「当初、大半の店長はソーシャルシフトに無関心で、勉強会でもその表情はお地蔵さんのようでした。その光景は、社員満足度調査で寄せられた『命令に従うばかりでお客様や自分たちの声が届きにくい』『我が子に入社を勧めたい会社ではない』といった意見を裏づけるものでした」。カスミ社のソーシャルシフト専属部門の責任者である高橋氏は、この一年の苦労をこう語った。ソーシャルシフトの目指すものは、透明性の時代にふさわしい「社員にも顧客にも愛される会社」にカスミを変革し、100年続く会社の礎を築くことだ。しかしながら、当初、そんな経営改革に対する現場の反応は冷めたものだった。

 

老舗スーパーチェーンのカスミ、ソーシャルシフトに踏み出す

東商一部上場、売上2137億円。北関東を中心に147店舗を展開し、従業員数は一万人を超える老舗スーパーチェーンのカスミ。地元の誰もが知るローカルブランドで、お客様や地域を大切にすることで知られている。同社をリードする小浜裕正会長は、小売業界では誰もが知る辣腕経営者だ。ダイエーの専務取締役から2000年にカスミに転籍。大胆な事業整理と徹底した顧客志向より同社をV字回復に導いた。

 

老舗スーパーを鮮やかに復活させた経営者が、今、それまでの経営スタイルを180度変換させ、大胆な経営改革を断行している。その背景には、コンビニやeコマースに追われて深刻化するスーパーという業態に対する愛情と憂慮がある。地域に密着した食品スーパーの使命に立ち戻りつつ、新しいイノベーションを取り入れなければカスミは生き残れない。「カスミを100年続く企業にするためには、いま改革が必要であり、それが私の最後の使命だ」。そんな思いで、小浜会長はソーシャルシフトに踏みだした。

 

(参考 : 日経新聞WEB  ソーシャルメディアで経営改革 老舗食品スーパーの決断)

 

2012年3月、ソーシャルシフトの専属組織となる「ソーシャルメディア・コミュニケーション研究会(略称ソーコミ)」が組織化され、小浜会長、藤田社長の両トップが自ら推進役となった。社内キーマンへの現状インタビュー、クチコミや社員満足度調査、ソーシャルメディアの啓蒙活動、Facebookファンページ(カスミFanページ)立上げ、新店舗出店時のFacebookコミュニティ活用と、部門を超えて、矢継ぎ早に施策が実施された。

 

しかしながら、その道程は容易ではなかった。それもそうだろう。店長は忙しすぎたのだ。本部から絶え間なく流れてくる情報の洪水と、それに対する報告や対策。本来、お客様や店員にむけるべき時間が削られ、内向きの業務に忙殺される。お客様第一といいながら、現実は本社に視線が向かざるを得ない。そんな日々が続いていたのだ。次第に店長の疲弊は店舗に伝播し、全社に閉塞感がただよいはじめる。そんな現状をソーコミは真正面から受け止めた。

 

「社内のヒアリングをすすめていくにつれ、大企業にありがちな縦割り組織の弊害を痛感しました。コミュニケーションの壁を打ち破り、社員同士が言いたい事を言える、知恵を出し合うための仕組みづくりが私たちの使命だと強く感じました」。ソーコミの責任者である高橋氏は語る。それでも、会長、社長みずからが率先して、粘り強くソーシャルシフトを推進していった。社内のムードが変わりはじめたのは、ある出来事がきっかけだった。「当社では、小浜会長みずからが陸前高田に何度も足を運び、被災地に貢献してきました。津波で流された山車を復元しようと支援活動が始まり、2012年8月には出店エリアの子どもや当社の新入社員など総勢130名で陸前高田を訪れ、地元の人たちと一緒に復活した七夕まつりに参加しました。人にお役に立つことの共体験が社内を変えはじめたのです」。

 

「ソーシャルシフトの経営」が、中期経営計画の骨子へ

ソーシャルシフトの経営改革を開始して約一年、カスミは少しずつ変わりはじめた。臨時社員を含めると1万人を超す同社にとって、真の改革への道のりは遠く険しい。しかし、着実に歩は進められている。2013年からの三カ年中期経営計画では、その骨子を「ソーシャルシフトの経営」とし、三年間かけて全社に経営改革を広げていく方針だ。

 

この図は、ソーシャルシフトの施策をまとめたものだ。正解がない時代、お客様の事前期待を上回るサービスを提供してファンになっていただくためには、現場の社員が共通の価値観にそって自律的に行動できなければならない。そのためには、全社で経営哲学を共有し、全社員が自律的に行動することで最高の顧客経験価値を提供し、それが事業成果につながるという「インサイドアウト」の考え方を徹底することが大切だ。

 

2013年は、ソーコミという専業組織に加えて、ソーシャルシフトを実行するためのキーとなる3つの組織が新設された。1つは、全社員で共有するカスミ哲学を考える「未来委員会」、その哲学にそって既存組織の枠を超えて自律的な店舗運営をおこなう「モデル店舗」、そのモデル店舗運営を支える本社会議体「ソーシャルシフト・コミッティ」だ。

 

カスミ哲学をみんなで考える未来委員会

 

「未来委員会」の役割を、同社広報誌はこう伝えている。「私たちが自主的に行動するとき、拠り所にするのは『経営哲学』です。でも、お客様の立場にたってとは、地域に根ざした企業になるとは、具体的にどう行動することなのでしょうか?行動につながるかわりやすい言葉をつくっていくのが未来委員会の役割です」

 

同社の経営哲学は、企業理念、経営理念、経営方針で構成させている。内容としては企業理念が「ミッション」(企業の使命)、経営理念と経営方針が「ビジョン」(企業の目指す姿) に相当する。未来委員会で策定するのは、これらの経営哲学を実現するための具体的な価値観「コアバリュー」に相当するものだ。

 

未来委員会は初期メンバー20名で構成され、すでに活動が開始されている。彼らは部門を横断するカタチでカスミのあるべき姿、共有すべき価値を考えはじめた。これから徐々にメンバーも拡大し、年内には社員たちでつくった「コアバリュー」ができあがる予定だ。

 

 

 ソーシャルシフトを実践するモデル店舗

 

2013年3月、同社が展開する約150店舗のスーパーの中で、10店舗が「ソーシャルシフト・モデル店舗」としてスタートした。 モデル店舗の選定にあたっては、藤田社長からの問いかけに対して「店内での話し合いをもとに店長が立候補する」というカタチをとった。自主性、内発的な動機づけを重んじたからだ。この選定においても大変印象的なことがあった。店舗を管理する立場だった一人の販売部長が、降格をしてでもモデル店舗の店長をしたいと申し出たことだ。お客さまに「カスミは私のお店」と感じていただきたい。そして社員が仕事に行くのが楽しくなるようなお店にしたい。そんな思いが販売部長を動かしたのだ。

 

 ソーシャルシフトのモデル店舗として立候補した店長の方々です。お近くにお住まいの皆さま、

お立ち寄りの際はぜひお声がけください。お客様からのひと言を楽しみに待ってらっしゃいます。

 

モデル店舗の店長は、それぞれが「お客様も社員も笑顔に溢れ、最高の顧客サービスを提供し、各地域で特別なスーパーと感じていただけるお店づくり」を目指しているが、その具体的な施策は店舗の自主性に任されている。ただし、従来からある商品本部や営業企画本部からの情報が組織から外れてもきちんと届けられるよう、さまざまな配慮がされている。

 

モデル店舗「フードスクエア越谷ツインシティ店」で、店員さんたちで自作した近隣のお花見マップ

 

 

モデル店舗を強力に支援する本社組織、ソーシャルシフト・コミッティ

 

モデル店舗の運営を全面的にバックアップする会議体も新設された。「ソーシャルシフト・コミッティ」だ。この委員会はモデル店舗の業務を円滑にするためにできた組織であり、特徴は「現場の管理」ではなく「現場の支援」という姿勢を徹底している点にある。委員長としてリードするのは藤田社長だ。そしてメンバーは各部門のトップやマネージャークラス11名で構成され、毎週開催され、現場の問題点を解決していく。

 

特に顕著にすすんでいるのが、現場の業務を簡素化し、権限委譲するための業務改善、いわゆるビジネス・プロセス・リエンジニアリングだ。新設わずか2ヶ月足らずにもかかわらず、モデル店舗に関する業務を大胆に見直した他、冒頭にあった本社からの情報洪水や報告も激減させ、店長が現場に時間とエネルギーを投入できるように改革した。今後は、BSC(パランスド・スコアカード)に基づいたKPIの運用、社内情報共有システムの見直し、人事評価の見直しと、矢継ぎ早に社内改革をすすめていく強力なエンジンとなっている。

 

ソーシャルシフトの考え方が社内に浸透するまで約一年かかったが、いったん改革がはじまると、そのスピードは予想以上に加速した。全社が経営哲学、共通の価値観を持つことで、部門間の軋轢がなくなってきたことが最大の要因だろう。インサイドアウトの経営改革は、理解されるまでに時間を要するが、いったん加速しはじめると早い。それは一万人規模の会社でも同様、ドミノ倒しのように改革がすすんでいる。

 

明日から、君たちの上司は経営哲学だ。

会長・社長はもとより、販売本部、商品本部、営業企画本部、開発本部、経営企画本部、人事総務本部まで、文字通り全社をあげて、生活者に真に愛される小売業へ進化するために、カスミは力強い第一歩を踏みだした。

 

2月27日、モデル店舗が本格的にスタートする直前に、ソーシャルシフト・コミッティとモデル店舗の店長が一同に集まり、最後の調整会議が行われた。藤田社長の言葉ではじまり、各店長が所信表明をした後、小浜会長から話があった。これからモデル店舗の店長は、哲学や目標を共有しあいながら、自律的に店舗を経営する立場になる。いわば、明日からは店長ではなく経営者の感覚でお店をまかされることになる。その時にどういう考え方で店舗を運営すべきか、どういう点に注意すべきか、小売業の生き字引である小浜会長が、その抱負な経験をもとに、持てるノウハウを丁寧に各店長に話された。「明日から、君たちの上司は経営哲学だ」そんな会長のひと言が、今でも僕の心に残っている。

 

「日本にチェーンストアが誕生して50年余になるが、このシステムを一度完全に壊さないと、自己革新ができないと私は思っている。従来型ではない思想や仕組みのもとで、生活者や地域社会とのつながりを再構築しない限り、スーパーマーケットは真のお客様満足を実現できない。目指すのは、あらゆる顧客接点で自主的に判断し行動できる現場、それを許容できるマネジメントの経営システム。極論すれば『本部のないチェーン・システム』だ。とりわけカスミのようなローカルチェーンにとっては、そこが生き残りのカギになるだろう」。100年続くカスミへの再構築に向けて、小浜会長が行った一年前の決断は、今、ようやく加速しはじめた。

 

最後に、愛すべき小浜会長にちょっとうれしい出来事があったことをご報告します。3月12日、72才の誕生日を迎えられた会長のために、社内外から凄い数のメッセージをフェイスブックの非公開イベントで集めておき、誕生日当日に小浜会長を招待するサプライズプレゼントを届けたんです。一年前からフェイスブックで積極的にお客様や社員と交流していた会長ですが、このサプライズは予想していなかったようで、満面の笑みを浮かべていらっしゃいました!

 

 

 

余談ですが、

このストーリーに出てくる小浜会長と私の講演が、来るオラクルのイベント「Oracle CloudWorld 2013」にて行われます。小浜会長の生の声を聴きたいという方、無料ですので、ぜひグランドハイアット東京までご来場くださいませ。

 

参考ブログ記事)

小浜会長と僕の対談記事です 「ソーシャルシフト 〜 生活者と企業の新しいコミュニケーションのカタチ


by 斉藤 徹
RSS情報:http://media.looops.net/saito/2013/04/01/kasumi_inside_story/