賞賛と炎上を分けるもの
今どき、ウェブの最前線にいるマーケティング関係者で、生活者をコントロールできると考えている人はいないだろう。特に日頃からソーシャルメディアで生活者の声と日常的に触れている担当者は「クチコミ」の威力を痛感しているはずだ。直近の事例を追って、その威力を体感してみたい。
苦情ツイートに添付されていた画像
今年の6月11日午後1時頃、チロルチョコの中に芋虫がいたという写真つきの苦情ツイートが投稿された。インパクトのある写真が拡散の連鎖を刺激し、瞬く間にリツイートは1万回を超える。ツイッター注目のキーワードにまで「芋虫」が登場する有様だ。チロルチョコは製造元の工場を合わせても社員数で約200人。その規模の企業にとって、この醜聞は致命的な危機になりかねない。しかし彼らは冷静だった。約3時間後、同社の公式アカウントは正式な見解をツイートする。
その投稿は十分に吟味された内容だった。写真に掲載された商品の最終出荷は約半年前。対して芋虫はその形状から推定すると生後30日~40日。これは芋虫が商品購入後に混入したことを示唆するものだ。
さらに「虫が混入されたケースの多くは出荷後に家庭内で起きる」とした日本チョコレート・ココア協会のウェブサイトを紹介。最後に「お騒がせして申し訳ない」との心遣いあるコメントで締めたのだ。この的確で抑制の効いたツイートは約1万回もリツイートされ、多くのブログやまとめサイトも登場した。その結果、チロルチョコのブランドは見事に守られた。一方で苦情を投稿したツイッター・アカウントは閉鎖されてしまった。
一連の対応を統括した松尾裕二取締役は、この出来事をこう振り返る。
「われわれがソーシャルメディアの運用を始めたのは約2年前ですので、Twitterにはすでに1万人ほどのフォロワーがいました。このアカウントがなければ、当社の考えを生活者に迅速にお伝えすることはできなかったと思います。もし一方的に写真が広まり、それをマスメディアが取り上げていたら、当社のブランド毀損(きそん)は計り知れなかった。この時ほどソーシャルメディアを始めて良かったと感じたことはありません。でも実際の現場ではハラハラの連続でした。特に投稿文には細心の注意を払い、何度も文章を見直しました。これを見て、嫌な気分になる人はいないか、揚げ足を取られる表現になっていないか。それに投稿直後も目が離せませんでした。僕たちのツイートに生活者がどう反応するのか、しばらくは画面につきっきりで見守っていたんです」
ありがたいことに、投稿してから一気に肯定派が増えたという。「チロルチョコを信じていました」そんなツイートがあふれだし、結果的にフォロワーが1000人以上増えた。
生活者は何を見て企業を評価するのか
生活者の声は予測できない。生活者は企業にすばやく誠実な対応を求めている。彼らの反感を買えば手痛いしっぺ返しを食うが、時として真摯な態度や人間味あふれる機転が大きな歓声を持って受け入れられることもある。
一方で、炎上も後を絶たない。もはや炎上が発生しない日はないと言っても過言ではない。直近の例では、プロ野球の統一球の問題が挙げられるだろう。今季から採用した飛ぶボール自体を否定するファンは少なく、むしろ楽しみが増えたという声も多い。問題視されているのは説明責任だ。
なぜこの情報を隠ぺいしたのか。コミッショナーはファンや選手への影響をどう考えているのか。社会的影響力のある人や組織は、その活動や決定を説明する責任がある。透明な時代に結果オーライは通用しなくなった。プロセスの透明さが強く求められているのだ。
また、ブラック企業というレッテルが一部の経営者を悩ませている。社員に劣悪な環境で労働を強いる企業――ネット上を検索すると、ワタミやユニクロなどの企業名が並ぶ。トップ自らブラック企業と呼ばれることに対する見解を述べたインタビュー記事も登場した。両社に共通しているのは、極めて強力なリーダーシップを持つオーナーがいること。いずれも企業成長への強い意思を持ち、それを現実化させた稀代の経営者だ。その手腕を疑う人は誰もいないだろう。しかしながら、彼らの主張は生活者に共感されていない。逆に発言の都度、ソーシャルメディア上を反感が渦巻いていくようだ。
今や、生活者は歩く広告塔となり、生活者接点は広告が生まれる瞬間となった。顧客だけではない。社員も、退職したアルバイトも、求職した学生も、その企業にとって大切な広告塔だ。特に店舗がある地域の住民は、政治家にとっての選挙民に等しい。
彼らは企業の好き嫌いを判断し、ソーシャルメディアや購買行動を通じて一票を投じる権利を持っているからだ。生活者の共感を得る企業、反感を買う企業、その差は天と地ほどに大きい。彼らの評価は、商品売上や社員雇用に結びつき、経済的な価値につながっていく。
では、本質的に企業に対する賞賛と反感を分けるものはなんなのだろうか。生活者は何を見て、企業に対する評価を下しているのだろうか。
統制が通用しない時代
あなたが貴社のソーシャルメディアアカウントの担当者になったとしよう。そこであなたは生活者の率直な意見を目にすることだろう。ある人は「すばらしい」と褒め、ある人は「あの商品には問題がある」とクレームを入れる。公式アカウントがなくとも実際は同じことだ。企業がアカウントを持とうと持つまいと、生活者は日常的にブランドの評価をしあっているからだ。
ソーシャルメディア担当者の悩みは深い。生活者からの声と上司の指示が相反するからだ。生活者は誠実でリアルタイムな応対を求めているが、多くの上司の頭の中にあるのは、メンツ、保身、事なかれ主義。結果としての隠ぺいだ。プロ野球の統一球などその典型だろう。そして、それこそが生活者の最も嫌う態度なのだ。上司がコントロールできるのは人事権を持つ部下までで、生活者の考えや言動をコントロールすることなどできるはずがない。そんな簡単なことも分からないほど、現場感覚を失った管理者も少なくない。
企業が一方的に情報を独占し、生活者をコントロールできる時代ははるか昔に終焉(しゅうえん)している。さらにソーシャルメディアの登場で、企業は生活者によって常に監視され、評価されるようになった。企業と生活者のパワーバランスは完全に逆転したのだ。
生活者の賞賛と反感を分けるもの、その原点はここにある。すでに力関係が以前と変わっていることに気づかず「生活者をコントロール」しようとする姿勢。それこそ生活者に最も忌み嫌われる病根と言えるだろう。特に経営者や管理部門にその傾向は強い。彼らが持つ内向きのコントロール志向がさまざまな生活者接点から滲み出し、それが反感につながっていくのだ。パワーマネジメントで時代を築いた経営者こそ、このわなに陥りやすい。彼らを成功に導いた豪腕や理屈は、生活者の心には響かない。むしろ疑問と反感が蓄積していく。
ソーシャルメディアで評価されたチロルチョコは、生活者をコントロールしようとせず、彼らの求めるものをしっかりと理解し、臨機応変な対応を実現できた。生活者をリスペクトし、短時間の間に最善を尽くした。彼らの機を逃さぬ、それでいて謙虚な姿勢が生活者の共感を生んだ。ピンチをチャンスに変え、賞賛の輪が広がっていったのだ。
自分の組織で炎上をシミュレーションしてみよう
もう一度、チロルチョコの対応を思い出してみよう。彼らの持つ反射神経が貴社にはあるだろうか。あなたの所属する組織は、出会い頭のアクシデントに対して、誠実に、柔軟に、リアルタイムに対応する能力があるだろうか。トラブルや炎上は毎日のように現実社会で起きている。ぜひ、この事例を自分ごととしてとらえてみてほしい。
そもそもソーシャルメディアに流れる自社の風評をこれだけ早く察知できる企業は少ないだろう。その上で過敏反応せず、製品の製造時期を調べ、幼虫の大きさから生後どれくらいかを推定する。また第三者の情報として業界団体のFAQ引用を決めた。そこまでで約1時間半。
さらに投稿者への個人攻撃にならないよう配慮し、企業にとって難題である「お詫び」の添え方を十分に吟味した上でツイートしたのだ。トラブル発生から3時間。貴社にこの対応ができるだろうか。
ここでは大企業が陥りやすい統制志向のわなを、チロルチョコが受けた災難をベースに予想してみたい。実際に企業内部で起こりがちな対話をシミュレーションしてみよう。
ツイッターの炎上を発見して
ソーシャル「部長、悪い報告なんですが、当社製品がツイッターで炎上してます」
マーケ部長「なんだと。すぐに関係する責任者を集めて緊急会議だ」
ソーシャル「広報部長と営業部長が外出していて、最短で夕方になります」
マーケ部長「じゃあ、それまでに報告書をまとめて会議の準備をしておいてくれ」
ソーシャル「ツイッターの対応はどうしますか?かなり炎上してますよ」
マーケ部長「まずいのはわかるが、部門横断マターだから一人じゃ動けないんだ」
ソーシャル「では、この製品の製造責任者などの方々も呼びましょうか?」
マーケ部長「製造部長とCS部長にも連絡して内容を報告しておいてくれ」
ソーシャル「わかりました」
そして夕方の会議にて
マーケ部長「今、彼から報告があった通り、ツイッターで大変なことになっています」
製造部長「なんだよ。これは単に家の中で虫が入ったんだよ。よくあるんですよ」
コンプラ「それを証明できますか?」
製造部長「ウチの工場を見てもらえば、こんな虫なんか入らないのがわかりますって」
CS部長「顧客サポートにクレーム電話がかかりっぱなしで。こんな事は初めてです」
広報部長「極めて深刻な事態だ。大至急、社長に報告する必要がありますね」
営業部長「これで売り上げが落ちたら、特殊要因ということで責任とってもらいますよ」
コンプラ「責任の所在はどの部署にありますか?」
製造部長「ウチは会社で定められた衛生基準にのっとって製造しているだけですよ」
マーケ部長「今、ネットでこの写真が広まって大変なことになってます。急がないと」
広報部長「社の一大事です。社長や弁護士と相談して最善の対応策を練りましょう」
2日後
かくして社内各部門は、自らの責任を回避するための暗闘を続け、生活者への応対は後回しになった。結局、社長決済を経て、2日後にプレスリリースが発信される。それは、企業にとって都合の良いことだけを表明する内容となっていた。
「チョコレートやココアは、近代的な設備と衛生管理の行き届いた工場で生産されており、虫の卵や幼虫が入ることはありません。ほとんどの場合、工場を出てからご家庭で消費される間に侵入するケースが多いようです。なおチョコレートにつく虫にはノシメマダラメイガ・スジマダラメイガ・コクヌストモドキなどがありますが、いずれも病原菌や毒素といったものはないので、万一虫が混入しているのに気付かず誤って食べても、人体に直接害はありません」。
このリリースは、内容もあいまいで生活者の求めていた情報開示とは異なった。なにより誠意が感じられない表現となっており、対応の遅さと相まって絵に書いたような二次炎上を引き起こす。結果的に、同社の製品品質に対する疑念に加え、説明責任に対する意識欠如を指摘され、同社の好感度は大きく毀損することとなった。
このシミュレーションはチロルチョコの実例をベースにしたもので、現実に起きたことではない。しかし、特に各部門がサイロのように硬直した大企業において、いかにも起こりやすい一幕ではないだろうか。ソーシャルメディアによって誘起される問題がひとつの部門で完結することは少ない。組織が大きくなるほど、本質的な問題点が浮き彫りにされてゆく。
組織の透明力とは
旧態然とした組織が、臨機応変な対応を実現できない理由をまとめてみよう。
- 中央統制システムのため、想定外の事態が発生しても上司の指示なしには動けない
- 縦割り組織のため、情報共有や人材交流が乏しく、緊急時に協業しあう信頼関係もない
- 成果主義のため、部門や個人の評価にならない行動には消極的で、責任を追わない
- 経営陣のメンツや保身が優先されるため、生活者が満足する説明責任を果たせない
中央から社員をコントロールするために構築されたシステムは、部門間の協業や社員の自主性を奪ってしまう。いつのまにか社員の関心は顧客から上司に変わり、社員の仕事の多くは社内稟議や報告書作成になってゆく。そして組織全体が顧客に鈍感になるのだ。
透明な時代にあるべき組織像は、その対極に位置するものだ。顧客は、あらゆる接点において、迅速で誠実な対応ができる企業像を求めている。そのためには、顧客と接点を持つ現場社員が自律的に行動できるシステムを構築することが大切だ。
言うならば、社内のカルチャー改革だ。それを実現するには「価値観の共有」「オープンでフラットな組織」「社内交流を促進するコラボレーション・プラットフォーム」、この三つの改革が必要となる。そして、その根底に流れているのは「透明の力」による内発的な動機づけだ。
「透明の力」とは何か。それは上司からの統制ではなく、社員の自律的な行動を促す力を表現したものだ。人間は、誰かに指示されるまでもなく、共感や評価を得たいと強く願う生き物だ。社内を透明にし、情報を可視化させ、コミュニケーションの活性化を図る。すると社員は仲間との一体感を感じ、その共感や評価を得るために、自発的に企業やチームがプラスになるよう動き出す。
例えば、企業は経費を抑えるために、何重にも管理者を配置し、稟議システムによって「統制」してきた。しかし、経費をすべて「透明」にしたらどうなるだろう。社員であれば、誰が何にいくら使用したかを閲覧できるようにする。統制も特別なシステムも不要だ。それだけで無駄な経費は激減するだろう。説明責任が生じ、共感や評価を得られない経費が姿を消すからだ。なぜ、それができないのか。経営層、管理層の既得権益があるからだ。ここにメスを入れられるのは、最も痛みを伴う経営者だけだ。それを理解した上で、経営者が信念を持って「透明の力」を導入するとき、組織は劇的に変わってゆくのだ。
今、企業は「統制の力」を卒業し、「透明の力」によって社員をエンパワーメントすることを求められている。「ガミガミと言って行動させる」のではなく「自発的に会社のために行動する場を創る」こと。時代が求めているのは、このコペルニクス的な発想の転換だ。単なる性善説だけでは十分ではない。「透明化することで自律的な行動を促すこと」がポイントなのだ。実際に「透明の力」を活用する企業は増えてきている。シリコンバレーのベンチャーなどは、ほとんど例外なくそうだろう。
すでに統制型マネジメントが浸透している大企業にとって、この経営改革は困難を極めるに違いない。その一方で、新しい文化を持つ企業が雨後の筍のように生まれ、大企業の得意分野を日々侵食している。「MAKERS―21世紀の産業革命が始まる」(Chris Anderson)が提起したように、大企業もベンチャーも、創造力や共感力という同じ土俵で勝負せざるを得ない時代が到来するだろう。古びた経営スタイルは、もう臨界点に達しているのだ。
拙著にて、ソーシャルメディアが誘起したビジネスのパラダイムシフトを「ソーシャルシフト」という言葉であらわした。この記事では、ソーシャルシフトにおいて、新しい組織の原動力となる「透明の力」の生かし方を連載していきたい。共有すべき価値観や情報とは何か。過度な同調圧力や部分最適化をいかに防ぐか。公開すべき情報と非公開にすべき情報をどう考えるべきか。透明な時代に管理職の業務やリーダーシップはいかにあるべきか。
余談になるが、僕は「踊る大捜査線」、特に青島刑事や和久さんのいる湾岸署の面々を心から愛している。彼らのように、熱い思いを持ちながら、組織の壁に日々悩んでいる人たちの力になりたい。それがこの連載記事を書く動機にもなった。ソーシャルメディア時代、事件はまさに現場で起きている。現場力をいかに高めるか、企業の明日はそこにあるのだ。
「伝統的な労働力体制の下にあっては、働く人々がシステムに仕えたが、知識労働力体制の下では、システムこそが働く人々に仕えなければならない」 (Peter Drucker)
以下は、本記事執筆に当たっての筆者によるエピローグムービーです。
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ITL編集部
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