は小さな成功よりも価値がある
下記のポストは以前に前回の開催で最も衝撃的だった内容をまとめたものである。
このところ、ビジネス系メディア等を通しアメリカのスタートアップに関するIPOや、大規模資金調達などの大きな成功に関連するニュースが頻繁に伝えられている。一方で、その影では想像を絶するスケールの失敗談も数えきれない程存在するが、それらが表に出る事は非常に稀である。人々の目は常に成功者に集まり、敗者にスポットライトは当たらない。
しかしながら、現在大成功を治めている人達でも、そこにたどり着くまでに乗り越えて来た数々の試練や、背筋も凍るような修羅場を経験しており、それらに関する話を聞くのも非常に勉強になる。まさにそこに焦点を当てたカンファレンスが、Failconである。
2009年より年に一度サンフランシスコにて開催されるこのイベントのテーマは、「数々の失敗ケースから学び、成功に繋げる」というもの。一日を通して開催されるプログラムは、多くの試練を乗り越え成功にたどり着いた起業家や投資家を中心に、「役立つ失敗談」を中心としたスピーカーセッションやパネルディスカッションで構成される。このイベントはbtraxが共同開催しているSF New Techとの姉妹イベントでもある事で、チケットを頂く事ができた。数あるセッションの中でもUberファウンダーのTravis Kalanikのキーノートスピーチを紹介したい。ちなみに、Uberとはサンフランシスコに本社があるスタートアップで、スマートフォンから気軽にリムジンをタクシー感覚で利用出来るサービスである。その手軽さや便利さが大人気で、最近の成功企業との一つとして数えられている。
プログラムパンフレットに記載された彼のスピーチのタイトルは「Uber Case Study」。当然、Uberがここまでたどり着くまでに経験した様々な失敗談が語られるのかと思っていたが、内容は全く違っていた。スピーチが始まるや否や、彼が一言「タイトルはそうなっていますが、Uberは失敗ケースではありません。今日は、Uberを始める前に僕が過去10年間で経験して来た内容を話したいと思います」と切り出した。そしてその内容は、今までの自分が経験して来た失敗や間違いが、非常に小さなスケールで些細な事だったと痛感する程、凄まじかった。
多くの失敗経験を持つ起業家は沢山いるが、おそらくTravisほど多くの、そして厳しい修羅場をくぐり抜けて来た起業家は稀であろう。自身も「世界中で最もラッキーでは無い起業家」と自負している。ちなみに、「もっともアンラッキーな起業家」では無いのは、最終的にエクジットまでたどり着いたからだそう。それでは、彼のスピーチで語られた失敗歴を幾つかご紹介する。
自身の投資家に訴えられる
第一次ドットコムバブルの90年代後半、UCLAに在学中に友達とP2P系のサービスを立ち上げた。時流に乗り、LA地域の大物投資家から投資を受けたのは良いが、契約書をよく読まずにサインをしてしまった。他の投資家に事業の話をしてはいけない旨の条項に反した疑いで、告訴される。その翌日に、そのニュースがWall Street Journalに記載され、会社の評判が最悪に。投資家は怖い人たちだと学ぶ。
主要エンタメ企業33社から合計$250Bの訴訟を受ける
提供していたのがNapsterと同系のP2Pファイルシェアサービス(ユーザー同士が音楽や映画のファイルをネット上で交換可能にする)だったことで、2000年にアメリカ国内のエンターテイメントコンテンツ提供企業、合計33社からコピーライト違反の疑いで2,500億ドルの訴訟を起こさる。ちなみに訴訟額はその当時のスウェーデンのGDPとほぼ同じ。賠償金が払えないので会社更生法を申請。その後、破産申請を取り扱う裁判所にて、会社及びサービスを合法的に手放す為に、買収の為のオークションを実施。30分以内で、会社が売却される。
ネットバブル崩壊後の2001年にネットワーク系の会社を立ち上げる
上記のテクノロジーをベースに、訴訟を起こした33社への”復讐”を果たすため、メディア系企業がユーザーとなるサービスを提供するRedSwoosh社を設立するが、ネットバブル崩壊直後だった為に、誰にも相手にされない。ある有名投資家には、「ネット系ビジネスは終了した。全てのイノベーションは出尽くした。」と言われる。日銭を稼ぐ為にコンサル業務を行う。
共同創業者に裏切られる
投資を検討してもらっていたSONY Ventures社に共同創業者(Co-founder)がこっそりメール。その内容は、「どうせこの会社はうまく行かないので、僕とエンジニアを雇ってくれないか。」後日、メールを見つけた時は足下が崩れる思いをする。その後共同創業者をクビにする。のちに財務を担当してた彼が会社の税金をごまかしていた事が発覚。連邦政府への税金未納の罪で刑事訴訟寸前までに発展。
滞納していた税金と従業員の給料を払う為に奔走
税金未納の罪で実刑になるのを防ぐため、そして、7人居る従業員の給料も3ヶ月滞納してた為、必死で投資家に出資を頼み込む。やっとの事で非常に不利な条件で$300Kの資金を調達するが、税金と給料を支払った後に残った額は$90K. その後少しでも会社を存続させる為に、従業員はパートタイムになる。その後も会社存続の為に常に資金調達に追われる。
Microsoftからの買収オファーを受けるが…
開発していたシステムに対して、Microsoft社がWindowsへの組み込みを検討。会社の買収を持ちかけるが、直前まで金額が明かされない。非常に興味があると散々じらされた後、最終打ち合わせ当日に初めて公開された契約書に記載されていた金額は、たったの120万ドル。90万ドルの負債があったため、実質は30万ドルの買収オファーになってしまうので、打ち合わせを10分で終了(破談)。
Twitterで初めて届いたメッセージが退職願
資金難に直面した為、1人を除いて全てのエンジニアが会社を去る。その後カンファレンスに参加中にTwitter経由で初めて届いたメッセージは、140文字で綴られた最後のエンジニアからの退職願。その内容は、「今まで有り難うございました。僕はGoogleに転職します。さようなら。」ちなみに、彼をGoogleへ引き抜いたのは、以前に裏切りでクビにした共同創業者。
エンジニアの辞職により商談決裂
上記と同じ時期に年間100万ドルのディール交渉をAOLと行う。順調に進み、契約書の最終調整を行っていた矢先に、全てのエンジニアが退職した事実がメディアにタレ込まれ、ディールが破談になる。
会社にエンジニアが不在
2005年頃になると資金難が理由で社内にエンジニアが不在になる。知り合いに紹介された変わり者のエンジニアに必死でしがみつく思いで仕事を依頼。しかも彼には本職があり、手伝ってもらえるのは火曜日と木曜日の午後10時以降のみ。
経費削減の為にタイへ移住
自分達で安価なオフショアを実現する為に、生活費の安いタイへ2ヶ月間移住する”セルフ・オフショア”を行う。その影響か、100万ドル出資していた大口投資家が投資の打ち止めと、投資額の返却を要求。それを補填する為に、既存投資家、新規投資家、商談中クライアントを含む4社同時契約を行い、気が狂いそうになる。
10年間自分への給料は0
投資家に騙され、大手企業から訴訟を起こされ、共同創業者に裏切られ、資金調達に奔走していた10年間、自分への給料は全く払う事が出来なかった。その間は両親と住み、食事はカップラーメンのみ。もちろん彼女はできない。彼は実にそのような日々を10年間過ごして来た。
その後、彼の会社、RedSwooshは2007年にライバルのAkamai社へ2,300万ドルでバイアウトを成功させる。
Travisによると、これまでの数々の苦労を考えると、現在のUberにおける多少の試練は、子供の遊びのような感覚だと言う。相当の修羅場をくぐり抜け、それでも自分とヴィジョンを信じ、あきらめなかった彼には最大限の敬意を表したい。正に、”A winner never quits, A quitter never wins.” (勝者はあきらめない。あきらめる奴は勝者にはなれない) である。
プレゼン後の質疑の際に、「もし10年前に戻れるとして、今説明頂いた数々の苦労をしなければならないと分かっていたとして、あなたはそれでも会社を始めますか?」との質問に対して、Travisは一言、「当たり前じゃないか。色々あったけど、最終的には$23mでExitしたんだぜ!」と答えた。その際に彼の目に光っていた涙が全てを物語っていた。彼はこの10年間でお金では買えない何かを手に入れたのであろう。
筆者: Brandon K. Hill / CEO, btrax, Inc.
元記事URL: freshtrax
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